毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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カテゴリ:イラク・ラマディから( 13 )

2008年05月12日

先月も同じことを書きましたが、久しぶりのブログです。この頃、一ヶ月に一度の更新になりつつあり、反省しています(^^;)。

書くべきことはこれまでもいくつかありました。例えば光市事件の判決のこと、後期高齢者医療制度のこと、日本の死刑制度についての国連人権委員会の勧告など。

でも、あえて本の宣伝をさせていただきます。この4月18日にブックレットで出していたカーシムの本が大月書店からブックレットに載せていなかった部分も含めて刊行されました。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%83n%83%8D%81%5B%81A%96l%82%CD%90%B6%82%AB%82%C4%82%E9%82%E6&Go.x=10&Go.y=11
これを読めば貴方も今日からイラク通!!!なんて。
2005年から2007年までのアンバール州を中心としたイラクの状況がわかります。

翻訳は私と高遠菜穂子さんです。そしてこの本の印税はすべてイラクの人々のために使われる予定です。戦争は多くの人の心に傷を残します。その傷から回復できない人々がたくさんいます。道路が復旧し、建物が建設されても人々の心を癒す施設まで復興するにはかなりの時間が必要です。でも、それはとても大事なこと。

夫を亡くしたり子どもを亡くしたりしている多くの女性たち、私はそんな女性たちの力になりたいと願っています。

さて、カーシムのことですが、彼はとても素敵な青年です。写真で見るようにかなりのイケメン(^^)v。おかげで女性ファンがたくさん出来たようです。この本を読んでいただけばわかりますが、彼は戦争中イラク国防隊の兵士として戦っていました。その時背中に受けた弾丸がそのまま彼の体に残っています。戦後も仲の良かった兄が米軍に殺されるという事件に出会ったり、彼自身米軍に拘留されたりしました。
彼のすばらしい点は、そんな環境にあっても、非暴力を選んで生きていることです。

そして、5月1日に9条世界会議に出席するために来日しました。イラク帰還兵との対談をするのが目的でした。さて、そんなカーシムが5月16日のNEWS23に出演します。イラク帰還兵のエイダンさんも出演します。

イラクの情報がなくなってきた今でもイラクでは戦争が続いています。世界で不幸なことが毎日毎日起きていますが、イラクのことを忘れないでください。
皆様、お時間の都合があいましら、どうか見てください。
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by reem-akemi | 2008-05-12 23:19 | イラク・ラマディから
2007年06月16日

f0189799_1958679.jpgカーシムが日本を訪れ、各地に非暴力の大切さを訴えてから、早くも2ヶ月が過ぎた。ここに彼へのインタビューを掲載し、彼が残したものを検証しようと思う。(市民の意見ニュース102号に掲載済)
****************************************************************

カーシム・トゥルキ氏に聞く
  今、イラクでは何が起きているのか?

―イラクでは宗派間抗争が行われているといいますが、実際はどうなっていますか?

カーシム: イラクにおける宗派間抗争は組織化されたグループによって行なわれています。グループとはシーア派民兵とイラク警察のことです。彼らはスン二派をバグダッドから追い出そうとしています。組織的に行なわれている暴力に一般市民は関与していず、政党に属する兵士たちが計画的に行なっています。
 政党(註 シーア派政党)は彼ら(註 シーア派民兵)を利用して権力を維持しています。僕には二人の従兄弟(イトコ)がいますが、バグダッドのシーア派とスンニ派が混在する地域で一人が殺されました。彼はイラク警察に拘束された数日後に死体で発見されました。従兄弟を殺したのはシーア派の市民ではなくイラク警察(註 その多くがシーア派民兵で構成されている)です。従兄弟は計画的に行なわれた宗派間抗争で殺されたのです。
 僕はイラクの一般市民の間に宗派間抗争があるとは信じていません。宗派間抗争といわれるものはイラク政府によって計画的に組織化された作戦だと思ってます。

―そうするとラマディでは宗派間抗争がないということですか?

カーシム: はい、ラマディではこのような宗派間の対立はありません。ラマディにもシーア派の家族が住んでいますが、僕たちスン二派とは良い関係です。まったく問題はありません。西欧のニュースでよく宗派対立が報道されますが、ラマディではスンニ派もシーア派もまったくノーマルな状況です。ラマディで僕たちが抱えている最大の問題は、米狙撃兵による一般市民への銃撃と掃討作戦による民家への攻撃です。

―では、これらの暴力の負の連鎖を止めるにはどうしたらいいと思いますか?

カーシム: まず米軍の掃討作戦をただちにやめること。それから、戦後米軍によってもたらされた現イラク政権(註・現イラク政府閣僚は亡命イラク人が多い)を変えること。僕たちは現政府が宗派抗争をサポートしていることに不安を抱いています。彼らは石油からの収益で民兵を雇い、バグダッドなどで自らの権力を誇示するために働かせています。
 イラク政府を変えることが平和に近づくより良い方法だと信じています。なぜなら今のイラク政府には多くの敵がいるからです。さらに大事なことは、米軍がイラクから撤退することです。なぜなら現在、僕たちの家、道路、学校、大学その他すべてが米軍によって危険にさらされ、工場もなく、仕事もありません。大事なことは、将来にわたって僕たちが何を必要としているかを明らかにすることです。
 米軍の掃討作戦が行なわれない日はなく、僕たちは疲れました。続けられている掃討作戦に報復を図る人びともいますし、報復を支持する人びともいます。

―イラクの3分割をどうとらえますか?

