毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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カテゴリ:エジプト( 12 )

カイロ、最後の夜

予定していたレッスンをすべて終わり、さらに10時間追加してカイロでのアラビア語留学をとりあえず終了。レッスンは帰国前日まで行なった。最終レッスンのあと、スレイマンの家に行き家族みんなと夕食をとる。1ヶ月の勉強の成果を見てもらおうと努めてアラビア語を使う(^^)。

8時過ぎ、スレイマンの家族と夕食をしていると、突然停電に!昼間はたびたび停電になるのでエジプトは電力が足りないのだなぁと思っていたら、真っ暗なのは彼の家だけ(笑)。と、彼の義理のお母さん(いつも真っ黒なアバヤとヒジャブをかぶっている)が切った杏(アプリコット)に小さなローソクを乗せて持ってきた。果物に乗ったローソクは次から次と出てきた。リンゴにもローソクがささっている。テーブルの上はコシャリと鳥のケバブ、サラダ、バージージャン(ナス)の炒め物などの間に杏やリンゴに乗ったローソクの灯りがユラユラとゆれていた。天井と壁には私たちの影がこれまたユラユラと揺れている。

私は手で壁にキツネの横顔を作ってみた。昔、こうして障子に影をつくって遊んだことがあったなぁと幼い頃の記憶がふっとよみがえった。イラク戦争が始まった年に生まれた末っ子(女の子)はそれを観てケラケラと笑う。バクダッドもこんな闇夜が続いていたのかしら、いやな記憶が戻らなければいいのだがと私は心配したが、スレイマンはこう云った。
「ロマンチック・ディナーですね」
本当に。カイロの最後としては思い出に残る夜になった。

外では結婚式が行なわれているとかで、にぎやかな音楽が流れていた。昼間は暑いから結婚式は夜なんだなと想像する。
この近くのイラク人はほとんどがイラクに戻り、24軒が残っているだけとか。
スレイマンは末っ子を観ながら、
「コシャリが好きなのはこの子だけなんです」
「彼女はバグダッドのことは覚えてないの?」
「あまりね」
そうだろうな。そうすると彼女の故郷はバグダッドではなく、カイロになるのね。。。エジプトの文化・習慣・言葉を学び、イラク人でありながら微妙なところでイラク人とは違う人間が育っていく。私はとても複雑な気持ちになった。

複雑といえば残りの2人の男の子たちについても同じようなことを感じた。上の子どもを指して彼が一言、「この子は日本人と同じです」「え?何が?」「目が悪い」
つまり、彼らは日本の子どもたちと同じように一日PCに向かってゲームをしている。メガネをかけているアラブ人にはめったに会ったことがないが、これからは事情が違うようだ。
エジプトの貧しい子どもは学校へも行かずに働いている。一方、PCがあり、ゲームに興じることの出来る子どもは恵まれているが、アラブ独自の文化から離れ、グロバリゼーションの波に飲まれていく。アジアの子どももアラブの子どもも、いわゆるアメリカ文化で育っていく。なんだかんだ言っても、アメリカは文化の面でも世界を凌駕したよね。。。

別れ際、「また会いましょう」をアラビア語でなんというかと聞くと、こう教えてくれた。
「ウリード イラーキー カリーブ」
そう挨拶した私におばあちゃんはこう返した。
「フィー イラク」
そう。今度会うときはイラクでね。。。
「フィー バグダード」
バグダードで会いましょう。。。私たちは頬を寄せて抱き合った。
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by reem-akemi | 2009-06-23 10:38 | エジプト

