毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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カテゴリ:リバーベンドプロジェクト( 13 )

毎日新聞の記事から

2007年06月22日

今朝から電車が止まり学校に行けずPCの前でネットサーフィン(^^)
と、以下のような記事を発見。ところがこの記事には大きな誤りが2ヶ所あった。優秀な明珍さんにしては珍しい。すぐ彼女にメールで連絡したが訂正を新聞が入れるわけがないので私がここで訂正を入れておくことにします(こういうとき署名記事って厳しいわね)。
#それにしてもリバーのブログが評判をよんだのは2004年頃のこと。リバーがバグダッドを出たであろうこの段階で紹介記事を書くなんて彼女らしくない。というか、イラクの状況を書きたいのか、何を書きたいのかよくわからない。恐らく混迷しているイラクの状況をこのブログから読もうと取材したのだろうが、中途半端な記事に終わってしまったと想像する(^^;)

間違いの箇所は
1 >当初、年齢は26歳とあったが詳しいことは明らかにされていない。
  2003年当時、リバーの年齢は24歳。

2 >支援の気持ちを込めて本の印税を贈る計画を立てている。
 リバーの印税は私がこの活動をしていた時点で数回イラクに送っている(2004年刊行分はすべてイラクに送付済み)。この記事を読んでなおかつイラク支援をこの本で行なってくれた人には誤解を招く内容だ。
 もっとも大きな支援はラエドのファルージャ支援に対する寄付。それから、プロジェクトが解散してから行なったのがリバーの友人の遺族に対する支援。この2件はリバーベンドも承知している印税の使い方。
 自分より貧しくて苦しんでいる人がいるのに印税を受け取ることなど出来ないと云ったリバーの意思を受け、その約束を実行できたことは私には大きな喜び。それはこのプロジェクトに関わった人間の誇りでもある。
 メディアは正確に報道してもらいたい。もっとも、取材される側が解散した「リバーベンドプロジェクト」の活動にふれることを拒んだのかもしれないが…。

以下、記事の一部引用
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070619-00000023-mailo-l13
*************************************************************
 ◇バグダッドの「長い悪夢」
 混乱の続くイラクで、一人の女性がつづるブログ(日記風の簡易式ホームページ)が関心を集めている。爆撃や武装集団が横行するバグダッドの現実を英語で発信。さらに日本の女性たちがそれを邦訳して応援している。翻訳チームの一人、公務員の山口陽子さん(43)=品川区=は「イラクの人々の状況に関心を持ってもらえれば」と話す。【明珍美紀】
 「私はイラク戦争前のバグダッドを覚えている。隣人の宗教や宗派なんて誰も気にしなかった」「私たちの生存は尋問でやめたり、夜中に家宅捜索する覆面のグループによって決まってしまう」
 4月26日、約2カ月ぶりに更新されたブログの内容だ。米・イラク軍合同統治下で宗派抗争が激化。人々の生活は困難を極め、バグダッドにとどまることを「長い悪夢」と表現する。
 この女性は米英軍のイラク攻撃が始まって5カ月後の03年8月、「リバーベンド」のペンネームでイラクの現状をつづり始めた。当初、年齢は26歳とあったが詳しいことは明らかにされていない。
 ー中略ー
 「アメリカの犠牲者3000人に対し、イラクの死者10万人以上。そのほか何万人もが拘束され、尋問と拷問にさらされる」(05年9月11日)。
 「イラク戦争の始まりから、3年が経過した。占領と流血の3年」(06年3月18日)――。
 ー中略ー
 「一日も早くイラクに平和が訪れ、彼女に会える日が来るといい」と翻訳チームの女性たちは願い、支援の気持ちを込めて本の印税を贈る計画を立てている。

******************************************************************
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by reem-akemi | 2007-06-22 14:28 | リバーベンドプロジェクト
2005年12月30日

3名が送ってきた内容証明はさておき、出版中止の手紙を受け取った時点でのリバーベンドプロジェクトは存在しないので、残念だがA社に対して受諾せざるを得なくなった。

12月15日、以下の手紙を4名(C、D、F、細井)連名でA社宛に送る。

*******************************************************************

株式会社A 第一書籍編集部
 部長 ○○○様
       
 先日は私たちのために貴重なお時間を割いていただき本当にありがとうございました。
さて、11月27日に受け取りました『バグダッド・バーニング2 イラク女性が語る占領の日々』の出版中止の件ですが、お申し出のとおり受諾せざるを得なくなりました。
 と申しますのは、私たちリバーベンド・プロジェクトは12月8日をもちまして解散したからです。12月2日以降、ML内で話し合いが行われ、お互い同士が譲りあえない時点まで行き、このような結論にやむなく達しました。
私たちにとって、御社との出会いは本当に嬉しいものでした。当時、著者が実在するかどうか不明なブログを出版することは御社にとってリスクになりかねないことであるにもかかわらず、出版を決断された□社長の懐の大きさに感動したものです。ですから、私たちが前作を批判して反省を求めることなどあり得ず、11月25日付のお手紙にそのように書かれてあったことに驚きました。あの本は担当編集者だった◇◇◇◇さんと協同で作り上げたものだと認識しております。
 今回出版中止にいたったことは本当に残念ですが、御社の決断ですので、いたしかたないことと受け止めております。
 
