毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2005年 07月 ( 14 )   > この月の画像一覧

動きだしたNHK問題

2005年07月27日

7月20日、NHKは東京高等裁判所に「ETV2001番組改変問題」に関係する5人(松尾元放送総局長、野島元総合企画室担当局長、伊東律子元番組制作局長等)の陳述書を提出した。
そして同じ日に、NHKのサイトで「編集過程を含む事実関係の経過」という一文を掲載する。

7月22日、これをもとに毎日新聞はNHK改変問題に際し、どのようなことがあったのかを報道。非常に興味深い記事であった。

7月25日、朝日新聞は2面見開きで「NHK番組改変問題報告」として、この間の取材の総括を載せている。

これら3つの報告を詳細に読むといろいろなことが見えてくる。
ことの発端は、1月25~26日にNHK総合企画室職員が「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」に所属する古屋圭司議員らを訪れたことから始まる。

ここで職員は、議員たちに「NHKがこの法廷を特集すると聞いているがどうなっているのか」「予算説明のさいに説明できるように用意しておいたほうがいい」と示唆される。

同じ頃、「日本政策研究センター」はNHKに放送中止を求める。
また、「日本会議」の小田村四郎副会長らも片山総務相に番組内容のチェックを申し入れている。

職員の報告を受けた野島担当局長は松尾総局長に相談し、翌26日、野島氏同席の上で編集途中の番組の試写が行われる。

このあと、法廷に批判的な学者の意見を入れるという方針で修正することを決める。

27,28日に右翼の街宣車がNHKを囲み、メンバーが乱入する騒ぎが起こる。その日、総合企画室から安倍晋三議員への面会申し込みがあり、1月29日松尾総局長と野島担当局長が首相官邸へ安倍議員を訪ね、番組の説明をする。
(これ以降、右翼のNHKへの攻撃はない)

1月29日、2回目の試写が行われるが、野島氏からの「これでは全然ダメだ」という発言で再度の修正が行われる。伊東、松尾、野島の3氏で決定した変更内容は次のとおり。

①日本国および天皇に責任があるとされる判決内容の紹介を削除
②女性法廷をラッセル法廷と同等の存在のように評価する部分を削除
③海外メディアの報道で判決内容や日本政府の責任にふれているものを削除
④日本政府の関与をのべている部分を変更
など。

この変更および削除を野島氏は直接永田CPに指示する(番組制作に関係のない野島氏が指示した理由に疑問の声をあげるNHKスタッフもいる)

こうして、番組は「若手議員の会」の歴史観に沿うものに修正される。

これが大きく変更された第1回目である。

1月29日、海老沢勝二会長は番組の説明を受け、「慎重にお願いしますよ」と伊東氏に話す。
会長室から戻った伊東氏は松尾氏と相談し、次の修正を行うことを決定する。

①元日本兵の証言を削除
②元慰安婦の証言を削除

法廷の核となる証言シーンはこれで大きく変わることになる。これが第2回目の大きな変更だ。

このようにして出来上がった番組(通常より4分短い)は1月30日夜に放映された。

こうしてみると、ひとつの番組が特定の歴史観を持つものたちの圧力により、次第に形を変えてしまっていく事実に驚かされる。
NHKがあまりに権力に擦り寄りすぎ、過剰反応をしてしまったのか?

権力のいう「中立」がどのような意味を持つのか、過去の反省も含めてNHKの経営者には考えてもらいたい。
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-27 22:42 | NHK問題

ハリド解放!!

