毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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カテゴリ:日記( 113 )

またまた辺見庸

辺見庸の記事が読みたくて週刊金曜日を買ってしまった001.gif。以前、辺見庸は終わりだとかなんとか書いたのにも関わらず、である。。。037.gif

「根源までたどり思索を深めよ」。世界同時進行の異質のパンデミック(感染爆発)のなかにわれわれはいる。そこでは「100年に一度の金融危機」などと限定されたカテゴリーではなく、人類が連綿と続けてきた資本主義や民主主義といった価値システムの総体が同時性をもって破局にさしかかっているのではないか・・・思索は根源へ向けて深められる。

上記の文章はこの記事のリード。なに?世界同時進行の異質のパンデミックって?039.gif。片岡さん(金曜日編集部)が書いたリードと思えないこの導入の仕方に辺見庸的世界を感じてしまう。うまいよな~~~~。
なんといっても彼の日本語の巧みさに引かれる。上記の文章を要訳すると、物質・金銭に価値を置く資本主義が破綻し、人々は疲弊し、人類はこれまでにない試練の場を迎えようとしている。私たちはこの状況に対してよ~く考えなきゃいけない026.gifな~んて。

サブタイトルの「天皇制という非言語的拘束」。これも文化として私たちの生活に浸透している制度としての天皇制という意味かな。

そして彼の視点はあいかわらず鋭い。「パンデミックの時代のなかで、権力側がその対症療法として連発してくるのは死刑です。いくつかの破局が重なるなかで社会がエモーショナルになり、当然、犯罪も増えるだろう。それを懲罰で抑えられるとするのが司法当局であり国家です」この箇所には思わずうなずく。先日も4人の死刑囚に死刑が執行されたことを考えても非常に現実感をともなう意見だと思う。悲しいかな、社会に対する人々の不満が大きくなればなるほど国家はそれを利用して民衆の力を押さえ込もうとする。

辺見庸から私はいつもいろいろな情報を得る。今回一番のギフトは「チェット・ベイカー」。もともとジャズピアノが好きだけど、トランペットもいいなと思ってしまった。暗い部屋でチェット・ベイカーのCDを聞いたら、そのアンニュイな快感から抜け出せそうもない001.gif。革命が始まるとは私には思えないけど。。。辺見庸は「革命はたぶんそこからはじまります(笑)」と言っているが。。。おそらくどこにも行きたくないし、何もしたくなくなるだろう。。。

なんだかんだ言ってもやっぱり辺見庸はカッコいい。
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by reem-akemi | 2009-02-15 22:10 | 日記

父のことは・・・

父のことを書くといいながら結局、何も書けてない008.gif。おそらく母ほどには父の存在は重くないのだろう。かわいそうな父。。。

先日、姉に電話すると父は病院を移転したそうだ。でも肺炎のため相変わらず酸素マスクをしたままだし、潰瘍のため食事をすることが出来ず点滴を受けている。何も変わらないということだ。
私が病室に入ると開口一番、「もうダメだ」と酸素マスクをつけながら言った。
冷たい娘(私)「ダメだって言っている人ほど長生きなのよ」
父「もう死ぬ」
姉「昨日、死にかけたでしょ」
私「あら、助かってよかったじゃん。大丈夫よ!」
と点滴をさしている腕をたたいてしまった。
父「はれた~~~」と腕を差し出す。

しまった!点滴の針が折れなくて良かった001.gif
というわけで、父の見舞いはシリアスであるにも関わらず、緊張感がない。

なんというか、家族のなかにいると昔から三枚目を演じている私である。
おそらく二番目の子どもというのは、皆の顔色を見て育つせいだろう。
どうにも悲しい性分だ。
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by reem-akemi | 2009-02-15 20:34 | 日記
先週、千葉県O町に住む姉から、父が下血したとの電話が入った。姉は認知症の母と口うるさい父の面倒をずっと見てくれていたのだ。私も弟もそんな姉には感謝している。翌朝早く私はO町を訪れた。私は両親と10年以上会ってない。理由はない。忙しさにかまけて、いつの間にか時間がたってしまったのだ。そんな私に父は電話で、死ぬとき来ても遅いぞと文句を言ったこともある。その言葉が本当になるかもしれない。。。

駅には義兄が迎えに来てくれた。ひさしぶりに見る義兄は目のあたりがぼんやりして見えた(人は年をとるとなぜ目のあたりがぼんやりしてくるのだろう)。この義兄にも10年以上会ってなかったのだ。病院の面接時間は午後からとのことで、デイケアセンターにいる母の見舞いをすることにした。母は毎日9時から4時までそこで過ごすらしい。デイケアセンターは白木の床も美しく、大きな広間に畳とテーブルが置かれ、清潔な感じがした。言ってみれば、ベビーセンターの老人版とでもいおうか。

