毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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永山則夫

2005年11月21日

永山則夫ー1949年6月27日網走に生まれる。幼少のときに母に捨てられ餓死寸前のところを助けられる。その後、青森の母のところで育つが貧しいために中学校も満足に行かず、集団就職で東京に来るがすぐにやめる。以降、仕事を転々とする。1968年連続射殺魔事件の犯人として逮捕、1998年4月東京拘置所で死刑となる。享年48歳。

永山則夫をモデルとした「裸の19歳」(監督 新藤兼人)をDVDで観る。
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/hadaka19.htm

永山則夫に対して、私は同世代に生きる者として、ずっと負い目のようなものを感じていた。彼が獄中で書いた「無知の涙」を最後まで読むことが出来なかった。
ずっと喉のところにひっかかって、飲み込めない塊として存在していた。

彼が提示し続けていたことを消化することが恐かったからかもしれない。永山則夫の孤独を理解することは自分の心の奥底にあるものを見つめるようで恐ろしい。

「裸の19歳」は、あの頃の自分の不安定さを思い出せてくれた。「若さ」とは自分の中に不安を抱えて生きることなのかもしれない。そこに「貧困」があったならなおさらだ。

私はある瞬間から鈍感になることで生き延びたが、もしあのまま、あの鋭敏さで生きていたら、こんなに長く生きていはしなかっただろう。

彼のことを考えると今でも胸が痛くなる・・・。
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by reem-akemi | 2005-11-21 22:37 | 日記
2005年12月21日

24日のブログはいろいろな気持ちが交錯した文章だった。出来上がる本に対して何か書いておかなければならない気持ちと、ものごとが楽なほうへ楽なほうへと進んでいく今の「時代」に何か言わねばという気持ちとが複雑にからみあっていた。

だが、人の気持ちを傷つけたと言われたら、自分が書いた気持ちとは関係なくその人へ謝罪しなければならない。書き手の気持ちが読み手の見方と一致するとは限らない。

11月28日の午後、私は以下のような謝罪文をA社へ持っていった。

株式会社 A            
第一書籍編集部部長 ○ ○○様

お 詫 び

このたびは私のブログに事実に反した大変不適切な内容を掲載し、株式会社Aの関係者の皆様はもとよりAの担当編集者△△△△さんのお心と名誉を傷つけましたことを心よりお詫び申し上げます。

去る11月24日にAさんと私たちリバーベンドプロジェクトが編集方針を合意したにもかかわらず、同日ブログでそれらの行為を否定するような表現をして、△△さんおよびAさんの信頼を裏切りましたことを深く反省し、大変申し訳ないことをしたと思っております。
ブログに関しましてはすでに削除をして謝罪を載せました。

△△△△さん、そしてAさんに多大のご迷惑をおかけしましたことを、重ねて、心より謝罪申し上げます。


2005年11月28日

翌11月29日、A社より事情を聞きたいので全員A社へお越しくださいという連絡をもらう。
日程調整の結果、12月2日に私たちはA社を訪れることが決まった。
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by reem-akemi | 2005-11-21 00:35 | リバーベンドプロジェクト

言(こと)の葉(は)

一週間ほどブログを書かなかった。今月は原稿を3本書かねばならず、まずそれを先行させていたから。1本(市民の意見30の会機関誌)は17日にメールで送る。18日の締め切りだったから一日早く出せた。夜中に送って、翌日PCを開けて驚いた。さっそくゲラが送られていた。吉川勇一さんは徹夜で仕上げたに違いない。もう若くない(吉川さん、ごめんなさい!)のだから、無理はしないでほしいとセツに思う。

「バグダッド・バーニング2」の刊行を前にして池澤夏樹さんからメールが来る。池澤さんには帯文を頼んだのだ。彼曰く「帯文だけでは書き足りないので月刊「現代」のコラムにも書きました」というものだった。
12月1日号の「現代」をぜひ読んでいただきたい。
バグダッドのグリーンゾーンに関する興味深いコラムが載っているので。

原稿を書いている私のわきに崔善愛(チェ・ソンエ)さんの本が置いてある。ついでに彼女が解説をしている「法廷に立つ言語」まで購入してしまった。
崔善愛さんが話す言葉は不思議な魅力にあふれている。彼女の弾くピアノと同じくらい心をひきつける力がある。それが何なのだろうと、私はずっと考えている。

池澤夏樹さんもそうだが、言葉に魅力がある人は本当にステキだ。私もそんな言葉を使ってみたい。何年も何年もそう思っているのに、全然ダメ。。。

う~ん、これは才能の問題かもしれない(苦笑)。
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by reem-akemi | 2005-11-21 00:07 | 日記

