毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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2005年06月30日

日本山妙法寺ニユーヨーク道場は築100年のアメリカンハウスだった。そこへ1ヶ月間お世話になりました。地下室つきの3階建て。すなわち4フロアの家。裏庭にはリスが住む大きなメープルの木。私はその家の3階の一室に陣取って、気分は赤毛のアンでした。

地下室にはバカでかい洗濯機と乾燥機があり、しかもこれがお湯で洗う。なんともったいない(?)

でも、乾燥機は天気の悪いときだけ使い、普通は裏庭にある洗濯紐にズラッと並べるのがいつものやり方。ヒラヒラとゆれる洗濯物をながめながら上を見ればきれいな青空が・・・。

生ごみは料理をするたびに庭のコンポストに入れる。台所はおかげでいつも清潔。私はそれが気にいった。なんて合理的なんでしょうと。
コンポストは2つあり、交互に使用しているようで、およそ2/3までゴミがたまっていた。ヘンな臭いがするかと思いきや、まったくそれがなく、快適そのもの。

帰国してから庭にコンポストを置くことを決め、インターネットで英国製の200リットル入りを選んだ。日本製では大きいのはあまりなかったから。

数日してコンポストが到着するやいなや、庭に設置し、庭の大掃除を始めた。悩みの種だったバラの枝をぼんぼん詰め込んだが、200リットルの威力はすごい!まだまだ入るので今度は台所にあった生ゴミも放り込む。

翌日、なんとなくゴミ臭いような気がするので、インターネットで「生ゴミ処理機」を検索すると失敗談が山ほどあった。そうか!皆さん、臭いと虫で挫折しているのか。
バナナの皮を入れたら子バエはもちろん背中にスジのある大きなハエがブンブンと飛んでいる。う~む、ハエの入り口をガムテープで閉じることにした。

土を入れることも大切らしい。スコップを買ってきて、エンヤコラと土を掘っては放り込んだ。
その上にEM菌を入れ様子をみることに。

次の日、刺身のツマの大根、野菜くずを入れ、その上にクサミノン(発酵促進剤)をふりかけ蓋をする。毎日理科の実験をしているようで面白い。

2~3日するとゴミの分量が減ってきたので上からスコップで押してみた。うんうん、良い具合かもしれない♪
今のところゴミ臭くないし、ハエも来なくなった。
さぁ、暑い夏を迎え、これからどうなるか?
今年の楽しみのひとつになった。
コンポストーNY生活の影響日本山妙法寺ニユーヨーク道場は築100年のアメリカンハウスだった。そこへ1ヶ月間お世話になりました。地下室つきの3階建て。すなわち4フロアの家。裏庭にはリスが住む大きなメープルの木。私はその家の3階の一室に陣取って、気分は赤毛のアンでした。

地下室にはバカでかい洗濯機と乾燥機があり、しかもこれがお湯で洗う。なんともったいない(?)

でも、乾燥機は天気の悪いときだけ使い、普通は裏庭にある洗濯紐にズラッと並べるのがいつものやり方。ヒラヒラとゆれる洗濯物をながめながら上を見ればきれいな青空が・・・。

生ごみは料理をするたびに庭のコンポストに入れる。台所はおかげでいつも清潔。私はそれが気にいった。なんて合理的なんでしょうと。
コンポストは2つあり、交互に使用しているようで、およそ2/3までゴミがたまっていた。ヘンな臭いがするかと思いきや、まったくそれがなく、快適そのもの。

帰国してから庭にコンポストを置くことを決め、インターネットで英国製の200リットル入りを選んだ。日本製では大きいのはあまりなかったから。

数日してコンポストが到着するやいなや、庭に設置し、庭の大掃除を始めた。悩みの種だったバラの枝をぼんぼん詰め込んだが、200リットルの威力はすごい!まだまだ入るので今度は台所にあった生ゴミも放り込む。

