毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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父が亡くなる

5月31日父が亡くなった。

心が重く沈んでいる。思えば祖母の命日と月は違うが同じ日になる。
なんだかんだ言ってもやっぱり親子なんだなぁと思う。

父とはよく喧嘩をした。小学生のとき、勉強をしない私のランドセルを放り投げて捨てたのも父だ。飼っていた猫の子どもが生まれたとき父は袋に入れてそれを地面に叩きつけて殺した。私はそれを見て父がイヤになった。あのショックは忘れない。ミャァミャァ鳴いていた声が叩きつけられて何も言わなくなったとき吐き気がするほど恐かった。あんなことをするのはキライだと母に言ったら、「お父さんが一番つらいんだよ」と母はポツンと言った。私が殺したわけではないが、子ども心に小さな生き物を殺した感触がいつまでも残った。

戦争時代はどうだったのと聞いたことがある。父は極度の近眼だったので終戦間際まで徴兵されず内地どまりで終戦を迎えた。話すことは腕時計と交換に山ほどの卵をもらって食べたことばかり。それ以外に聞いたことがない。

絵が得意で漫画家になるのが夢だったとか。父の書いたデッサンが何枚か残っていたがさすがにうまい。写真も得意でアサヒグラフだったか、何度か賞を取っていたような気がする。だが長男であるがゆえにずっと両親のそばにいなければならなかったのが、望んだ生き方を出来なかった理由のような気がする。祖父は自分の子どもたちをすべて自分の下で働かせていた。つまり会社の社員はすべて子どもたちというわけだ。うまく行っているときはいいが、ダメになると恐い。私が中学生のとき祖父の会社が倒産して、父は失業者となった。それまで外で働いたことがないからどこへ行ってもうまくいかず、あの頃が一番苦しかったに違いない。

苦しさを酒でまぎらす日が続き、私はそれがたまらなくイヤだった。ある日、いつものようにグデングデンになって寝ている父の頭に思いっきり水をかけてやった。情けなくってたまらなかったのだ。父は私に水をかけられたのがショックだったのだろう。賃仕事ではあるがプレスの型を抜く仕事をもらって朝から晩まで働くようになった。

あぁ、いろいろなことを思い出す。。。私の名前は「明美」。明るく美しい子になるようにと名づけたとか。
おとうちゃん、ありがとう。本当に本当にありがとう。。。
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by reem-akemi | 2009-06-01 06:20 | 日記