毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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カテゴリ:日記( 113 )

有馬理恵さん

昨日、八王子で開かれた有馬理恵さん、金井信さん、渡辺昌子さんの新春コンサートを観に行く。
実は八王子と王子を間違えて、有馬理恵ちゃんからの招待メールに気軽に返信してしまったのだ。数日前に会場が八王子だとわかりあせった。だって八王子は東京のはずれだとずっと思っていたから。。。八王子の人、ごめんなさい008.gif

でも、行って良かった053.gif。有馬理恵ちゃんがすばらしい女優さんだということ再認識しました。集中力がすごいから観ているこちらまで引き込まれてしまう。あの集中力は半端じゃない。
そうそう、それから芝居は全身でするのだということも改めて思いおこさせてくれました。第2部の「砕かれた花たちのへのレクイエム」で、チマチョゴリ姿の理恵ちゃんが立って、座って、ひれ伏して、後ろを向いて、それだけで慰安婦の存在感を見せてくれる。これには圧倒された。言葉がないのにすべてを語っている。
昔、滝沢修という名優がやはり後ろ姿の芝居で有名だったけど、芝居のうまい人というのは本当にすごいものだと痛感する。虚構がその存在感で実存に変わる。これが芝居の醍醐味なんだろう。

きっとひたむきな理恵ちゃんの生き方が芝居に投影されているんだろうが、私はこういうすばらしい人と知り合えたことを感謝する。娘も一緒に見たが大きな影響を受けたに違いない。

これまでなかなか「釈迦内棺唄」を見る機会がなかったが、今度は絶対に観に行こうと思った。
いや本当は私がこの芝居を近くで上演すればいいのだけど。。。う~~~ん、エネルギーが昔のようになくなってしまった。。。仲間がいないことも理由のひとつだけど007.gif

こんなにがんばっている人がいるんだもの。私もがんばらなくっちゃ070.gif
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by reem-akemi | 2010-01-12 09:55 | 日記

2010年だ!

あぁなんだかんだとしていたら2010年になってしまった025.gif

市民の意見から原稿を頼まれ書き始めたのが正月2日。イラク・アフガンについてだけど、私の今の興味はイギリスのイラク戦争検証。だからこれをベースに書き始めた。
今日から学校も始まったので、ぼちぼちと書く。あちらこちらのサイトを検索しつつ、翻訳しつつ、データを見ては書き、読んでは書き、構成を始めからやり直したり、なかなか進まない008.gif

そうそう、アラビア語を学んでよかったことがある。
アルジャジーラのアラビア語版を読むことになり、イエメン(目下一番の話題!)のイスラム過激派の名前がアラビア語では「ファタハ・イスラーム」となっていた。しかし、これをグーグルで英語訳すると、なななんと「アル・カーイダ」となる013.gif。どういうこっちゃ!
もっともファタハ・イスラームはアル・カーイダに憬れているらしい。けれど、彼らはレバノン政府とシリア政府に対する抵抗運動だ。それらイスラムの抵抗組織をひっくるめて「アル・カーイダ」というには乱暴ではないだろうか。こんな言葉のトリックで世界は「テロとの戦い」をやっているとしたら、敵はいったいなんだろう?!どこにいるのだろう!?
アル・カーイダは(ご存知のように)サウジアラビアがアフガンでソ連と戦わせるためにつくったイスラム民兵組織。が、ソ連が撤退したあと、原理主義者ビンラディンにとって聖なる土地に米軍が駐留することが許せず、かの地からの米軍の撤退を求めて反米闘争をし始めたという説がある。

イラク、アフガン、そして今度はイエメン。アメリカが殺戮を行なえば行なうだけ戦争が拡大していく。終わりがない戦い。。。2010年、なんらかの進展があればいいのだが。。。
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by reem-akemi | 2010-01-04 22:24 | 日記

坂の上の雲

時間がないから大急ぎで書こう(時間があるときに書けばいいんだけど…008.gif

NHKのドラマ「坂の上の雲」を観ている。司馬遼太郎の歴史観については多くの批判が聞こえてくる。私は、彼は「作家」なのだからどのような歴史観を持とうが仕方がないと思っている。作家の書くものはあくまでも虚構だ。それを真実と取るほうが間違っている。ただし、虚構でも、その断片に真実がなければ人の心を動かすことは出来ない。