地中海へ

アラビア語の授業もあと3日で終了となった。合計60時間。レベル1の試験も合格(^^)v。これでやっと小学生3年生くらいかも。。。

1ヶ月近くカイロに滞在してやっと慣れてきた感じだ。ホテルの人たちとも仲良くなり、行きつけの食べ物屋のおじさんたちとも手をふって挨拶する関係になってきた。せっかくアラビア語圏にいるのだからとホテルの人たちとアラビア語で話そうとすると彼らは笑いながら聞いている。私の発音がストレンジだとニヤニヤ笑っている。あげくの果てにアンミーヤで訂正する(アンミーヤとはエジプトのアラビア語。JがGになる。私が習っているのは正則アラビア語といわれるフスハー。これは日本でいうと古文みたいなもので、普通には使われていない)

週末はカイロの喧騒から逃れて地中海の町マルサマトルーフに行った。片道7時間。アレキサンドリアへの道をまっすぐに行き、途中でマルサマトルーフ街道に入る。砂漠の中を道路が突き抜けていく。どこまでも続く砂漠を見ながらドライバーが云った。
「この砂漠は人が入れないんだ。なぜだと思う?」
「わからないわ」
「イタリアとドイツが戦争中このあたり一帯に地雷を撒いたんだ。入っただけでお陀仏さ」
イタリア軍とドイツ軍は第二次大戦中、北アフリカのこの地域まで侵攻。イギリス軍と激しい戦闘を行い、ここは最大の激戦地といわれている。
「イタリアとドイツがエジプトを取ろうとしたってわけさ」
エジプトを取ろうとしたって、そのときはイギリスの殖民地だったからすでに取られていたでしょうにと聞き返そうとして、はたと気がついた。エジプト人がそういう表現をするほどイギリスは植民地政策が上手だったのだと。

「そのうち右側に大きな慰霊碑が見えてくる。ほら、あれあれ。あれがドイツの。あの先にある丸いのがイタリア。あそこにドイツとイタリアの兵士たちが眠っている。だから毎年彼らの子どもや孫がおじいさんに会いにくるよ。リビアを経由してね」

そのとき、「ドイツなんやらかんやらメモリアム」という看板が一瞬目に入る。しばらく行くと確かにイタリアの慰霊塔も見えてきた。両国ともその大きさたるや尋常ではない。しかし、しかし、この人たちはこのエジプトの地に大量の地雷を撒いていったのではないか。それなのにこんなにも大きな慰霊塔を建てる神経がすごい。
この行為はたとえていうなら、中国に日本兵のための巨大な慰霊塔を建てるようなもの。

ドイツのメルケル首相は先日もオバマと一緒にホロコーストの犠牲者たちのための慰霊に参加して、「ドイツは過去の歴史を決して忘れない」みたいなことを云っていたけど、結局、あれも相手がユダヤだからだ。誤解されては困るけれどホロコーストの歴史を否定しているのではない。ただ、犠牲者への謝罪をするなら白人もカラードも一緒でしょと云いたいだけ。

いつでも名もない多くの犠牲者たちがあちこちに眠っている。彼らは決して名前を刻まれることもなく土になっている。

地中海は60年前も碧く澄んでいたのだろうか。。。f0189799_355638.jpg
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by reem-akemi | 2009-06-09 03:10 | エジプト

オバマが来た

6月4日、カイロにオバマが来た。前日の夕方から表通りの商店は店を閉め、私はいつも買う焼き鳥が買えず仕方なくホテルの近くでサンドイッチを買うことに。4日も交通機関がすべてストップする可能性があるとのことで、その場合はアザ先生(私のアラビア語の先生)に電話で行けないことを伝える手はずになった。だが、幸いにして私が目覚めた頃オバマはカイロに入り、テレビではサーべルを持った騎馬警官がオバマの車両を先導する様子が写っていた。

オバマは車から降りると軽やかに階段を走ってあがり、待ち受けていたムバラクの手を握り挨拶をした。
私はへそ曲がりだから、オバマの演出過剰なところがどうも気になってしかたがない。だってオバマは若さを強調して文句なしにカッコいいのだから。。。

さて、その日、学校も店も道路もやはり人が少なかった。聞いたところでは「外出禁止令」が出たらしい。それほど警備に気を使っているということなのだろうが、なんとも違和感を感じた。

