毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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そりゃあそうかも知れないけれど…

今日、ある講演会のレジメをもらった。ジャーナリストとプロフィールに書かれたその人のレジメを見て正直愕然とした。

「どうしたら戦争はなくなるのだろう?」という見出しに書かれていた言葉は次のよう:
「話し合うこと。戦争はしませんと宣言すること。戦争被害を忘れないこと。だまされないこと。勉強すること」
そりゃあそうかも知れないけれど、あまりに単純すぎないだろうか。。。
子どものケンカじゃないよ。「戦争被害を忘れないこと」というのは、過去の経験を今に生かすという意味では、これは真実。
「勉強すること」というのも、戦争にいたる過程を知るという意味ではこれも正しい。

でも、こう単純に書かれると、あまりの単純さに唖然とする。

今、バグダッドで毎日30から40の死体が遺体安置所に運び込まれているという。これも「内乱」という戦争だ。この戦争は仕組まれたものでもある。「内乱」が起きたときはレジメに書いてあるようなことは一切何の役にも立たないだろう。
戦争をしませんと宣言するのは国家と国家の戦争の場合だけで、いまやアメリカおよび日本がしようとしている戦争は「テロ」との戦い(好むと好まざるとに関わらず私たちはそこにすでに組み込まれている)。

昨年だろうか、「戦争のつくりかた」という冊子が流行った。私はこのときもその単純さに唖然としたものだ。確かに戦争のつくりかたではあるが、厳密にいえば、戦争ではなく米軍再編に向けての日本の体制作りへの批判だ。それが間違っていると言っているのではない。戦争はそのように目に見える形で来ないだろうといいたいのだ。

すでに小樽港には米軍の戦艦が寄港して、千歳空港では米軍の戦闘機訓練が行なわれようとしている。民間の港、飛行場がすでに軍用に転化しているのだ。

間違ってはいないのだろうけれど、現実的ではない。少なくとも、世界を見たとき、ジャーナリストと自称して発言するにはあまりにも幼稚ではないだろうか。

私は批判しているのではなく、危惧しているのだ。

ジャーナリズムの世界があまりにひどく私たちになんらの刺激も与えないことを。いつからこうなってしまったのだろうか。
誰か、この現実の説明をきちんとしてほしい。私はイラクのニュースを見るたびにそう思う。イラクだけではない。人間が人間としての尊厳を受けない、さまざまなことにぶつかったとき、なぜそうなるのかを、誰か説明をしてほしいと思う。

それがジャーナリズムの使命だといったら言い過ぎだろうか?事実を伝えるだけならそれはジャーナリストといえない。でも、いま、それだけの人が多すぎる。
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by reem-akemi | 2006-06-14 01:40 | 日記