「あ、あそこにいる」と義兄が指差す方を見るが私にはわからない。兄のあとについていき、ふさふさとした白髪の老婆の前に行き顔を見ると、懐かしい母の顔があった。でも、母の視線の先に私はいなかった。想像してはいたが、なんだかせつない。

次の瞬間、母はケラケラと笑い転げた。義兄が手をヒラヒラさせておどけていたのだ。母も自分も手をヒラヒラさせてニコニコしている。介護士が「Hさんは笑顔がいいのよ。歌も大好きでよく歌ってますよ。テレビで歌番組をすると前にすわってます」。私は母の歌などこれまで聞いたこともなかった。母はずっとニコニコとしている。けれど目が笑ってないので私には単なる筋肉の動きのように思えた(赤ん坊の笑顔も筋肉の自然な動きと聞いたことがある)。
「食事のあとお話しますか?」と介護士が言った。
「え?でも何もわからないでしょ?」
「いいえ、家族の方が一緒にいるだけでも違うんですよ」
そんなものなのだろうか。小さな部屋で待っていると介護士に手をひかれ母が来た。私は生まれて初めて母の顔をまっすぐにじっと見つめた。子どもの顔は子育て中によく見るけれど、親の顔をみつめたことなどついぞない。
「私はあんたの娘よ。わかる?」
しばらくの沈黙のあと、母はぽつりと一言。
「小さいときから好きだった」
「え?!」
それからしばらくたって
「バカだか利口だかわからない」
な、なに???それ、私のこと?!思わず訊ねた。
「それ、私のこと?ひどい!」
母はニッコリするだけだった。認知症って感覚でものを言うらしいけれど、まさに本質的なことを言う。母は私のことをずっとそう思っていたに違いない。なんだか可笑しくなってきた。

「髪は白いけど、眉は黒いのね」
独り言のように私がいうと
「かわいそう?」と母が聞いた。
「ううん」
母は本当に何もわからないのだろうか?とても不思議な感じだった。87歳の母は見た目では70歳代にしか見えない。肌も艶々して皺もなく健康的だ。認知症でさえなければ昔のままなのに・・・。聞き覚えのある声で、「し・ら・ゆ・り」と大きな声で言った。デイケアセンターの看板を読んだのだ。漢字はなんでも読めるとか。自分の名前が書いてある葉書をみつけると「これ、私の」とうれしそうにすると聞き、今度手紙を書こうと思った。昔、母は季節の折々にこまめに葉書をよこしたものだ。筆不精の私はただただもらうだけ。結局、子どもは親に何かをしてもらうことを当たり前と思って生きている。

今、母の瞳の先には私がいる。なぜって母の目に昔のような暖かさを感じたから。それとも暖かい目で相手を見つめると同じように反射してくるだけなのだろうか。いやいや、家族って言葉を越えた何かでつながっているのかもしれない。そう信じたい自分がいる。

30分ほど一緒に過ごしたあと、母は介護士に手をひかれ大広間に向かった。母の意識はどこにあるのだろうか。後姿をみているとせつなさがこみ上げてきた。母が「笑う人」になるまで、長い道のりがあったようだ。お湯をわかそうとしてポットをコンロに乗せて火をつけたり、茶筒にそのまま湯を入れたり、突然「もう帰らなくちゃ」と自宅を出たり、夜中に徘徊したり。。。そして、今、ただただ笑っているだけになった。2歳か3歳の幼児のような母だ。

外に出ると、朝方降っていた雨がやんでいる。車に義兄とともに向かったが、母を抱きしめなかったことを私はひどく後悔した。いつだって私は母の子ども。それ以外のなにものでもない。

父のことは次に書きます。
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by reem-akemi | 2009-02-09 11:12 | 日記

目に黒いものが…

日曜日、突然目の前に墨汁のようなものが広がった。視線を移すと移す先に墨汁のシミが形を変えてチラチラする。じっと目をこらしてみると水面に墨を流したときのように渦をまいている。どうやら右目に何かが起きたみたいだ。

インターネットで検索したら目に黒いものが映るときは「飛蚊症」(ひぶんしょう)か「網膜はく離」の恐れがあると知り、翌日(つまり昨日)眼科へ行く。
「飛蚊症」は眼球の水晶体に混濁が生じたとき網膜にそれが映って蚊が飛ぶように見える病気とか。1時間ほどさまざまな検査をする。眼球に空気が飛んできたり(目の高さを測るそうだ)、スコア内でチラチラ移動するものを視線を動かなさいように見たり(視力の範囲を測るそう)、瞳孔を開く目薬をさし、網膜の裏の写真を撮ったり。。。自分の目の玉を映像で見るのは初めて!!!好奇心の強い私には面白い時間だった(^^)