その日、オバマはカイロ大学で世界に向けてイスラムとの新しい関係つくりをアッピールした。演説はいくつかの章に分かれているが、宗教的な言葉をちりばめイスラームの自尊心をくすぐっている。実に心にくい。はてはトーマス・ジェファーソンまで引用し、イスラームがいかにアメリカ建国と関係があるかを話す。本当に演説がうまいよね。そして自分自身の先祖がケニヤのイスラーム教徒であり、決してイスラームと無関係ではないことを強調。
ここまでですでに学生たちはオバマのマジックにかかっている(^^)。学生たちだけではない。この演説は14カ国の言語に翻訳され世界中の人が読めるようになっている(日本語がないのはどうして?日本はアメリカの言いなりだからサービスする必要がないと思っているのでしょう、きっと)

評論家の中には歴史に残る演説だというものもいるらしい。
だが、そうだろうか?へそ曲がりだから云うわけではないが、アメリカはテロとの戦いを続けると云っているし、パレスチナの暴力を批判し、ハマスはイスラエルの存在を認めろといっている。ではイスラエルの暴力には何も云わないの?
ハマスはイスラエル中心のオスロ合意を認めることは出来ないといっているだけでイスラエルを認めないとは云ってない。すべてイスラエル側にたった発言であることが私には気になる。

オバマは「アメリカ史上初めてのシオニストの大統領」だと聞いたことがあるが、彼の言動を見ていると本当にそうなのだろうと思わずにいられない。
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by reem-akemi | 2009-06-07 05:10 | エジプト

カイロの日本料理店

昨夜遅く書いていたので日にちがずれている042.gif

今は30日土曜日の午後3時40分。
さて、今日はこれまで行ってきた日本料理店について書いてみよう。

1 WAGAMAMA  シティスター内
 ここでは焼きソバと餃子を食す。餃子は鶏肉(^^)。久しぶりの醤油味でおいしかった。
 まぁまぁかな。焼きソバというのは無難なものかも。

2 おかもと  ザマーレク
 中東で初めての日本料理の店とか。40年カイロに住んでいるというご夫妻の店。
 ざるソバとおかもとサラダを食す。ソバのつゆは醤油がきつすぎる。
 サラダのドレッシングはほとんど酢だった。全体に甘みが足りない(^^;)
 テイクアウトで焼きソバを頼む。少々油っぽいかも。
 値段は味のわりに高い。。。

3 札幌  ドッキのシェラトン内
 味噌ラーメンがあると「地球の歩き方」に書いてあったがウソ。鉄板焼きが中心。
 エジプシャンの女の子が黒い着物を着て髪にかんざし状のものをつけいるのがご愛嬌。
 ここでは焼きうどんを食す。メニューにはフライドエッグヌードルと書いてあった。
 まぁまぁだが値段のほどではない。

4 おかし グランドハイアット内
 寿司が中心。テンプラうどんを食す。つゆの味は「どんべい」と似ている(^^;)
 日本人スタッフがいると「地球の歩き方」には書いてあったがほとんどエジプシャン。
 ここはチョ~~~~高い033.gif 絶対に勧められない店。
 ここであんなうどんを食べるなら「どんべい」を持参したほうがいいかも。

全体に日本料理はおいしくないことが判明。これはダシに問題があるのかもしれない。
うどんと云っても稲庭うどんのようだったし。
日本人はアミノ酸が不足すると元気がなくなるから「せんべい」でも持ってきたほうがいいかも。
写真は札幌の焼きうどんとおかしのテンプラうどん003.giff0189799_2240041.jpg
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by reem-akemi | 2009-05-30 22:24 | エジプト

