毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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カテゴリ:エッセイ( 4 )

「未来」に掲載した最後のエッセイです。
これは今年リバーがアップしてきた大切な友達アランのことを書きました。
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命の重さーアランとドクター・ムハンマッド

06年1月初旬、アメリカの雑誌「クリスチャン・サイエンス・モニター」の記者ジル・キャロルがバグダッドで誘拐された。運転手・通訳とともに何者かに車から引きずり出され、ジル・キャロルをのぞく二人はその場で射殺された。この通訳をしていたのがリバーベンドの最愛の友人アランだった。

アランはバグダッドでミュージック・ショップを経営していたが、戦後イスラム原理主義者らの脅迫を受け(西欧文化は攻撃の的になる)、爆弾を投げ込まれたのを契機に店を閉じた。その後、得意の英語を生かしてアメリカ人ジャーナリストの通訳をしていたのだろう。

1月12日、リバーベンドはこう書いている。
「経済封鎖の間、イラクは外の世界から断ち切られていました。私たちには4から5つのローカルテレビ局がありますが、インターネットがポピュラーになるまではテレビが唯一世界とつながる道でした。

一方、アランの店も外の世界とつながる手段のひとつでした。アランの店は、私たちには別世界でした。
店に一歩足を踏み入れると、スピーカーからは素晴らしい音楽が鳴りひびき、アランとムハンマド(彼の店で働いていた)が、ジョー・サトリアーニがいいかスチーブ・バイがいいか議論をしていました。」

イラクの若者たちにとっては、彼のような人が西欧の世界をつなぐ唯一の窓口だったのでしょう。

「戦後、Eと私は彼が店を閉める前に時々彼の店に立ち寄りました。私たちは彼の店には電気もジェネレータも全く来ていないことに気がつきました。

店はランプの灯りで薄暗く灯され、アランはカウンターの後ろでCDを仕分けしていました。彼は、私たちを見て有頂天になりました。私たちは音楽を聴く方法が全くなかったので、彼とE.はデタラメな歌詞をつけて好きな歌をいくつか通して歌いました。
それから、様々な携帯の着信音を聞いて、その日出来たばかりのジョークを言い合いました。
外の世界のことはすっかり忘れていました。2時間ほどたって遠くで聞こえる爆発音が私たちを現実に戻しました。

(彼が死んで)自分の安らぎの場所が音楽ではなくアランの店であり、アラン自身であったという事実に私は打ちのめされました。」

電気がまったく来ない店の中でアランが一人でCDの整理をしている姿を想像して私は涙が出て仕方がなかった。

03年3月19日まで、イラク人たちには戦争と関係のない「日常」があったのだ・・・。それなのにブッシュとそれに追随する西欧諸国によって、それは奪われてしまった。

さて、同じように何ものかによって銃撃された医師がいる。彼の名前はドクター・ムハンマッド。彼は04年11月、ファルージャの支援を必死になって行なった医師の一人だ。
その彼が撃たれたのはバグダッド市内で買い物をしていた時だった。通りがかった車の中から銃撃され、同行していた娘さんは即死。彼はそのままバグダッドの病院に運ばれたが脊髄を損傷しイラクでは手術を行なうことが出来ず、アンマンの病院に移送される。

手術の結果、銃弾は米軍が使用するダムダム弾(弾頭に十字の切れ込みがあり、体内に入ってから十字に沿って4つに分裂し貫通する。非常に殺傷力の高い弾丸)と判明。ところがアンマンの公立病院では十分な設備がないことと、ホテルでの爆破事件以来イラク人の受け入れを嫌がる病院が多く、お金さえ払えば入れてくれる私立の病院に入院したところ1日17万円という高額な入院費を請求された。
私たちイラクに関係した日本人関係者達でカンパを出し合ったが、1日分の入院費を捻出するのがやっとという状態だった。

ところが彼に素晴らしいことが起こった。バグダッド陥落後、2年以上イラク刑務所に収容されていたS氏(彼はスンニ派リーダーとして著名な人物)が突然解放され、ドクター・ムハンマッドの話を耳にした。
S氏はドクターがファルージャの救援を行なったことに心を動かされたのだろう、即座にドクターの入院費の捻出に奔走した。

06年1月はじめ、S氏とエジプト在住のイラク人実業家たちがドクターの入院費を負担することになったと連絡が来る。1000万円を越えるであろう入院費を数人の人たちが個人で捻出するというイラク人実業家の懐(ふところ)の大きさとイラク人同士のつながりの深さに私は感銘した。
悲しい話ばかりが続くイラクでドクター・ムハンマッドの件は未来に希望を持てる本当に素敵な話に思えた。

