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by reem-akemi
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戦争を清算するーイラク開戦から7年 ①

2月1日発行の「市民の意見」にイラク戦争に関する小論を掲載しました。ここに再掲します。この小論では英国のチルコット委員会(イラク戦争を検証する独立調査委員会)のこと、現在イラクが抱える課題についてふれました。

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1 イラク戦争の検証

 「スンニ派急進主義者(註1)、追放されたバース党員(註2)、シーア派原理主義者(註3)との間で内戦が起きることは予測されていたが、これほどの暴力が生まれると知っていたらブレア政権はイラクに侵入しなかっただろう。ムバラク大統領(エジプト)はこの戦争が100人のビンラディン(註4)を生むと警告してきた」。
 現英国情報局秘密情報部の責任者であり2003年英国特使としてバグダッドに駐在し、ブレアの政治顧問も勤めたジョン・サワーは2009年12月19日に開かれたThe Iraq Inquiry(イラク戦争を検証する独立調査委員会)の証人喚問でこのように証言した。

 イラク開戦から6年後の2009年7月30日、英国はThe Iraq Inquiryを設立し、戦争に参加した経緯と軍事関係のすべて、そして占領後の復興支援策などイラク戦争を全面的に振り返るための調査を開始した。これまでも英国はイラク戦争に関連した調査を4回(下院外交特別委員会調査、フットン調査、英国議会防衛特別委員会調査、バトラー調査)行なってきたが、しかしそれらの調査が政府から独立したものでなく、個人の責任(おもにトニー・ブレアに対する)が問われなかったとして、亡くなった兵士の遺族たちは、2005年10月、政府に公的な調査を新たに求めた。

 遺族たちの要求は、一度は政府に拒否されるが、2006年7月27日再審を求める権限が裁判所によって認められ、2007年6月、保守党が「記憶が消え、記録が破られ、文書の追跡が出来なくなる前にイラク戦争の調査を実施するべきだ」と主張して英国議会に法案を提出する。
 一方、イギリスのシンディ・シーハンといわれるローズ・ジェントルは2008年2月英国最高裁判所に「政府は戦争の合法性を説明する独立した調査を行なうべきだ」と要求。それをうけて2008年3月18日、保守党と自由民主党は彼女たちの要求を入れる形で改めて法案を提出した。翌2009年6月15日、ブラウン首相(労働党)はバスラに駐留する軍隊が撤退した後にイラク戦争の調査を行なうと発表。そしてイギリス軍が撤退した7月末委員会は正式に発足する。

 ここにいたった経緯にはジャーナリズムの力が大きく作用した。たとえば2004年3月の防衛特別委員会調査について、イギリス軍の軍備品不足、イラク戦争後の復興計画が皆無であったこと、などを大きく報道し、またイラクにおける大量破壊兵器の存在を調査したバトラー調査では個人の責任が取り上げられてないことを強く非難した。その結果、2008年には国民による政府への圧力は無視できないほど大きくなっていった。

(註1) 原文では「ジハーディスト」。占領に対する抗議をジハード(聖戦)だとする思想あるいは思想の持ち主。
(註2) サダム政権下、バース党は大きな権力を握っていたが、戦後すべてのバース党員が役職から追放された。
(註3) イラク・イラン戦争でイランに逃れたシーア派たち(ハキム兄弟)、および弾圧されていたサドル派(ムクタダ・サドル)などが戦後怨讐を晴らすかのようにスンニ派市民を攻撃する。
(註4) オサマ・ビン・ラディン。サウジアラビア出身。ソ連のアフガン侵攻に対しムジャヒディーン(聖戦士)を組織してソ連と戦う。その後、サウジからの米軍基地の撤退を要求して反米闘争に入る。

                      (続く)
by reem-akemi | 2010-02-04 06:33 | 小論