毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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バグダッドバーニングbyリバーベンドのブログ、3月28日を送ります。

TVニュースではイラクの車両僕弾の話はよく出るが、今日リバーが記述している遺体の話にふれることはあまりない。このような拷問された死体が発見されるようになったのは2005年5月頃から。何も解決されないまま1年がたとうとしている。

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2006年3月28日火曜日
死体安置所…

昨夜遅く、イラクのTVチャンネルをバチバチまわしていた(時々6チャンネルくらい見ている)。それは電気がきている間の私の深夜の習慣ーイラクのTVで何をやっているのかを見ることが。一般的に言えば、イラクのTVチャンネルには真の意味での‘中立'的なチャンネルはまだない。最もポピュラーなものは、現在勢力を競うそれぞれ異なった政党がバックにある。このことは選挙の直前に明らかになった。

私は、鳥インフルエンザに関するレポート、別のチャンネルの様々なラトミヤからの断片のモンタージュ、エジプトのホームドラマの3つから決めようとしていた。が、多くのイラク人がまぁまぁ中立だと考えているシャルキーヤ・チャンネルで私の手が止まった (選挙の間、ここはアラウィを支持していた)。私は画面の下のほうに流れるニュースの小さい見出しを読んだ。いつものことだけど、バグダッドの地域での迫撃砲があり、こちらに米兵の死体、あちらに怪我人…12 人のイラク人の死体がバクダッドで見つかったことなどなど。突然、そのひとつが私の注意を引いた。私は自分が間違って読んでいないかどうか、ソファーにちゃんと座り直した。

Eは居間の端に座り、組み立てなおすことができないだろうラジオを分解していた。私は彼を呼んだ。「ここに来て、これを読んでみて。私の勘違いかしら…」と。Eはテレビの前に立って、死体、アメリカ人、および操り人形(傀儡政権)に関する言葉が流れるのを見ていた。待ち兼ねていた新聞記事の項目が出たとき、私はジャンプしてその項目を指した。E.と私は黙ってそれを読んだ。E.も私が感じたと同じように混乱しているようだった。

そこにはこう書いてあった:
「国防省は、その地域を管轄している連合軍をともなわない深夜の軍隊、警察の命令に市民は従わないよう要望します。」

これは現時点でこの国がいかに混乱しているかを表している。

私たちは他のチャンネルに切り替えた。「バグダッド」チャンネル(ムフサン・アブダル・ハミードと彼のグループがバックにいる)には、同じ記事があった。しかし、一般的な「連合軍」と書いてなく、「アメリカの連合軍」となっていた。私たちは他の2つのチャンネルもチェックした。イラキーヤ(ダーワ党シンパ)、フォラート(SCIRIシンパ)は言及していなかった。

それが別のチャンネルでも繰り返されたので、私たちは今日、それについて議論した。

「ねぇどういう意味かしら?」昼食で集まったとき、いとこの妻が尋ねた。

「やつらが夜やってきて家を襲撃したくても、入れる必要はないってことよ。」私は答えた。

「やつらは許可なんて求めてないぜ」とEは指摘した。
「やつらは、ドアを破壊して、人々を連れて行くだけ。忘れたのかい?」

「ねぇ、国防省によれば、私たちはやつらを撃ってもいいってことよね、違う? やつらがしていることは『侵入』で、やつらを強盗か誘拐者と考えることも出来るのよね…」と私は返答した。

いとこは頭を横に振った。「もし家族が家にいるとしたら、やつらを撃つなんてしない。やつらがグループで来るのを覚えているだろ? 武装して大人数で来るんだ。やつらを撃ったり抵抗したりしたら家の中にいる人間を危険にさらすことになる。」

「それに、やつらが最初に攻撃してきたとき、アメリカ人が一緒にいないってどうしてわかるんだ?」 E.は 尋ねた。

可能性をあれこれ考えつつ、私たちはお茶を飲んだ。それはイラク人にとって、始めからわかっていたことを確認したに過ぎない。すなわち、イラク治安部隊が宗教と政党に結びつけられた民兵だということを。

しかし、また、それは面倒な問題に火をつけた。治安状況がとても悪いので、民間人を保護することを担当したトップ2つの省は互いを信じることができない。「アメリカ連合軍」が一緒でない限り、国防省は自らの要員さえ信じることが出来ないのだ。最近では何が起こっているかを理解することが本当に難しい。私たちはイラクの治安について、アメリカ・イラン間の会議の話を聞く。そして、イラクのアメリカ大使はイラク国内の民兵組織に資金を提供したという理由でイランを非難している。昨日、フセイニヤ(コミュニティセンター)に対するアメリカの攻撃で20~30人のサドル民兵が殺されたという主張が今日出ていた。アメリカ軍は、攻撃の責任はそこにいたイラク治安部隊(彼らが絶えず賞賛している)にあると主張している。

これらすべてが、ブッシュと他のアメリカ人の政治家が主張していることーイラク軍と治安部隊は状況をコントロールしているーに矛盾する。いや、コントロールしても、うまく行かないのかも、たぶん。