翌日、なんとなくゴミ臭いような気がするので、インターネットで「生ゴミ処理機」を検索すると失敗談が山ほどあった。そうか!皆さん、臭いと虫で挫折しているのか。
バナナの皮を入れたら子バエはもちろん背中にスジのある大きなハエがブンブンと飛んでいる。う~む、ハエの入り口をガムテープで閉じることにした。

土を入れることも大切らしい。スコップを買ってきて、エンヤコラと土を掘っては放り込んだ。
その上にEM菌を入れ様子をみることに。

次の日、刺身のツマの大根、野菜くずを入れ、その上にクサミノン(発酵促進剤)をふりかけ蓋をする。毎日理科の実験をしているようで面白い。

2~3日するとゴミの分量が減ってきたので上からスコップで押してみた。うんうん、良い具合かもしれない♪
今のところゴミ臭くないし、ハエも来なくなった。
さぁ、暑い夏を迎え、これからどうなるか?
今年の楽しみのひとつになった。
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by reem-akemi | 2005-06-30 23:24 | 日記

Green 共和国

2005年06月29日

私は女性8人とリバーベンドプロジェクトという翻訳集団を組織している。これはリバーベンドというイラクに住む女性が発信し続けている「バグダッド・バーニング」なるサイトを日本語に翻訳して多くの人にイラクの状況を知ってもらおうと立ち上げたものだ。

今までアクセスしてきた人は18万以上。特にアクセスが多かったのは昨年の4月、イラクでの人質事件があったとき。次は自衛隊の派遣延長が決まった12月。

人々が数少ないイラクの情報をここから求めようとしていることがよくわかる。これは日本だけでない。アメリカでも同じようなことがいえる。googleで検索するとイラクの最新情報としてバグダッド・バーニングが引用されている。

この6月21日にアップされたものを読むと、バグダッド市内にあるグリーン・ゾーンは、いまや街の中の「街」に変貌しつつあるようだ。
#グリーンゾーンを知らない人のために説明すると、2003年秋ごろからパレスチナホテル・バグダッドホテル・ラッシドホテルを中心に米軍はパレスチナにあるようなコンクリートの壁を建設した。この3ホテルは米軍およびアメリカ企業が入っている。これらを守るために建設した壁は日を追うごとに増殖し、今ではバグダッド市内を分割している。イラク人は分断されたバグダッドの町を行き来しているのが現状だ。

グリーンゾーンの中はアメリカ大使館、アメリカ企業に働く人々のための住居、スポーツジム、ガソリンスタンド、電気・水道(イラク市民には十分支給されいない)が完備しているという。

これをリバーはグリーンゾーン共和国と言っている。イラクの中のバーチャルなアメリカだ。
リバーがバーチャルと云いたい気持ちはよくわかる。誇り高いイラク人にとって、自分たちの街に他国が出来ることが納得できないのだろう。

でも、私は思い出す。
子どものときに郊外の米軍基地を見たときの衝撃を。緑の芝生と瀟洒な家。広大な敷地にアメリカ人の家は建っていた。それが日本人を追い出して出来た場所だとは思いもしなかった。。。

一方テレビではアメリカの豊さ(大きな冷蔵庫、大きな家、コリー犬などなど)を放送していた。
正直に書くと私は豊かなアメリカに憧れを抱いていた。

60年たって米軍は日本の土地から出ていっただろうか? No! 日本政府は予算をつけて米軍基地を日本においている。

他国の軍隊が自分の国にいる異常さをリバーは指摘しているが、予算をつけても米軍基地を存続している日本のことを知ったらリバーはなんというだろう。。。
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by reem-akemi | 2005-06-29 12:42 | iraq

共謀罪って?

2005年06月28日

ついに共謀罪が審議入りするという。

共謀罪については以下のURLを参考にしてね。

http://tochoho.jca.apc.org/20050624aaa.html

これで冗談もいえない社会がやってくる。なんでそんなギクシャクした社会にしたいのだろうか?