 出版中止ののち、新たな形で「バグダッド・バーニング2」を御社から出版する場合には、元リバーベンド・プロジェクトメンバーであるC、D、F、細井明美、E、B、Gが権利を有するものですので、全員の同意を得てください。 
 御社のますますのご発展をお祈り申し上げます。
           
                     
2005年12月15日
                   
          ○○県○○○○ 細井明美
          ○○都○○○○ D
          ○○県○○○○ F
          ○○都○○○○ C
*************************************************************
11月24日からちょうど3週目のことである。

ながながとブログで書いてきたが、こんなことを書くのは恥ずかしいことだと思う。それでも書いたのは、こんな少ない人数でもいつの間にか組織の中に権力関係が生ずることを知ってほしかったから。

何よりまずかったのは翻訳が一人に集中したこと。チーム作業であるはずが、いつの間にか「私の仕事」になってしまったのではないか?そんな気がしている。
やはりチーム全体のバランスがそこからくずれてしまってきたように思う。

それから、顔を見ないでメールだけで人の気持ちを判断することがいかに難しいか?どんなにインターネットが流行っても人間関係の構築は顔を合わしてするべきだ。

さらに、組織の人事は他から言われることではないので、その意味からいったらA社がしてきたことは余計なお世話。余計なお世話が余計なお世話として見えなかったところに問題があるような気がする。

組織の分裂はよくある話。。。少々情けないが。

最初に書いたが、このことによって信じるに足る友情が残ったことが私にとってはもっとも幸いなこと。

リバーベンドの言葉はどうするのかって?
リバーの感性にあう人が翻訳してくださることを期待しています。

最後にリバーベンドの詩を。
I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...
友よ、ティグリスのほとりで会いましょう。心を癒し魂を甦らせることのできる街、そこはバグダード...

いつかリバーベンドに会える日が来ることを祈って。
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by reem-akemi | 2005-12-30 01:25 | リバーベンドプロジェクト

崩壊の過程ー内容証明

2005年12月29日

12月9日、メーリングリストが消え、私たちは心の重しがなくなって本当にホッとした。憎悪にあふれたメールというのは精神衛生上よくないから。B,E,Gにとってもそれは同じだと思うのだが、そうではなかったようだ。

こんな状態から早く抜け出て新しい出発をしてもらいたいもの。

12月12日、彼女たち(B,E,G)から内容証明が届いた。内容証明は法的拘束力はないが、いわゆる相手への「脅し」として使われる場合が多い。例えば、離婚した相手に慰謝料の請求をするときとか・・・。
たとえ受け取りを拒否しても郵便が配達されたという証明にもなるから正式といえば正式な手紙だが(同じものを3通作成して1通が郵便局に保存される)。

しかし、何度も書くが、法的拘束力はない。
だから、下記のように、自分たちが裁判所にでもなったような書き方に正直当惑した。

***********************************************************************
            平成17年12月11日
○○県○○○○
細井明美殿

      差出人 リバーベンドプロジェクト
           ○○都○○○○
              G
           ○○都○○○○
              E
           ○○都○○○○
              B

冠省 貴殿はリバーベンド基金名義の通帳及び印鑑を保管していますが、当該口座(三井住友銀行○○支店普通○○○○○)の執行についてはプロジェクトメンバーの同意の下に行うことと定めています。
メンバーの同意のない当該口座からの引き落とし等、一切の行為を差し止めます。

今後の当該口座からの執行については上記リバーベンド・プロジェクトメンバーの同意の下に行うように要求します。

また、リバーベンド・プロジェクトは上記のメンバーにより引き続き存在しております。解散したなどという中傷を直ちに止め、既に発表した文章は謝罪文と共に取り消すよう要求します。

さらに、翻訳は著作権法により保護されています。翻訳者の許可のない転載・転用改変等を禁止します。

               早々

      この郵便物は平成17年12月11日○○○号書留内容証明郵便物として差出したことを証明します            牛込郵便局長
********************************************************************