ここ数週間、バグダッドのいたるところから死体が発見されている。いつも同じような死体がー頭にドリルで穴をあけられ、無数に撃たれ、絞首刑にされたように首を絞められている。民兵たちのやりかただ。犠牲者の多くが治安部隊、警察、特殊部隊によって家から連行された…。そのいく人かはモスクからひとかたまりで連れ去られた。

数日前、私たちは大学に女性のいとこを迎えに行った。大学はたまたま地域の死体安置所のそばにあった。E.、いとこのL.、私は、大学から少し離れた場所に車を停め、車の中でいとこを待った。私は死体安置所の近くの騒動をずっと見ていた。

そこには何十人もの人々ーほとんど男ばかりーが、殺伐とした雰囲気を漂わせて立っていた。何人かがタバコを吸い、他のものは車や軽トラックに寄りかかっていた…。彼らから深い悲しみ、恐怖、あきらめなどさまざまなことが読み取れた。何人もの顔に、恐怖とこれから起こるであろうことに対する不安がみちみちていた。バグダッドの死体安置所の外だけに見られる特別な表情だ。何かを捜し求めるように目は大きく見開かれ血走り、眉を寄せ、顎を固くしめ、口を真一文字にして、しかめ面をしている。死体が列をなしている死体安置所に入っていくときの表情だ。彼らは自分たちが探しているものが見つかりませんようにと祈っている。

いとこは重苦しく溜息をつき、少し窓を開けて、ドアをロックするように私たちに言った。彼は死体安置所をチェックしに行くつもりだった。1カ月前、いとこの妻のおじがお祈りの最中にモスクから連れ去られたーおじはまだ戻っていない。2日ごとに、家族の誰かがおじの身体が運びこまれていないかどうかを見るために死体安置所に行く。「彼が見つからないことを祈ってくれないか …いや、むしろ…僕はただ、このあいまいさがイヤなんだ。」 いとこは、重苦しく溜息をついて、車を降りた。彼が通りを渡って、人込みに紛れて見えなくなったとき、私は心の中で祈りの言葉を唱えた。

Eと私は、まだ大学の中にいるHと、死体安置所に行ったLを辛抱強く待った。何分間も、E.と私は黙って座っていたーこういう状況なので、おしゃべりは不謹慎に思えたのだ。L. が最初にやってきた。私は緊張して彼を見つめ、気付くと自分の下唇をかみしめていた。「インシャラー、彼がおじの遺体をみつけていませんように…」と、私はひとりつぶやいた。車に近づくと、彼は頭を横に振った。彼の顔はこわばり厳しかったが、険しい表情のかげに、ほっとしている様子が見えた。「おじは、ここにはいなかった。ハムドリッラー[神に感謝します]」

「ハムドッリラー」E.と私は一緒に繰り返した。

私たちは死体安置所を振り返った。多くの車の上に、息子、娘あるいは兄弟の死を予測して、簡単で細長い木の棺が置いてある。黒いアバヤを着た1人の女性が狂ったように中に入ろうとして、二人の親族に抑えられていた。3人目の男が、車の上に結ばれた棺を解くために手を伸ばしていた。

「あの女性を見てごらんー息子を見つけたんだ。彼らが息子さんを特定しているのを見たよ。頭を銃撃されていた」 彼女はずっと怒り続けていたが、突然足元に崩れ落ちた。彼女の泣き叫ぶ声が、その日ずっと私の心を占めていた。驚くほど暖かい日だったけれど、私は冷たくなった指を覆おうと袖を引っ張った。

私たちは、深い悲しみ、怒り、失意など様々な場面をずっと見ていた。そして、時々、最も恐れていたものを見つけることなくホッとして死体安置所を出る何人かの人を見た。彼らは(死体安置所の)臭いに目をうるませながら、入っていったときよりわずかに軽い足どりで、死体安置所から愛する者を引き取る不安から一時(いっとき)の猶予を与えられて出ていく…。

リバー@午後9時51分

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-03-31 09:02 | バグダッド・バーニング
「未来」に掲載した最後のエッセイです。
これは今年リバーがアップしてきた大切な友達アランのことを書きました。
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命の重さーアランとドクター・ムハンマッド

06年1月初旬、アメリカの雑誌「クリスチャン・サイエンス・モニター」の記者ジル・キャロルがバグダッドで誘拐された。運転手・通訳とともに何者かに車から引きずり出され、ジル・キャロルをのぞく二人はその場で射殺された。この通訳をしていたのがリバーベンドの最愛の友人アランだった。

アランはバグダッドでミュージック・ショップを経営していたが、戦後イスラム原理主義者らの脅迫を受け(西欧文化は攻撃の的になる)、爆弾を投げ込まれたのを契機に店を閉じた。その後、得意の英語を生かしてアメリカ人ジャーナリストの通訳をしていたのだろう。

1月12日、リバーベンドはこう書いている。
「経済封鎖の間、イラクは外の世界から断ち切られていました。私たちには4から5つのローカルテレビ局がありますが、インターネットがポピュラーになるまではテレビが唯一世界とつながる道でした。