アランについてはアメリカのNGOがアランの遺族を支援するためのサイトを開いた。失業者が70%を越えるイラクで夫を失った女性が生きていくのは容易なことではない。もちろん私はすぐに寄付を行なった。
[註:このサイトはアメリカにおいてあるが主宰するのはイラク人女性ブロッガー。現在イラクには200以上のブロッグが存在するが、リバーベンドはこの中でも特に高い評価を受けている]

絶望と希望が交錯する国―イラク。戦争から戻った米兵は劣化ウラン弾の被害を米国政府に訴訟を起すことが出来るが、理不尽な形で殺されていった多くのイラク人の命は誰も保証しない。命の重さの違いを一番感じているのはイラク人自身だろう。

(「未来」3月号より)
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by reem-akemi | 2006-03-30 09:04 | エッセイ
昨日に続き、「未来」に寄稿したエッセイから。
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大量破壊兵器は存在しなかった

 05年1月15日、リバーは書く。
 『今や私たちは、大量破壊兵器は決して存在しなかったという「公式」表明を聞かされた。イラクが壊滅させられてしまった後になって、あれは間違いだったと言われる。
 バグダードを見てほしい。その光景には胸がつぶれる。荒れ果てた街、異様な灰青色の空。火災と兵器から立ち上る煙と、車と発電機から発生するスモッグが混ざり合った空の色。

 ある地域では突如出現するかに見える壁が延々とめぐらされて、グリーンゾーンに所属する人物たちを護衛する。街を行きかう人に共通する表情は怖れ、怒り、疑い。それに不安定さと迷いがつきまとう。

 この国は一体どこへ行くの? 少しでもいいから普通の状態らしくなるまで、一体どのくらいかかるの? 私たちは一体いつになったら安心できるの?』(翻訳 岩崎久美子)

それから一年近くたった05年12月14日、ブッシュ大統領は「大量破壊兵器情報の多くは誤りだった」と公式に認め、イラク人の死亡者数が三万人になることを言及した。そして米軍のケーシー司令官は06年に十五万人の駐留米軍の数を十三万八千人に削減すると発表した。

ブッシュ大統領も認めるように、この二年半のイラク市民の死者数は三万人を越えた(イラクボディ・カウントによる)。これは病院で亡くなった人の数。実際は十万人とも言われる人々が占領の犠牲になっている。

イラクの友人は言う。一般にイラク人の家族は十人。一家族で犠牲者が一人出たとして、十万人の犠牲者のかげには百万人の家族の悲しみと憎悪があるのだと。

この国の人たちの絶望をなんとしよう・・・。いや、絶望はこの国だけにとどまらない。なんの罪もなく殺されていく人々の姿を見ることが世界中の人々にどれだけ生きる力を失わせるか。彼らの「生命」には何の価値もないのだと言われているようなものだ。「彼ら」とはとどのつまり「私たち」。そう思うのは考えすぎだろうか。

高遠菜穂子さんはファルージャで拘束されていたとき、見張りをしている男に真剣になって話したという。「貴方と私とどう違うというの?目、髪の毛、手、足、どこか違うところがある?貴方はイラク人で私は日本人だというけれど、私たちは何も変わらない」
むしろこの言葉はブッシュ大統領に言う言葉かもしれない。

今、アメリカは数十年ぶりに反戦運動の嵐が吹いているという。何かが変わり始めているのかもしれない。振り子は少しずつ元に戻り始めている。

一方、バグダッドで行われたサダム・フセイン裁判は散々の様子。
リバーは次のように記述する。
 『法廷の怒鳴り声があふれる中で、いとこはテレビの音量を調節しながら立っていた。 
 始まってすぐに、被告側の弁護士が法廷から退場した。ラムゼイ・クラークが英語で弁明することを禁じられたためだ。外国語で弁明することが適切かどうか法廷および裁判の独立性が問われたのだ(この国全部が外国の占領下にあることを考えるとちょっと皮肉だけど)。05年12月5日』  (翻訳 細井明美)

ラムゼイ・クラークは元米国司法長官。彼はニューヨーク・マンハッタンに拠点を置く国際行動センター(ⅠAC)の創立者でもある。フセイン裁判の法律顧問として米国のイラク政策に鋭い批判を浴びせている。

筆者は昨年五月にニューヨーク・ⅠACの事務所を訪れた。なんといったらいいのだろう・・・、そこは1970年で時間が止まっていた!壁にはマルコムⅩとマーチン・ルーサー・キング牧師の写真があり、そしてそのわきにはチェ・ゲバラの笑顔のポスターが飾ってあった。