手紙はEが作成(割り印がしてあった)。Bの名前で送られてきた。
中途半端な法律の知識ほどやっかいなものはない。

一体誰に見せるための内容証明であるのか?
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by reem-akemi | 2005-12-29 00:19 | リバーベンドプロジェクト
2005年12月28日

プロジェクトの解散にあたり解決しなければならない問題が3点あった。

1 メーリングリストをいつ閉じるか
2 リバーベンド基金をどうするか
3 バグダッド・バーニングのサイトをどうするか

これらに関して私はプロジェクト内の数人と相談の上、前回のブログに掲載したように処理をすることに決めた。

この処理についてBはDの発言をそのまま使い「私は、細井さんにプロジェクトを解散する権限はないと思います。Dさんの言うように、『個人の出処進退は個人が行うものです』」と書いてきた。
私は一存で決めてはいない。私が相談した人は、この方法しかないと誰もが思っていたのだ。

メーリングリストは、その必要もなくなったので12月8日同日に閉じることにした。

リバーベンド基金を私の手元に置いておくのはヘンなので適当な第三者としてラエドを考えた。彼はリバーベンドとも親しく、イラクにおけるさまざまな人道支援も行なっており、何より彼の実家はイラクでもかなり資産家で基金を生活費に使ってしまうことは考えにくかった。かりに基金をアンマンの銀行においておけばリバーがもし必要なときはいつでも現金化できる。そんなふうに考えたのだ(私はイラクの支援は友人名義のアンマンの銀行に送っている)。

サイトについては、運営主体がなくなった以上存続させることは無責任なので12月10日12時をもって閉じることにした。
そのために保存用ブログを作成。
http://www.geocities.jp/riverbendblog_j/index.html

10日にサイトを閉じるとして、それまでに翻訳を継続したい人がいれば過去ログをダウンロードして新たなサイトの構築をお願いした。
サイトの引越しはよくあることだ。今までのサイトに引越し先をリンクさせておき、飛ぶように設定すればいいのだ。

ところが、12月10日、Gはジオシティのパスワードを変更してサイトをB,E,Gだけの使用にしてしまった。翻訳を続行していきたいのはわかるが、まったく新しいものとして(デザインはそのままでも)出発してくれたらどんなに良かったか・・・。
要するに、彼女たちはサイトをのっとったのだ。
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by reem-akemi | 2005-12-28 00:53 | リバーベンドプロジェクト
2005年12月27日

私はこの泥沼状態に終止符をうつべく解散を決めた。他の方法が何かあっただろうか?今でもそう考える。

だが悪意に満ちたメールはメーリングリスト全体を悪意に満ちたものに変えてしまう。この関係を切ることが一番良いように思えた。

私は批判されるだろうことがわかっていても、「解散」する方向で決心した。リバーベンドの言葉を日本に紹介してイラクの現状を多くの人に知ってもらうために始めた活動だが、その役目は終わったのかも知れない。翻訳はプロジェクトの専売特許ではない。リバーベンドの言葉を翻訳して紹介したい人がいればそれぞれのサイトで行えば良いのだ。

私は以下のようなメールをメーリングリストに送った。

*******************************************************************
リバーのサイトは、2003年11月、SKさんが発見しました。それが本当にイラク女性からの発信かどうか見てくれといわれて見たのがリバーとの出会いです。間違いなくイラクからのものだと確信した私は、これをぜひ世の中に出そうと、同じく西口で活動しているGさん、Dさんに声をかけさせていただきました。数ヶ月たまったブログを翻訳するのには大勢の翻訳者の皆様のご協力が必要です。そこでCさんにご相談し、MLを通してVAWW-Netジャパンに協力を求める方を探していただくようお願いしました。まっさきに声を上げてくださったのはBさんでした。参加されたと同時にBさんは素晴らしい早さでブログを翻訳され、あまりの素晴らしさに感動さえ覚えたものです。

 一方、まだまだ翻訳者が必要と思い、国連関係のNGOなど広く活動されているEさん、アジア女性資料センターで翻訳をされているOさんなどにお声をかけさせていただきました。VAWW-Netからはその後、Fさん、Iさんが参加してくださいました。

皆さんに翻訳をしていただいている間に、岩波書店に出版化の話を持っていきました。まだブログが一般化されていないときのことなので、どれだけ苦労したかは皆さまよく覚えていられることと思います。

A社から話が来たときは本当に嬉しかったですね。

こんなことを書いているのは、皆様に感謝していることを申し上げたかったからです。この2年間、本当に有意義な時間を過ごさせていただきました。皆様とご一緒したこの2年間の活動は幸せな時間でした。出版も出来ましたし、印税でイラクの支援も出来ました。