一方、アランの店も外の世界とつながる手段のひとつでした。アランの店は、私たちには別世界でした。
店に一歩足を踏み入れると、スピーカーからは素晴らしい音楽が鳴りひびき、アランとムハンマド(彼の店で働いていた)が、ジョー・サトリアーニがいいかスチーブ・バイがいいか議論をしていました。」

イラクの若者たちにとっては、彼のような人が西欧の世界をつなぐ唯一の窓口だったのでしょう。

「戦後、Eと私は彼が店を閉める前に時々彼の店に立ち寄りました。私たちは彼の店には電気もジェネレータも全く来ていないことに気がつきました。

店はランプの灯りで薄暗く灯され、アランはカウンターの後ろでCDを仕分けしていました。彼は、私たちを見て有頂天になりました。私たちは音楽を聴く方法が全くなかったので、彼とE.はデタラメな歌詞をつけて好きな歌をいくつか通して歌いました。
それから、様々な携帯の着信音を聞いて、その日出来たばかりのジョークを言い合いました。
外の世界のことはすっかり忘れていました。2時間ほどたって遠くで聞こえる爆発音が私たちを現実に戻しました。

(彼が死んで)自分の安らぎの場所が音楽ではなくアランの店であり、アラン自身であったという事実に私は打ちのめされました。」

電気がまったく来ない店の中でアランが一人でCDの整理をしている姿を想像して私は涙が出て仕方がなかった。

03年3月19日まで、イラク人たちには戦争と関係のない「日常」があったのだ・・・。それなのにブッシュとそれに追随する西欧諸国によって、それは奪われてしまった。

さて、同じように何ものかによって銃撃された医師がいる。彼の名前はドクター・ムハンマッド。彼は04年11月、ファルージャの支援を必死になって行なった医師の一人だ。
その彼が撃たれたのはバグダッド市内で買い物をしていた時だった。通りがかった車の中から銃撃され、同行していた娘さんは即死。彼はそのままバグダッドの病院に運ばれたが脊髄を損傷しイラクでは手術を行なうことが出来ず、アンマンの病院に移送される。

手術の結果、銃弾は米軍が使用するダムダム弾(弾頭に十字の切れ込みがあり、体内に入ってから十字に沿って4つに分裂し貫通する。非常に殺傷力の高い弾丸)と判明。ところがアンマンの公立病院では十分な設備がないことと、ホテルでの爆破事件以来イラク人の受け入れを嫌がる病院が多く、お金さえ払えば入れてくれる私立の病院に入院したところ1日17万円という高額な入院費を請求された。
私たちイラクに関係した日本人関係者達でカンパを出し合ったが、1日分の入院費を捻出するのがやっとという状態だった。

ところが彼に素晴らしいことが起こった。バグダッド陥落後、2年以上イラク刑務所に収容されていたS氏(彼はスンニ派リーダーとして著名な人物)が突然解放され、ドクター・ムハンマッドの話を耳にした。
S氏はドクターがファルージャの救援を行なったことに心を動かされたのだろう、即座にドクターの入院費の捻出に奔走した。

06年1月はじめ、S氏とエジプト在住のイラク人実業家たちがドクターの入院費を負担することになったと連絡が来る。1000万円を越えるであろう入院費を数人の人たちが個人で捻出するというイラク人実業家の懐(ふところ)の大きさとイラク人同士のつながりの深さに私は感銘した。
悲しい話ばかりが続くイラクでドクター・ムハンマッドの件は未来に希望を持てる本当に素敵な話に思えた。

アランについてはアメリカのNGOがアランの遺族を支援するためのサイトを開いた。失業者が70%を越えるイラクで夫を失った女性が生きていくのは容易なことではない。もちろん私はすぐに寄付を行なった。
[註:このサイトはアメリカにおいてあるが主宰するのはイラク人女性ブロッガー。現在イラクには200以上のブロッグが存在するが、リバーベンドはこの中でも特に高い評価を受けている]

絶望と希望が交錯する国―イラク。戦争から戻った米兵は劣化ウラン弾の被害を米国政府に訴訟を起すことが出来るが、理不尽な形で殺されていった多くのイラク人の命は誰も保証しない。命の重さの違いを一番感じているのはイラク人自身だろう。

(「未来」3月号より)
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by reem-akemi | 2006-03-30 09:04 | エッセイ
昨日に続き、「未来」に寄稿したエッセイから。
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大量破壊兵器は存在しなかった

 05年1月15日、リバーは書く。
 『今や私たちは、大量破壊兵器は決して存在しなかったという「公式」表明を聞かされた。イラクが壊滅させられてしまった後になって、あれは間違いだったと言われる。
 バグダードを見てほしい。その光景には胸がつぶれる。荒れ果てた街、異様な灰青色の空。火災と兵器から立ち上る煙と、車と発電機から発生するスモッグが混ざり合った空の色。

 ある地域では突如出現するかに見える壁が延々とめぐらされて、グリーンゾーンに所属する人物たちを護衛する。街を行きかう人に共通する表情は怖れ、怒り、疑い。それに不安定さと迷いがつきまとう。

 この国は一体どこへ行くの? 少しでもいいから普通の状態らしくなるまで、一体どのくらいかかるの? 私たちは一体いつになったら安心できるの?』(翻訳 岩崎久美子)