カーシム: イラクの分割はすでに戦前ロンドンで行われた政治会議(註・2002年12月ロンドンで現イラク政府の閣僚と米政府、CIAがイラク問題で会議を持った)で決められていました。彼らはその会議でイラクをシーア派地域、スンニ派地域、クルド地域に分けることに賛成しました。石油、水、その他天然資源の分割など、すべてはそのときからすでに始まっていました。
 イラク中部の都市カルバラはイラクの中でも最大の街です。ここに住む人は燃料、水、電気その他さまざまなサービスを望んでいます。また大きな油田を持つバスラは石油都市ですが、そこに住む人びとはイラクの他の地域と同じように燃料を享受できません。
 僕たちは自分たちのために自由に石油を使うことは出来ないのです。なぜならすべての政治勢力が石油生産を管理下に置き収益を分配しているからです。彼らはイラクの良き未来を望んでいません。イラクを分割すれば民衆を管理しやすいからです。また、クルド人はイラク北部に住んでいますが、トルコは決してクルド人の国家を認めないでしょう。イランも同じようにイラクをコントロール下に置きたがっています。アンバール州はイラクの中で30%を占める広さで、そこにはユーフラテス川が流れています。しかし、今アンバールでは水をめぐって新たな問題が起こっています。
 なぜイラクを分けなければならないのでしょうか? 戦後たくさんの政党が出来ました。けれどもその多くは利権によってアメリカの支配に組み込まれています。また政党とは関係ない独立した組織として保健省があり、同じように石油省と国防省があります。これらはまったく別の特別な組織です。たとえば、保健省はシーア派のサドル(註・ムクタダ=アル・サドル)のマハディ軍の支配下にあるので、病院は惨憺たる状況です。スン二派、クルドは病院から追い出され、ときにはシーア派さえ攻撃の対象となっています。

―では、イラクの地下に眠る資源は誰のものだと思いますか?

カーシム: 僕はイラクの地下にあるすべての天然資源はイラク人のものだと思います。分配するなら、戦争のためでなく、平和のため、正義のために使うべきです。そしてすべてのイラク人のために使うべきです。

―石油の分配はすべてのイラク人に公平にということですか?

カーシム: えぇ、すべてのイラク人のために。新石油法を現イラク政府は制定しようとしていますが、政治家の中にも賛同していない人が数人います。アンバールの人びとも賛同していません。アンバールには石油がないからです。国営で発掘運営され公平に分配してきた15年前からのシステムを今の政権が行なおうとしているシステム(註・それぞれの地域が外資を導入して行なう民営化による石油開発)に変えるのは問題です。
 僕たちはこのような変化を望んでいません。このように石油を分割する方法はネガティブです。それぞれの地域で、たとえばバスラの石油をバスラの人にということだったら、800万人の人がいるバグダッドはどうなるのでしょうか?

―新石油法は通ったのですか?

カーシム: いいえ、まだです。僕たちはまだその法律を見ていません。イラク政府は決して新石油法を僕たちに見せません。だからそれがどんな法律かわかりません。新聞の報道で知るだけです。ちょうど憲法の制定時に似ています。憲法もほとんどの国民が知りませんでした。イラン人であるシスターニ(シーア派の最高指導者)とか、ごく少数の人間たちだけがイエスといいました。僕たちは憲法についても不安を抱いてました。イラク人は現体制を変える機会を失いました。 憲法改正は多くの国民にとって重要なことなのに、僕たちはそれについて内容を知らされずイエスかノーかという選択を与えられただけでした。
(インタビュー4月18日)

カーシム・トゥルキ氏(30歳)のプロフィール
 1976年11月27日生まれ。イラクアンバール州ラマディ在住。イラク戦争中は共和国防衛隊に所属。戦後CNNテレビ(米)などメディアのガイド兼通訳として活動。2003年12月から「イラク青年再建グループ」を主宰。現在は日本人との共同プロジェクト「ファルージャ再建プロジェクト」を指揮する。これまでに学校などの修繕工事、診療所開設、避難民への緊急支援などを行なっている。
 昨年はラマディの様子を英語で記したブログがアメリカを中心に話題となるが、それを理由に再度米軍に拘束された。2007年3月末来日し各地で非暴力の活動の重要性を訴え反響を呼ぶ。
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by reem-akemi | 2007-06-16 23:14 | イラク・ラマディから

カーシムのインタビュー

2007年05月15日

カーシムのイラク帰国日に行ったインタビューがやっとまとまった(^^)

2ページと紙面が限られているため捨てなければならない箇所もあり、改めてまとめる必要があるかも。

だが彼の言うことは実に的を射ている。たとえばイラクの3分割について訊ねたところ、イラクの資源が偏在し、なおかつ人口も都市によって違うのに(バグダッドは800万人いるが資源はない)、単純に3つに分けるのは不合理だという。将来を見据えた復興の仕方ではないと彼は言う。イラク政府の閣僚はもともとイラクから亡命していた人間たちなので、イラク民衆が困っているのを無視して、石油の収益の分捕り合戦で忙しいのに違いない。

ニュースが発行されたらこちらにも掲載するつもり。発行されないうちに載せるわけに行かないものね(笑)。乞御期待!
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by reem-akemi | 2007-05-15 01:10 | イラク・ラマディから

カーシムのこと

2007年04月26日

北海道から大阪まで駆け巡りカーシムは先週帰国した。

東京では文京区民センターとピースボートで講演。ニュース23にも出演。それまでイラク人というとがっちりした体格のアラブ人を連想する人も多いかと思うが、彼は童顔(まるで高校生)の華奢な体格。どちらかというと、今流行のイケメン系。そのせいか、各地で若い人たちにかなり人気があったようだ。

でも、彼の世代は10年間の経済封鎖の影響で同じように小柄な人が多い。なんとも悲しい話ではないか…。

彼の背中にはイラク戦争の弾丸の破片が残っているという。戦争と占領による傷は体だけではない。
昨年彼の兄が交通事故に巻き込まれ病院に搬送する途中、米軍の検問所でのこと。米兵は車を止め怪我をした兄の頚動脈に手をあて、そのまま行ってしまった。車は前に行くことも後ろに下がることも許されず止められたままだった。しばらくして戻ってきた米兵は兄の頚動脈に再び手をあて、生きていることを確認するとまたそのまま放置。それを何回か繰り返し、出血多量で兄が亡くなったのを確認すると、初めて車の移動を許した。一緒にいた家族はどんな気持ちだったろう。米兵が止めなかったら彼の兄は死ななかったに違いない。

私は胸がつぶれるような思いで彼の話を聴いた。

また、彼が日本にいた間にも、16歳になる彼のイトコがイラク警察に逮捕され数日後にバグダッドのゴミ捨て場で拷問死体となって発見された。16歳の少年だ…。言葉を失う。