1週間たった

カイロに来て1週間たった。
地下鉄で学校へ行くのが一番安全で安上がりだということも知った。想像以上に早く着いてしまい、学校の近くのカフェでコーヒーを飲む。出てきたのがトルココーヒー。しかもちょ~苦い。砂糖なしと言ったときの店員の顔ったらなかったけど、うなずける。しばらくコーヒー粒が静むのを待ってから飲む。でないと口の中がコーヒーでジャリジャリになるから。慣れるとこれはこれでおいしかも(^^)。

昨日は学校のwelcome party。お茶とケーキが授業の合間に出てきた。なかなかしゃれた企画。なんでも卒業旅行もあるとか。長くいたらきっと楽しいのだろうな。学校の近くに大きな病院があり、そのせいか駅からの道は医療関係のショップばかり。歯医者も何軒かならんでいる。病院には医学専門の学校がついているのだろうかたくさんの学生が行き来している。

帰りにホテルの近くで以前から目をつけていたピザを買う。それからピザ屋の前の露天のおばちゃんからスプライトを購入。毎晩脂っこいものばかり食べているから体重が増えてしまったのではないかと心配。ピザが3ポンド(60円)。ほ~んとに安い。スプライトと水を買って5ポンド(100円)。今夜の食事は合計しても200円を切っている。

一昨日は、カイロでも高級住宅街にある日本料理の店に行ったけど、これが期待はずれ。サラダは酢が効きすぎてすっぱいし、ソバはたれの醤油がきつすぎる。長いことこちらにいると舌が変わってしまうのだろうか。でも、私は良いお客だったかも。テイクアウトの焼きソバまで注文したんだから。合計93ポンド。ちょ~高い!!!あそこは1回行けば上等(^^)。でも、日本のことを考えたら安いのかもしれないわ。

毎日毎日、交渉している。今朝はホテルの人と部屋の移動で交渉。今日から3日間だけ違う部屋に行ってくれって。それから今の部屋にまた移動。冗談じゃあない。私はいやだと言ったらなぜ?と聞いてきた。なぜって面倒くさいもん。ああだこうだとゴチャゴチャやって、結局OKした。なんでも今の部屋にアメリカ人がたくさん来るからもっと良い部屋を考えたんだとか。本当かしら?!
じゃあ、6月は移動しなくてもいいの?と聞いたら、インシャアッラーと答えた。6月については今夜相談しようだって。どういう意味?! インシャアッラー!

あ、もう移動の時間だ。片付けないと!
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by reem-akemi | 2009-05-25 16:28 | エジプト
昨日は元気に学校へ行くはずだった。

両替をしなければとタハリール広場の近くを歩いていると一文字眉毛の男の子がついてくる。その子に日本円の両替を出来る店はないかと尋ねたら心よく案内してくれた。両替がすみ、どこへ行くのかと尋ねられ、何気なくナセルシティだと答えたのが間違いの元。ナスルシティは遠いからこちらの場所がいいと案内しつつ、いくら払えるかと聞いてきた。私が「わからない」というと、「相場は40ポンドだ」と若者が言うので、そりゃあ高すぎると抗議したら、じゃあドライバーに聞いてみてくれときた。

そばにあるタクシーのドライバーが寄ってきたので、「ナスルシティまでいくら?」と聞くと、60だという。それはないでしょと値段交渉して40に落としたら、それでOKということになったが、よく考えると出来すぎだ。しかも、彼はドライバーではなかった。傍にいた個性的なおじさんがドライバーだった。なんということでしょう!!!青年はタクシーの客引きだったのだと後から気がつく。