それから一年近くたった05年12月14日、ブッシュ大統領は「大量破壊兵器情報の多くは誤りだった」と公式に認め、イラク人の死亡者数が三万人になることを言及した。そして米軍のケーシー司令官は06年に十五万人の駐留米軍の数を十三万八千人に削減すると発表した。

ブッシュ大統領も認めるように、この二年半のイラク市民の死者数は三万人を越えた(イラクボディ・カウントによる)。これは病院で亡くなった人の数。実際は十万人とも言われる人々が占領の犠牲になっている。

イラクの友人は言う。一般にイラク人の家族は十人。一家族で犠牲者が一人出たとして、十万人の犠牲者のかげには百万人の家族の悲しみと憎悪があるのだと。

この国の人たちの絶望をなんとしよう・・・。いや、絶望はこの国だけにとどまらない。なんの罪もなく殺されていく人々の姿を見ることが世界中の人々にどれだけ生きる力を失わせるか。彼らの「生命」には何の価値もないのだと言われているようなものだ。「彼ら」とはとどのつまり「私たち」。そう思うのは考えすぎだろうか。

高遠菜穂子さんはファルージャで拘束されていたとき、見張りをしている男に真剣になって話したという。「貴方と私とどう違うというの?目、髪の毛、手、足、どこか違うところがある?貴方はイラク人で私は日本人だというけれど、私たちは何も変わらない」
むしろこの言葉はブッシュ大統領に言う言葉かもしれない。

今、アメリカは数十年ぶりに反戦運動の嵐が吹いているという。何かが変わり始めているのかもしれない。振り子は少しずつ元に戻り始めている。

一方、バグダッドで行われたサダム・フセイン裁判は散々の様子。
リバーは次のように記述する。
 『法廷の怒鳴り声があふれる中で、いとこはテレビの音量を調節しながら立っていた。 
 始まってすぐに、被告側の弁護士が法廷から退場した。ラムゼイ・クラークが英語で弁明することを禁じられたためだ。外国語で弁明することが適切かどうか法廷および裁判の独立性が問われたのだ(この国全部が外国の占領下にあることを考えるとちょっと皮肉だけど)。05年12月5日』  (翻訳 細井明美)

ラムゼイ・クラークは元米国司法長官。彼はニューヨーク・マンハッタンに拠点を置く国際行動センター(ⅠAC)の創立者でもある。フセイン裁判の法律顧問として米国のイラク政策に鋭い批判を浴びせている。

筆者は昨年五月にニューヨーク・ⅠACの事務所を訪れた。なんといったらいいのだろう・・・、そこは1970年で時間が止まっていた!壁にはマルコムⅩとマーチン・ルーサー・キング牧師の写真があり、そしてそのわきにはチェ・ゲバラの笑顔のポスターが飾ってあった。

壁にそってPCがイラク、南米、アフリカと担当ごとに別れている。中央のPCで仕事をしていた体格の良い男性は湾岸帰還兵(彼は海兵隊出身)だった。イラク担当はファルージャ出身のイラク人。彼はイラク・レジスタンスを支持しており、開口一番「彼ら(レジスタンス)は本当に良い仕事をしている」と嬉しそうに話してくれた。今や日本でこのような左翼的(?)雰囲気の場所を探すことは難しいに違いない。

さて、その後IACはフセイン裁判について次のような声明を出した。

『大げさに国際的に公開されて行われているサダム・フセインの裁判は、米国の侵略犯罪によるイラクの占領に何らかの合法性を与えて、正当化したい破れかぶれの試みです。 それは、占領への抵抗を鎮めて、国をばらばらにするためにやっていることです。 正義や真実とは何ら関係ありません。

イラクに対する十五年もの長きに亘る米国の戦争、「飢餓に直結する経済制裁」や「爆撃」や「占領」に反対する国際的に手を繋ぐ皆さんに、元イラク人のリーダーと彼の政府の七人のメンバーの現在の裁判を含む、占領を正当化するべく払われているすべての努力に反対すべきと強く申し上げます。』

そして、ラムゼイ・クラークは「戦争犯罪と人道に対する罪の容疑で公判にかけられるべきは、ブッシュと、チェイニーと、ラムズフェルドとブレアだ」と言う。

(「未来」2月号より)
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by reem-akemi | 2006-03-29 09:07 | エッセイ
今日は未来社に書いたエッセイー「未来」1月号ーをアップします。
イラク人にとってファルージャはアメリア・シェルターと同じくらい象徴的な存在になってしまった。今、一度、ファルージャをふり返って。

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「ファルージャ」から1年・・・

「ファルージャ」という言葉ほどイラク人の心をしめつけるものはない。それは悲劇の象徴であり、占領への抵抗の象徴でもある。

『ファルージャは凄まじい状況にある。とても言葉で表現できない。ものすごく恐ろしい悪夢の中にだけ存在する、そんな町になってしまった。
死体の散乱する破壊された街路、崩れ落ちた家々、倒壊したモスク・・・が、何が恐ろしいといって、この数週間ファルージャで米軍が化学兵器を使っていると伝え聞くことほど恐ろしいことはない。今日、イラク保健省の調査団は、ファルージャに入ることを許可されなかった。理由はわからない。      04年11月29日』