昭和

2005年11月13日

昭和という時代が懐かしくて、「三丁目の夕日 ALWAYS」という映画を観た。つい先日は小津安二郎の「秋刀魚の味」もDVDで観た。

昭和はまだ戦争の傷あとが人々の中に残っていたことがよくわかる。
例えば、どちらも酒場でのシーン(かたや小雪の小料理屋、岸田今日子のバーのママ)。三浦友和が演じる医者は空襲で妻と7歳の娘を亡くす。娘のために焼き鳥を買って帰るが酔いが覚めると家族がいなかったことを思い出す。かたや小津映画では、加藤大介演じる元兵士がバーの中で軍艦マーチをバックに行進して歩く。両方とも、なんとも物悲しい。

結局、「三丁目の夕日」はストーリーより、まわりの風景に目がいってしまった。なぜなら、そこに「私」がいそうな気がしたから。おかっぱ頭の少女はまさに子ども時代の私だった。
昔はなぜあんなに道路に土管が転がっていたのだろう?
道路に白墨で絵を書いている少女。あれも私だ。

電車どおりの懐かしさ・・・。映画にはなかったけれど、隅田川の花火。花電車。

力道山を観に近所の医者の家へ行ったことも懐かしい(そこの家の同級生の男の子は甲子園へ行き、いちやく有名になった)。

初めて我が家にテレビが来た日。それは大晦日のこと、親戚中が集まり一台のテレビの前で紅白歌合戦にくぎづけになった。祖父はそれ以来チャンネル権を保持し続け、父もそれを受け継いだ。かくして、チャンネルは家父長制の象徴となった。

初めて電気冷蔵庫が来た日。テレビほどのインパクトはないが存在感は抜群。冷蔵庫の権利を握るのは祖母。冷蔵庫は仏壇の下、つまり祖母が座る場所の後ろにあって中に何をいれるかは祖母の権利であった。したがって嫁である私の母は我が家が二階家になって台所が祖母の家と分かれるまで、その権利を持っていなかった。

初めて電話が来た日。電話は近所の家にとってきわめて重宝なものだった。おかげで電話が来るたびに子どもである私がその家まで走らされた。

そして初めて東京タワーに登った日。エレベーターは大人に囲まれて外が何も見えなかった。。。

昭和は「初めて」がたくさん、たくさん、あった。
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by reem-akemi | 2005-11-13 01:27 | 日記

白燐弾ーMK77

2005年11月11日

ファルージャで米軍が使用した化学兵器を告発する番組が11月9日イタリアで放映された。

その映像がURLで送られてきた。
ファルージャの映像をたくさん見ている私にも正直耐えられなかった。ハリウッドの映画じゃあない。本当のことだなんて誰が信じられる?でも、これが戦争なんだ。

まず白燐弾という兵器そのものが耐えられない。白燐弾についてはいけだよしこさんのブログが詳しいので引用する。

白燐榴弾を人のいるところに投げているとは常軌を逸している。火器というよりは化学兵器になってしまう。米軍が使っているであろうM-15白燐榴弾は,爆発半径は17メートルあって,燃焼温度は5000度だ。身体に付着した破片を取り去ると,空気に触れて自然発火する。だから取り去る前に怪我をした箇所を水につけなければならない。破片はすぐに水にひたさなければならない。白燐(黄燐)は酸素の少ない水に触れるとホスフィンを出すが,これがおそろしいガスだ。煙を吸入すれば,「phossy jaw」と呼ばれる症状が起きる。口に傷ができるがそれは治ることなく,顎の骨自体が砕けてしまうこともある。白燐(黄燐)は少量(小匙1杯未満)摂るだけで,吐き気,嘔吐,肝臓障害,心臓障害,腎臓障害,ひどい眠気をもよおすし,時には死に至ることもある。

米軍兵士が証言するー「体が中から燃える」。この言葉が頭にこびりついて離れなくなってしまった。そんなことがある?アニメじゃあないのよ。想像しただけで恐ろしくなる。。。

2003年3月20日、バグダッドに落ちるミサイルの映像をテレビで見たとき、思わず口に出たのは「神さま、お許しください」という言葉だった。私は自分が信心深いとは思わないけれど、あまりの罪の深さに耐えられなかった。今回、この映像を見て、またまた同じ言葉が口をついた。