個性的なおじさん(顔がとても個性的)は、「アナー コプトクリスチャン グッドタクシー」とニコニコして私に笑いかけてきた。このおじさん、狭い路地に無理やり入り、警官に叱られても、「コプトクリスチャン グッドタクシー」と言い続けた(笑)。でも、コプトクリスチャンドライバーは、かなりしたたかで、「ドライバー ランチ」とサンドイッチを買いに行き、私にもくれた。なんて親切なのだろうと思ったのが間違いで、タクシーを降りるときに「サンドイッチ ハムサ」(サンドイッチは5ポンド)だと要求してきたので「グッドタクシーでしょ、プレゼントかと思った」と答えたら、にっこりして「コプトクリスチャン グッドタクシー」だとわけのわからない返事をしてきたので、どうでもよくなってしまった。結局、往復1000ポンド(帰りは少々遠いところに廻ったので)+サンドイッチ5ポンドかかってしまった。

今日は絶対に昨日みたいなことにならないようにとタハリール広場でメータータクシーに乗った。行き先はカイロの新観光地。シティスター!中東一のショッピングモールを見にいった。なんでもシティスターにあるホテルに安倍さんが泊まったとき奥さんがこのモールで買い物をしたとか。
イケメンのお兄ちゃんのタクシーはエアコンも効き、なんとも具合が良かった。が、私には逆方向に走っているように思われた。ピラミッドへ行く道をどんどん行く。反対だけどと思っていたら、高速道路にのった。あぁそういうことかと安心したら、今度はどんどん砂漠の中を走っていく。砂漠の高速道路じゃ怒って降りるわけにも行かず、そのまま乗っていたが、料金はどんどんかさんでいく。

おそらくカイロの端を走っている高速道路なのだろう。行けども行けども砂漠だ。砂漠の薄茶色の土を削って、はるかかなたに高層住宅がたくさん見える。シティスターは昨日行ったナセルシティの近くだ。30分以上過ぎたとき周囲に大きなビルが見えてきたので聞いてみた。「シティスター バイード ミン フナー?」(シティスターはここから遠いの?) 「ファイブ ミニッツ」5分だって。本当かしら?

と、目の前に大きな建物が現れた。結局、昨日より高い53ポンドを払うことに。どう考えても回り道されたと思う。メーターがついたらついたで、それなりの金額を取るということね。これではメータなしより始末が悪い。
シティスターでレモンジュースを飲んで、「WAGAMAMA」というジャパニーズレストランで焼きソバと餃子を食べて帰ってきた。帰りのタクシーは40ポンド払うといったら喜んでOKして、20分ほどでタハリール広場に着いた。やっぱりぼられた……。f0189799_1131125.jpg写真は「豪華なシティスターのフロア
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by reem-akemi | 2009-05-21 01:01 | エジプト

カイロより

日本はもうお昼ですね。カイロは19日があけたばかり。

成田空港は本当に空いていました。これも豚インフルエンザのせいかしら。カイロ行きの飛行機も余裕があり、空いている席へ移動してゆっくりと寝ることができラッキーです。指定されたシートの隣はウガンダの人で、日本から中古トラックを輸入し中国、ドバイ、ウガンダを中心に販売しているとのこと。ウガンダはカイロからさらに5時間も奥。将来は日本人女性を妻にしたいと、これまたよく聞く話をしていた(笑)。

カイロ空港では公安らしき人が近づいてきて何をしに来たかとか、どこのホテルかとか、ツアーかとかいろいろ聞いて、あげくに空港の外まで一緒についてきてホテル手配のドライバーを探してくれた(^^;)。ちょっとウザイんだけど…。
ホテルは、汚いビルの15階。1階は三菱自動車のショップがあり、14階まで会社のオフィスになっている。値段も値段なので(3000円)、期待はしてなかったけど、でもやっぱり汚い(^^;)。掃除をしてあるのが救いかな。ここにいて火事になったら絶対に死ぬだろうなと考えながらベッドにつく。

4時頃からアザーンが流れ、やっとイスラームに来たのだと実感する。
(15階のいいところは車の音が小さく聞こえること。かなり静かです)

さてさて、今日は学校へ行って、町を探索するぞ!
パソコンを打ちながら、目の前にはオールドカイロの町並みが広がっている。
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by reem-akemi | 2009-05-19 13:06 | エジプト