 ファルージャで何が行われているかは誰も知らなかった。耳に入るのは15歳から60歳までのすべての男性が街に閉じ込められ徹底的な攻撃が加えられたこと。家族を残して街を出ることが出来なかった女性たちもともに殺された。

 バグダッドでは行き場のないファルージャ難民を皆が受け入れていた。バグダッド大学のキャンパスも大きな難民キャンプとなり、テントがいくつも並んだ。
 半年過ぎた頃から少しずつ、米軍兵士あるいは命をかけて情報を伝えようとするジャーナリストたち(マーク・マニングス、ダール・ジャマイル、ジョー・ワイルディング等々)によってファルージャの情報が伝わり始めた。奇声をあげて屋上から銃撃を加える兵士たち、逃げ惑う人々、暗闇の中で赤外線の光に照らされ銃撃を受け倒れるイラク人たち、そこに繰りひろげられているのは現実とは思えない狂気の世界。

 05年11月9日、狂気とも地獄とも思えるような映像がイタリア国営放送局(RAI)で放映された。信じられるだろうか?骨まで燃える兵器―白燐弾のことを。米軍は本来照明弾として使うべき白燐弾を兵器として使用したことを発表している。ファルージャのことを世界に知らせたいというイラクの人権団体がいくつもの死体を映像に写してイタリアの放送局に手渡した。RAIはそれを編集してドキュメンタリー「ファルージャ 隠された虐殺」を制作した。その映像はイラクでも放映され、そのときのことをリバーベンドは次のように記す。

『私はついに勇気を振り絞って映像を観た。そこにはもっとも恐れていたものがあった。この映像を観ていると、内側に侵入されたような気がした。だれかが私の心の中にしのび込んで、私自身の悪夢をこの世に持ち込んだのじゃないかと感じた。男の、女の、子どもの死体の映像が次から次へと続く。あまりにもひどく焼かれ、傷つけられているので、男性か女性か、子どもか大人か、見分けるには、身に着けた衣服で判断するしかない。衣服だけは不気味なほど無傷なのだーまるで、どの死体も骨になるまで焼いてしまった後に、日常の衣装でやさしく着飾らせたかのようだーレース襟がついた水玉模様のネグリジェ…木綿のパジャマを着た女の赤ちゃんー小さな耳には小さなイヤリングが揺れて。            05年11月17日』

ファルージャの攻撃が終わったあと、米軍は街を水で洗い流したという。街に戻った人たちは家に残った食べ物を決して食べないようにという命令を受けた。
街は瓦礫と化し、私はそこがファルージャの街なのか、ナチスドイツのドレスデンなのか、わからなくなった。60年を経て、すべての時間が止まっている。

 「ジェノサイド」という言葉をこれほど虚しく感じたことはない。現実のほうがはるかにすさまじいから。現実は想像を越えた…。

 イラク人、米兵に限らず、この狂気の中にいる人間の不幸をなんとしよう…。彼らの撮った映像があらゆることを教えてくれる。飢えた犬が死体を食べる。一面にウジ虫がたかったどこの誰ともわからない男たち、女たちの死体。
 モゾモゾと動くウジ虫を凝視している私を見つめるもう一人の私がいた。
 
 05年11月イタリアのRAIに続き、BBC(イギリス)でも白燐弾の報道をトップニュースで扱う。イギリス、イタリアが米国の化学兵器使用に大騒ぎをしているとき日本ではどのように報道しているだろうか?試しに「白燐弾」で検索してみると唯一読売新聞で次のような記事を見つけた。

 『米国防総省当局者は16日、米軍が昨年11月、イラク・ファルージャを攻撃した際、発火性の強い白燐(りん)弾を使用していたことを認めた。 同弾の使用をめぐってはイタリア国営テレビが今月8日、民間人を巻き込んだ恐れがあるとして報じていた。白燐は、空気中で自然発火しやすいことで知られる。これを使用した同弾は、化学兵器ではないが、火がつくと消しにくく人をやけどさせるとされる。
 同省の報告書によると、昨年11月の戦闘で使用した際、「主に煙によって、塹壕(ざんごう)などに潜んでいる武装勢力に心理的不安を与え、外に追い出す効果があった」としている。(ワシントン支局 05年11月17日22時53分)』

 この温度差はなんだろう?インディペンデント紙では白燐弾をはっきりと化学兵器であると断定している。日本で最大の発行部数を誇る読売新聞のこの記事を読んだ読者は、真実から遠いところに追いやられたと感じるのは私だけだろうか。

 ファルージャで攻撃されたのは「塹壕」などではない。普通の人が住む普通の家。殺されたのは武装勢力ではなく、普通の人々。しかも多くが女性と子ども。なぜなら何年も続く戦争でイラクでは男たちが死んでしまい、人口の半分は子どもなのだから。そんなことを日本の新聞は書いてくれているだろうか?  
 私たち日本人は真実からはるか遠い場所で生きている。 
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by reem-akemi | 2006-03-28 09:11 | エッセイ
今夜、NEWS23をぜひ見てください。
http://www.tbs.co.jp/news23/tokusyu.html