彼にとって病院や学校の再建、破壊された街の再建は傷をいやす唯一のトリートメント。彼だけではない、イラク人にとって破壊された故郷の再建は命の再生なのだ。そう考えたら武器を持って再建活動などありえない。
がんばれ、カーシム!私はいつでも貴方の味方。
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by reem-akemi | 2007-04-26 00:49 | イラク・ラマディから
2006年11月13日

編集者注:ラマディの状況が緊迫しているため、Qが書いてからアップするまで若干時間がかかっています。でも安心してください、必ずすべての話を書くでしょうから。

僕の耳に声が聞えてきて目が覚めた…
「ヘイ、ユー、英語男、起きろ…今すぐ起きるんだ…ほら、ほら…お~い…」
おぉ…、夢をみてたのか…僕はどこにいるんだ??……あぁ、そうか、僕は勾留されていたんだ…あたりを見て気がついた。
「ヘイ…へい、夢を見てないで起きろ…. 」 海兵隊員が叫んだ…彼は格子の向こうにいた。
「他のものを起こせ、食事の時間だと伝えろ…さぁ」
彼は僕のほうを指さしてやかましく言った…まるで命令するように。
「OK。OK…」

午前4時30分だったーー海兵隊員から聞いて時間がわかった。
僕は兄を含む他の4人を起こした。兄に話しかけるチャンスを見つけたとき…兵士が食品袋を僕に手渡した。……それは兵士用の食べ物だった…彼らは袋から何かを取り出した…暖められた物体と、プラスチックスプーン、それからあと…なんだったか思い出せないものがいくつか…。

それぞれ一袋ずつもらった…率直に言って、その食べ物はホントにまずかった…僕たちはビスケットとケーキだけ食べた…食べている間、僕たちはお互いに言葉をかわす機会を得た…「どこから連れてこられたんだ?」 「家族はどこに住んでいるのか?彼らはなぜ君たちを逮捕したんだ?」などと囁きあった…僕はみんながなぜ捕らえられたかを知らないのがわかった!!!! 僕たちは部屋のまんなかに座っていた。部屋はとても汚く…寒く…僕たちは凍えていた…エアコンはあったけど壊れていた…ところで僕は基地では電気が24時間来ることに気がついた…アメリカ人は僕たちの電気を使っている…僕たちの街には電気が来ないというのに。

僕は午前3時以降に食事をする理由を説明しなければならなかった…なぜってラマダンではイスラム教徒は一日中断食をするから.…ラマダンは毎年1ヶ月続く…僕は母と一緒に食事をする…母は僕が家族のためにジュースを作る手伝いをするのを喜んでくれる…僕は時々台所でそんなふうに過ごすのが好きだ…かといって料理をつくるのは全然ダメだけど…。
とにかく、食べ終えると、海兵隊員が僕をどなりつけた。
「全員ベッドに戻れ…しゃべるな…さっさとしろ」
僕は彼が言ったことをみんなに伝えた…

ひとり、おかしな勾留者がいた。彼は面白いことが好きだった…僕が兵士の言ったことを彼に伝えたにもかかわらず彼は動かなかった。部屋に座って兵士の叫び声を無視した!!!
「おいオスマン…何をしているんだ…べッドに行けよ、兵士が怒るぜ」他の者がオスマン(いたずらな拘留者)に言った。オスマンはやっぱり彼のことも無視した…それから「一人にしてくれ…彼に僕が気が狂ったと云ってくれ…さぁ」と言った…彼は僕たちに行けと手で合図した。それからオスマンは「Q、Q…」と僕を呼んだ。
「何か問題が起きたかと兵士が尋ねたら、僕は気が狂っていると云ってくれ、わかった???
頼むよ」
僕はそれを聞いて驚いた…けれど僕はオスマンのいうようにするつもりだった。彼がそうしたいなら…僕たちはやる必要がある。
「ヘイ、ユー、英語男…こいつどうかしたのか…俺の言うことがわからないのか…こいつの言うことがお前にわかるか…??どうしたんだ…こいつに云えろ、ベッドに移らないなら今すぐ俺がベッドに連れていくと…早く伝えろ」兵士は怒って言った。
「いいえ…彼は貴方のいうことはわかります…でも彼は狂っているんです…彼は正常じゃない」僕は兵士に言った
「OK…OK…、お前がヤツをべッドに連れていけ。俺はもうそいつをここに置いておきたくない…お前あっちに連れていけ。。わかったか?」
僕はオスマンに近づいた…
気の良いオスマンはおかしい動作をしていた…彼は恐怖の目で僕を見ると、あわてて自分のベッドに走った…おぉ…彼は急にジャンプをしてベッドに飛び込み僕を脅かした。他のものたちはこの様子を見て笑った……全員おなかの底から笑った。オスマンはこの最悪の状況で皆を笑わせることに成功した…それは感謝に値する。それからオスマンは毛布をかぶり、僕を見続けた…彼の体は震えていた…彼は素晴らしい役者だ!!!

