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by reem-akemi
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9・11-「対テロ戦争」とは何か①

2006年09月11日

・「対テロ戦争」という非対称戦争

2001年9月11日に米国で起きた同時多発「テロ」攻撃に対し、米国ブッシュ大統領は、「対テロ戦争」を宣言した。そのときから「テロ」という国家の枠組みを超越した非国家集団の暴力行為が国家の安全を損なう「脅威」として新たに防衛戦略上の対象となった。それはこれまでの国民国家における戦争概念を覆すものであった。

宗教や民族問題に起因する非国家集団(テロリスト)への対処は、脅威自体が国家を対象としていないことから、アメリカを中心とした西欧諸国は国家を超えた共同行動が必要だと軍事同盟の強化を狙う。が、そもそも国家と非国家集団の軍事力の違いの大きさ、非対称性を考えたとき、いかにそれが突飛な理屈であるかがわかるはずだ。

2003年3月20日、米国はイラクが「大量破壊兵器」を所有し、「テロリスト」たちを支援する国家としてサダム・フセイン政権打倒のために「イラク戦争」を開始した。
ここに見られるのは、世界第一位を誇る米国の軍事力と10年間の経済封鎖にあえぐイラクの非対称性である。その後、「大量破壊兵器」は見つからないまま、2005年ブッシュ大統領自身が「大量破壊兵器」はなかったと発表するにいたる。「大量破壊兵器」に代わって登場したのが「テロリストーザルカウィ」だ。

2004年11月、ザルカウィをかくまっているという理由でイラクの小都市ファルージャ(バグダッドの西、人口30万人)を攻撃、破壊。ファルージャは瓦礫の街と化した(2004年11月以降、イラク人にとってファルージャは抵抗の象徴となる)。

では、なぜこのような非対称の戦争が正当性を持つのか?それは映像を通して暴力の恐怖を人々に与えることに成功したからだ。世界貿易センタービルが粉々に砕け散る悲劇はテレビ画面を通して世界中に流れた。飛行機が高層ビルに突っ込むという図は映画の世界のことであるが、ハリウッド製ではなく本物のビルが崩れ落ちる迫力は人々を恐怖の渦に巻き込むには十分だった。すなわち、「テロ」の恐怖を人々に植え付けるにはこれほど衝撃的なものはなかった。
そして、このときから映像による情報戦は始まっていた。

私たちは家庭にいながらにして「テロの恐怖」を観ることが出来たが、私たちが目にするものが決して真実とは限らない。

さらにイラクでの外国人の斬首映像は、イスラム過激派を恐ろしいテロリストとみなすには十分な効果を持ち、各国NGOは撤退を余儀なくさせられた。反面、米軍がファルージャで行なった殺戮は外部のジャーナリスト・各国NGOを締め出すことにより、その悲惨さがすぐに世界に流れることはなかった。半年ほどたってイラク民衆、一部の米兵、フリーランスのジャーナリストたちによってジェノサイドとも言える惨状が伝えられてきたが、大手メディアはこれを無視した(扱いはごく小さな記事であり、いつも米軍側からの報道が多い)。

このように、私たちは報道されない暴力に目をつぶることにより、結果的には国家と非国家集団および国家間の軍事バランスを見落とすことになった。
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by reem-akemi | 2006-09-11 00:50 | 小論