「イラクは内戦なのか」という特集を行ないます。
このインタビューに答えているのがラマディの青年カスム。

彼は元イラク軍兵士。ファルージャの再建を友人と行なっています。彼が見てきたイラク戦争、イラク占領の姿は民衆から見たイラクです。
私たちはそこから多くの真実を知ることが出来ると思います。

実は、この彼、以前にこのブログで書いた名古屋からの机、椅子、ミシンなどを受け取るイラク側の人。彼らが再建しているファルージャの学校へそれらの品物が行くことになっています。

日本のテレビに顔を出してインタビューを受けるのは、それなりの覚悟がないと出来ないこと。恐らく死を覚悟してのことに違いない。それでも日本人に伝えたいことがあるから受けたのでしょう。

どうぞ皆さん、現在のイラクのこと、知ってください。
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by reem-akemi | 2006-03-27 09:11 | 日記

永田氏の証言:まとめ

永田さんの証言をメモを元にまとめました。
文中は「私」として永田さんが言われたように書きましたが、あくまでもメモを元に書いているので正確な言い回しではありません。

証言は先にも書きましたが、NHK、ドキュメンタリージャパン、VAWW-NET、裁判所からの質問に答える形ですが、私は以下に書くのはVAWWの証言のみです(それだけで24日から30日に行なわれたことを知るのは十分かと思います)。

特筆すべきことは、26日の試写では野島氏は何も言わなかったのに29日に安倍氏と会ったあと態度が豹変したことです。さらに30日には伊藤氏が海老沢会長に会ったあと、元慰安婦・元加害兵士の証言が削除され、伊藤氏が「自民党は甘くなかったわ」と発言していること。

永田氏も長井氏も26日試写された44分映像がもっとも基本に沿った作品だと思うと述べています。

では、26日にどのような基本路線が確認されていたかというと、
① 各国で起きていた「人道に対する罪」について問う
② 慰安婦の問題がなぜこれまで未解決の問題であったのかというのを問う
③ 国際的に国際戦犯法廷がどのように取り上げられたのか。アジアのメディアはどう取り上げたのかというのを問う

このような問題意識のもとに出来たものであった。20世紀最後のときに、このような視点で女性の暴力に対する取り組みを記録として残すことに何の問題があるのだろうか?本当に残念だ。

以下は証言のまとめ
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・1月26日の試写について。
(1月26日の試写会の出席者は、松尾、伊藤、野島、吉岡、永田、長井の6名)。

1月26日の試写の内容は、素材が間に合っている部分と未撮の部分と両方ありました。冒頭から細部にいたるまで、中味について私のメモを見ながら納得していく場でした。素材の部分には加害兵士、元従軍慰安婦の証言の場面が入っていました。

吉岡部長以下全員(番組制作の担当者という意味)が基本方針について合意したものを試写したのが26日の映像。すでにある素材を並び替えるという作業なのでテープの架け替えが必要でした。みな、ひどいものを見せられるのでないかと想像していましたが、そうではなかったという受け止め方だと思います。26日の試写のあとで野島さんはダメだという発言はしませんでした。話にならないという発言もしませんでした。

しかしこれ以上もめるのがイヤなので29日に再度1本にまとめたものを試写すると私が提案しました。
伊藤、松尾、野島3氏から29日の試写まで決定を留保するという話も、26日の試写のあと変更もありうるという話もありませんでした。
女性法廷に反対の立場の人の意見を入れるという連絡が来たのが1月26日午後5時半頃。伊藤さんから吉岡さんに連絡がはいりました。

・野島の試写の参加について。
野島さんに会ったこともなかったし、試写の現場にそういう他部局の偉い人が来ることは今までなかった。そういう違和感に加えて国会担当というのはNHKの中でも特別な存在なので違和感がありました。それぞれ部署には専門性があって、制作現場にそういう部署は普通は関与しません。しかし、当時はそのことがどれくらい特別なことなのかという認識を持っていませんでした。

・1月27日のこと
想定される質問などの資料を作成してました。意識としては政治家だけに説明する資料をつくっているつもりはありませんでしたが、政治家に説明することもありえると思います。
番組放送前に伊藤局長の部屋で若手議員の会の本を見せられました。伊藤さんは放送後と言っていますが、私の記憶では放送前です。

1月26日に伊藤さんの部屋に呼ばれました。伊藤さんはこの本を持って、「読んだことある?」そして最後の名簿のところを示して、中川昭一氏を指差して「言ってきているのはこの人たちよ」と言いました。いろんな形で意見をいうのは珍しいことではないので、そうなんだろうと思い、(私は)伊藤さんは毅然とめげずに放送を出すんだと受け止めていました。

・1月28日のこと
 秦教授のところへ収録に行きました。吉岡さんから最終的なOKが出て(44分版)、これ以上の大幅な手直しはないと思っていました。一般的に30日の放送であれば、むしろ遅いほうですが、みなイレギュラーなこととして受け止めていました。29日に試写があるので若干の手直しはあっても、尺をいじるということはあり得ないと思っていました。