2005年07月24日

イラクの秘密警察に拘束されていたハリド・ジャラール(ラエドの弟)が解放された。
本当に良かった!だが、イラクの多くの拘置所では無実の罪で拘束されたままの人が数千人はいる。

虐待で有名になったアブグレイブ刑務所は数多ある刑務所のほんの一例に過ぎない。

今回の解放は国際的な圧力の結果かも知れない。多くの人が解放の署名にサインをしたから。
でも、そんな力のない人たちはどうなるのだろう。。。同じように私たちは関わっていかなければならないと思う。

今日、ハリドの母ーファイザのブログは喜びと安堵に満ちていた。23日にバグダッドを出発したハリドは24日、無事にアンマンに到着。
以下はファイザのブログよりの転載
(翻訳は池田真里さん)

2005年7月24日日曜日

 おはようございます。
 いま午前11時、ハリドは眠っています。とても疲れています。12日間というものよく眠れなかったのですから。
 昨夜、私はよく眠れませんでした。あの12日が終わったというのに。
まだ牢獄に入れられていて拷問や虐待を受けている気の毒なイラクの人々のことを思い続けていたのです。そしてその家族は誰も、家族の一員がどこにいるのか、どうして捕らわれなければならなかったのか、知らないのです。
 いまイラクではなんと恐ろしい日々が続いていることでしょう。
 力をあわせ、捕らわれている人々を助け、その人権を守る方法を見つけねばなりません。
 イラクはもはやサッダーム・フセインの治世ではありません。自由と民主主義の時代のはずです。
 行動を起こさなければ・・・

ファイザ
午前11時56分 
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-24 23:14 | NewYork

三里塚闘争

2005年07月23日

三里塚闘争は60年代末から70年代初めにかけて時代を象徴する闘いであった。
私は高校を卒業した年で、大学の授業に失望した友人から「三里塚に来ている」という手紙をもらった。その頃、私もすべてのことに失望していた。自分の将来も、学生運動も、この社会も。
思えば60年代の熱い時代を終え、心が「漂って」いた。

その同じ頃、三里塚では農民と若者が必死になって国家権力と闘っていた。
管制塔占拠はそんな中で起きた。14000人の機動隊が守る中を10人の若者が占拠した。権力の心臓部を占拠したようで心が躍る。

その後、彼らは最高裁で判決を受け相応の制裁を甘受した。損害賠償請求もあったが、国はこの10年間請求をしてこなかった。

ところが損害賠償請求の時効寸前になって国(法務省)は金利を含め、1億円以上の賠償請求を起し、給与を差し押さえるという手段に出た。

こんなことが許されるのだろうか?国の行為と言っても所詮人がすることだ。10年も据え置いて今さら請求するなんて・・・。一般常識では考えられない。

これに対して三里塚で戦ってきた人たちからアッピールと支援の協力依頼が来ている。
ここにそれを貼り付ける。

管制塔被告連帯基金
郵便振替口座
口座番号 00130-3-445762
加入者名 管制塔被告連帯基金

以下はアッピール

声 明
元(成田空港)管制塔被告団一同

 私たち元管制塔被告団は、政府及び成田国際空港会社(元新東京国際空港公団)の損害賠償の時効差し止めを意図した賠償強制執行の着手に対して満身の怒りをもって抗議する。

 二〇〇五年(今年)七月七日、一九七八年三月二十六日管制塔占拠にともなう器物の破損にかかる損害賠償請求訴訟判決の時効の日に当たる。最高裁判決から十年もたつ今年三月、法務局は突然元被告たちに対し、給与の差し押さえを始めとする賠償の
強制執行に乗り出した。賠償請求に理があるならば当然被告団はそれに応じたろうし、政府も素早く賠償執行に取り掛かったはずである。

 なぜ政府は賠償請求の執行にすぐに取り掛からなかったのか?

 答えは明白である。全く請求に理がなかったからであり、いわゆる管制塔占拠後に国と空港反対同盟の間で展開された「成田空港問題シンポジュウム」においても、非は歴代政府にこそあることを当時の運輸省課長さえも認めていたからである。

 二〇〇五年(今年)七月五日の新聞各紙に取り上げられた「元活動家の給与差し押さえ」の記事は、政府と成田国際空港会社による新たな「成田空港反対運動」に対する攻撃であると私たちは理解している。

 手狭であり、不便であり、使用料がどこよりも高く、ソウルの仁川空港を始めとするアジア各国の空港に利用者を奪われている「成田空港」は競争力を上げるべく、滑走路の延長・新たな滑走路の取り付けを迫られている。