兵士の目はオスマンに注がれていた….そして彼もまた笑い始めた。「ヘイ、なぜ彼はお前を見ているんだ……彼はお前が恐いのか」と僕に尋ねた。
「わからない…彼はヘンだ…僕は恐いよ」
「いやいや、、恐がることはない…」
僕は返事をしなかった。
「ところで…どこで英語を学んだのか教えてくれ…イギリスに住んでいたのか??さもなければどうして??」
兵士はまたもこのつまらない質問をしてきた!!!
「僕は、ここ、イラクの大学で英語を勉強しました。」
「戦後か…そうだろ??」
「いいえ…2000年に卒業しました…」
「おお。いや、それは不可能だ。戦前、イラクでは英語を学ぶことは許されてなかったと聞く」と、信じられないというように言った。
「いいえ…イラクでは、小学校から基本的な学問として英語を勉強して、大学を卒業するまで続きます」
私は答えました。
「本当か。。。知らなかった…それは良い…うん、それは良いことだ。ところで、お前はイスラム教徒か?」
「はい」
「スンニ派?それともシーア派?」
「う~ん….この質問には答えたくない…差別になるから…」
「いやいや、ただここでスン二派に会ったとしたら…お前のことをもう少し知りたいと思ったんだ…夜は長いし、誰かと話したいと思ってね…それに興味深い話だったし…直接勾留者と話したのは初めてだ 」
「えぇ…僕はスンニです…」
「お前は大学で勉強したと云ったね…どこの大学?…バグダッド?」
「いいえ。ここ、ラマディです」
「ラマディに大学があるのか???ワォ、驚かすなよ、本当か??」
「もちろんです….今、貴方はアンバール大学のひとつにいます…。このビルはアンバール大学の建物です」僕は周囲を指差して言った。
「何…この建物…お前は何を言ってるんだ??」
「僕は、貴方達の軍隊が大学を占領して、多くの学生が研究する場、勉強する機会を過去2年間も失っていると云いたいのです」
「この建物は…何の大学なんだ??」
「農業大学でした…この建物はその一部です」
「お前はそれを知っているのか…お前はここで、この大学で勉強したのか??」
「いいえ。僕は街の反対側の他の大学で勉強しました」
「どんな…私はお前がどんな勉強をしたのか?と云っているんだ」
「エンジニアリングです」
「どういうエンジニアリング?」
「機械工学」
「おお。。非常に危険だ…。そうか。お前は爆弾をつくる技術があるのか??」
「僕は機械工学を学んだけど、爆弾ではない!!」
「しかし、技術者は、爆弾と銃を研究して、それらをつくることも出来る…」
「誰であれ、ほんの少しの機械知識と悪いことをしようという気持ちがあれば、爆弾を作ることは出来る」
「そうか…今やっと、お前がなぜ逮捕されたのかわかった」と、彼は言った!!!

ーー続くーー

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-11-13 01:35 | イラク・ラマディから
2006年11月05日

ラマディで米軍に逮捕されたQのレポートの続き

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僕には選択の余地がなく、未知なる次の日のために食べなければならず、今はラマダンであり、断食はあと数分で始まり…一日中続くのだ。

午前8時20分…
戦車の音が近づいてきた…。2人の兵士が僕たちを家から引き出し、戦車に押し込んだ…やかましい戦車!!! どんな戦車にも、後ろに入り口がある…海兵隊員は後方の席に僕たちを座らせた…そこは戦車内部で最も危険な場所だ…なぜなら後部ドアは戦車のウイークポイントだからだ…戦車が動き始めた。僕は注意深く行く方向に気持ちを集中した…左に曲がり、それから右に…しばらく走り続け…中に砂が吹き飛ばされてきた…そう、僕はこの道を知っている…僕たちはアンバール大学内の農学部の建物に続く道の途中にいる…そこは過去2年間米軍に占領されている場所だ…

午前8時20分僕たちは基地に着いた…海兵隊員は戦車から僕たちを引き出し…そして木製の長いすに座らせた。それから別の2人の兵士が来て、健康診断のための小さな部屋に連れて行った……健康診断は僕たちが健康か否かを判断するためのものではない。
僕たちが指名手配されているかどうか(指名手配リストにあるかどうか)をアイ・スタンプ、指紋などによって確認する…また、戦闘あるいは銃による古い傷が残っているかどうかを見つける。彼らは僕たち兄弟になんら傷跡を見つけられなかった…それは彼らにとって望んでいないことだった。彼らは健康診断のあと僕たちのことについて確定する…僕たちはその間衣服をすべて脱がされた…裸のままだ。ところで…僕は以前から「君はどうやって英語を勉強したのか?」という質問を多くされていたが、海兵隊員医療チームも同じことを僕に尋ねた。

この状況は苦痛だった…僕たちの手は解放され、目隠しもされていない…けれどここは刑務所…牢獄の中だ…。
君は想像できるかい…両手をプラスチックの手錠ではめられることがどれほど苦痛か…
そして、暑い太陽の下、7時間もクーフィーヤ(アラブの男性が使うヘッドスカーフ)でしっかりと目隠しされることがどれほど苦痛か…???
彼らが手錠をはずしたとき、僕の手は何も感じなかった…僕はジル・キャロル(人質になったアメリカ人ジャーナリスト)について読んだことを思い出した…でも僕にとってはそれよりさらに苦痛だった……
2人の海兵隊員は僕たちを囚人室へ連れていった…僕たちは海兵隊員に銃を突きつけられたまま歩いた…その銃が違うことがわかった。それは狙撃用の銃だった!!!!…後で、僕はこの部隊が狙撃兵部隊だということに気付いた。

彼らは僕たちを部屋に入れた。部屋は木製の鉄格子と鉄のワイアで囚人部屋を2つに分けていた…とても寒い…窓もなく…2つのエアコンが置いてある…しかもとても古いエアコンだ…それはアンバール大学にあったものだと思う…部屋は長さがおよそ8M、幅が5M…. アルミニウムで出来ている15個の兵士用ベッドがすえつけられ…その部屋はとても寒かった…僕は凍えた。僕たちがそこに入ったとき…警備兵が2枚の毛布を取るように僕たちに言った。ベッドに入って寝た…誰もまったくしゃべらなかった…そこには他に3人のイラク人が留置されていた…ラマデイのソフィーヤ地区から来た若者たちだった。とても眠かった…。ひどい夜だ…僕はへとへとに疲れ果てていた…僕の衣服は砂でとても汚れた…ほとんどの時間、僕たちは強制的に地面の上に座らせられていたから。

ああ…ところで…健康診断のあと….兵士が小さな紙を僕のシャツにつけた…左肩に…兄の方にも同じように….その紙には英語でこう書いてあった:
抑留者通し番号:4814403 
だ捕した部隊:c/1-60N 
だ捕した場所:m27 
だ捕した日時:2006年9月27日午前9時0分 
名前:Q………