・1月29日のこと
(夕方試写が行なわれた。伊藤、吉岡、松尾、野島、永田、長井の6名。)
 松尾さんはコートを着たままあわただしく部屋に入ってきました。試写が終わって野島さんが「全然ダメだ、話にならない」と言いました。当時はなぜとは思いませんでした。後日それを承服しがたいことと思ったが、渦中にあるときは思わなかった。吉岡さんが「やっていられない」と発言。「なぜ今さらそんなことをいう」と現場の気持ちを代言していたので、同じように振舞えなかった。本当は怒るべきだったのだと思います…。

 検討は伊藤、野島、松尾、吉岡の4氏が行い、具体的な修正の指示を野島さんが隣のソファーで行ないました。吉岡さんは局長室で荒れていました。野島さんは台本を見ながらひとつずつチェック。途中から吉岡さんが合流しました。

・野島氏とのやりとり
 今から切るところを伝えるからと。議論するのではなくそのとおり書き写してほしいということで「伝える」感じでした。慰安婦はすべてビジネスでという言い方をしました。私は「それは言えない。正確なコメントにしたい」と言いました。野島さんは納得してくれました。

 40分を切ってしまうので秦教授の部分を追加。内海愛子教授のコメントをはさむ形で秦教授のコメントを入れるとき、野島さんは「毒を食らわば皿まで」と発言。

 変更箇所は
①慰安婦、慰安所の存在を出来るだけ薄くする。
②戦後の日本政府の対応を出来る限り取り除く。
③法廷を肯定的に評価しているゲストの証言や専門家の証言・コメントをとりのぞく。
④日本政府・天皇の責任について認定しているというくだりとそれの根拠にあたる国際法の専門家の証言をとりのぞく。

その後、台本を示しながら変更点を長井さんに伝えました。

・1月29日 疲労困憊して帰宅(誰かが寝ていないと作業できないので帰宅)。

・1月30日
 ダビング・収録が終わってから、松尾さんから吉岡さんに電話が入りました。松尾さんの部屋でのやりとりについては吉岡さんから聞きました。伊藤さんが「自民党は甘くなかったわよ」と言い、松尾さんは「経営判断だから、議論している場合じゃねぇ」と変更を指示。吉岡さんは編集のし直しが起きたと苦渋に満ちた声で伝えてきました。

 とにかくなんとかしなきゃと思って松尾さんの部屋に行きました(松尾、伊藤、野島3氏がいた)。そのときは良いとか悪いとかでなく、全体があり得ないことだと思っていました。なぜこの後におよんで根幹のところ[註:元兵士および元慰安婦の証言]を切るのかと聞きました。こんなことをするとNHKが深手を負うことになると。

 放送人というより、人間としてやっていいことと悪いことがあると思いました。我々放送に携わる人間を律しているルールはいくつかあるが、もし2つあげるなら、ひとつは真実を追究する不断の努力。それが当たり前のこととしてあって、私はそれを大事にしてやってきました。2つめは声をあげられない人のことを我々は大事にして、立場の弱い人のために放送があるんだと思って信じてやってきました。その二つに照らし合わせみて彼らのいうことには信憑性がないということでしたが、それをご本人の前でそのことを言えるのかと、今でも言えるのかと言いたい。
 やはり弱い人の立場にたってやる仕事というのを根本的に毀損する判断だったのではないでしょうか。
 番組の責任は自分がとるからと松尾さんは強調されました。伊藤さんは泣きそうな顔で黙っていました。野島さんは「君がマジメで一生懸命なのはわかった。でも決まったことなのだ」といいました。

 VAWWにその説明をするという話はありませんでした。放送後、タクシーの中で泣きました(無念の気持ちで泣いた)。ここまですさまじいことを経験したことはなかったし、出た番組が痛ましいことになっていたこともあります。
 放送全体のコメントはしにくい。私の体験でいえば悔いの残る体験でした。

・長井さんの会見について
 長井君が語った中味もそうですが、このことについてそこまで自分のこととして受け止めて勇気を持って記者会見した事実に驚きました。政治家の一連の介入が取り上げられた時期に、4氏が集まって話し合ったことですが、野島さんが松尾さんに「安倍のところに行ったのは呼びつけられたのではなく、こちらから出向いたことにしよう」と言って、松尾さんが「よく覚えてないということでどうだろうか」と答えたと聞きました。あまりにNHKの見解と違うのでみんなが驚きました。大事なことなので真実を追究してもらいたい気持ちでいっぱいです。

 5年の歳月のなかで記憶が書き換えられたことは私も含めてありうることだと思いますが、私がここで述べていることについては、一生忘れられないという出来事に基づいて話しているので何度聞かれても同じことを言うしかないかなと思っています。

 3つの台本の文言が何度も書きかえられ、それがさらされて、番組の責任者としてコメントしなければならない立場というのが非常につらくて、本来ならばそういう事態にならないですむものならそうであってほしかった。時間は戻ってきませんが出来ることなら5年前に戻りたいなという気持ちです。