たまには楽しいことを書きたいのに、毎日毎日恐ろしいことばかり・・・。

でも、みんなこの映像を見るべき。私たちが平和を楽しんでいる今も、遠く離れたイラクではこんな地獄が繰り広げられていることを知るべき。

こんなことは、もう、ウンザリだ!
一番そう言いたいのは彼らかもしれないが・・・。

映像のURL
http://www.rainews24.rai.it/ran24/inchiesta/video/fallujah_ING.wmv

日本語スクリプト(これを読むとよくわかる)
http://www.doblog.com/weblog/myblog/7844/2043448#2043448

#写真は体が溶けて洋服だけ残っているイラク人の死体
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by reem-akemi | 2005-11-11 00:53 | iraq

We shall overcome

2005年11月08日

ローザ・パークスが10月24日に亡くなった。彼女の名前を知ったのはベトナム・ソンミ村へ行くバスの中。旧べ平連(べトナムに平和を!市民連合)の人たちと一緒にベトナムを旅したときだ。

私の席の前にいたのは小田実。私は彼のレクチュアを長時間受けるはめ(?)になった。これはよく考えると喜ぶべきことだと思うが、殆どイジメに近いものがある。小田実が天才なら、天才とは狂気を秘めているとものだと思った。

ローザ・パークスはその小田実から教わった。彼流の教え方ー「お前はローザ・パークスも知らないのか!」と罵倒するところから始まった。公民権運動の母と呼ばれ、彼女なしではアメリカの公民権運動の歴史はないとか。
で、そのときの彼の結論は「アメリカは政府だけでなく誰も彼も自分たちが世界をリードしていると思っているんだ。アメリカというのはそういう国なんだ。お前もアジアばかり見ていないでアメリカを見ていないとダメだぞ」

小田さんの話はこれまでとして、私は帰国後、ローザ・パークスを調べた。

1955年12月1日、アラバマ州モントゴメリーのバスの中で事件は起きる。その頃、バスといわず、レストラン、トイレすべてが白人と黒人に分けられていた。その日、ローザ・パークスはバスの中で白人席と黒人席の中間に座っていた。そのうち席が満員になって運転手は中間の席も白人用にしようと座っていた黒人をどかし始める。それに「No!」と言ったのが彼女だ。彼女はのちに「私は疲れていたからNo!と言ったのではない。その理不尽さにウンザリしてNo!と言ったのだ」と発言している。すぐさま彼女は警察に逮捕される。

その事件を発端に黒人によるバス乗車拒否の運動が始まる。運動は次第に広がり、ついに5万人もの人間が行動を起す。そして、その運動で頭角を現すのがマーチン・ルーサー・キング牧師だ。

これがアメリカの公民権運動の始まり。
古き良きアメリカの話?いえいえ、伝説は再び始まった。今度はシンディ・シーハンという女性によって。

アメリカのすごいところは一人の行動を支援する多くの人々がいることだ。それも一緒に行動する人たちがたくさんいること。

「最初の一人」は本当に多くの勇気がいる。その勇気に賛同して行動できる自分でいたいと思う。
結局、最後はYESかNOか、どちらかしかないのだから。

#ローザ・パークスの肉声をデモクラシィ・ナウで聞くことが出来る。
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=05/10/25/1412239

当時の愛唱歌(We shall overcome)

1. We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome some day
Chorus:
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome some day

2. We'll walk hand in hand
We'll walk hand in hand
We'll walk hand in hand some day
Chorus:

3. We shall all be free
We shall all be free
We shall all be free some day
Chorus:

4. We are not afraid
We are not afraid
We are not afraid today
Chorus:

5. We are not alone
We are not alone
We are not alone today
Chorus:

6. The whole wide world around
The whole wide world around
The whole wide world around some day
Chorus:

7. We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome some day
Chorus:
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by reem-akemi | 2005-11-08 23:31 | 日記

NHK ETV2001

2005年11月03日

女性国際戦犯法廷のビデオあるいはDVDを見たことがあるでしょうか?
私は今日、イラクで女性の権利を守りたいという人に送るためにVAWW-Netジャパンから寄付してもらったDVDを観ました。そこから見える「女性国際戦犯法廷」は、人道に対する罪から照らして日本の慰安婦制度がそれに該当するかどうかという、今の世界の流れから見ても非常に大切な意味をもった取り組みでした。一部の政治家(安倍、中川、その他自民党議員)が不真面目に言っている、「天皇有罪」だけを強調したものではありません。

さて、それを観てから録画してあるNHKのETV2001「戦時性暴力を問う」を観ました。残念ながら、NHKの映像では、法廷の主題がまったくわかりません。それはあの番組の方向性がメチャメチャだからです。あるときは法廷を評価し、次の瞬間無意味だといい、何を言いたいのかまったくもってわからない番組になっています。