 私たちへの損害賠償強制執行着手は反対闘争に対する圧力であり、今後ますます反対同盟やそれを支援する人々に対して強まるだろう政府の攻勢であると捉える。そうであるならば私たちは少々老いてはいるが、再再度政府に対する闘いを宣言せざるを
えない。あらゆる方法で反対運動に対する弾圧・圧迫を打ち砕くために立ち上がるだろう。

 元管制塔被告は最高十年(未決通算加えると十二年)、短期の者でも(未決通算を加えて)六年の刑期をまっとうして来た。皆が社会に出て新たに社会と家族と職場の関係を築いてきた。この過程の労苦は計り知れないものがあった。一人の仲間が自死で尊い命を奪われてさえいる。

 今回の政府の賠償強制執行の着手は、私たちが出獄後築いてきた社会・家族・職場関係を引き裂くことになった。一九七八年の不当な空港強行開港宣言を管制塔占拠によって粉砕してから二十七年、「成田空港問題シンポジュウム」で政府が反省の弁をたれてから十三年、私たちの闘志はあの時以上に大きくなっている。不当な「成田空港」の建設に反対するばかりか今度は家族と職を守ることもふくめて私たちは闘いに立ち上がる。

 今から政府はますます強固になる空港反対闘争に遭遇することになるだろうし、政府・新国際空港会社は意図とは逆に大きな困難に直面することになるだろう。

 正義は管制塔占拠の瞬間も現在も私たちにある。

 私たちは絶対に負けない。

 二〇〇五年七月九日

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=

管制塔賠償強制執行の攻撃を、我等ともに受けて立たん

元三里塚闘争に連帯する会事務局長
元廃港要求宣言の会事務局員
柘植洋三

 1978年の2月の横堀要塞建設や、管制塔占拠を中心とした3月の空港包囲投入占拠闘争を共に戦った皆さん。
 私はあの当時、三里塚闘争に連帯する会の事務局長をし、廃港要求宣言の会の事務局員をしていた柘植洋三です。第四インターの三里塚担当の政治局員でもありました。その後の事情から、心のバランスを崩して入院、以来25年余り戦線から離脱して今日に至っております。幾分状態は良くなっているとはいえ完治してわけではありませんで、色々な事に関心は持ちつつも、一市民として残る生を、静かに全うしようと思っておりました。
 ところがこの4月から、管制塔の元被告16人に1億300万円の損害賠償の強制執行が行われているという驚愕すべき事態が惹起していることを最近知り、関係の方々に状況をお聞きした上で、このアピールを発するに及んだ次第です。
 廃港要求宣言の会や連帯する会の皆様の連名のアピールは、8月にも発表すべく準備が進んでおります。後述する事情によって、事は緊急を要しており、最も機動性のある個人名によるメッセージによって先触れをさせて頂きます。私はこの件が大団円
を向えるまで、報告を兼ねて何回でもアピールを発信させて頂く覚悟でして今回はその第一信であります。

■管制塔占拠とはなんであったか

 3.26闘争(管制塔占拠)の約5ヶ月前、1977年10月の「行進隊歓迎・三里塚闘争連体静岡集会」で社会学者の日高六郎氏はこう発言されました。
「権力と暴力によって空港建設計画を押し付けてきた政府に対して、農民が判断・決定権を持とうとして立ち向かうのは当然です。その意味で三里塚闘争は国家とは何かを問う戦いであり、農業問題であり、スピード文明が絶対的なものか大いに疑問が
あって、生活と文化を問う問題です。飯沼次郎さん(京都大学)は京都の集会で、三里塚闘争は絶対負けられないと語りました。自民党も負けられないと思っているでしょう。国家―農業―生活それぞれの次元において三里塚は負けられないと私は考え
ています。」「管制塔に赤旗が翻った日」(柘植書房)
 日高六郎氏は、管制塔占拠の後、「開港が阻止された3月から5月20日の開港までの2ヶ月間、解放された空気が日本にあった」と述べておられました。
 管制塔占拠闘争は、このような意味で、強権政治を否とし、農業破壊やスピード文明に異を唱える人々の熱望によって押し上げられて勝利したのでした。主権者たる国民(民衆)が主権在民の有り様を問うた一瞬でもありました。
 であればこそ、当時79歳の染谷かつさんは、「夜テレビで見たの。高いところ壊した青年、にっこり笑って出てきただよ。青年達の心、農民の心と変わりねえべ。変らないどころが神様だよ。命さし出したんだよ。大したもんだ」(78年4月朝日グラフ)と三里塚農民の気持ちを語ったのでした。