壁にそってPCがイラク、南米、アフリカと担当ごとに別れている。中央のPCで仕事をしていた体格の良い男性は湾岸帰還兵(彼は海兵隊出身)だった。イラク担当はファルージャ出身のイラク人。彼はイラク・レジスタンスを支持しており、開口一番「彼ら(レジスタンス)は本当に良い仕事をしている」と嬉しそうに話してくれた。今や日本でこのような左翼的(?)雰囲気の場所を探すことは難しいに違いない。

さて、その後IACはフセイン裁判について次のような声明を出した。

『大げさに国際的に公開されて行われているサダム・フセインの裁判は、米国の侵略犯罪によるイラクの占領に何らかの合法性を与えて、正当化したい破れかぶれの試みです。 それは、占領への抵抗を鎮めて、国をばらばらにするためにやっていることです。 正義や真実とは何ら関係ありません。

イラクに対する十五年もの長きに亘る米国の戦争、「飢餓に直結する経済制裁」や「爆撃」や「占領」に反対する国際的に手を繋ぐ皆さんに、元イラク人のリーダーと彼の政府の七人のメンバーの現在の裁判を含む、占領を正当化するべく払われているすべての努力に反対すべきと強く申し上げます。』

そして、ラムゼイ・クラークは「戦争犯罪と人道に対する罪の容疑で公判にかけられるべきは、ブッシュと、チェイニーと、ラムズフェルドとブレアだ」と言う。

(「未来」2月号より)
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by reem-akemi | 2006-03-29 09:07 | エッセイ
今日は未来社に書いたエッセイー「未来」1月号ーをアップします。
イラク人にとってファルージャはアメリア・シェルターと同じくらい象徴的な存在になってしまった。今、一度、ファルージャをふり返って。

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「ファルージャ」から1年・・・

「ファルージャ」という言葉ほどイラク人の心をしめつけるものはない。それは悲劇の象徴であり、占領への抵抗の象徴でもある。

『ファルージャは凄まじい状況にある。とても言葉で表現できない。ものすごく恐ろしい悪夢の中にだけ存在する、そんな町になってしまった。
死体の散乱する破壊された街路、崩れ落ちた家々、倒壊したモスク・・・が、何が恐ろしいといって、この数週間ファルージャで米軍が化学兵器を使っていると伝え聞くことほど恐ろしいことはない。今日、イラク保健省の調査団は、ファルージャに入ることを許可されなかった。理由はわからない。      04年11月29日』

 ファルージャで何が行われているかは誰も知らなかった。耳に入るのは15歳から60歳までのすべての男性が街に閉じ込められ徹底的な攻撃が加えられたこと。家族を残して街を出ることが出来なかった女性たちもともに殺された。

 バグダッドでは行き場のないファルージャ難民を皆が受け入れていた。バグダッド大学のキャンパスも大きな難民キャンプとなり、テントがいくつも並んだ。
 半年過ぎた頃から少しずつ、米軍兵士あるいは命をかけて情報を伝えようとするジャーナリストたち(マーク・マニングス、ダール・ジャマイル、ジョー・ワイルディング等々)によってファルージャの情報が伝わり始めた。奇声をあげて屋上から銃撃を加える兵士たち、逃げ惑う人々、暗闇の中で赤外線の光に照らされ銃撃を受け倒れるイラク人たち、そこに繰りひろげられているのは現実とは思えない狂気の世界。

 05年11月9日、狂気とも地獄とも思えるような映像がイタリア国営放送局(RAI)で放映された。信じられるだろうか?骨まで燃える兵器―白燐弾のことを。米軍は本来照明弾として使うべき白燐弾を兵器として使用したことを発表している。ファルージャのことを世界に知らせたいというイラクの人権団体がいくつもの死体を映像に写してイタリアの放送局に手渡した。RAIはそれを編集してドキュメンタリー「ファルージャ 隠された虐殺」を制作した。その映像はイラクでも放映され、そのときのことをリバーベンドは次のように記す。

『私はついに勇気を振り絞って映像を観た。そこにはもっとも恐れていたものがあった。この映像を観ていると、内側に侵入されたような気がした。だれかが私の心の中にしのび込んで、私自身の悪夢をこの世に持ち込んだのじゃないかと感じた。男の、女の、子どもの死体の映像が次から次へと続く。あまりにもひどく焼かれ、傷つけられているので、男性か女性か、子どもか大人か、見分けるには、身に着けた衣服で判断するしかない。衣服だけは不気味なほど無傷なのだーまるで、どの死体も骨になるまで焼いてしまった後に、日常の衣装でやさしく着飾らせたかのようだーレース襟がついた水玉模様のネグリジェ…木綿のパジャマを着た女の赤ちゃんー小さな耳には小さなイヤリングが揺れて。            05年11月17日』