「坂の上の雲」の場合、そのナショナリズムが問題になっている。日本においてナショナリズムはいわばタブーのような扱いを受ける。第二次大戦後、多くの植民地が独立したがその背景にあるものはナショナリズムだ。ナショナリズムは人々の心をひとつにするための道具でもある。国家を形成するための重要な道具だ。

国家は歴然と私たちの前にあるし、国家の枠の中で私たちは生きている。それは動かしがたい事実だ。けれど国家は私たち一人ひとりの意識が形成していくものでもあるから、その基盤にあるナショナリズムを無視するのも間違っているような気がする。

その意味からいったら、「坂の上の雲」は良い教科書だと思う。日清・日露を勝ち抜いた日本にしたいという意味ではない。あのように他国を侵略することを二度としてはならないという意味でだ。
先日は清(中国)の村に押入り、さげすみと恐怖の目で日本兵を見る人々の姿が映った。抗議をする老人の言葉を「兵隊さん、ありがとう」と云っていると嘘で固めた言葉で従軍記者に説明する森本レオ扮する古参兵。私は苦々しい思いで観ていた。おそらくこれが実体だろう。

だってこれはイラクでの米軍の姿と同じなのだから。。。民家に押入り強奪する姿も同じなら、人々を暴力でねじ伏せる姿も同じ。軍隊とはこういうものだということを教えてくれる。

NHKのあのドラマには賛否両論あるけど、議論のきっかけを持たせてくれるには良い題材だ。
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by reem-akemi | 2009-12-22 07:09 | 日記

アラビア語検定試験

今日は「実用アラビア語検定試験」なるものを受けてきた。非常にマニアック、かつマイナーな検定試験で、どれだけの人がいるのだろうと興味深々で行ったら、狭い会場に20人以上はいた。20代と思われる人ばかり。。。自分のことは棚に上げ、こんなマイナーな試験を受けるのはどういう動機だろうと周囲を見まわした。

試験は筆記が1時間、リスニングが20分。筆記試験は最初の20分で書けてしまった。で、そのままリスニングの問題をざっと見る。会話はいいのだけど、数字が苦手な私。聞き取れなかったらいやだなぁ。。。このところアラビア語を耳にしてないからあんまり自信がない。

頭の中がすっかり日本語になっていて、アラビア語の感覚がなくなりかけている。不安なまま筆記問題を見直す。

それにしても、検定試験を受けようなんて我ながら酔狂だと思う。検定と名のつくものを受けるのは小学校のときに親に言われて受けた珠算検定のみ。そう。「試験」は心臓によくないから嫌いなのだ。おそらく相当の負けず嫌いだからだろう(私のこと)。めっちゃ気が弱いのかも。。。死ぬわけでもないのに心臓がバクバクしてくる(笑)。だから始まる前に水をグイッと飲んだ。全身の筋肉(脳みそも)の緊張をほどくには水が一番だ。

試験も無事に終わり、久しぶりの銀座で買い物とか映画を楽しみたかったのだけど、大好きなフレッシュネス・バーガーのオレンジティーで我慢した045.gif
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by reem-akemi | 2009-09-27 18:06 | 日記

期日前投票に行く

明日は衆議院選挙の投票日。一日早く区役所へ行き、期日前投票を済ませた。いつもはガラガラの役所の駐車場が今日は満員だった005.gif。中に入ると、投票する人々の行列がロビーいっぱいに広がり、わぁわぁという声にあふれていた。こんなに大勢の人が来ると想定していなかったのだろう。行列は変な角度で曲がり、最後がよくわからないような状態だった。こんなとき遊園地では、係りのものが看板を掲げて立っているものだが、腕章をした女性職員が立っているだけで、これといった指示もなかった(笑)。

何はともあれ最後尾にならび、順番を待っていた。ここ横浜は他の地区と違って、今回は市長選も加わり、投票が複雑になっていた。最初は市長選、それが終わると市議の補選、そして小選挙区、最後に比例と最高裁判所裁判官の審査。