深い眠りの終わりが来た…木製の鉄格子と鉄のワイアの後ろで2人の兵士が起した….彼は叫んだ「ヘイ、お前…英語男…起きろ、起きろ」。彼は僕の兄も起すように頼んだ…将校が兄との面会を望んだのだ…僕は兄を起こした。僕は兄との短い会話を利用した。彼に言った…まったく恐れるべきではないと….僕たちは無罪だ。彼らは君にばかげた質問するけれど彼らを恐れないように…OK? 彼はOKと答えた。了解。
兵士が僕の兄を囚人部屋から連れていった…1時間後、彼は戻ってきた…僕は彼と話が出来なかった…だから彼がどんな質問をされたのかわからなかった

「ヘイ…お前の番だ…こっちへ来い」兵士が僕に言った…兄を連れていった兵士が僕を指した…彼は隣の部屋に僕を連れていった…空っぽの部屋…古いイラクの錆付いた金属ベッドと床の上に小さい汚いスポンジがあった……そのスポンジが僕の席だった。兵士がそこに座って待つように言った…僕は座った…そして待った…数分後…若い海軍将校がイラク人の通訳と一緒に入ってきた。
錆付いた金属ベッドは部屋の中心にあった…それはアメリカ人の席だった。彼は僕の正面にむかいあって座った…けれど僕は床に座らせられている…彼はベッドに座っている…彼は質問を始めた…レジスタンスについて…名前と場所….彼らが今何を計画しているか…。
レジスタンスについてのいくつかの具体的な質問が行なわれた。
僕は兵器を運ぶような関係は誰とも持っていないと説明した…彼は兵士がテロリストのプロパガンダ用のCDとビデオを発見したと僕を脅した…そして僕のコンピューターは占領軍への脅迫文書でいっぱいだと言った!!!! 僕にとって彼のやり方はとても安っぽかった…彼は僕のコンピューターについてウソを言っていた…彼は僕に対するなんら明白な事実をもっていないことがわかった…彼はただ僕を脅かしたいだけなのだ…この部屋で多くの馬鹿げた質問を1時間ほどされたあと、将校は言った…
「OK。自分の部屋(囚人部屋)へ戻って、君の将来についてじっくりと考えたまえ…君が我々を助けない場合は、再び自宅に戻る機会を失うことになるだろう」彼はそう言った…それから部屋を出た…通訳は2人の海兵隊員と共に僕を囚人部屋に連れて行った。

部屋の中で…。
僕はサフィーヤから3人の抑留者がいると以前書いた…彼らは僕にあまりにひどい逮捕作戦のことを話してくれた…真夜中にソニック爆弾(超音波を発する爆弾)で自宅を攻撃されたのだ…しかも彼らは自分たちがなぜ逮捕されたのかわからないという!!!! 
会話は許されていなかった。。。けれど時々、食事をしながらいくつかの言葉を交わす機会を得た…中にいる間に彼らは2人の警備兵と友人になったのだ…。
僕は、多くの海兵隊を含めて彼らが機関銃を持っていることに気がついた…狙撃用の銃だ。
6時間ごとに警備兵(2人ずつ)は交代する。。。初日、僕は彼らの誰とも話が出来なかった…彼らは僕にその機会を与えなかった…僕は最初の日を熟睡して過ごした…その部屋はとても寒く、静かで、僕はとても疲れていた…眠ることが一番良い選択だ…。

---続く---

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-11-05 10:57 | イラク・ラマディから
2006年11月01日

甥が逮捕されたイラク・ラマディの青年が今度は本人が米軍に逮捕されました。そのいきさつが彼のブログに掲載されているので翻訳してアップします。
(名前は念のため匿名とします)

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2006年9月25日
最後の2日間

多くの人々がラマディ旧市街の中央、カターナ地区で米狙撃兵によって殺された。米狙撃兵がラマディ博物館、パスポートビル、総合図書館、さらにその近くのビルなど数ヶ所にいることは誰でも知っている…狙撃兵たちは、ラマディの主要道路から抵抗する人々を見つける…付け加えると、ビルの周囲で動くものはすべて殺す…
おお……ごめんなさい、僕は2006年9月25日を書き終えないうちに、海兵隊に逮捕されました。

2006年9月27日

この日の始まりはメキシコの友人とチャットをしている午前1時のこと。この友人は僕の甥のことを心配して僕の家族とここの状況について尋ねてきた。この友人は僕には大切だ。僕たちはほとんど毎晩チャットしていた。僕が平和を見失っていたり、平和を必要とするとき、彼女は僕の心がいつも平和でいるように努力してくれる…。チャットの途中で、僕のPCに問題が起き、調子が悪くなり….PCの操作がうまくいかなくなった…それでPCを再起動させるために20分待ってくれと頼んだ…PCが再起動始めたとき、僕は、家の門が壊れる音を聞いた……兄が階段をあがって僕の部屋に来た。

「Q、Q…米兵がドアを壊している!!!!!」と恐ろしそうに叫んだ…
「OK、OK、今行く。家族を起こして。灯りをつけないで。点いている灯りは全部消して…今行くから」僕は言いながら階段を駆け下りた。庭にいる海兵隊員を見ると、彼らは僕の父と祖母を捕まえていた。

「こんにちは、こんにちは…僕は英語を話します……僕たちは平和な家族です……」僕は窓越しにいる海兵隊員に聞えるような声で話しかけた…。

「へい、手を上げて、止まれ」 海兵隊員が僕に向かって叫んだ…僕は手をあげて、その位置で止まった…海兵隊員は、庭でちらばり、2つのドアを蹴破った。そして、たくさんの兵士が家の中に侵入してきた。

「英語を話す人間というのはお前か….??」
海兵隊員の一人が僕に言った。
「えぇ僕です…それが何か??!!」
僕は驚いて答えた…。彼らは、僕が英語を話すのを知っている!!海兵隊員は僕を囲んだ。それから、一人の将校が全員を居間に連れて来るよう命令した。僕は2人の海兵隊員をともなってこの命令にしたがった…兄弟と2人の姉、そして甥っ子のラフムーンとその母、ラフムーンの妹(アイア)を起した。ラフムーンとアイアは天使のようにぐっすりと寝ていた。僕は二人を居間に運んだ。

