崩壊の過程ー11月24日
2005年 12月 20日
2005年12月20日
最終校を受け取って、私たちのチームのMLは騒然となった。なぜならBが行ってきた確認事項の重要な部分がなされていなかったからだ。
つまり、「原文どおりの行替え」と「小見出し」について私たちの意見は通らなかった。
# Bは11月4日に以下の約束を担当者と行ってきた。
(1)注はすべて脚注に
ただし、ごく短いものは文中に(例えば、「国務長官」など。数はごく少ない)。URLは長いので、やむをえず文中にいれる。
(2)「弟」は、「E」に。
ただし、各章初出は「弟E」とする。
(3)引用文は、「 」。
字体は変えない。
(4)発話の「 」は改行せず。
(5)原文にない行替えは行わない。
ただし、2頁以上にわたって行替えがない場合は、読みやすいように入れる。
(6)小見出しは、目立たない形で入れる。
目次にも小見出しを立てる。
(7)「コーラン」は「クルアーン」に
ただし初出で注書き
(8)同じ日付でポストが2件あった場合、先にポストされた方を先に。(ウェブ上とは反対)
責任感の強いBは、担当者にまとめて私が報告する約束であったのをすっかり忘れて、自分ですぐさま連絡をした(この時点で、Bはチームの窓口を自ら降りていた)。Bは繰り返し「裏切られたような思い」をMLに投げてきた。誰も彼もがっかりしたメールを投稿してきた。
私はといえば、この本は自分たちがつくったものではないということをおぼろに感じていた。
11月23日、私とC、Dで全員のチェックの結果をまとめる作業を行った。最終校といいながらあまりに直しが多かった。例えば、私が書いた原稿に関して言えば校正で削除したはずの箇所がそのまま残り、それに追加訂正した部分が加えられているという状態だった。
目次も文字が入っていず未完成のままであった。何より表紙が出来ていず、本全体のイメージが何もつかめなかった。
11月24日、私とB,DはA社へ訂正したゲラを持参した。Bから一人では心もとないので一緒に行ってくれと頼まれたこともあるが、11月4日の確認をとるためでもあった(改行と小見出しの件)。
はじめにBが「私の意見ですが」と話を切り出した。「改行」、「小見出し」、「英語の詩の文字」などについて次々と途切れることなく30分以上話したであろうか。担当者はじっとそれを聞いていた。私とDも。
話が一段落したところで私が「話をひとつずつ詰めていきましょう」と声をかけた。Dが「行替え(改行)」について「リバーベンドプロジェクト全員の意向ですが」と切り出した。「改行」については原文のとおりにするという話ではなかったでしょうかと聞いた。すると担当者はそれについては11月7日にBさんあてにメールで連絡をしていますとの返事。
担当者にとっては私たちの意見は考慮の対象にすぎないことがこのとき初めてわかった。それをするかしないかは編集者の裁量の問題だということ。
「小見出し」については、原文とは違うものだということをはっきり表記しようと、Dが自らの考えを示した。この考えには賛成だ。彼女は、コラム・目次も同じような考えで処理をしていくことを提示した。
これはすべてデザイン上のことで簡単に処理できることと私たちは考えていた。
結局、私とDは11月4日にBが決めてきたことを確認しただけである。
しかし、この話し合いが順調だったとは言わない。なぜなら担当者の基本的な編集方法である「5~6行で改行。長くても10行で改行」に対して「原文どおり」を押し通したからだ。と言っても実際それほど長い文章はめったにあるものでなく、あったとしても2、3ヶ所ほどだろうと私は考えていた。
が、話しあいの過程で、担当者から「もう良い本が出来るとは思わない。これは特殊な本とみなす」という発言がなされたのには正直驚いた。担当者からみたら編集権限を侵されたように見えたのかもしれない。
どんな本が出来るのか私にはまったく想像ができなかった。また、そんな本を前作のように自分で抱えて売ろうという気も起きなかった。
可哀そうな本・・・。
私はその夜、中途半端な気持ちのままでブログに向かった。出来るであろう本に責任がもてないことをなんらかの形で著しておきたかったのだ。