それに比べて次の日の「国際公聴会」の映像は、今も続く女性への暴力がいかに悲惨であるかをしっかりと伝えていました。どうしたら暴力のトラウマを越えることが出来るのかをわかりやすく表現して、とても心を打たれました。
であるからこそ、第2夜が本当に残念です。

法廷が伝えたかったことは、天皇が「有罪」であるということより、システム化された戦時の女性への暴力は戦争犯罪であるということ、それだけだと思う。
「天皇」を守るためにあらゆる手段を使って映像をズタズタにした安倍・中川は本当に愚かな政治家だとしか言えない。

そんな愚かな連中が閣僚になった。。。

安倍は女性に人気があるという。
一体、あんな男のどこがいい?
バカバカしい・・・。
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by reem-akemi | 2005-11-03 01:42 | NHK問題

アンチ・セミティック

2005年11月02日

今日、ラエドの過去ログを見ていたら気になる記事があった。

ラエドとは、イラクのブロッガーでマーラ・ルジカ(イラクで活動していたアメリカ女性、今年米軍に射撃されて亡くなる)とともにイラク戦争で亡くなったイラク人の名前、性別、死因などを被害者一人ひとりの家を訪ね歩き調べた。これによって、単なる数字であった死者を顔の見える人間の死に変えたのだ。この活動は本当に素晴らしい!

2004年、その活動を顕彰してアメリカから招待されたが、ビザの手続きをしている途中で主催者側から断りの連絡が来たのだ。

以下はラエドのブログ。

2004年9月17日(金)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/
Friday, September 17, 2004

何日かかけて米国へのヴィザの手続きをしていたんですが,僕を招待した組織の人々が考えを変えました。【訳注:「招待を取りやめた」ということ】

なんで?

その理由は,彼らは僕のことを「アンチ・セミティック(anti-Semitic)」だと思ったから,です。
:*)
どうやったら僕が「アンチ・セミティック」になれるんでしょうか? 僕はパレスチナ人なのに。

っていうか・・・僕はセミティックです・・・

セミティックという言葉を初めて知った。

これについてはラエドの翻訳をしているいけだよしこさんが書いているが、元の言葉は「セム族」から来ているらしい。。。
http://tinyurl.com/ayuxs

昔、高校時代の歴史の時間に「セム族」「ハム族」というのを習ったような気がする。そう、あの「セム族」。セム族とはノアの箱舟のノアの子孫という意味だそうだ。

セム族の範囲は広く、Hebrews, Arabs,Arameans, Babylonians, Carthaginians, Ethiopians, Phoeniciansなどが含まれる。

だから彼が自分をセミティックだと言ったのは妥当。

さて、ラエドの言葉の続き。

ということで,15分ばかり電話してたんですが。電話の向こうの親切な人は,彼の組織が僕を招待しないことにした理由を説明しようと一生懸命。さらに,僕の名前も言及されないとか!

僕:ところで,セミティック(セミティシズム)と僕の発表と,何の関係が? 僕としては,イラクについていくつかの事柄を取り上げることになってたわけですよね,僕がやってたNGOのこととか,「イラクにおける戦後復興」という題名で提出した僕の論文のこととか。

彼:それはそうなんですが,中東では文化の違いってのがあって,どういうことを口にできるかとか,どういうことを云々・・・

僕:そんなことは僕だってわかってるんですけど,でも僕の発表にどんな関係があるのか,さっぱりわかりませんよ・・・ところで一体どうして僕が「アンチ・セミティック」だなんて思うんですか?

彼:だってウェブログで「シオニスト」ってことばを使ってるじゃないですか。

うひゃ~~~~~~!

僕がそんな専門用語を? いつ? どういう形で?

いや,もし使ってたとしても,それで僕と僕の考えをすっかり無視する理由になるんでしょうか?

僕は常に自分のことを弁解し,イラク人でありパレスチナ人であることを謝罪しなければならないんでしょうか?

うーむ,渡米する前に腕に刺青を入れなきゃならないかな。「I *Heart* Semitic people」ってね。
:*)

アンチ・セミティックとは、な、なんと「反ユダヤ主義」という意味なのだ。
もともとセミティックは広い意味の言葉だったのが、自らを正統なユダヤ人とするためにセムの子孫と称したのだ。

もっと恐ろしいのは、いけださんが書いているが、「アンチ・セミテッィク」という単語が出てきたのはまだ新しい。1880年代だという。その頃、ユダヤ人がパレスチナに少しずつ入っていった時代だ。
ロスチャイルドは金の力で歴史さえも買ったのか・・・。

それにしても、「シオニスト」という言葉を使っただけで「アンチ・セミティック」とは。。。
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by reem-akemi | 2005-11-02 01:59