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毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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ブッシュ政権とイラク占領ー③

2007年03月01日

ブッシュ政権とイラク占領ー③を掲載します。
2006年12月、インターネットに流れたフセインの処刑映像は私たちにさまざまな衝撃を与えました。人が殺されるのを映像で見る不気味さ、残酷さは、処刑を行うものとともに、(たとえ映像であろうと)見たものも同罪であるような後味の悪さを覚えます。

私はあの映像を見て、ツインタワービルが崩れたときと同じ戦慄を感じ、神に赦しを願わずにはいられませんでした。
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3 さらなる破壊の予兆
―サダム・フセインの処刑

 06年12月30日早朝、イスラム教の大事な宗教行事である犠牲祭の初日にサダム・フセインは絞首刑になり69歳の生涯を閉じた。これについて、イスラム教徒から平和を願うイード(犠牲祭)での処刑はイスラム教への冒涜だとして批判が続出した。(1月3日アル・ジャジーラのアンケートより)

 さらに、イラクの法律では判決確定の30日以降に刑の執行を行うことになっているが、サダムについては死刑確定のわずか4日後に執行された。執行時期に関して、イラク司法当局は早期執行に難色を示し、イラク大統領タラバーニも執行のサインを拒絶した。強行したのはマリキ首相だ。マリキは米大使館と話し合いの末、30日早朝に執行を決定した。これに関し、1月2日、米国は執行時期を延期するように進言したが、すべてはイラク政府が決定したことであると発表している。しかし、サダム・フセインの裁判がすべて米国の政治的判断のもとで行われていたことは世界中が知っている。死刑判決は米中間選挙前の11月に出ていたのだ。

 処刑当日、申し合わせたようにバグダッドでは爆発事件が続出した。サダム・フセインの処刑が宗派対立をさらに深めたと報道されたがそうだろうか?イラク人にとって彼は過去の人間でしかない。もし怒りを持っていたとしたら占領に対する怒りに他ならない。イラク人(スンニ派)を怒らせ戦わせるのも3年間行ってきた常套手段だ。しかし、私にはそれも米国の戦略のひとつに思える。イラクが混乱していると見えれば見えるほどイラクへの増派はしやすくなり、たとえ失敗して撤退したとしても米国世論への言い訳にもなる。イラクはどうしようもない国だと。

 イラクの反占領抵抗運動はさらに広がるだろう。マスコミが宗派対立だといくら煽っても米兵の死が宗派対立による死でないことは明らかだ。彼らの多くはアンバール州における抵抗軍の攻撃で亡くなっているのだから。私たちはマスコミの報道のままに「宗派対立」という言葉に踊らされてはならない。
 サダム・フセインは独裁者として圧制を強いていたが彼は最後に強烈なメッセージをイラク国民に残した。私は彼の「憎悪するなかれ」という言葉にイラクの希望を見出す。


私が皆さんに憎悪するなかれと呼びかけるのは、
憎悪は人が公正であることを妨げ、
憎悪は皆さんを盲目にして思考する道を閉ざし、
バランスのとれた思考と正しい選択をさせなくするからである。

私はまた皆さんに私たちを攻撃した諸国の国民を憎むことなく、
政策決定者と国民を区別することを呼びかける。
皆さんは、侵略国民の中にも侵略に反対する皆さんの戦いを支持する者がいること、
そのなかのある者はサダム・フセインを含む拘束者の法的弁護活動を
志願したことを知っておくべきである。

誠実な国民の皆さん。 私は皆さんに別れを告げるが、
私は慈悲深き神とともにあり、神は避難を求める人々を支援し、
誠実で正直な信徒を決して裏切ることはない。

神は偉大なり。神は偉大なり。
イラク国民万歳。戦い続ける偉大なる国民万歳。
 イラク万歳、イラク万歳。
パレスチナ万歳。
聖戦と聖戦をたたかう戦士万歳。

         サダム・フセイン

by reem-akemi | 2007-03-01 00:24 | iraq