私は今回、他の選挙はどうでも、最高裁の審査だけはしなくてはならないと思っていた。今全国で「竹内バッテン運動」が広がっている。すなわち「竹内行夫」裁判官の罷免要求だ。この男の上に幾重にもバッテンをつけたかったが、下手にそんなことをして無効になっても困るのでバッテンをひとつにしたが、残念でたまらない。イラク戦争を支持し、03年に自己責任という言葉でイラクへ行った人間を抹殺した行為は許されないと思っている。多くの人がバッテンをつけてくれることを望んでやまない。

話は変わるが、日本は無宗教だと云われながら、実際のところ多くの宗教団体が政党あるいは政治に多くの影響力を与えているように思われる。宗教は個人的な問題だと思うが、これら政治に関わろうとする宗教団体は絶対的な力を手中に収めたいのだろう、権力にすりよる。信者から収奪する寄付もバカにならない。資金力はとんでもなく大きい。韓国でも統一教会がついに政治の舞台に出てきたらしい。日本でも今回の選挙にO・R氏の宗教団体が飛び出てきた。彼らは金太郎飴のごとく全国どこでも同じことを言っている。

ところで、本日のテレビ朝日の報道がこの組織の選挙活動を妙にたくさん扱っていた。私はとても違和感を感じた。朝日新聞はこの組織から多額の金をもらったのだろうか????もちろんNHKの場合は自民党の報道が他の政党にくらべて時間数で圧倒している印象を受けた。。。

政教分離は憲法の柱だ。与党に組している公明党も原則的にはおかしいと私は思っている。宗教は、上からの命令を絶対とする傾向があり、人々の理性的判断を失わせるから、絶対に政治の世界に関わるべきではない。その害悪はイラクのシーア派の政治形態を見ればよくわかるだろう。

そもそも宗教法人に税金がかからないのがおかしい。その資金を使って国家権力を動かすようになったら民主主義も終わりだ。
政治にすりよる宗教者は昔からいかがわしい人物が多かったことは歴史が証明している。だから、いかがわしいものを判断する目が必要だろう。。。
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by reem-akemi | 2009-08-29 23:44 | 日記

焼身自殺だなんて

名古屋の中学三年生の男の子が自らの体に灯油をかけて焼身自殺をした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090824-00000041-jij-soci

この子はアトピーが原因でいじめられていたらしい。私の娘もアトピーなので他人ごとに思えなかった。
娘の場合、幼いときから自分の汗の刺激で背中、わきの下、ひざの裏、うでなどにアトピーが出て、大きくなるにつれ、皮膚が黒く変色してしまった。私はその肌をみるたびに心を痛めていた。代わってあげたくても代わることが出来ないこともつらかったし、母親としていくばくかの責任も感じていた。そして、中学時代、やはりこの子と同じようにいじめられていた。

だから、この事件を知って涙が出てきた。。。つらかったんだろうなぁ。。。苦しかったんだろうなぁ。。。かわいそうに。。。この男の子の気持ちを考えただけで胸が痛くてたまらなくなる。

14歳の男の子が深夜とぼとぼと死に場所を探して歩く姿を想像しただけで涙が出てくる。。あまりにも悲しすぎる。。。いやだ、本当にいやだ。。。子どもが自殺しなけれはならないなんて、、、それだけで間違っている。
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by reem-akemi | 2009-08-24 22:16 | 日記

倚りかからず

また長いことブログを休んでしまった。このところ精神的に不安定だったことを正直に書こう。思いっきり泣きたいのに泣けず、涙がのどのところにいつもたまっている。苦しくて、悲しくて、息がつまりそうで、心療内科に行こうかと思っているくらいだ。

何がこんなに苦しいのか、ずっと考えている。パートナーには悪いがこの家にいると息がつまってくる。いやだいやだと心の中でいつも思っている。最初はそうでもなかったが、姑が家から一歩も出なくなってからこの家がイヤになってきた。誤解されると困るが、姑がいやだと云っているのではない。

「朝から何も食べてない」と云われたとき、思わずゾッとした。つまり、食事の世話をするのは「主婦」の役割だと言われたのと同じだ。私が食事の支度をしなければ何も食べずにいる。長いこと「主婦」をしてきた人が年を取ったら今度は「嫁」に依存して生きる。家の中にはお米もあるし、野菜もある、卵も十分ある。何かを作ろうと思えば出来ないこともないのに、それをしないのはなぜなのだろう。