 これも皆様ひとりひとりの支えがあってのことだと思っております。一人ひとりがそれぞれの部分で活動することの素晴らしさを感じ、この出会いに感謝しておりました。そして、それは今も変わりません。皆様お一人おひとりの人間性の素晴らしさに私は敬服しておりました。

今回の皆様のお申し出ですが、私は7人そろって「リバーベンド・プロジェクト」だと思っておりますし、このような活動はそれぞれの主体性でなされるものと思っております。

 皆様もそうでしょうが、私も、各自の主体性を認められないほどその関係性が壊れているのなら、プロジェクトそのものが崩壊していると思わざるを得ませんでした。

私がこの間MLへのレスが遅れたのは(千葉へ行って留守をしていたことを除いて)、あまりの皆様がたの私への攻撃的な言葉に恐怖を抱いたからです。私はあのような雰囲気の場へ投稿するほど勇気ある人間ではありません。

私は皆様がたと対立する気持ちも、ましてやケンカをしようという気もありません。一緒にひとつのことをしてきた仲間となぜ対立しなければならないのですか?

皆様にとって大切なプロジェクトであると同時に、私にとっても大切なプロジェクトであり、仲間です。こんなふうに決断をせまられることがどれだけ悲しいことかおわかりいただけますでしょうか。

そこで、本当に残念でたまらないのですが、翻訳者の皆様にお声をかけさせていただき、このプロジェクトの礎を築いたものとして、現在の状況を見、それぞれの意志を汲むと、心ならずも解散という選択を選ばざるを得ませんでした。本当に残念なことですが、本日をもってリバーベンド・プロジェクトを解散いたします。

そして、「リバーベンド・プロジェクト」という名前は誰にとっても大切な財産だと思っていますので、この名前を大切に保持していくために、現在所属するBさん、Gさん、Dさん、Fさん、Eさん、Cさん、細井明美の共有の資産として、今後「リバーベンド・プロジェクト」の名前で活動するときは全員の合意をとることにしましょう。

サイトについては皆様優秀な翻訳者ですので、継続して翻訳をしていきたい人がそれぞれリバーのサイトを翻訳していけばよろしいかと存じます。誰が翻訳してもよいということはSさん(リバーから直接翻訳の許可を得ている)から申し受けております。決してプロジェクトの専売特許ではありません。

リバーベンド・プロジェクトというグループが存在しないのに現在のサイトをおいておくことは無責任なので、数日後に閉鎖するとして、この間に、皆様それぞれ過去ログをダウンロードしていただき新しいサイトを作成しましょう。

すでに印税として入っているリバーベンド基金(40万5千円+3万931円)はすべてラエドのアンマンの口座に預かってもらい、リバーが使いたいときに使えるようにしようと思います(リバーにもその旨連絡いたします)。平和になってみんなでリバーに会うことを楽しみにしていましたが、違う形になってしまうことはとても残念です。

私はこれまで皆様との関係において独断専行でものごとを行ってきたことはありません。いつでも皆様とご相談の上、行ってきました。しかし、今回だけは独断で判断させていただきました。これ以上傷つけあうことを避けたいと思ったためです。

私にとって素晴らしい時間を与えてくださった皆様に感謝しつつ筆を置かせていただきます。皆様のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
                              細井 明美
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by reem-akemi | 2005-12-27 00:22 | リバーベンドプロジェクト

崩壊の過程ー排除勧告

2005年12月26日

12月6日のミーティングがどのようなことになったのか?12月7日、Eがまとめて報告をしてきた。

以下、原文のまま。
*************************************************
1.リバーベンドプロジェクト、「バグダードバーニング」のサイトは今後も続けていく。
2.細井さんとDさんには、リバーベンドプロジェクトから抜けていただく。 
3.残った者で、A社から本を出せるように努力する。
4.プロジェクトのメンバーを募り、新しい人を積極的に入れていく。
5.話し合い結果について、細井さん、Dさん、Cさんのご意見を木曜いっぱい待ち、もしも異論がなければ了承が得られたものとし、できるかぎり速やかにA社との交渉にはいる。

これまで多くの貢献をしてくださった細井さんとDさんにプロジェクトから抜けていただくというのはほんとうに心苦しいのですが、これは、A社がそれを要求するであろうという理由からではありません 

問題が発生してから、とくに12月2日以降のおふたりの行動からは、A社や本作りに関わって下さっている方々に対してはもちろん、プロジェクトメンバーへの責任感も誠意も感じることができない、このような方々といっしょに、信頼に基づく対等な関係において協力しつつプロジェクトを続けることは、自分たちには無理だという理由からです。