誰かが日本は官僚社会主義の国だと言っていたが、本当にそう思う。しかもこの官僚たち、ゲームの世界と混同しているのじゃないだろうか。
「おい、あいつ生意気だからなぐっちゃおうぜ」と仮に誰かに言ったとする。相手が「そうだな」と同意しただけで、傷害の共謀罪となるわけだ。

暴力はよくないけれど、冗談まじりに言うことだってあるだろう。世の中ってそんなもんだ。
ところが、これからはそんな冗談はきかない。これってヘンだと思わない?

そんなヘンなことが私たちの知らない間に国会でどんどん決まっていく。自分の首をしめるような法律は作るべきではない。何のためにそんな不具合な法律を作るのだろうか?

法律って、そもそも私たち国民が生活していくために決めたルールで、官僚の言葉遊びでないことを法務省・政治家の皆さんは肝に銘じてほしい。決して国民をしばるものではなく、より安全に生活するためのルールだということを。

この法律は4回目の審議入りだという。自民党政治家というのは一体何を考えているのだろう?
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by reem-akemi | 2005-06-28 22:42 | 政治・経済・国際情勢

ニューヨーク まとめ

2005年06月27日

帰国して1ヶ月。何が自分に残ったのかを毎日考えている。人間関係?そうね、それもあった。

1995年に北京へ行って戦争責任の問題を突きつけられてから10年、ニューヨークへ行って私の戦争の旅が終わったことを予感した。生意気にも見るべきものはすべて見たような気がしていた。
この間、アウシュビッツ、ベトナム、アフガン、イラク、沖縄に行き戦争の跡を私なりに見、戦争が残したものは何か?そして戦争の傷を回復するにはどうしたらよいのかと模索し続けた。

若いときから一番関心のあったことは、人は絶望の淵からからどのようによみがえるのかということだった。絶望の中で人間らしく生きていくにはどうすればいいのか、そんなことばかり考えていた。

中学生のときに「俊寛」の話を読んだのがきっかけかもしれない。もし自分が離島に流されたら一体どのように生きるだろう。私には俊寛の孤独と哀しみが恐ろしかった。想像ばかりしていたから周囲はヘンな子どもと思ったに違いない。

戦跡をめぐることは恐ろしい。なぜそんな目にあわなければならないのか。「理不尽」と「不条理」がいつもつきまとう。それに加えて「迫害」と「差別」をも傷ついた人々に襲い掛かる。
アフガンで見たものは、その4つがすべて同時進行する女性たちの姿だ。

私はいつの間にかアメリカを憎んでいたのかもしれない。60年間他の国を侵略し、殺し続けるアメリカという国を恨んでいたのかもしれない。

でも、ニューヨークに行って、劣化ウランがアメリカ内部の深刻な問題だと知ったとき憎しみが解けたような気がした。なぁーんだ同じじゃない・・・。

なぜか、もうどこも行きたくなかった。

私は10年たって自分の生活を振り返ってみた。「生活者」としてバランスの悪い自分がいた。グルッと回って元に戻ってきた感じがした。

もしかしたら、戦争の旅で得た最大の成果は、平凡ではあるけれど、「日常」が何よりも大切だと知ったことかもしれない。
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by reem-akemi | 2005-06-27 18:35 | NewYork
2005年06月23日
5月20日、ニュースクールの展示が終わってタイムズスクエアにかけつける。

すでにリクルートセンターの前には大勢の人がいた。ここからどこへ向かってデモに行くのだろうかという疑問はすぐに解けた。
リクルートセンターの前を皆でグルグルと回るのだ。こんなデモは初めて!

50人くらいの人たちがそれぞれバナーを持ってグルグル回る。これが結構目立つ。通りにいる人たちはじっとこちらを見ている。

ピンクの迷彩服のお姉さんがやたらと元気が良い。

デモは学校からリクルーターを追い出そうというものだった。兵士が不足しているアメリカでは高校に米軍のリクルーターが出入りして、まるで就職のように兵士を採用している(命をかけた仕事だ)。
生徒の個人情報がすべて軍に行っているとの情報もある。