海兵隊員は家の中を探索し始めた…屋上に行く階段の上と下、ありとあらゆる場所を。
彼らは何かを探していた。それが何であるか、将校に尋ねて初めてわかった。彼らは爆弾と銃を探していたのだ…これはよくあることで、僕たちは海兵隊の点検では嫌な経験をしてきている…しかし、このときはいつも以上に乱暴だった…

将校は僕に質問し始めた…。
「これは誰か…これは、そしてこれは…….等々」彼はぼくの家族を一人ひとり指差して尋ねた。僕は答えた…彼は僕の父、母、兄弟…姉妹…甥…などなど。
「お前はいくつだ??」と私に尋ねた。
「30歳…」
「どのようにして英語を勉強したのか?」彼は僕をじっと見て尋ねた。
「大学で」
「それならお前はバース党員か?」
彼は醒めた表情で尋ねた。
「いえ、違います…!!!」
「へい……サダム政権下では、バース党員だけが高い教育を受け多くの言語を話す…」
彼は言った…彼は僕がバース党員ではないということを信じていないようだった。
「いいや…イラクでは誰でもイラクの中の高等教育を受けることが出来ました…バース党員だけでなく…誰にでも聞いてみてください。きっとわかるでしょう」
彼に説明した。

そのとき、一人の海兵隊員が古い小さなサダム[註:サダム・フセイン]の写真を持ってきた…それは祖母の部屋から見つけたものだった。将校は写真を取り上げ、僕のほうに向き直り、それを見せて、こう言った…
「お前は彼が好きか…そうだろう??」
「彼を好きかどうかだって!!!!!…」
「お前はイラク陸軍で働いていたな…サダムの陸軍かと聞いているんだ」
「えぇ、確かに」
「何年お前はそこにいたのだ?」彼はすばやく私に尋ねた。
「少なくとも2年間」。
「お前はフェイダーン*について何を知っている?」

*フェイダーン:ウダイ(サダムの息子)によって編成された軍事組織。サダムのために用意された特殊部隊。

「多くは知りません…それがサダムのために戦うことは知っていますがそれ以外は何も」
「お前はアメリカについてどう思うか…良いか悪いか??」
「明確に答えることが出来るのは、アメリカは僕の街では悪いことをしているということです…」
僕は驚いて答えた…彼は僕に合衆国の敵としての言葉を言わせようとしている!!!!
「お前はサダムが善人であったと信じているか??」と私に尋ねた….
「僕は、イラクには彼より素晴らしい人々がいると信じています」僕は答えた…それがワイルドな答えであることを知っているが、僕は将校が僕に対して言わせようとしいるいくつかの単語を避けようとした…
「いつ、どこで、お前は英語を勉強したのか?」と私に尋ねた。
「1990年代、大学で」
「ヘイ、ヘイ、….英語はサダムの時代は許されていなかっただろ」
「いいえ…過去70年間イラクの学校では英語の勉強は普通のことです…」

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-11-01 23:35 | イラク・ラマディから
2006年10月01日

イラク・ラマディの青年の甥が米軍に逮捕され、イラク軍の拷問に遭っている。まだ16歳の子どもだ。米軍の車輌を攻撃した疑いをかけられ、自白を強要されている。なんということだろう…(涙)

以下は彼のブログから転載。
http://aliveinbaghdad.org/category/blog/

今日はラマダンの初日。僕たち家族は全員で午前4時に起きて、ラマダンの最初の食事(Alsahoor)をとるはずだった。けれど今年のラマダンはいつもと違った。家族全員が一同に会したわけではなかった。つまり兄と甥がいなかったのだ。例年ラマダンのときは兄がバカげたジョークで家族を起していた。でも、今回は僕が家族を起したーバカげたジョークもなかった。
(註:彼の兄はこの6月、自動車事故に遭い、米軍の検問に阻まれ病院に行くことが出来ず亡くなった)

今のところ、僕の甥っこサミは逮捕されたままだ。朝、Xさんは彼の息子(僕の甥と一緒に捕らえられた)について兵士に尋ねた。兵士は2人の少年がイラク軍に拘留されていると告げた。なにもかも悪い方向に行っているという意味だ。

僕の一日をすべて話すことは出来ないけど、毎日が最悪だということは言える。僕はこれを真夜中に書いている。そして僕の甥は既に拘留されて二晩目の夜を迎えている。

コメントをありがとう。そして、サポートをありがとう。何人かの読者は僕の甥が悪いことをしたり、戦ったりすると思うかも知れない。はっきりしてないからね。
けれど僕は、甥がつつましい生活を送っていたことを確信している。彼は毎日8時間父親の店で働いていたし、夜は学校の宿題をしていた。人生のすべてが悪い方向に行くまでは家族とともに生活していた。

甥は刑務所で虐待されている20万人の囚人の一人だ。誰も囚人のことなんて気にしていない。彼らを助けることが出来ない家族だけが心配していて、彼らに会いたいと思っている。

いまや僕の家族は毎日息子が解放されることを祈って待っている20万家族のひとつになった。僕は甥の解放を祈り、貴方にこのことを告げている…。
皆様、ありがとう。


(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-10-01 02:01 | イラク・ラマディから
ラマディからのレポートの続きです。

我が家を占領された話の続き

僕たちが暑く暗い部屋に閉じ込められている間、家の上のほうから銃撃の音が聞こえてきた(おそらく屋上から)….僕はイラク兵に聞いた……この銃撃の音について……イラク兵は数人のアメリカ狙撃兵が僕の家の屋上にいると言った。…おお、僕の家が狙撃兵の基地になるなんて…人々を殺すための…….過去1年間に何回もあったこと………やつらは朝早く家を出てくるすべての人間を銃撃するだろう…。そうとも…やつらは必ずやる。

僕たちは黙り続けていた。何人かが眠ろうとしたけど誰も寝ることは出来なかった。
暑くて暑くて、汗びっしょりになってきた….さらに呼吸も苦しくなってきた…おそらく空気がまわっていないからだろう…部屋は完全に密閉されていた…窓もドアも。