1.に付随することとしては
 ・MLの管理者権限を細井さんからゆずっていただく。
 ・細井さん、Dさんには、MLから抜けていただく。
 ・細井さんが管理しているリバーベンド基金の通帳と印鑑を、残ったメンバーの管理に移す。
 (リバーベンド基金とはリバーベンドとプロジェクトの印税。すべてイラクの人々のために使うと約束しあっていたもの) 
・細井さんのサイトから「バグダードバーニング」へのリンクをやめていただく。「バグダードバーニング」から細井さんのサイトへのリンクもやめる。
 (「バグダード・バーニング」への私のサイトとは、前作を読んだ人の感想を載せたもので、本屋にあまり置いてないことから、それを見て本を申し込んでくる人もいた。彼女たちは、私へのサイトのリンクをやめると、すぐにA社のサイトにリンクをつなげた。これは今もそうなっているかもしれない) 
・「M」(ある雑誌社の情報誌。私はここにイラク関係の連載を書いている)の記事については、今後は細井さん個人の活動報告を書くものに変更するか、中止するか、どちらかにしていただく。

3.に付随することとして 
★A社に提示する対案
 ・訳者名はひきつづき「リバーベンド・プロジェクト」とする。 
 ・窓口は、Bさん。サブとしてE。一本化といわれているのに二人決めたのは、ひとりだと、漏れや誤解が生じやすいため。相談を密にし、報告も共同で作成することとする。
 ・プロジェクトメンバーから細井さん、Dさんをはずす。
 ・あとがきは、12月1日のリバーのブログ冒頭部を引用し、Bさんがブログについて補足説明する。  (あとがきは私が書いていた)
 ・細井さんが担当してくださったコラム、年表は、(細井明美)というクレジットを入れて残す。この案がA社および細井さんから受け入れられない場合は差し替える。  

★今後のスケジュール 
 話し合いに参加されなかった3人の方からの意見を木曜いっぱい待ち、金曜日にML上で話し合いをしてA社に持っていく文書を作成。
 できれば土日に、△△さんに謝罪とともに対案を手渡し、話し合うことができるよう、時間をとっていただく(連絡はBさんがする)。

****************************************************
想像したとおり、「排除勧告」をしてきた。

この勧告に対してCが「新しい組織をつくって新しい出発をなさると解釈します。《略》新たな組織には参加しないことにさせていただきます」といわば脱退宣言を書いたところ、Bから「そう解釈なさるのは仕方ありません。《略》こちらこそ、これまでたいへんお世話になりました」と。これ以降Cからの投稿はなくなった。

またFから「プロジェクトを解体するという犠牲を払ってまでA社から出す意義があったかどうか、迷っています。」との投稿があった。
Fは私とDの意見を聞かないで排除勧告を出していいのかどうか迷っていたのだ。

それに対してBが「天皇の戦争責任を問う人々に対し、『陛下の苦しいお気持ちを考えて云々』、『陛下も苦しまれたのだから云々』とはたから言うのと同じ構図のような気がします。」と言うにいたっては言葉を失った。

Dから「このかんのMLをまとめて読んでみると、プロジェクトのメンバから細井・Dに『排除の勧告』が出されている。『意見を!』と言う一方で、細井・Dを天皇や日本政府にたとえ、同じような意見を言うひとを『天皇もかわいそうと言うひと』だと断罪したりしている。少しでも細井・Dのかたを持つ物言いをするひとにはすぐさま反撃が加えられる。《略》プロジェクトはひとがつくるもので、会則とか綱領がある組織とは違い、基本的に合意のもとに物事を決めていくものです。その原則がなくなったら崩壊です。リバーベンド・プロジェクトは実質的に崩壊していると思います。」との投稿があった。

私は仲間への「排除勧告」が出た時点で、このプロジェクトは終わったと思った。
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by reem-akemi | 2005-12-26 00:27 | リバーベンドプロジェクト
2005年12月23日

12月3、4日はこの問題を保留して旧友と千葉でのんびりとした時間を過ごしていた。

帰宅してPCをあけると私に対するすさまじい攻撃が始まっていた。

まずBが2日の報告を簡単に行っていた。その後、Eが詳しい報告を投稿してきた。社長の言葉から何から実によく記憶していて、私は彼女の記憶力のよさに感服した。ただし、編集上の問題点について話をさえぎられたことには触れていなかった。

二人は2日についてどう思うかということを繰り返し聞いてきた。

私は不在をしたことをわびてから、PCをあける時間が少なくて連絡が遅れた場合はごめんなさいと投稿した。
どういうわけか、このメールにEが怒りを表してきた。責任をとれと言いたかったのだろう。