80歳にもなろうかという恩師が一人で暮らしている。私は彼のことがいつも気がかりだ。何かあったとき、いつでも駆けつけたいと思う。その恩師の話をしたとき、「私は家族と一緒だから良かった」と姑が言った。家族と一緒の生活は確かに安心ではあるだろうが、生活のすべてを自分の意思で行なうことはとても大切だと私は思う。何を食べようかとか、冷蔵庫には何があっただろうかとか、掃除をしなければとか、その場その場の判断をすることは脳jの活動に大きな意味を持つに違いない。一日中テレビを観ながら、うつらうつらと過ごすと頭がぼっ~としてきはしないのか?内心、私は心配している。彼女は、私が「食事ですよ」というまでそのままだ。健康で、食欲は私が来てからますます増加してきているのにもかかわらず。。。

家父長制の中で、「嫁」の役割を素直に受ける人間だったら、単なる苦労話ですむかもしれない。そんなこと、世間では普通のことよと云われるだろう。
女は「嫁」から「姑」になって自分の身の回りのことまで放棄するのか?情けなくはないか?

正直にいうけれど、「主婦」の役割、「嫁」の役割は私には重荷だ。反吐が出るほどいやな言葉!だから、私は彼女・彼ら(夫と義理の息子)には悪いが役割を返上させてもらうことにした。

私自身は倚りかからずに生きたいと思う。息を引き取るその最後の瞬間まで自分の足で立っていたい。母のように認知症になったら仕方がないとあきらめるけど、倚りかからず生きていきたい。
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by reem-akemi | 2009-08-07 09:29 | 日記

土肥信雄校長のこと

昨夜たまたま観ていたテレビ朝日の番組で、とても素敵な人を知った。土肥信雄さん、元三鷹高校校長。すでにいろいろな形でマスコミに露出している方なので知っている人も多いに違いない。東京都教育委員会からの職員会議での教師の挙手・採決禁止の通達に異議を唱え、たった一人で教育委員会と闘った校長先生だ。

その昔、「学校」は社会で唯一ヒエラルキーのない場所にしようと多くの先生がたが努力していた。これから社会に出ていく子どもたちにとって生きることが希望につながるように、子どもたちそれぞれの環境に配慮しつつ学びを教えていた。貧しい家の子どもたちに栄養をと考えて「給食」制度があったのかもしれない。昭和30年代、東北の農村地帯は現在と違って本当に貧しかったので、小学校の給食は子どもたちの成長に大きな役割を果たしたと思う。

もし子どもの頃に世界はヒエラルキーに満ちていると知ったら、どんなに苦しかったか。。。ところが、絶対的なヒエラルキーを教えるのが今の学校教育。エリートはどこまでもエリートの道を歩み、その他はエリートを支える兵隊に過ぎないことを学校は教えている。子どもたちを教える教師たちもすでにその多くがヒエラルキーに満ちた教育を受けたものたちなので、違和感を感じないのかもしれない。

少数の違和感を感じる教師たちには、見せしめのように教育委員会が攻撃し続け、誰も抵抗できないようにしている。

本当にこれでまっとうな社会になるのだろうか?生命力にあふれた社会になるのだろうか。。。
希望の代わりに絶望を教えていくことがどれだけつまらないこことか。。。
先の東京都教育委員会の通達は、誰が考えたことなのか知らないが、実にバカげている。土肥校長が異議を唱えて当然のことだ。先生がたに発言の自由がなかったら、子どもたちの教育を受ける権利を誰が保障するのだろう。誰が子どもを守るのだろう。東京都教育委員会は社会の崩壊に向かってその力を誇示しているようにしか見えない。

教育委員会があまりに愚かなため、土肥校長の誠実さが、正しさが際立って見える。東京都教育委員会は間違ったことは間違ったこととして誤りを認めるべきだろう。
卒業式に土肥校長の隣で監視している教育委員のおぞましさにはぞっとした。ヒエラルキーに満ちた学校教育を変えていかないと本当に日本社会は崩壊するのではないか。。。そんな気がしてならない。。。
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by reem-akemi | 2009-06-30 11:17 | 日記
帰国してから最初にやったこと。アラビア語のキーボードをアメリカのアマゾンで入手。日本では残念なことに買うことが出来なかった。。。1週間もかからずに届いた。キーボードが3000円。送料&手数料が同じく3000円(笑)。