■失政の結果

 今年7月17日の「交渉の窓口を閉じるな」と題する朝日新聞の社説にはこう書かかれています。
「・・学識経験者が進行役を勤め、住民と国が話し合いによる解決の道をさぐったのが、90年代の成田空港問題シンポジュウムだった。行政の失敗を事実上認め、国はどんな状況の下でも、土地を強制的に収用しないと約束した・・」
 このように成田空港建設は、閣議決定から強制収用と強行開港、その後のすべての過程において、失敗であった」ことは、政府自らが認めているところです。管制塔占拠は、おびただしい「失敗」の累積とそれを糊塗するための強権発動への当然の異議申し立てでした。「以後はどんな状況下でも土地の強制収用はしない」とする政府が、失政の結果必然的に起きた闘争による「損害」の賠償請求を強制執行するというのは、理不尽ここに極まっていると言わねばなりません。
 この1億300万円の賠償請求の強制執行は、管制塔の元被告16人を対象にしています。しかしこの攻撃は、あの3.26闘争を共に担った全ての私達に向けられたものであることは疑う余地がありません。管制塔占拠を「人民の旗が管制塔に翻った」として喝采した全ての人々の熱い心を「強制収用」して奪い取ろうとするものであることも明白です。損賠執行は、管制塔占拠を自分達が成し遂げた大事業として喧伝した全ての人々に、1億300万円を課しております。
 16人の被告も含め、共に戦い「大儀の春」を歌った全ての人々が、全く同じ地平でこの攻撃を受けて立たねばなりません。

■痛苦の事態と被告団・弁護団・反対同盟・関係党派の決定

 ここに痛苦の事態があります。
1、 給与の1/4あるいは全てを天引きさせる強制執行はすでに4月から実施されている。
2、 元被告の精神的苦痛は深刻であり、会社をすでに退職せざるを得なくされたメンバーが出ている。この状態が続けばやめてくれといわれているメンバーもいる。
3、 損賠執行に対して、3人の仲間が異議申し立ての裁判をしたが、いずれも却下された。これによって、支払わないという対抗手段は、法的には取れないことが確定した。
4、 元金に対する年利5%(約200万円)の利息が毎年増え続ける。
 弁護団、反対同盟、被告団、関係党派の2ヶ月以上に渡る努力にもかかわらずこの事態は避けられないこととなりました。あらゆる労苦を重ねてきた弁護団、反対同盟、被告団、関係党派は、この深刻な事態の中で7月初めに以下のような決定をされました。
1、1億300万円を一括して支払う。
2、今年10月末をめどに基金を募る。
 私は、この苦渋の選択を強く支持します。
 管制塔の占拠によって、開港を阻止して、強権政治を否とし農業破壊やスピード文明に異を唱える人々の熱望を実現した16人の戦士達、その後6年から12年にわたる長期の獄中生活を送った彼ら、計り知れない苦難の中で新たに社会と職場と家族の関係
を築いてきた管制塔の16人の仲間達が、職場を追われ生活が破壊されつつある状況をこのままにしていていいはずがありません。
 損害賠償の強制執行は論外の理不尽です。同時に、進行している深刻な状況を、共に戦った者達が見過ごすことがあれば、これ以上の理不尽もありません。
 そこで、このメッセージをお読み頂いた皆さんに心からお願い申し上げます。