というわけで、バナーもそんな具合だ。
「私たちの息子はイラクで人を殺さない」なんて。

やっぱり自分の言葉でデモをしたいので伊藤さんにニュースクールにあるイラクの写真を持ってきてもらう。

1時間ほどたってから写真が到着。イラクの医師が撮った劣化ウランの体内被曝により生まれた子どもたちの写真ー鼻がふくらんだり、目が飛び出たり、おそらく多くのアメリカ人が知らないであろう劣化ウランの被害ーを掲げて歩くことにした。

そこへ一人のヨルダン人が声をかけてきた。
「もっと目立つところでやろう」
私を横断歩道のところへ連れていく。
「疲れたら代わるから」とウインクをした。

三角州の横断歩道は通りに行くために多くの人が信号待ちをしている。
そこへズラッと皆で劣化ウランの子どもたちの写真を掲げた。
写真を見る人々の顔!凝視する目、目、目。

目の前にいた警官がウンザリした顔で目をそむけた。でも、彼は制止することなく黙っていた。

信号が青になるたびに人が入れ替わり、凝視する目がたくさん私たちの写真に集まった。

一人の中年の女性が「あんたたち良い仕事してるわね。私も手伝っていい?」と聞いてきた。
もちろん!
女性は写真の前に立ち、大きな声で劣化ウランの説明を始めた。
「これはアメリカ軍の化学兵器の結果なのよ」

うわぁ、素晴らしい!
後ろではベトナム帰還兵なども混じり
「Iraq for Iraqi!」(イラクはイラク人のもの)
などと言っている。
久しぶりにエキサイティングな時間だ。

通りを歩いていた紳士がデモに参加する。

タイムズスクエアは9・11のあと、亡くなった人たちの名前が掲示されていた場所だ。その意味でもここでデモをするのは大切なことなのだ。

グラフトンの妙法寺の尼さんは今回も国連前で一日中、平和を祈って勤行をしているが、9・11のあとやはりここで祈っていた。気がついたら彼女の後ろにたくさんの人が座って、やはり同じように祈りを捧げていたという。

平和、祈り、平和・・・。
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by reem-akemi | 2005-06-23 23:55 | NewYork

タイムズ・スクエア

2005年06月22日

5月19日、展示が終わってからタイムズスクエアに行く。タイムズスクエアはブロ-ドウェイミュージカルの劇場が周囲にあり、観光客で一日中にぎわっている。ちょうど渋谷のような雰囲気の街だ。

通りと通りの真ん中に中州のような三角地帯があり、横断歩道が両方にわたっている。
ちょうど中州の突端に米軍のリクルートセンターがあり、大きな映像でハリウッド映画さながらの宣伝映像を流している。

さて、その米軍の前で傷ついたイラク人の写真を持って反戦スタンディングをしたいと以前から考えていた。19日にはそれを実行にうつすことにしたのだ。リクルートセンターには監視の兵士がいた。
でも、それをしなければ頑張っているイラク人に自分も頑張ったといえないような気持ちだった。
思い切っておなかに包帯を巻いた(傷でおなかがえぐれている)イラク人の写真を広げた(ちょっとドキドキ)。すると23歳のAちゃんも広げたのだ。
私たちは二人で「ね、早く写真撮って」と叫んだ。

「僕、知らない」とはS君の言葉。
「私にはとても出来ない」とはTさんの言葉。

米軍の兵士によってどれだけ多くのイラク人が死んだか。。。
兵士を募るリクルートセンターなど、あってはいけないのだ。
「私は戦争に反対です」
心からの叫び・・・。

その日、妙法寺(1ヶ月間ニューヨークの妙法寺にお世話になっていた)に戻るとI上人が明日(5月20日)はマルコムXの誕生日だという。
IACからマルコムXの誕生日にちなみタイムズスクエアでデモを予定しているという。

マルコムXに引かれている私としてはここで参加しなかったら女がすたるというものだ。
(かなりミーハーになっている)
一にも二にも参加すると発言。マルコムXを知らない若い連中はちょっと引き気味。

まぁいいや。一人でもデモに行こう。
私の心は決まっていた。
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by reem-akemi | 2005-06-22 23:52 | 日記
2005年06月19日