そして二人は謝罪文をメーリングリストで公開せよとせまってきた。

#[メーリングリストとは、メールを投稿するとそこに参加している全員が同時に見ることが出来るシステム。私たちはリバーベンドの翻訳を日本語サイトにアップするための作業用メーリングリストを作っていた]

トゲを秘めたメールの渦の中に自分の身を置くほど私は勇気のある人間ではない。
そして、今しばらく何が起きているのかをじっくりと考えてみたかった。答えを探していたと言ったらいいかもしれない。

Bは自分と細井の対決ではないと言いながら過去メールを貼り付けて私に対応をせまってきた。

12月5日(つまり私がレスをしてから1日経過しただけである)
Eは、私が無視をしているとして、「もうプロジェクトのメンバーに対して、応答する気持ちを持っていないことがわかりました」と書いてきた。

Eは、私がFにメールを送ったことにも触れ、なぜGにはメールを送らないのかと問い詰めてきた(私が誰にメールを送ろうと私の自由ではないだろうか?)。
そしてそのメール(個人宛)の公開をせまってきた(なぜ個人メールをメーリングリストに公開しなければならないのか?私には甚だ疑問)。

さて、急なミーティングが6日にBの申し出で行われることになった。

12月5日の深夜(正確には6日の1時頃)、Eが「細井さんがプロジェクトにかかわっている限り、本を出すことは難しいのではないかと思う。リバーベンドが人間の信頼関係を大事にしていることを考えると、信頼関係を踏みにじることをなんとも思わない人が、リバーベンドプロジェクトにかかわるのはおかしいのではないのかとも思う」と書いてきた。

2日間レスをしなかったら信頼関係を損ねたと二人は書いてきたのだ。なぜか私はゾッとした。
A社から出版中止の手紙が来たとき、これは名誉の問題だと大騒ぎしたのはBだ。A社が信頼関係を損ねたといえば彼女たちも同じことを言う。

12月6日、ミーティングの日。Dはメーリングリストに欠席の連絡をしようとしたがメーリングリスト内のすさまじさに投稿をためらった(Cはすでに欠席を連絡していた)。私はすでに連絡をする気もなくなっていた。
私もそうであるが、私たちは彼女たち(B、E)のメールが着くたびに吐き気がしていた。

Gが昼頃「このまま黙っていた場合は全件委任(原文ママ)されたと判断します」と書いてきた。(全権委任!!)

黙ってみていたら、あれよあれよと言う間に私とDを「排除」する方向に流れていた。理由はレスをしなかったというだけのことである。ミーティングの結論は出席せずとも見えていた。

A社から出版することが最大の目的だったのだろう。そのために3人(B、E、G)はA社の言っている「対案」-私とDを排除するという結論ーに向かって進んだ。
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by reem-akemi | 2005-12-23 00:41 | リバーベンドプロジェクト

崩壊の過程ー11月24日

2005年12月20日

最終校を受け取って、私たちのチームのMLは騒然となった。なぜならBが行ってきた確認事項の重要な部分がなされていなかったからだ。

つまり、「原文どおりの行替え」と「小見出し」について私たちの意見は通らなかった。

# Bは11月4日に以下の約束を担当者と行ってきた。
(1)注はすべて脚注に
   ただし、ごく短いものは文中に(例えば、「国務長官」など。数はごく少ない)。URLは長いので、やむをえず文中にいれる。
(2)「弟」は、「E」に。
   ただし、各章初出は「弟E」とする。
(3)引用文は、「 」。
   字体は変えない。
(4)発話の「 」は改行せず。
(5)原文にない行替えは行わない。
  ただし、2頁以上にわたって行替えがない場合は、読みやすいように入れる。
(6)小見出しは、目立たない形で入れる。
   目次にも小見出しを立てる。
(7)「コーラン」は「クルアーン」に
   ただし初出で注書き
(8)同じ日付でポストが2件あった場合、先にポストされた方を先に。(ウェブ上とは反対)

責任感の強いBは、担当者にまとめて私が報告する約束であったのをすっかり忘れて、自分ですぐさま連絡をした(この時点で、Bはチームの窓口を自ら降りていた)。Bは繰り返し「裏切られたような思い」をMLに投げてきた。誰も彼もがっかりしたメールを投稿してきた。

私はといえば、この本は自分たちがつくったものではないということをおぼろに感じていた。

11月23日、私とC、Dで全員のチェックの結果をまとめる作業を行った。最終校といいながらあまりに直しが多かった。例えば、私が書いた原稿に関して言えば校正で削除したはずの箇所がそのまま残り、それに追加訂正した部分が加えられているという状態だった。