■お願い

1、管制塔被告連帯基金に出来るだけ多くの、基金をお寄せください。土地の強制収用はしないと言いながら、賠償の強制執行はするという政府の理不尽への満腔の怒りを管制塔被告連帯基金に結集して下さい。
  郵便局  加入者名 管制塔被告連帯基金
  口座番号 00130-3-445762
2、管制塔元被告団の声明とともに、このメッセージを多くの方々に配信して下さい。
  出来るだけ多くのサイトなどあらゆる媒体に掲載してください。全文が無理なら部分引用でも結構です。
3、廃港要求宣言の会、連帯する会などの文化人による共同アピールが準備されています。
  発表され次第送信致しますので、あらゆるところへ配信して下さい。

  これは、三里塚闘争に心を寄せてきた私達全ての者に対して向けられている攻撃です。
 我等ともに、受けて立たん!
 1億300万円は、巨額です。10月末までにこの基金を集めることは至難です。年収の多い方は多いなりに、年収が生活維持にぎりぎりの方は、熱い気持と共に少しでも、あわせて大河のような基金を寄せて頂くようお願い申し上げます。
「天のとき、地の利、人の和」これは、3.26闘争後よく使われた言葉です。今また「人の和」の本当の力を示す「天のとき」ではないでしょうか。

 私は、ハンデのなかでの細々たる仕事に影響が出るかもしれないリスクを覚悟して、このメッセージを発表しておりまして、上記の件、伏してよろしくお願い申し上げます。

2005年7月18日
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-23 02:52 | 政治・経済・国際情勢
2005年07月22日

暑い日が続くとどうしてもイラクのことを思い出す。この暑さの中で水がなかったらどうなるのだろうと、毎日重苦しくて憂鬱。水のない生活を少しでも共有しようと我慢すると余計にノドが乾く。悪いなぁと思いつつ水を飲んでいる。あぁ、悪循環・・・。

バグダッドの水を送ることについてイラクの友人とやりとりをする。

私 稼動している浄水場から水を運べば問題は解決すると思うのだけど。

彼 セキュリティに問題があって浄水場に近づくことは出来ません。でも明日行ってみて、結果はあとで貴方に報告します。あの地域は今とても危険な場所です。

私 教えてほしいのだけど、浄水場を管理しているのはどこ?

彼 非常に難しい質問です。明日調べてきて連絡します。

私 水を運ぶ許可はどうやって取るの?

彼 それも同じ。明日調べてきます。

私 レンタルの給水車はあるの?

彼 たくさんあります。

私 今、イラクでのいろいろな活動がとても難しくなったわ。

彼 貧しい地域で何ができるかを考えることがもっとも良い活動だと思います。それが一番波及効果が大きいです。

そう。今回水が行かない地域はどういうわけか貧しい地域が中心。濾過器を買える人たちが住んでいる地域には水も電気もいっている。
これはどういうことなのだろう?貧しい人間たちを武器を使わずに抹殺しているとしか思えない。

ハリド・ジャラールはいまだ拘束されたままだ。

あれやこれや考えると憂鬱だ。

そして今日、再びロンドンで爆発があったとか。なぜこんなに暴力的な世界になってしまったのだろう。。。この暴力の根源はどこ?
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-22 00:56 | iraq
2005年07月19日

汚水を濾過する方法を伝えたやさき、またもや浄水場の攻撃を知らせるメールが来る。

7月18日
Today they attacked again the water treatment station, and no water in half of Baghdad. But this time they attacked the power station also in same time, so the problem will be much bigger. Tomorrow I will start distribute the instruction of treatment of water, but the problem is that they can't find water to treat it
Pray for us in your way and wards

今日、彼らは再び浄水場を攻撃しました。そしてバグダッドの半分には再び水がありません。しかも今回は発電所も攻撃されているので問題はさらに大きくなりました。
明日、水を濾過する方法を宣伝する予定でしたが、問題はその水がないことです。

私の濾過のアイデアは米軍の攻撃によって打ち砕かれた。

さて、イラクのブロッガーの一人、ハリド・ジャラールが拉致されたことは書いたかしら?
まぁ、政府の要人が拘束されるご時勢だからブロッガーなど拘束されても仕方がないって?政府批判をしたものがどんどん逮捕され、しかも弁護士を雇うことも禁じているとなると、これは黙っていられない事態だ。ナチスの時代の再来(ラエドはサダム時代の再来と言っているが・・・)。