ファルージャの攻撃が終わったあと、米軍は街を水で洗い流したという。街に戻った人たちは家に残った食べ物を決して食べないようにという命令を受けた。
街は瓦礫と化し、私はそこがファルージャの街なのか、ナチスドイツのドレスデンなのか、わからなくなった。60年を経て、すべての時間が止まっている。

 「ジェノサイド」という言葉をこれほど虚しく感じたことはない。現実のほうがはるかにすさまじいから。現実は想像を越えた…。

 イラク人、米兵に限らず、この狂気の中にいる人間の不幸をなんとしよう…。彼らの撮った映像があらゆることを教えてくれる。飢えた犬が死体を食べる。一面にウジ虫がたかったどこの誰ともわからない男たち、女たちの死体。
 モゾモゾと動くウジ虫を凝視している私を見つめるもう一人の私がいた。
 
 05年11月イタリアのRAIに続き、BBC(イギリス)でも白燐弾の報道をトップニュースで扱う。イギリス、イタリアが米国の化学兵器使用に大騒ぎをしているとき日本ではどのように報道しているだろうか?試しに「白燐弾」で検索してみると唯一読売新聞で次のような記事を見つけた。

 『米国防総省当局者は16日、米軍が昨年11月、イラク・ファルージャを攻撃した際、発火性の強い白燐(りん)弾を使用していたことを認めた。 同弾の使用をめぐってはイタリア国営テレビが今月8日、民間人を巻き込んだ恐れがあるとして報じていた。白燐は、空気中で自然発火しやすいことで知られる。これを使用した同弾は、化学兵器ではないが、火がつくと消しにくく人をやけどさせるとされる。
 同省の報告書によると、昨年11月の戦闘で使用した際、「主に煙によって、塹壕(ざんごう)などに潜んでいる武装勢力に心理的不安を与え、外に追い出す効果があった」としている。(ワシントン支局 05年11月17日22時53分)』

 この温度差はなんだろう?インディペンデント紙では白燐弾をはっきりと化学兵器であると断定している。日本で最大の発行部数を誇る読売新聞のこの記事を読んだ読者は、真実から遠いところに追いやられたと感じるのは私だけだろうか。

 ファルージャで攻撃されたのは「塹壕」などではない。普通の人が住む普通の家。殺されたのは武装勢力ではなく、普通の人々。しかも多くが女性と子ども。なぜなら何年も続く戦争でイラクでは男たちが死んでしまい、人口の半分は子どもなのだから。そんなことを日本の新聞は書いてくれているだろうか?  
 私たち日本人は真実からはるか遠い場所で生きている。 
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by reem-akemi | 2006-03-28 09:11 | エッセイ

イラク憲法をめぐって

今日は、未来社で刊行されている雑誌「未来」に寄稿したエッセイを転載する。
(このエッセイはバグダッド・バーニングを元に、イラクの状況を書いた)

今回転載したのは2005年のイラク憲法が承認されたあとに書いたものだが、最近のイラクの出来事を見ると隔世の感がある。
しかし、現在の状況も次の破壊への序章に過ぎないのではないか。今日のブッシュ大統領の挨拶を聞いて、そんな気がしてきた。
すなわち、ブッシュはイランから武器がイラクに入ってきていると言及している。同じことをラムズフェルドも発表した。イラン攻撃の始まりか?

そして今日、バグダッドでは拷問を受けた85体の遺体が街のあちこちから発見されている。
リバーが無事だといいのだが…。

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イラク憲法をめぐって

2005年10月25日、イラク憲法草案が70%以上の賛成票を得て承認された。

さて、その憲法草案だが、リバーベンドが彼女のブログで問題点を3回にわけて書いている。すなわち①イスラム法と世俗法との整合性、②連邦制、③女性の地位が最大の問題だと。一方、その3点とは別にアムネスティ・インターナショナルを代表とする国際NGOが懸念しているのは44条の国際条約の批准項目であった。

彼女は書く。例えば連邦制について。
 「国が安定しているならば連邦制はOKだ。国々や問題を抱えた地域が統一をめざしているときには、すばらしいものだ。だが、現在のイラクでは、連邦制は破局をもたらす。文字通り国を分割し、不安定性を増す。イラクで実施されようとしているような類の連邦制の場合、ことにそうだ。」