これでアザ先生とかスレイマン、カーシムにアラビア語でメールが書ける(^^)v
とはいうものの、これがけっこう大変。。。

で、習うより慣れろとばかりにアラビア語でブログを書くことを思いつく。日本のブログサービスは多言語を使うことが出来ないのでBlogs comで作成することにした。
それが以下のサイト。

http://reem-lazycat.blogspot.com/

ブログ名は「キッタトル カスラーン」。意味は怠け者の猫。エジプトでのレッスン、後半は子ども向けの本を読んでいた。そこに出てくるのが怠け者の白い猫。

この猫は自分を磨いて毛並みを美しくすることに明け暮れ、餌も飼い主がくれるのでネズミを取ることもせずに寝てばかりいた。そこに目をつけたのが1匹のネズミ。彼は猫の家の近くの穴に住んでいたが、いつもおなかを空かせて食べ物を探していた。ネズミが怠け者の猫の家に入ってみると、猫はいつものようにお昼寝。ネズミが近づいても、のんびりと寝ていた。

そこでネズミは食べ物をあさり、たらふく食べたあと、その話を仲間のネズミにした。「あそこの猫は寝てばかりいるからご馳走が食べ放題だよ」。それを聞いた町中のネズミが白猫の家に集まった。

それでも猫は自分の餌が食べられるわけではないので、ネズミたちの大騒ぎを横目で見ているだけで、のんびりお昼寝を続けた。そこへ現れたのが猫の飼い主。町中のネズミに驚いた飼い主は、猫をカゴに入れて遠くの山へ連れていく。「お前のような怠け者の猫はいらない」。飼い主は猫をカゴに入れたまま木の枝につるして山を降りていった。

3日後、飼い主が再び山へ行くと、白猫はお腹を空かして食べ物をあさる猫に変身していたとさ。
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by reem-akemi | 2009-06-25 10:07 | 日記

荒川沖連続殺傷事件

荒川沖連続殺傷事件を覚えているだろうか?今月始めに水戸地裁で三回目の公判が開かれたがその様子をネットで読みショックを受けた。まず父親の「むごいことだが死刑になって当然だ」という言葉に驚き、その記事を全部読むことになったのだが、全部読んで何かを書かなければと思いながら日が過ぎた。

心の闇とよくメディアは書くが、私には被告の幼稚さが感じられた。こうなる前に何か出来なかったのだろうか。自分を守るために現実と夢想の間を行き来している被告が哀れでならない。
成長の過程で何が欠けたのだろう。。。

私たちの周囲は多くの情報にあふれている。けれどさまざまな価値観があるとはいえないような気がする。多くの若者たちが子どもの頃から植えつけられた「良い子あらねばならない」とか「楽しくなければならない」とか、「人に好かれなければならない」とかの価値観に振り回されているのではなないだろか。 
そこからはずれたとき、人は孤独になり無力を感じ、自分は何も出来ないと思ってしまうのではないだろうか。

世界はそんなにすばらしくもなく、そんなにひどくもない。楽しいこともあれば悲しいこともある。すべてが流れる時間の中の一瞬の出来事。
私も若いときは心が常にただよっていた。いつも不安定で、孤独で(今もそうだけど)、消え入りそうな気がしていた。でも、それを変えたのは子どもが生まれたとき。子どもは生命そのものだと思う。きっと子どもを愛することで生きる実感を得たのかもしれない。その意味ではわが子にとても感謝している。

でもそのわが子も実は被告と同じようにゲームに自分を投影している姿を見ると私の育て方がどこかで間違ったのかと思ってしまう。だからあの記事を食い入るように読んだのだ。
成人してしまったわが子にどう言葉かけをしていいのか迷っている親がきっとたくさんいるに違いない。大人になりきれてない子どもたち。。。どうにかしなければと思いつつ日が過ぎていく。

達成感とか、自尊心とか、自立するために必要なものをどこかで獲得しなければならなかったのにどうして得られなかったのだろう…。
荒川沖連続殺傷事件は同じような子どもを持つ私には無関心ではいられない事件だ。
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by reem-akemi | 2009-06-10 19:18 | 日記