この彼を救出しようとサイトが立ち上がった。
私もサインをしてきたので皆さんもぜひご協力ください。
http://www.thepetitionsite.com/takeaction/820522461

イラクの状況は何がなんだかわからないと言われるが、テロ以前に、イラクの中で人権を守る法的整備が整っていないことが大きな問題だ。
一体アメリカは何を解放するためにイラクへ行ったの?(わかっているだろう!と言わないで欲しい。わかっていてもなお問い詰めなければならない場所もある)

バグダッドのライフラインの復旧、人権の保障など言いたいことが山ほどあるのでイラク大使館へ抗議に行こうと思う。やり方はいろいろあるけれど、まずは正統派の方法で。
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-19 18:15 | iraq
2005年07月18日

今日、帰宅するとイラクの友人からメールが入っていた。

親愛なる明美さん、
あなたが教えてくれた方法をコンピューターで印刷して各所に配ります。
ありがとう。これでとりあえず水の問題は解決します。ーたとえ汚水でも、水があるときは・・・。
時々、彼らにはその汚水さえないときがあるのです。
できるだけ多くの人にこの方法を伝えます。
あなたのご親切に感謝します。



あぁ、やっぱり水を送る方法を考えなければならないかな。。。
一番良いのは米軍の攻撃を抑えること。

ラエドはブログでこう書いている(7月17日)

イラクで米軍に捕らえられた人の数は、この6月、過去最高となった。以後ほんのわずか減少した。6月の平均拘置者数は、10783人である。イラク政府の拘置所・刑務所や私兵組織に拘留されている人々の数はわからない。

イラクに米軍はもとより軍隊はもういらない。
平和的な建設こそが望まれる。
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-18 02:01 | iraq

バグダッドの水事情

2005年07月17日

イラクの友人からメールが来た。
それによると浄水場爆破の影響は大きく、バグダッドの半分の街に10日間水が来なかったそうだ。
つい2,3日前にも同じような爆破があったとか。

幸い、彼の住んでいる地域は水が止まることはなかったそうだが自分の身の回りには傷ついた人がたくさんいてとても悲しいと書いてきた。

そして、大変疲れたとも・・・。2年におよぶ占領はあまりにも長すぎる。。。

水は来ることは来るが飲めるようなものではない。けれど貧しい人々はお金もないので、汚れたままの水を飲んでいる。濾過装置が300ドルもするので、貧しい家族にはとても買えない。
(報道によると下水と混ざってしまっているらしい)

水の問題はとてもシリアスな問題だ。すでにこの水を飲んだために亡くなっている人もいるらしい。
(報道によると抵抗力のない老人と子どもに被害が及んでいるようだ)

必要なのは「濾過装置」。とりあえず簡単な濾過装置はないだろうかと検索してみた。
するとペットボトルで作る緊急用の濾過器があったのでさっそくそのつくり方をメールで知らせた。

ちゃんとしたのは後で送るとして、とにかくきれいな水を飲むことが先決だ。

でも、私の説明でわかってもらえたかなぁ・・・。

暑いから濾過器を自分でつくる意欲なんてないかしら。
濾過して水を飲むということに気がつかないところにイラクが中東一の近代国家だったということがわかるというものだ。
かつて街にはたくさんの水があふれて(噴水が各所にある)、みんな、水が来ないことなんて想像も出来なかったのだろう。そうだよね、チグリス河が街の真ん中を流れているんだもの。

バグダッドに濾過器を送ろう!
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-17 00:18 | iraq

イラクに水を送ること

2005年07月16日
6月中旬、米軍が水道ラインを爆破したためバグダッドに水がこなくなり、病院を含め多くの人たちが困難な状況に陥っているというニュースが入ってきた。