目次も文字が入っていず未完成のままであった。何より表紙が出来ていず、本全体のイメージが何もつかめなかった。

11月24日、私とB,DはA社へ訂正したゲラを持参した。Bから一人では心もとないので一緒に行ってくれと頼まれたこともあるが、11月4日の確認をとるためでもあった(改行と小見出しの件)。

はじめにBが「私の意見ですが」と話を切り出した。「改行」、「小見出し」、「英語の詩の文字」などについて次々と途切れることなく30分以上話したであろうか。担当者はじっとそれを聞いていた。私とDも。

話が一段落したところで私が「話をひとつずつ詰めていきましょう」と声をかけた。Dが「行替え(改行)」について「リバーベンドプロジェクト全員の意向ですが」と切り出した。「改行」については原文のとおりにするという話ではなかったでしょうかと聞いた。すると担当者はそれについては11月7日にBさんあてにメールで連絡をしていますとの返事。
担当者にとっては私たちの意見は考慮の対象にすぎないことがこのとき初めてわかった。それをするかしないかは編集者の裁量の問題だということ。

「小見出し」については、原文とは違うものだということをはっきり表記しようと、Dが自らの考えを示した。この考えには賛成だ。彼女は、コラム・目次も同じような考えで処理をしていくことを提示した。
これはすべてデザイン上のことで簡単に処理できることと私たちは考えていた。

結局、私とDは11月4日にBが決めてきたことを確認しただけである。

しかし、この話し合いが順調だったとは言わない。なぜなら担当者の基本的な編集方法である「5~6行で改行。長くても10行で改行」に対して「原文どおり」を押し通したからだ。と言っても実際それほど長い文章はめったにあるものでなく、あったとしても2、3ヶ所ほどだろうと私は考えていた。
が、話しあいの過程で、担当者から「もう良い本が出来るとは思わない。これは特殊な本とみなす」という発言がなされたのには正直驚いた。担当者からみたら編集権限を侵されたように見えたのかもしれない。

どんな本が出来るのか私にはまったく想像ができなかった。また、そんな本を前作のように自分で抱えて売ろうという気も起きなかった。

可哀そうな本・・・。

私はその夜、中途半端な気持ちのままでブログに向かった。出来るであろう本に責任がもてないことをなんらかの形で著しておきたかったのだ。
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by reem-akemi | 2005-12-20 13:36 | リバーベンドプロジェクト

崩壊の過程ー齟齬

2005年12月19日

8月15日、私は編集担当者へ今までのサイトをダウンロードし、Wordに変換、日付順にしてE-mailで送った。少しでも作業が運びやすいようにと配慮したのだ。

担当者から私たちへその元原稿が送られてきたのが9月2日であった。送られたのはBである。BはさらにそれをCに送り、C が最終的な翻訳のチェックを行った。原文と突合せをするため、これはかなり大変な作業だ。
最終的には9月中旬にはA社へ原稿を戻す(これを編集担当者は初校だと思い、私たちは原稿だと考えていた)。

当初の予定では10月はじめに校正、中旬には印刷所に渡す予定であった。

編集担当者から再校チェックの連絡が来たのは10月12日。結局、なんやかんやとチェックの日は10月22日と決まった(担当者はこれを二校だと思い、私たちは初校だと考えていた)。
チェックはA社の編集室で行われ(土曜日なのでA社は休日)、担当者はあいにく用事があるとかで当日は留守を預かっているらしい男性が一人いただけだった。
私とDが行ったときにはゲラ・元原稿・原文の用意もなく、留守の男性に担当者の机にあったゲラを探してもらい、それをチェックすることにした。元原稿がないので、とりあえず私が用意していったWord版を見ながら作業を始めた。原文は急遽PCからプリントした。

ゲラを見てひっくりかえるほど驚いた。長い文章は3つほどの段落に別れ、編集上つけた小見出しが元々原文にあった見出しと同じレベルで掲載されている。これでは何がなんだかわからなくなる。
私はリバーベンドのブログがズタズタになっていることに茫然とした。

この日、担当者から電話がはいるのを待ったが、連絡はなかった。

10月24日、原文を大切にしたいという私たちの考えとあまりに違うので編集担当者と打ち合わせをするべくA社へB、Eと行く。「小見出し」はリバーベンドの思いをすくいあげるひとつの方法だという担当者に、そのような方法もあるのかと聞きながら、それが順当かどうかは私には判断できなかった。

10月28日、全員が書き込んだゲラを1枚に書き写す作業をB、Eと行う。BがこのあとCとそのゲラを見ながら最終的に判断するとのことだったが、赤や黒やらの文字が入ったゲラは確かに見にくかった。
10月30日、赤やら黒の入ったゲラをCがチェックする。