その結果、医師が言うには「加齢とともに眼球の水晶体が前方に縮んでいくんですが、おそらくそのときに血管をひっぱって出血したのではないかと思われます」とのこと。ゲッ!墨汁が染み出たとき、あれは出血だったんだ!!!。「大量の出血なら目の前が真っ赤になるので、たいした出血でなかったようだし、もう止まっているようなので、しばらく様子を見ましょう。黒いものがもっと出てきたらまた来てください」。ぎょえ~~~。

そして今日も目の前には黒い筋が見える。心なし、色が茶色に見えるのは出血だと思うせいかしら。。。
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by reem-akemi | 2008-12-09 09:19 | 日記

桐野夏生

最近小説にはまっている。桐野夏生を知ったのはYahooプレミア会員の特典でfreeでコミックを見たことから始まる。そもそもコミックというものを見たことがなかった。女の漫画は目に星があり、結婚に憧れ、白馬に乗った王子様を待っている主人公ばかりだと思っていた(男漫画は目に炎があるけど…)。ところが絵のうまさに圧倒され、ストーリーの面白さに夢中になって全編あっという間に観てしまった。観たのは「KIARA」。パリとNYの間で話は展開する。どちらも私の好きな都市。街の空気を思い出しつつ観た。

見終わって久しぶりにワクワクした自分を発見して原作者を検索したところ、ミステリーではかなり有名な作家だった。それが桐野夏生

ワクワクの延長で書店に行き、文庫本の棚で桐野夏生を探す。いろいろあったけれど泉鏡花賞を受賞したという「グロテスク」を購入。本の名前も面白いが、ベースは数年前に起きた東電OL殺人事件。で、私は今、全身悪意に満ちている。この小説、誰もが自分の悪意を研ぎ澄ましているんだもの。自分が否定してきた意地悪な心をまっすぐ見つめて周囲を見回すと、目に映る風景のなんと違うこと!カフェで話し込んでいる男女の話も聞き捨てならなくなってきた。これまで縁がなかった「世間」の面白さに夢中になっている。

これが作家的目線かと、この年になって世の中が面白くなった。小説は評論とまったく違う頭脳の働きがあるような気がする。感性で読んでいるところをみると右脳で読んでいるような。。。これが本当に楽!!!。好きな絵を見たり、映画をみたりするのと同じ快感がある。

これまで社会科学と称されるものを読んできた。それに小林秀雄の爽快感がたまらなく好きで、頭がボーっとしてきたときは鮮明にするために小林秀雄を読む。インターネットでは英文のニュースを読んだり常に思考をめぐらすことに快感を得てきた。

自分の心を真正面から見つめることがなかったのかも知れない。本当は意地悪で批判的でとても嫌味な人間だということを認めるのがイヤだったのかも。もっともそれも一面でしかないけど 。。。

桐野夏生は次にどんな世界へ連れていってくれるのやら…小説は生きるためのオヤツかも知れない。

#Mixiブログと同じ内容です。
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by reem-akemi | 2008-12-05 10:40 | 日記

市民運動を駆逐するもの

この頃再びブログを書きだしたのは理由がある。
ふふ。なんということはない。仕事をやめたから006.gif

仕事をしている間はブログを書く余裕がなかった。ものを考える余裕がなかったというほうが正しいかもしれない。帰宅するのが9時近く、それからあっという間に寝る時間になり、一日が終わる。誰もがそんな生活をしているのだろうが、私は自分の脳みそがツルツルになるような恐怖を覚えた。短時間の判断を求められる仕事のせいだろうか、じっくりと考えることが次第に苦手になってきた。しかもその判断はあらかじめ決められたことを要求に求められて答えるに過ぎない。創造性は皆無の世界だ。

とはいえ、いつもの私の癖で、身近に起きるさまざまなことに疑問を抱いたり、考えたりしていたのも事実。そのひとつに市民運動における「ボランティア」の問題がある。

私は高校時代から何がしかの活動にかかわり、今日にいたっている。自分の活動は自分の生き方の結果であり、誰に求められたものでもない。だから代償など考えたこともなく、自分の時間を社会貢献のために使っているなんて思ったこともない。

