毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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An Arab Woman Blues-3

ライラ・アンワルのブログから

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JANUARY 5, 2011
The Culture of the Occupation. 1
占領の文化1

この投稿のタイトルをなんとつけようかしら?というのも、それが様々な要因のからんだ複雑なテーマだから。まぁ、とにかく書いてみるわ、どうにかなるでしょう。。。

バグダッドから聞こえてくること、そしてバグダッドを中心に言及するつもり。国外にいるイラク難民の若者たち、すでに移住した者たちを私の視点で。彼らは他国に住まいを移したり、あるいは監獄に収監されたまま、精神的に孤独で、戻ることも進むことも出来ないでいる。

私がフォーカスするのは15歳から25歳の世代。でもこれは社会学的な研究ではないし、そんな意味ではないことを留意してね。あくまでも観察と経験、人々から聞いたことをミックスしたもの。

けれどその前に、少し時間を戻す必要がある。制裁の数年間と2003年のアメリカの占領以降に。

これら若者たちは制裁の年月の間か、それより少し前に生まれた。彼らの成長過程には始めに湾岸戦争があり、次に13年間にわたる制裁があった。言い換えれば「剥奪」の数年間だったということ。


もしあなたが制裁下で生活してなかったら私の言うことはわからないでしょうね。思い浮かぶ唯一のイメージは、透明な窓のある大きな刑務所—そこは外の世界を見るのは許されても、決して世界とわかちあえない。

制裁の年月は、後に来ることのためにイラク全体をおおう状況を準備するのに役立ったーすなわちイラクの文化と社会のすさまじい崩壊のために。

これらの過酷な制裁がイラク民衆を閉じ込めたままにしても、イラク社会がつなぎ目で引き裂かれても亀裂は入らなかった。それでも、その後の2003年のように崩壊しなかった。

それは民族内部でとても非宗教的な社会が残っていたから。宗教は役割を持っていたが、個人的であり全体的に文化的な領域に限られていた。結局のところ、イラクはアラブ国家であり、世界へのイスラム的貢献はアッバス朝時代からあった。そこではバグダッドは世界文化への学習と貢献の重要な中心地域のひとつだった。が、宗教は決して、決して2003年以降のような中心的な存在ではなかった。

このあたりで、いつもイラク戦争の前後の状況を描こうとするたびに、休憩を必要とする。息苦しい感情が喉元をつかみ、静まることのない火山から湧き出るマグマのように再び怒りがこみ上げてくるから。

そういうわけで、クソッタレの西欧人が、特にいわゆる専門家といわれるゴミのアメリカ人(彼は占領されたイラクで、私たちを虫のように分析して富を稼いだ)がイラクの戦前と戦後について話すのを聞くと、正直、彼らの頸動脈に噛み付きたくなる。。。彼らは現場に出遅れ、いまだベストセラーをめざしている日和見主義のろくでなし。彼らは私を病気にする。彼らに対する軽蔑は私を病気にする。

そういうわけで、私はどんなものであれ、アメリカ人によるイラクでの戦争の分析は拒否するー私をうんざりさせたりゾッとさせたりすることのない記事は別として。

by ライラ・アンワル

翻訳 細井明美
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by reem-akemi | 2011-01-06 17:37 | An Arab Woman Blues