5月16日、J・F・ケネディ空港にやっとイホネットの仲間たちが着く。長旅に疲れただろうけれど、展示会場を見るべくマンハッタンへ行く。
ニュースクール、ユニオンスクエアに行くことで全員やっと具体的に考えることが出来たようだ。こればっかりはそうだと思う。

5月17日、国連NGOへ宣伝に行く者、写真の準備をする者、各自各様に動く。
私もチラシを500枚増刷りする。

5月18日 いよいよ展示。どのくらい人が来るかな?開始時間になったので、全員そろってエスカレーターの前にならんだ(ちょっと可愛いよね)。
そこへ友人Iさんに紹介されたKさんが来た。彼女はニューヨークの大学に農業の研究で来ていた。
ポツポツと人が訪れ始めた。

IAC(インターナショナル・アクション・センター)のイラク人がやってきた。彼はファルージャに親戚がいるという。アメリヤ・シェルターの写真を見つけるとそばにいたアメリカ人に説明を始めた。
湾岸戦争のときに起きたアメリヤシェルターの攻撃はイラク人にとっては決して忘れることの出来ない事件だ。
「日本人がこういうことをやってくれて嬉しいかぎりだ」

そうそう、高遠さんの手書きポスターの素晴らしさを書かなければ。。。
アメリカ人の目をひくように漢字で書こうということになり大きく「愛」と油性マジックで書く(次の日、フィリピンの彼女はそのポスターを撤去して印刷したものに変更するようにと言ってきた・・・。手書きを個性があっていいと私たちは思うけれど、そうではないみたい)。

人集めに行こうということになり、玄関・エスカレータ・ロビー・学生食堂などにチラシをまきに行く。

ガラスケースの中にPCを置き、ファルージャの映像を流し続けた。
気がつくと体格の良い若者が真剣に画像を見ている。
「これはファルージャです」と私が言うと、彼は「わかります。僕はアーミーでしたから」
しばらく見た後、彼はそっと会場を去った。

一人の老婆が白血病の子どもたちが描いた絵をじっと見ていた。
私「この絵を描いた子どもたちは白血病で、ほとんどの子どもたちがすでに亡くなっています」
老婆「可哀そうに。でも、イラクの戦争は永遠に終わらないわよ。なぜならシーアとスンニの争いだから。アラブの世界はほとんどがスンニ。サウジアラビアもエジプトもシリアもすべてスンニ。イスラム社会ではシーアはマイノリティなの。これはマイノリティの争い。マイノリティの問題はイラクだけの問題ではない。私たち自身の問題よ」
私「よくご存知ですね!」
老婆はニッコリとして「私はここで教えているの」
私「あ、ニュースクールの教授でしたか?」
老婆「サイコロジーをね。また来るわ」

いろいろな人に出会ったニュースクールでした。
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by reem-akemi | 2005-06-19 23:24 | 日記
2005年06月18日
写真展ーニュースクール3写真展はニュースクールのほかにユニオンスクエアでも行うことにしました。
ニュースクールだけでは展示しきれないし、提供した人たちの気持ちを思うと展示しないわけには行かないというのが私の正直な気持ちでした。

ニュースクールではとりあえず森住卓さんというアメリカでもメジャーな写真、それに相対する佐藤好美さんのhappyなイラクの子どもたちの写真を持ってきました。

それは高遠さんの気持ちとは大きくずれていたようです。それも私にはよくわかっていました。

でも、アメリカという土地で人々がどのような反応を示すのか、まったくわからなかったというのが正直な気持ちです。準備不足といわれればそれまでなのですが・・・。
が、写真展を終わってみて、思うことはアメリカ人の(ニューヨーカーの)許容量の大きさです。

真紀さんは「イラクに自衛隊を送っている日本人が何を言うのか?」という反応があるのではないかと言いました。でも、それは私たちの意識過剰でした。「日本人」に拘る必要などなにもないのです。

大切なことは真実を知ること。誰が伝えるかというのは二次的なことです。だからこそ、「バグダッド・バーニング」がブロードウェイで上演されるのです。

たった数ヶ月での滞在ではアメリカを知ることは無理だと思いました。そう、アメリカの側面を見ているだけ。推測は無用。やってみるのが一番!