 そして女性の権利について。
「憲法草案最終バージョンで、女性は、投票権と公職に立候補する権利を持つと言及されている。その他女性に関わる事項は、お世辞にもよしといえない。女性の記述は『子どもと高齢者』との関わりの中にしか出てこない。これに対し、1970年の暫定憲法では、女性という言葉は一切ない。「イラク国民」または『国民』として言及されている。つまり、女性は能力が劣り、男性の指導や監視を要するために、特別の世話や配慮が必要な存在なのだといって、女性を指弾しているのではない。」

この憲法をめぐるたくさんの論議がイラク内外で起きていたが(ヨルダンには60万人のイラク人がイラク国内の治安の悪さを理由に脱出してきている)、海外にいるイラク人には投票の権利がなかった。

また国民投票を前にしてカイム、ラマディ、ファルージャでイラク政府軍と米軍が連日攻撃を繰り返した。ラマディに住む青年QはTさんにこんなメールを送ってきた。

「6日の朝、数台の米軍戦車が私の家の前に停まっていました。これは、家から出ると殺されるということを意味しています。
私は米軍の狙撃兵が友人のアリの家を占拠しているのを発見しました。彼らは屋上にいました。いつものように、狙撃兵は目に映るすべての者を撃てという命令を受けているようなので、私たちはみな、家から一歩も出ずにドアと窓を閉め切るのです。

2時間の沈黙の後、一人の狙撃兵が腕試しにロバを撃ち殺しました。ロバはただ道を歩いていただけでした……。かわいそうに、このロバは、米軍はロバだろうが何だろうが殺すということを信じていなかったのでしょう。愚かなことです……。」 

ラマディには投票所がなく、それがどこにあるのかを知らないという。結局、これらスンニ・トライアングルと呼ばれる地域の投票所はいくつか閉ざされたらしい。

国民投票、賛成票78%とはこのように投票に行きたくとも行けない人たちが多数いる中で行われた。それを知ってほしいと私は思う。マスコミは報道しないが、あまりにアンフェアな国民投票であった。

しかし、こんなことはイラクでは毎日のことで、とりとめて珍しいことでもなくなった(恐ろしいことであるが)。それが「占領」なのだと彼らは私たちに教えてくれる。

リバーは書く。
「内戦の可能性や民族の強制退去や浄化という現実、日常化した流血や死に比べたら、権利や自由はたいしたことではなくなってしまった。」

しかし、法治国家に生きる各国NGOおよび国連にとっては、イラクのこのような状況は、やはり見捨てることが出来ない。だから憲法最終草案で削除された44条を問題にする。
「第44条: 全ての個人はこの憲法の趣旨と規定に反しない限り、イラクの締結した国際人権上の条約及び規約に言及された権利を享受する権利を有する。」 
イラク政府に言わせると治安維持のためには個人の権利も規制されるということらしいが、これは人道上、大きな問題を残すに違いない。
なお、この5月からサダム政権崩壊後なくなっていた死刑制度が復活した。

バグダッドの街の検問所はさらに増え、この検問に4万人のイラク治安部隊が動員されている。結局、これら治安維持のために市民生活に欠かせないライフラインの復旧があとまわしにされ、あいかわらず水道・電気が不足するという生活を送らざるをえなくなる。

では、こんな状況で各国NGOがどのような活動をしているのか?

9月初旬にイラク北部のタルアファルという小さな村で米軍・イラク政府軍の掃討作戦により多くの死傷者が出たが、イラク中のNGO(いまやその数は3000にも及ぶ)をはじめとして各国NGO、赤心月社が早急に医薬品、食料、テント、水などを現地に運んだ。  

私たちもイラクの友人Sを通じて7000本のミネラルウォーターをいくつもの検問所を通りぬけて、タルアファルの難民キャンプに届けた(難民キャンプはイラク保健省が管理していて直接手渡すことが出来なかったが)。

しかし、タルアファルはトルコ系の住民がたくさん住んでいるためにトルコ政府からの支援物資も届いたそうである。
ファルージャが攻撃されたときは近隣のアラブ諸国からは何も来なかったのに、トルクメニスタン(トルコ系住民)が住んでいるという理由だけで支援を届けるのは不公平だとはイラクの友人の弁である。

彼らにとっては「イラクはひとつ」。シーア派とか、スンニ派とか、クルドとか、そんなふうに区別しているのは西欧側(特にアメリカ)の考え方かもしれない。

雑誌「未来」11月号より
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by reem-akemi | 2006-03-15 09:39 | エッセイ