僕は喉が渇き、お腹が空いてきた……あぁ…フェアじゃない…自分の家の中でお腹が空き、喉が渇いている……しかも我が家が殺人道具になるなんて最悪だ…僕は罪の意識を感じた……午前11時、家の近くで戦車の音がした…….しばらくして、米兵が階段を走り下りてきて、家を出ていった…。

ドアの後ろにいたイラク兵が仲間に言った。
「何が起こったんだ???」
「わからない…外で何か見つけたんじゃないか!!!」他の兵士が答えた…
「おお、彼ら戦車に乗ってる…行っちゃうよ……後をついていかなきゃ…ここにいられないよ…」
ひとりのイラク兵が言った。

僕は彼らに叫んだ…
「すぐにドアを開けてくれ…君らが行ったら、ドアを開ける人間がいないよ!!!」
「はは…わかった、わかった….カギを渡すよ」イラク兵は答えた。
彼はカギをドアの下に置いて仲間を追いかけた。僕は戦車が去って、米兵がいなくなるのを確信するまで待った….僕はドアを開けた。そして、僕が戻るまで家族全員が部屋の中にいるように兄に頼んだ。
家、屋根、すべての部屋を回った……それから部屋に戻り、家族を部屋から出した。
部屋を出ると呼吸が楽になった……

あぁ、最悪の夜だった…….僕にとっても、そして父、母、兄弟、子どもたちにとっても。つらい危険な夜だった。
アメリカ狙撃兵は、屋上の自分たちの居場所を守るために子どもたちのベッドを使い、道路と庭を見るために正面の壁に穴をあけた。

とにかく僕たちは無事で、愛する我が家を取り戻した…僕たちはこの経験をみんなでああだこうだと言いながら朝食を食べている。兄は、アメリカ兵がイラク兵をあわや忘れそうになった話が滑稽だとジョークのネタにしている。

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-05-31 00:57 | イラク・ラマディから
ラマディからのレポート3です。
前回、私は「音爆弾」と書いたが、イメージがずいぶん違うので「ソニック爆弾」と訳した。「音爆弾」では優しすぎるもの。

それにしても、表面的には傷をつけず、人間を廃人にしていく武器はなんとも隠微なもので、それを考える人間の汚さをつくづく感じる。

彼のレポートに出てくる兵士たちの人間らしさはなんとも言いがたい…。このユーモアこそがイラク人だと言いたくなってくる。

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2006年5月11日
その日はラマデイ中で銃撃の音が響いていた…午前9時頃、F16が再び駅を爆撃した…そして戦車が鉄道で働いている人々の家を砲撃した…3人の民間人が殺された。父親と2人の子どもたち…けが人が数人…破壊された家が残った。

2006年5月12日。
米軍はレジスタンスに攻撃された…攻撃されたのは農業大学にあった陸軍基地だった…
レジスタンスは機関銃と迫撃砲で基地を攻撃した。そのため米軍はその夜基地の近くの家を攻撃した。彼らは、通りに戦車でやってきて、たくさんの人々を逮捕して、多くの家を家宅捜索した….

どんな家宅捜索がされるのかというと…
普通、米兵は深夜12時過ぎに戦車に乗ってやってくる….彼らは自分たちがレジスタンスだと思った人間は誰でも逮捕する。彼らは、街の中を走っていて、家の中で動きまわっている人影が見えると、どの家だろうと逮捕する….逮捕の事例で最も多いのは、米兵が、深夜に起きている人間を見咎めたときだ!!!それで、我が家も含めこの地域に住む多くの人間は音を立てないように自分たちの部屋に隠れ、子どもたちを静かにさせてベッドに連れていく……あらゆることが毎晩暗闇の中で行なわれる。どこの家の発電機もガソリンの高騰で燃料不足になりほんの数時間しか動かすことが出来ないのだ。

家宅捜索のあとは次のような結果が待っている:
1ー破壊されたドアと窓。
2ー 壊された家具とテレビ、冷蔵庫などの電気製品。
3ー割られた車のガラス。
4 ーショックを受けている子供と女性たち

深夜、どこの家でも行なわれる家宅捜索がどのようなステップをふむかというと:
1ー 米兵は、家を取り囲み、しばらく見ている。
2 ー窓にソニック爆弾を投げ入れる…ソニック爆弾は、高周波の爆発音で人々(家族)にショックを与える。家の中にいてこの爆弾を受けると、誰でも少なくとも20分は聞こえなくなる….赤ん坊にとっては、生涯耳が聞こえなくなるというリスクがある。
3ー米兵は開いているさまざまな場所(窓、ドア)から家に入るので、ドアがバリバリっとものすごい音をたてる…寝室と台所など、どこもかしこも。
4 ー彼らは大声で叫び、無理矢理全員(女性、子供さえ)を取りおさえ、手をしばり、真っ暗な狭い一部屋に押し込める….
5 ー米兵は捜索を始める。彼らはカギのかかったキャビン、ロッカー、どんなものでも壊してしまう……
6ー家の中に兵器、爆弾がないかを確実にチェックした後….米兵は家族から情報を集め始める。ほとんどの場合、通訳はいない。それで、彼らは基地で尋問するために男性と少年を逮捕するようだ。
7-終わったあと、彼らは煙爆弾を外から投げ込み、逮捕した人々を連れて戦車に乗って基地へ戻る。

我が家は深夜の家宅捜索のときこの経験を何度もした….僕が米兵の通訳が出来ないときは、家族にとっては最悪だ。何回も、僕は米兵から(僕の家を家宅捜索するとき)良い給料を払うから米軍の通訳にならないかと誘われた。でも、僕は断った。彼らが僕の仲間を殺している間は、イラクでの米軍の戦争犯罪の仲間になってしまうと思うから。米兵は、自分たちの銃でたくさんのイラク人を殺し傷つけたことを理解する必要があるし、彼らは皆、自分の問題としてイラクの悲劇をシェアするべきだ。さらに言うならすべてのイラク人が被害者で、その一部がイラクの惨劇を止めるために抵抗戦士として戦っているのだ(と多くのイラク人は思っている)。

2006年5月13日
今朝、米軍は、狙撃兵の拠点にしようとさらに多くの家を占拠しようとした……そして、たくさんのレジスタンスがこれを阻止しようと銃を持って現れた。
米軍は戦車、ヘリコプターなど彼らが持ちうるすべての力を使った。そして多くの家を攻撃し、多くの人々(犠牲者の大部分は民間人)を殺した……今回、米軍は、狙撃兵の拠点として僕の家を選んだ….