最終校を受け取って、私たちのチームのMLは騒然となった。なぜならBが行ってきた確認事項の重要な部分がなされていなかったからだ。
つまり、「原文どおりの行替え」と「小見出し」について私たちの意見は通らなかった。
# Bは11月4日に以下の約束を担当者と行ってきた。
(1)注はすべて脚注に
ただし、ごく短いものは文中に(例えば、「国務長官」など。数はごく少ない)。URLは長いので、やむをえず文中にいれる。
(2)「弟」は、「E」に。
ただし、各章初出は「弟E」とする。
(3)引用文は、「 」。
字体は変えない。
(4)発話の「 」は改行せず。
(5)原文にない行替えは行わない。
ただし、2頁以上にわたって行替えがない場合は、読みやすいように入れる。
(6)小見出しは、目立たない形で入れる。
目次にも小見出しを立てる。
(7)「コーラン」は「クルアーン」に
ただし初出で注書き
(8)同じ日付でポストが2件あった場合、先にポストされた方を先に。(ウェブ上とは反対)
責任感の強いBは、担当者にまとめて私が報告する約束であったのをすっかり忘れて、自分ですぐさま連絡をした(この時点で、Bはチームの窓口を自ら降りていた)。Bは繰り返し「裏切られたような思い」をMLに投げてきた。誰も彼もがっかりしたメールを投稿してきた。
私はといえば、この本は自分たちがつくったものではないということをおぼろに感じていた。
11月23日、私とC、Dで全員のチェックの結果をまとめる作業を行った。最終校といいながらあまりに直しが多かった。例えば、私が書いた原稿に関して言えば校正で削除したはずの箇所がそのまま残り、それに追加訂正した部分が加えられているという状態だった。
目次も文字が入っていず未完成のままであった。何より表紙が出来ていず、本全体のイメージが何もつかめなかった。
11月24日、私とB,DはA社へ訂正したゲラを持参した。Bから一人では心もとないので一緒に行ってくれと頼まれたこともあるが、11月4日の確認をとるためでもあった(改行と小見出しの件)。
はじめにBが「私の意見ですが」と話を切り出した。「改行」、「小見出し」、「英語の詩の文字」などについて次々と途切れることなく30分以上話したであろうか。担当者はじっとそれを聞いていた。私とDも。
話が一段落したところで私が「話をひとつずつ詰めていきましょう」と声をかけた。Dが「行替え(改行)」について「リバーベンドプロジェクト全員の意向ですが」と切り出した。「改行」については原文のとおりにするという話ではなかったでしょうかと聞いた。すると担当者はそれについては11月7日にBさんあてにメールで連絡をしていますとの返事。
担当者にとっては私たちの意見は考慮の対象にすぎないことがこのとき初めてわかった。それをするかしないかは編集者の裁量の問題だということ。
「小見出し」については、原文とは違うものだということをはっきり表記しようと、Dが自らの考えを示した。この考えには賛成だ。彼女は、コラム・目次も同じような考えで処理をしていくことを提示した。
これはすべてデザイン上のことで簡単に処理できることと私たちは考えていた。
結局、私とDは11月4日にBが決めてきたことを確認しただけである。
しかし、この話し合いが順調だったとは言わない。なぜなら担当者の基本的な編集方法である「5~6行で改行。長くても10行で改行」に対して「原文どおり」を押し通したからだ。と言っても実際それほど長い文章はめったにあるものでなく、あったとしても2、3ヶ所ほどだろうと私は考えていた。
が、話しあいの過程で、担当者から「もう良い本が出来るとは思わない。これは特殊な本とみなす」という発言がなされたのには正直驚いた。担当者からみたら編集権限を侵されたように見えたのかもしれない。
どんな本が出来るのか私にはまったく想像ができなかった。また、そんな本を前作のように自分で抱えて売ろうという気も起きなかった。
可哀そうな本・・・。
私はその夜、中途半端な気持ちのままでブログに向かった。出来るであろう本に責任がもてないことをなんらかの形で著しておきたかったのだ。
by reem-akemi
| 2005-12-20 13:36
| リバーベンドプロジェクト