そうそうチラシの裏にはイラクの青年のメールを貼り付けましたが、結果的には彼のメールの力は大きかったといわざるを得ません。チラシを読んで、展示会場へ戻ってくる人が何人かいましたから。。。

これを貼り付けるについては、ある人が「そんなのつけなくてもいいんじゃない?」と言ってきました。正直、私は自分の耳を疑いました。
メジャーだからやる。メジャーでないものはやらない。信じられない言葉です。なんのための活動?
嫌だなぁと思った瞬間です。

ひとつのことをするにはいろいろなことがあります。
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by reem-akemi | 2005-06-18 00:02 | NewYork

倉橋由美子さん

倉橋由美子さんが亡くなった。懐かしい名前。

詳細が知りたくてインターネットを検索したら以下のようなサイトに出会った。

http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/06/post_e81e.html

今月、「星の王子さま」の翻訳をしていたという。あぁ、そんな仕事をしていたのか・・・。

このサイトには懐かしい名前が次々と書いてある。

素九鬼子ー『旅の重さ』

そんな作品も読んだ気がする。

ママ、びっくりしないで、泣かないで、落付いてね。そう、わたしは旅にでたの。ただの家出じやないの、旅にでたのよ。四国遍路のように海辺づたいに四国をぐるりと旅しようと思ってでてきたの。さわがないで。さわがないでね、ママ。いいえ、ママはそんな人ではないわね。
確かに今読んでも引き込まれる文体だ。

そして次は、『二十歳の原点』(新潮文庫)の高野悦子。あぁ、これも読んだなぁ。

最後のとどめは、奥浩平の『青春の墓標』。
これに高橋和己がついたら私の青春の彷徨そのもの。
私にとって20歳前後は一番苦しい時期だった。いつもいつも心が宙を漂っていた。生きている実感が欲しかったのかもしれない。

いつの間にか漂うこともなくなって・・・。

倉橋由美子はどんなことを思って生きていたのだろう。もう一度、それらの作品を読んでみたくなった。昔の私に出会えるかな。。。
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by reem-akemi | 2005-06-17 23:10 | 日記
2005年06月17日
写真展ーニュースクール2ニュースクールの続き。

ニュースクールはユニオンスクエアのそば。かのハンナ・アーレントが戦後、ここで政治哲学を教えていた。ハンナ・アーレントがいたというだけで私はドキドキ。

ニュースクールを紹介してくれたのはIACにも関わっているフィリピンの女性。ものすごいフィリピンなまりで時々聞き取れないことがあった(ただでさえリスニングが苦手な私にはメチャ嫌な相手)。しかもこの人、私が一度で聞き取れないと露骨に「あんたに言っても仕様がないわ」という態度に出る。
「Kazukoに言うわ」
そこだけはしっかりと聞きとれる。

でも、聞き取れるととても優しい。なんだい、それ!

ギャラリーはエスカレーターの脇のフロア。ガラスのショーケースが3面。最初はこのフロアを全部貸してくれそうな話だったのが結局このケースだけだった。
写真はピンでとめてね。OK,OK.

チラシは英文で作成。でも、ちょっと心配だったのでネイティブに直してもらう。
あらあら、まったく違ったものになった。

彼女「私、アメリカ人向けにちょっと直しました」

いいえ、全然違います。発想がまったく逆であることを知りました。

彼女「チラシはわかりやすくね。私、秘書をしていました。その経験90%使いました」
ーちなみに全部、日本語です。

彼女「わぉ!素敵なチラシ出来ました!!」
(それを日本語では自画自賛というのです)

出来たチラシはキンコーズでプリントアウト。
ニュースクールへ持っていきました。
A3に拡大したものはポスターにしてロビーに。
親切な警備員さんが全部やってくれました。

さて、あとは日本からイホネットの皆がくるのを待つばかり。

続きは明日。
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by reem-akemi | 2005-06-17 00:43 | NewYork