どうにかしてバグダッドに水を運ぶことが出来ないだろうかと考えて、イラクにいる友人に状況を聞いてみることにした。

そのおりもおり、リバーの最新ブログではラエドの弟のジャラールさんが誘拐されたと書いている。
ジャラールさんは最近水の濾過装置をヨルダンからバグダッドに運んでいた。
ジャラールさんのブログ

ジャラールさんのブログを読むと国境の検問で米兵のチェックを受けている。
このことと今回の誘拐が関係していたとしたら、バグダッドに水を送ることはとても難しいかもしれない。

私が考えていた水プロジェクトはこうだ。
最初はアンマンからパレスチナの水を買って運ぼうかとも考えたが、サマワでフランスのNGOアクテッドが浄水場から給水車を使って水を運んでいるのだから、バグダッドでも同じように近辺の浄水場を利用するのはどうだろうか。
つまり、稼動している浄水場から給水車で水を運ぼうというのが私の作戦だ。これなら安価で大量に水を運ぶことが出来る。

#サマワの自衛隊が水を送るよりも大量の水をアクテッドは浄水場から運んでいる。

電気といい、水といい、時間を区切ってバグダッド市民に送る米軍のやり方は「懲罰」としか言いようがない。

でも、水に関わることは、イラク人を危険な目にあわすことになりはしないか・・・。ジャラールさんのように・・・。

そうは言っても、50度にもなるイラクの夏を水なしで過ごすのはあまりにもひど過ぎる。今朝、イラクの友人に水の状況を教えてほしいとメールを送った。

ニュースのとおり、ひどい状況だと知って、次はどうする?どうやって水を送る?
イラクの友人を危険な目にあわせないで水を送る方法はあるかしら???
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-16 10:32 | iraq

証言の重さ

2005年07月11日
ニューヨークにいたときのこと。NPT(核不拡散再検討会議)会議に参加するヒバクシャの人たちと一緒にマンハッタンにあるラガーディア高校を訪問した。

この学校でヒバクシャの人は60年前の原爆投下の様子を話すことになっていた。
ラガーデイア高校は自由な雰囲気を持つ芸術高校で、その昔青春ミュージカル映画の舞台にもなった場所。

担当はソコロフ先生、ロシア系アメリカ人。専門は日本文化とかで日本語が堪能。かつて大阪に住みアングラ劇団に所属していたとか。芸名(?)を隼人(ソコロフ先生は漢字で書く)と言う。
教室では黒澤明の映画を教材にしていたようでDVDが教卓に置いたままになっていた。

休憩時間が終わり、証言の授業が始まる。
ヒバクシャの人が3人、正面に座り順番にそれぞれの体験を語る。通訳はニューヨークに在住する日本人の娘さんだ。

後日、その授業を受けた生徒の印象がソコロフ先生から送られてきた。
原爆投下により戦争が早く終了したというアメリカ人の見解はともかくとして、戦争被害の大きさを若い人たちに理解してもらえたのではないかと希望を持つことが出来るメールだ。

これを翻訳して日本に送ったところ、証言をしたヒバクシャに届けることが出来た。
なぜ今日のブログでそのことを書くかというと、今日、京都に住むヒバクシャの人から電話をもらったからだ。
つまり証言をした方がラガーディア高校の生徒に手紙を書きたいので、そのなかだちをしてくれということだ。OK、喜んでいたしましょう。

以下は生徒のメール。「伝える」ことの大切さをとても感じる。平和はこんな活動の積み重ねから始まるのかもしれない。

2005年5月4日火曜日、3人の特別な訪問者がF.H.ラガーディア高校に来ました。
これらの3人の人は一見普通の日本人のようですが、実は、彼らはどんな人間も直面するべきでなかったトラウマに出合っています。

彼らは1945年8月6日に広島で落とされた原子爆弾の被害にあい生き残った人々でした。
これらの犠牲者は、爆弾が運命的な日に落とされてから60年ののち、何が起こったかを話し、私たちを軽蔑するために訪れたのではありません。