一体、この作業はなんだったのだろう・・・。

11月4日、Bが訂正したゲラをA社へ持参する。

11月7日、BからA社との打ち合わせ報告が来る。本来なら持ち帰って私たちと議論してから決定するべきことを独断専行(彼女の表現による)で決めてきたことに驚いた。原稿のほとんどが彼女の翻訳だから自分の原稿に対して責任を取ったのだといわれればそれまでだが、私はチームで作業をしていることを忘れてほしくなかった。

11月22日、最終校がA社から送られてくる。印刷所に渡す3日前であった。
最終ゲラには次のような手紙がそえてあった。

05・11・21

翻訳者のみなさま

お世話になっております。
再校ゲラが出ましたので、お送りいたします。
このゲラは、すでに皆様に見ていただいたものをCさん、Bさんに集約していただき、さらに改行や小見出しなどについてはBさんを窓口としてご相談させていただき、そのようにいたしました。

したがって、1.すでに合意をいただいた上記段階までの点についての変更は現段階ではできません。 2.ページがずれてしまうような直しはできません(そのページ内で調整できる直しのみとなります)。

つまり基本的に誤字・脱字、年代や事実の間違いなどのチェックをお願いすることになります。とくにBさんが訳された部分については、誤字など以外の直しについては、たとえ同ページ内の直しであっても修正を入れないでください。Bさんのほうからその旨のご要望を受けていますので。なお、小見出しのデザインについては、私のほうで最初「小さなゴチックで本文の下側につけるように」と指定していたのですが、デザイナーおよびアートディクレターより、「それだと逆に目だってしまう。目立たないようにということなら、本文とまったく同じ書体を使って、下側などに持ってこないほうが良い」というアドバイスがありましたので、この形になりました。

後略

A社   ○○○○
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by reem-akemi | 2005-12-19 23:56 | リバーベンドプロジェクト
2005年12月18日

私がどのような本をイメージしていたのか?

チームの人がそれぞれ自分のイメージを持っていただろうが、(もちろん編集担当者も)、とりあえず私のイメージを書くと、E.W.サイードの「戦争とプロパガンダ2ーパレスチナは、いまー」(中野真紀子訳 みすず書房)のようにさりげなくそれでいて平和へのメッセージを強く訴えるような本であった。

この本はまずのっけから改行なしで21行進む(はじめの章は「パレスチナに芽生えるオルタナーティヴ」)。次が19行。1ページを越えて改行なしだ。

私は今回の問題が起きるまで「改行」とか「章」をそれほど意識していなかった。書き手の「息」もそれほど考えていなかった。改めて手持ちの本でそれぞれの本の構成を見て、明らかに時代が変わってきたことを知った(それでも頑固に変えていない出版社もあるが・・・)。

この5月にアメリカで『○○○○○』の英語版が刊行された(もともと英語サイトだったから編集が楽であったろうが)。それが今回ルポルタージュ文学賞ユリシーズ賞に入賞した作品だ。
それをアメリカで入手してみたとき、イラク戦争の背景・歴史がきちんと解説されており、その親切なつくりに感心した。

その経験から、今回の本にはぜひ解説を入れようと考えていた。イラクの歴史に詳しい専門家といえば酒井啓子さんをのぞいていない。しかも酒井さんがイラク民衆の味方であることは書かれている内容からつねに推し量られた。そんなこんなで、私は酒井さんに本の解説をお願いするE-mailを送った。素晴らしいことにすぐに返信が送られてきて、「解説」を書いていただくことになった。

本の帯文は、池澤夏樹さんを考えていた。私は彼の簡潔で品の良い文章が好きだった。それよりも何よりも2003年戦争前に刊行された「イラクの小さな橋を渡って」(光文社)に書かれたイラクおよびイラク民衆への気持ちに惹かれていた。
池澤さんにもE-mailにも送り、快諾していただいた。

これはリバーベンドの文章の力のおかげだと私は思っている。酒井さんも池澤さんも本当に素晴らしい人たち。心の底から感謝している。

写真は私が尊敬する(まだ若いが)桑原茂さん。彼とはヨルダンのアンマンで会った。ちょうど日本人人質事件で騒然としていた頃だ。高遠菜穂子さんのことが心配でアンマンに行っていた私にインターネット・カフェで声をかけてきたのが桑原さん。彼はその頃シリア大学でアラビア語を勉強しながらイラクに入る機会をねらっていた。
私は、この本のページに写真を掲載することで彼の仕事が広がりますようにと願っていた。

私の想像では、かなり上質な手元に残しておきたい本が出来るはずであった。
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by reem-akemi | 2005-12-18 12:11 | リバーベンドプロジェクト