毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

地中海へ

アラビア語の授業もあと3日で終了となった。合計60時間。レベル1の試験も合格(^^)v。これでやっと小学生3年生くらいかも。。。

1ヶ月近くカイロに滞在してやっと慣れてきた感じだ。ホテルの人たちとも仲良くなり、行きつけの食べ物屋のおじさんたちとも手をふって挨拶する関係になってきた。せっかくアラビア語圏にいるのだからとホテルの人たちとアラビア語で話そうとすると彼らは笑いながら聞いている。私の発音がストレンジだとニヤニヤ笑っている。あげくの果てにアンミーヤで訂正する(アンミーヤとはエジプトのアラビア語。JがGになる。私が習っているのは正則アラビア語といわれるフスハー。これは日本でいうと古文みたいなもので、普通には使われていない)

週末はカイロの喧騒から逃れて地中海の町マルサマトルーフに行った。片道7時間。アレキサンドリアへの道をまっすぐに行き、途中でマルサマトルーフ街道に入る。砂漠の中を道路が突き抜けていく。どこまでも続く砂漠を見ながらドライバーが云った。
「この砂漠は人が入れないんだ。なぜだと思う?」
「わからないわ」
「イタリアとドイツが戦争中このあたり一帯に地雷を撒いたんだ。入っただけでお陀仏さ」
イタリア軍とドイツ軍は第二次大戦中、北アフリカのこの地域まで侵攻。イギリス軍と激しい戦闘を行い、ここは最大の激戦地といわれている。
「イタリアとドイツがエジプトを取ろうとしたってわけさ」
エジプトを取ろうとしたって、そのときはイギリスの殖民地だったからすでに取られていたでしょうにと聞き返そうとして、はたと気がついた。エジプト人がそういう表現をするほどイギリスは植民地政策が上手だったのだと。

「そのうち右側に大きな慰霊碑が見えてくる。ほら、あれあれ。あれがドイツの。あの先にある丸いのがイタリア。あそこにドイツとイタリアの兵士たちが眠っている。だから毎年彼らの子どもや孫がおじいさんに会いにくるよ。リビアを経由してね」

そのとき、「ドイツなんやらかんやらメモリアム」という看板が一瞬目に入る。しばらく行くと確かにイタリアの慰霊塔も見えてきた。両国ともその大きさたるや尋常ではない。しかし、しかし、この人たちはこのエジプトの地に大量の地雷を撒いていったのではないか。それなのにこんなにも大きな慰霊塔を建てる神経がすごい。
この行為はたとえていうなら、中国に日本兵のための巨大な慰霊塔を建てるようなもの。

ドイツのメルケル首相は先日もオバマと一緒にホロコーストの犠牲者たちのための慰霊に参加して、「ドイツは過去の歴史を決して忘れない」みたいなことを云っていたけど、結局、あれも相手がユダヤだからだ。誤解されては困るけれどホロコーストの歴史を否定しているのではない。ただ、犠牲者への謝罪をするなら白人もカラードも一緒でしょと云いたいだけ。

いつでも名もない多くの犠牲者たちがあちこちに眠っている。彼らは決して名前を刻まれることもなく土になっている。

地中海は60年前も碧く澄んでいたのだろうか。。。f0189799_355638.jpg
[PR]
by reem-akemi | 2009-06-09 03:10 | エジプト