代わりに、何が核爆弾の犠牲者に起こるかについて、私たちに証言するために来ました。
彼らは、これらの爆弾が小さいつまらないものではなく、長い年月を経たのちも続いている恐ろしいゾッとするような感覚と記憶を残す悪魔の装置であることを、私たちに理解して欲しかったのです。

彼らは、同じことが、イラク、または世界のいかなる場所でも、将来にわたって再びあってはならないことを伝えるために訪れたという印象も受けました。
平和を広げるために、彼らはここに来ました。

私たちは皆、私たちの歴史の本が述べるように、爆弾が「より少ない死傷者と共に戦争をより速く終わらせる」ために落とされた後に何が広島と長崎で起こったかに関する話を聞きました。

原爆の犠牲者によって書かれた小説とか伝記を読んではいても、私たちは、これらの人々と会ったこともなければ、直接話したこともなく、同じ空間を共有したこともありませんでした。

私たちに話すために来た3人は現在生き残っているわずかな人々たちであり、そしていまだに原爆の後遺症に苦しんでいるのです。
彼らはこれらの爆弾が再び使われようとしたとき私たちが何をすべきかを考えさせました。

私は、彼らのひとりが話すのを聞いただけですが、私の心に何かを残して、深く考えさせられました。
竹田さんは当時13にすぎませんでした。後にどうなるか考えもつかないほどまだ若かったのです。そして彼の人生は永久に変わりません。

彼は、多くの学生が亡くなった地で罪の意識とともに生きます。
彼は16歳の姉が苦しみ亡くなった思い出とともに生きます。

彼は彼の姉妹の死を受け止めない弱い母親の思い出とともに生きます。
彼は爆弾が落ちたあと、死の空気で満たされた殺伐とした自分の家の記憶とともに生きます。

川の幾重にも積みかさなった死体の記憶とともに生きます。
決して来ることのない助けを求め、通りで死んでいった人々の記憶とともに生きます。

彼は60年経ても、これらの思い出と感覚とともに生きます。
彼がほとんど理解できない翻訳者と共に私たちに日本語で話したという事実は重要ではありません。

彼の気持ち、彼の姉妹のことを話すときの彼の表情に、彼でしか語れない話、その境遇に会わなければ伝えることの出来ない話を伝えています。

最も興味深かったのは彼の姉妹の最後の数時間に関して話したことです。
彼の気持ちは、深く私の心を打ちました;

彼は心から姉妹を愛していて、姉妹が苦しみながら死ぬのを見るという話は、小さな弟がいる私にはゾッとすることでした。
私がそのように大切なものを失ったら、彼が生きたように生きて、それを引き起こした国を許すことができるでしょうか?

私は話をしにその国に行くでしょうか?
私は自分の勇気をそれらの国の人々と持ち合えるでしょうか?

私は私から大切な兄弟を奪った人々を聴衆とみなすでしょうか?
私は彼がしたことを自分も同じように出来るでしょうか?

終わりに、彼らは小さいプレゼント、折り鶴、ビデオ・テープ、および本を私たちにくれました。
彼らが望むことは核戦争を止めることであると私に言いました。

私にプレゼントされた小さいパッケージは本当に素敵です。折り鶴を作る方法が書いてあり、「核兵器廃絶ーNo more nuclear excuses for warー」を教えてくれます。
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-11 22:36 | 政治・経済・国際情勢

仲良し

おひな祭りの行灯を壊した我が家のちび(ネコ)のことを覚えているでしょうか?

この子に仲良しが出来ました。おそうじぬいぐるみのシバ君です(キツネと思って買ったら柴犬だったのですが)。
この子、べたっと体が広がっていて、広がったおなかでPCの画面をこするというもの。きれいになったのかどうかよくわからないけれど、とにかくPCの側にいて出番を待っている。

それだけではつまらないからちびの遊び相手にもしてあげようと考えたのだけど、気にいったのかどうか、写真を見て判断してください。

つかまえて頭に乗せたのが気にいらないのか、ちょっと不満げなちびです。無理やりの仲良しは、やはり無理か・・・。
[PR]
by reem-akemi | 2005-07-11 00:23 | 日記