ところがいまどきの「ボランティア」は、自分の貴重な時間を社会貢献のために使っていると考えているのではないかと想像する。私と彼女・彼らの違いはなんだろうと思った。
私の根っこには「社会変革」があり、「現代社会」を否定するところから始まるが、彼らの根っこに「社会変革」はあっても「現代社会」を否定するところにはいたってない(と想像している)。
その活動をすることが社会をよくすることと思いこんでいるのではないか。そう。あくまでも「良いこと」をしていると。

考えてみると「市民運動」という言葉こそが怪しいのではないか。。。今は「マルチチュード」というのだったかしら。。。いずれにしても活動を認めてもらいたいとか、ほめてもらいたいとか、何か違うのではないかと思う。

結局、「国家権力」を意識しているのかいないのか。そして、権力の壁を越える勇気があるのかないのか。そのあたりが大きなカギかもしれない。
私は「ボランティア」が市民運動を駆逐するのではないかと危惧している。自分の貴重な時間を社会貢献に生かそうと考えること自体、当事者意識がなさ過ぎるのではないだろうか。
私は私の生存のために活動しているのであって、誰のためでもない。主体はあくまでも私だ001.gif
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by reem-akemi | 2008-10-03 00:35 | 日記

Boris Vian "Le deserteur" 

ある人が「脱走兵」の原詩を送ってくれた。

この歌がシャンソンだということはわかっていたが、一体どの戦争を指しているのか?大統領とは誰のこと?などと考えていた。

が、元歌の歌詞を見てすべてが解けた001.gif。ジュリーには悪いけれど、この訳のほうがずっとわかりやすい。最後もすべて納得できる。そして説得力も十分ある。

以下はその詩。舞台はアルジェリア戦争。。。

■Boris Vian "Le deserteur" ボリス・ヴィアン「脱走兵」
作詞:ボリス・ヴィアン 作曲:ハロルド・ベルク 
 1954年  (訳:村野瀬玲奈)

大統領閣下
お便りを差し上げます
もしお時間があれば
お読みいただけるでしょうか

今、私はちょうど
召集令状を受け取ったところです
水曜日の晩までに
戦争に発てとの命令です

大統領閣下
私は戦争をしたくはありません
哀れな人々を殺すために
この世に生を授かったのではないのです

あなたを怒らせるつもりはありません
でも言わせていただきます
私は決めました
脱走いたします

私は生まれて以来
父が死ぬのを見ました
兄たちが出征するのを見ました
私の子たちが泣く姿も見ました

母はずいぶん苦しみました
今は墓の中で眠っています
爆弾にももう平気です
うじ虫にも平気です

私は捕虜だったとき
私は妻を盗まれました
私の魂も盗まれました
私の愛しい過去さえも盗まれました

明日の朝早く
死んだ年月にきっぱりと別れを告げて
私は扉を閉めて
放浪に出るつもりです

ブルターニュ地方からプロヴァンス地方まで
フランスの街道沿いで
私は物乞いをして生きるでしょう
私は人々にこう言います

服従することを拒否しなさい
戦争をするのは拒みなさい
戦争に行ってはいけません
出征を拒否するのです、と

もし血を流さなければならないとしたら
どうぞあなたの血をお流しください
あなたは偽善者です
大統領閣下

もし私に追っ手をかけるのなら
部下の憲兵たちにはこう言えばいいでしょう
奴は武器を持っていないから
奴に向かって発砲してもよろしい、と
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by reem-akemi | 2008-10-01 18:06 | 日記

沢田研二 非戦を歌う

沢田研二が「ジュリー」と呼ばれていた頃から彼のファンだった016.gif

関西人らしいしゃがれた声とジョーク。美しさと男らしさ。相反することが微妙なバランスでたっている個性。何にもまして惚れたのが、あの長い指。。。Love、Love、Loveと歌いながらL字形に指を開いたときの長い美しい指。。。それでも、20代は美しくても、まだ「ヒヨコ」だった。しかし1990年代、40代も半ばになって、歌の幅が広がり、男としての自信がついた頃が一番すばらしかったと私は思う。その頃の歌はYoutubeでたくさん見ることが出来る。

その彼が先日、NHKに出演して「我が窮状」を歌ったらしい。「窮状」とは「九条」のこと。何気なく聞いていて耳を疑った。歌詞を見ている限りではわからなかったが、テレビから目を離して歌だけを聴いて初めて気がついた。これがけっこう評判になっている。