3時10分、家族が眠っている間に、米兵が門を壊し、占拠しようとした….しばらくして庭の背後に来た…僕は目が覚めた…そして、歩いてくる彼らの足音を聞いた……数分後、我が家の2つのドアが壊され、彼らが中に入ってきた….

僕は部屋から飛び出し、いくつかの英単語で自分がいることを彼らに伝えた。突然寝室に入ってくるアメリカ流のやり方に家族をびっくりさせないようにするためだ。
米兵は叫んだ「止まれ……後ろを向いて手を壁につけろ……」。彼は僕が何をしていたかと尋ねた…もう一人の米兵が僕をチェックして、次にこう言った「彼は問題ない」彼は僕をじっと見ている将校に向かって言った……「まったく。英語が話せるイラク兵が3人しかいない…」彼らは互いに言い合った。
「OK…ここの仕事が終わるまで米軍を助けないか……我々はこの家にどんな人間が住んでいるのか知るためにお前が必要だ」他の兵士が僕の周囲を歩き、将校が尋ねた。本当に暗かったので彼らが見えなかった。しかし、彼らはヘルメットについた器具で僕を見ていた….僕は将校がぼくの足元を見るために石油ランプを持っていることに気がついた。
それで、彼が話している間、僕は彼を見た。
「僕たちを傷つけないでください。僕たちは平和な家族で、ここにいるのは子供、女性、老人(僕の父)です…捜索をするなら僕に家族を起させてください……」 
「OK…急げ。ここに住んでいるすべての人間をこの部屋に連れてこい」将校は僕の小さな部屋を指し示した。僕は両親を起すために急いだ。そして彼らに冷静に伝えた。
「米兵がここにいる。だけど皆大丈夫だから…彼らは僕たちにひとつの部屋に集まるように言っている」僕は父を恐がらせないように穏やかな声で言った…父は心臓に持病があったのだ。
「これから姉の部屋に行って、彼女を起し、僕の部屋に連れていく」

2人の米兵が何も言わずに僕についてきた…彼らは僕が命令に従うので安全だと思ったらしい……子ども部屋で甥が寝ているのが見えた…5歳になるムスタファは病気で、熟睡していた…僕は彼を抱き、他の子どもたちの部屋に連れて行った。
ついに僕はすべての家族を起し、家族全員ひとつの部屋に集まった。米兵は家族全員の手をしばり始めた…僕は彼を止めた。
「どうかやめてください…貴方はドアにカギをかけるでしょう。だったら手をしばらないでください。ここには子どもがいます…子どもたちにはこれはつらいことです…お願いだからやめてください」僕は将校に言った。
「OK…ドアにカギをかけろ…これで十分だろう」将校は言った「この家に18人も住んでいるのか???どうやって」
将校は僕に尋ねた。
「僕たちには選べないのです…これが僕たちができるすべてで…他に住む場所もないし…でもいいんです…僕たちが皆で住むのには十分な家なんです」僕は笑って答えた….彼らをリラックスさせるように。
「良い子だ…家族を大事にしろよ」彼は笑いながら言った。
「いや…僕は子どもじゃないです…大人です…ひどいなぁ」僕は彼に言った….冗談っぽく。
「おお、ごめんごめん…いくつだ?」
「30歳です…」
「おお、若く見えるなぁ…30歳 ???本当か?」
「えぇ、本当ですとも….若く見えるのは僕のガールフレンドにとってはいいことでしょ…ね?」。
「ハハハ…そうだな…お前は最高だ」と将校は笑った。
「彼女はステキさ…でもあんたには関係ないことだけど….OK…??」私は笑って答えた。「OK…OK…。さぁ、家族と一緒に部屋に入れ。我々の仕事が終わったらドアを開けよう…さぁ、どうぞ入ってください」将校は言った…
僕は黙って部屋に入った…一人の米兵がドアのカギをかけた。そして僕たちは暗闇の中に残された。最初、僕は、米兵たちが捜索を終えたらすぐに家を出ると思っていた….
しかし、彼らは午前11時20分までいたのだ…。そして、僕たちは暗い部屋に6時間いた…最初の2時間はとても暗くて暑かった….

ムスタファがトイレに行きたがって問題が始まった………
僕は兵士に彼をトイレに行かせてくれるように頼んだ…「俺たちには出来ないんだ…出来るのは米兵だけさ…俺たちは彼らの命令なしでは何にも出来ないんだ」と、イラク兵が僕に言った。
「今すぐ彼らにOKを聞いてきてくれ…病気の子どもが今すぐトイレに行きたがっているんだ」
「OK…やってみよう……俺は英語が出来ないんだ…手まねでやってみるよ…いいかい?」 イラク兵は答えた。「OK…OK」
彼は階段を上がっていき、数分後に一人の米兵と戻ってきた。
「どうした???」
米兵はカギのかかったドアの向こうで僕に尋ねた。僕は甥の説明をした…それから彼はドアをあけた。
「OK…一人で行ってこい…」米兵は言った
「いや、彼は病気だから無理です…病気で歩けない…足が弱っているんです」
「OK OK…お前、一緒に行け…お前(イラク兵を指差して)、そいつらを見張れ…. . 」 米兵は僕とイラク兵に言った。
「彼は何て言ったの??」イラク兵が僕に聞いたので、僕は彼に説明した…………それから僕たちはトイレに行き、イラク兵は僕たち、つまり僕と5歳のムスタファに銃を向けていた。誰もがトイレにいくたびにこれが繰り返された…

僕たちは暗くて暑い部屋で人質として6時間過ごした。次のメッセージでは何が起きたかを話すね……ありがとう

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-05-20 08:34 | イラク・ラマディから