今日からエジプト

今日の午後便でカイロに向けて出発します。昨年は思わぬアクシデントでアンマンに行けなかった私(^^;)。何度も時間を確認してしまった。。。あれ以来不安がつきまとう。自信がなくなった~~~。どこかチョンボをしていないだろうか。。。イクスプレスのチケットを購入するときも日にちを間違えてしまう始末。これで語学をやろうってんだから。。。あぁ。。。緑の窓口で、私が一言いうたびにツレアイが隣で肩をたたきチェックをいれてきた。むぅ。。。

カイロにいるスレイマンにアラビア語の通訳をしてもらおうと頼みにしていたら15日からイラクへ帰ってしまった。カイロに戻るのが25日。入学手続きを全部自分でしなければならないけど、大丈夫かなぁ。。。なんとなく不安がつきまとう。インシャアッラー!すべては神のみぞ知る。

何が一番不安かというと、タクシーを拾うこと。カイロに住んでいる人たちがタクシー運転手と料金のことでケンカをするのを何度も観ているのでタクシーは疲れるものと思い込んでいる私。もっとも日本円で言ったら20円とか40円の話なんだけど。。。口角泡を飛ばして言い合いをしている。もっともあのケンカは当たり前のことなのだろうか。ゲームのようにケンカをしているのだろうか。。。私なぞ面倒くさいのでボラレテも払ってしまいそうだ。それから運転手に土地勘がないこと。これも始末が悪い。グルグル回ったあげくぜんぜん違う場所に連れていかれても困る。まぁ、これもナレかな?

これまでと同じようにアクシデントを楽しもう(^^)v。ぐちゃぐちゃ考えても始まらない。
自爆テロだけはごめんだから人ごみは避けるとして、とにかく初志貫徹だ!!!!
帰ってきたときにはもう少しアラビア語が出来ていますように!
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by reem-akemi | 2009-05-18 09:25 | エジプト

追われるサドル

2007年01月24日

ミスリーヤの続きを書こうと思っているうちに学校が始まった。2週間後の進級試験を控えて余裕のない私(^^;)

時間のあるときにワードに入れて書き溜めるしかない。。。

ところで米軍がマハディの幹部400人を逮捕した。
http://news.yahoo.com/s/ap/20070120/ap_on_re_mi_ea/iraq_070119184346
いまやサドルも米軍に狙われる立場になり、身の安全のために地下にもぐったようだ。
彼の家族も安全なところに避難した。サドルいわく「米軍は私の命がほしいのだろう」
サドルはこうも言っている。マリキはイスラムそのものを破壊する気だと。そりゃあそうだ。マリキは元CIAという噂だもの。暗殺チームをすべてマハディの仕業にして、今までの拷問殺人の罪をサドルになすりつけようとしているのはみえみえ。おバカなサドル。権力にすりよるからよ。

イラクはイラン製品のボイコットが進み、南部と東部をのぞきイランの商品がなくなったらしい。反占領という意味では反イラン運動というのも理解できる。

カオス(混沌)は「希望」だと私の尊敬するある人が言ったが、私もそう思う。楽観的かもしれなけれど、少しずつ解決に向かっていると信じている。

一日も早く米軍が撤退することを願うばかり。増派などという無謀なことをやめるべきだ。
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by reem-akemi | 2007-01-24 00:30 | エジプト
2007年01月20日

インターネット接続で苦労していたが、時計を見たら11時。イラクの友人Sが来る時間なのでロビーへ。

少し痩せて(やつれたというほうが当たっている)現れたのに少々驚く。その後彼の家へ行く。タクシーで5分ほどだが、案内されたのは見るからに貧しそうな地域。バグダッドでも高級な地域に住んでいたのにと思うと何もいえなくなる。「バグダッドは大きな家だったけど、小さくなってしまった」とエレベータに乗りながら話す。電気もない暗いロビーの4人も乗ればいっぱいになりそうなエレベーターで2階へ。