長いことファンでいながら彼がこういう歌を歌うのを知らなかった008.gif
戦争を拒否して逃げる男を描いた「脱走兵」も1990年代に歌っていた。http://jp.youtube.com/watch?v=UvFKeUXLGjQ
1990年といえば湾岸戦争の頃だ。
「戦争を拒否せよ」「われらは同じ人間だから」という歌詞に思わずうれしくなってしまった。が、難をいえば最後の部分で、「自分を撃て」という言葉はいただけない。これは情緒過多というものだ。軽さを感じる。生意気のようだが、このあたりが限界だろうか。

それでも、こういう人がこのような方法で「非戦」を訴えることに共感を抱くし、素直にうれしく思う。がんばれ、ジュリー!!!
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by reem-akemi | 2008-09-28 01:26 | 日記

「相棒」を観る

2008年05月25日

映画「相棒」を観る。日本映画久々の大ヒットとか。私が行ったのは渋谷の映画館だったけど、400人収容のまぁまぁ大きな映画館が最後には満席となっていることに、まず驚く。

映画のストーリーはあえて書かないが、観終って、私はかなりショックを受けた。すっかり忘れていた当時の衝撃がよみがえってきたからだ。

あれから4年。陸上自衛隊はサマワでの任務を撤収し、今は空自のみが残っている。当時の陸自のサマワでの活動はどうだったのか?日本のメディアがどんちゃん騒ぎをして報道した浄水活動だが塩分が強すぎて飲み水に適さなかったという話も聞く。実際のところサマワの人々の役に立ったのは外務省がフランスのNGOを使って行った給水車を使っての活動だった。当時の国会報告によると自衛隊の給水活動のうちわけは自家使用(自分たちで使ったもの)が46%、ムサンナ州水道局へ49%、残りはオランダ軍へ送っている。

『人道復興支援』との名目で行ったイラク派遣だが、私には陸自の活動は空自の活動を隠すためのカモフラージュに思える。日本政府はアメリカからの要請で兵站活動をしなければならない立場に追い込まれるが、憲法9条を持っているがために、政府は『人道復興支援』という国民の支持を得られやすい方策を使ったのではないかと考える。いったん法律と前例が出来てしまえばあとはそれを維持するだけ。無茶苦茶な理屈もそれを追求しないメディアによって通ってしまう。なんと奇妙な話だろう。今も空上自衛隊はC-130に米兵を乗せて彼らをイラクに送っている。そこは毎日米兵が死ぬ「地獄」だというのに。

それにしてもあの映画がヒットしている理由はなんだろう?200万人の人が見たというけれど皆何を感じたのだろう…。
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by reem-akemi | 2008-05-25 21:21 | 日記
2008年04月07日

しばらくぶりのブログです。

2008年4月5日、九段会館で辺見庸の死刑についての講演が行なわれた。
辺見フェチの私としては、見逃せない(聞き逃せない?)講演。でも、正直に書くととてもがっかりした。辺見庸はここまで落ちてしまったのか…????

あれほど言葉に拘ってきた辺見にしては、言葉が安易で、練れてない。どうしたのだろうかと思う。私は彼の話を聞きながら戸惑っていた。彼の魅力は、誰も使うことのない言葉の豊饒な世界。私は彼の豊かな言葉に憧れ、彼の言葉の意味を深く知りたいと思考し、イマジネーションを膨らませ、言葉の世界に遊ぶことが出来た。それは私にとって幸福な時間でもあった。ところが4月5日の辺見は作家らしくない陳腐な言葉をならべ、安易な結論に人々を導いた。

一体、人は彼に何を望んでいるのだろうか。。。見渡せば熟年世代の男たち、女たち。全国から来ているという。講演についての評判を書いたサイトを読んでみた。誰もが素晴らしいといっている。でも、本当????わかりやすかったとも。

辺見さん、万人にわかりやすい話なんて辺見さんらしくないわよ。

戦後民主主義が作り上げたものが「世間」だなんてことを言わないでほしい。日本社会にただようグレイなモノ、それが何か、過去に貴方は繰り返し言っていた。私たちが逃れることの出来ない日本社会に巣食うものが何か、貴方は知っているはず。

闘うと言ったではないかと私は貴方に言いたい。作家らしく言葉で闘ってほしい。
私は休憩時間に会場を出た。なぜってそれ以上、辺見庸の話を聞くのがつらかったから。

彼は自分が壊れていくのを恐れているのではないか。陳腐な言葉を並べてまとまりのない話をする彼の講演を聞いてそう思った。
辺見庸は最後まで辺見庸らしくあってほしい。。。でも、一方、辺見庸でいることって、とても辛いのだろうなとも思う。だから、辺見庸が辺見庸でなくなったとき、沈黙してほしいと切に願う。
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by reem-akemi | 2008-04-07 15:50 | 日記