「みんな驚くぞ」といい、ドアを開けると彼のワイフが出てきた。なんだかさらに痩せたみたい。子どもたちはすっかり大きくなっていて、2003年当時赤ん坊だった女の子は3歳半になりアラブの女の子に特有の黒い瞳が愛らしかった。抱きついてきたので優しく抱きしめたけど、こんなに大きくなるまでアメリカの占領が続いていることを具体的に見たようでなんとも言えず悲しくなってきた。グランマは?という私の質問にお祖母さんが現れた。思わず手を握って「お元気でしたか?」と言うと優しく手を握り返してきた。小さく冷たい手が心細かった。

広さは3LDKほどか。。。バグダッドの彼の家はブランコのある広い庭、PCがおいてあった大きな書斎、家族が団欒するリビング、大きな冷凍庫があった台所、バスルームは1階と2階それぞれに。私が泊まっていたのは2階の部屋ーーキングサイズベッドがど~んと置いてあり、そこから屋上に出られるようになっていた。
お祖母さんも家が小さくなったことを嘆いた。けれどバグダッドはと、右手を自分の首にあて、首を切るような動作をした。そして左腕のなかほどに右腕を置いた。斬首がたくさんあるという意味だ。

バグダッドだけではないようだ。彼らが言うには今日もカイロでイラク人が殺されたらしい。ここエジプトには80万人のイラク人が逃れてきている。本当はもっと多くの人がエジプトに入ることを希望しているが、エジプト政府がイラク人に入国を拒否している。

エジプトに無事に入ったからといってhappyな生活が待っているわけではない。エジプト人でさえ働き口がないのだ。イラク人がそんなに簡単に就職できるわけがない。結局、貯金を切り崩して生きていくのが精一杯。

それでもここは水道もあり電気がくる。何より爆発・殺人・拉致がない!そして米軍がいない!!!
子どもたちを安心して学校へ送れる。

彼は近いうちに家族をカイロに残して自分はバグダッドに戻りたいという。仕事をしたいし、何より人々のために何かしたいと。

テレビを見ていたらクルド人虐殺の公判がライブ中継されていた。いまやイラクのテレビ局は24もあるらしい。公判は政府系テレビのイラキーヤが中継。
と、彼が大きな声で叫んだ。
「この人知っています」
「え?どの人?」
彼は原告の一人を指差した。
「この人は当時の科学大臣で、私のボスです。なぜこんなことになるのか、私には理解できません。彼はとても良い人です」

友人は23歳のときに父親を亡くし、7人の姉妹と母親を彼一人で扶養していた。ある日、理由もなく彼の給与が下がり生活に困窮してしまい、当時の上司(間接的な)であった科学大臣(原告)に直訴した。これを聞いた大臣は友人の直接の上司を呼び、給与を下げた理由を問いただし、彼の給与を元に戻すこと、その仕事を終えなければ帰宅してはならないと命令した。

つまり、原告である科学大臣は公正な人であるというのが友人の言い分だ。
サダム・フセインの裁判もそうだが、今のイラクで行われているこれらの裁判はもはや裁判とはいえないものだと私は思っている。どれもこれもサダム政権に対する復讐。殺すことが目的で真実が何もわからない。

裁判とは真実を解明すること。でも、一体どれだけのことがわかった?サダムは殺され、サダムの側近たちも先週処刑され、何もかも、すべて闇に葬られてしまったではないか…。アメリカにとって都合の悪いことは永遠にわからなくなってしまった。

カイロに住んでいても彼らの意識はいつもイラク。家財道具一切を捨て、飛行機で逃げてきたのは他のイラク難民から見れば幸せなのかも知れないけれど、虚ろな彼らの瞳を見れば決して幸せでないことがわかる。

彼らの戦いはまだまだ続く…。
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by reem-akemi | 2007-01-20 12:16 | エジプト