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by reem-akemi | 2006-03-25 09:14 | NHK問題
今日はNHK裁判・永田浩三氏(元チーフプロデユーサー)の証人尋問があった。
私は1時ジャストに到着。すでに傍聴券の抽選が始まっていてアウトの状態。知り合いの記者(A紙)の顔を見つけてそばにいったら余分に傍聴券が入手できたら1枚くれるとのこと。「あらうれしい♪」と待っていた。さすがメディアは違う。必要な人数の倍の人をゲットして傍聴券を入手した。私はいただいた貴重な傍聴券を手にして裁判所に入る(^^)v

今日は①NHK、②ドキュメンタリージャパン、③VAWW-Netジャパン、④裁判所の順番で尋問があった。

NHKを守ろうとする弁護士はかなり損な役回りといえる。なぜなら組織の論理で動こうとしない人に組織の論理で向かっても無駄だから。長井さんといい、永田さんといい、彼らを支えているのは「良心」。こうなると何を聞いても人間の良心の強さが光ってきて、弁護士の愚かさ(組織を守ろうとする)が浮き立ってくる。

裁判がこんな面白い人間ドラマだとは思わなかった。
ヘタなドキュメンタリードラマよりずっと感動的だ。

詳細な報告は後日行なうとして、私の永田陳述の感想だが、永田氏がこよなくNHKを愛していること。自分の仕事に誇りをもっていたこと。それがムザムザと踏みにじられた悔しさ。などなどが手にとるようにわかって、こういう素晴らしい人材を失った今回の事件はNHKにとって本当に大きな損失だなぁとつくづく思った。(彼はNHKを辞めたわけではないが心に大きな傷をつくっている)

彼は、伝聞には触れず、自分の見たこと聞いたことだけを証言した。私たちはこれら証言にたった人のあらゆるデータを総合して、いかに2001年1月29日に異常な改ざんが起きたのかがわかる。

2000年は日本の防衛・軍事を考える人たちにとっては大きなターニングポイントだったのかもしれない。女性たちがしかけた慰安婦裁判にあれだけの妨害があったのは、たとえ小さな民衆法廷でも日本の戦後責任を追及されることが不利になると判断したからだろう。
ましてや、それをテレビで放映するとなると、その影響力の大きさに無視することが出来なかったのかも。

私たちは戦後民主主義の良い点(?)を受けて、天皇制とは無縁の中で育ってきた(国歌を強制しだしたのも最近のこと)。だから長井さん、永田さん、そして吉岡部長がマジメに「人道の罪」に取り組んだ気持ちがよくわかる。「人道の罪」の概念こそ第二次大戦後世界が勝ち得た戦争に対するリベラルな発想といえるから。

おそらく当時のNHK幹部の誰もが29日までは、この問題の持つ意味の大きさを理解できていなかったのではないだろうか。

私は天皇制を維持し支え続ける人々は2種類あると思っている。ひとつは、天皇の「権威」を借りようとする人たち。これは織田信長等過去の歴史上の人物もやってきたことで、戦前の軍事政権もそのひとつ。もうひとつは「天皇教」の人たち。天皇を純粋に神として崇めている。こういう人たちにとって天皇を裁判にかけるなど論外。どこの世界に神を裁判にかけるものがいるだろうか?私は天皇を神と崇めている人たちに何も言うことはない。だって誰を崇めようとそれは個人の自由だから。でも、それを他人に強制しないでほしい。ましてや国の政治と宗教は別のものなのだから、政治に関わるべきではない。

多くの人々にとっては、天皇は「権威」の象徴ではなく、もっと親しみをこめた存在なのではないだろうか。そのほうがきっとうまく行くだろうに、それを無理やり「権威」を持たせようとするから、あちらこちらにねじれが生じる。

NHK改ざん事件は戦争大好きな人たちが戦争の準備をする途中で起きた「小さな芽から摘み取ろう」作戦だった?これは私の想像だけど…。
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by reem-akemi | 2006-03-23 09:16 | NHK問題

3月20日

3月20日。イラク開戦の日。

さて、日本のメディアはイラク戦争のことにまったくふれないが、BBCでは多くの記事が載っている。

その中でも目をひいたのはイラクの戦争コスト。

・民間人死亡者数  3月1日現在32,600-35,700名
・イラク警官死亡者数 1900名
・米兵死亡者数   2,300名以上
・多国籍軍死亡者数 205名 (イギリス人103)
・イラク駐留米兵  13万8000 (イギリス: 7,800)
・イラク軍     23万5000
・石油生産     1日1.8mバーレル(戦前2.5)
・米国の納税者が負担する戦費 2480億ドル

これを見てもいかにイラク占領が割りの合わないものかよくわかる。アメリカは実におろかなことを3年もやっているが、これでもなおブッシュ政権はイラク戦争を正当化し、イラク内で確実に成果が出てていると発表している!!(世界中がブッシュのウソを見抜いているのに、白々しく演説する神経の図太さに感心する)
上記の数字はイラクの病院で亡くなった人の数で、現実にはイラクの民間人死亡者数は20万人とも言われている。
そして、内戦が始まったとされるここ1ヶ月で毎日バグダッド市内でも40~50人の死亡者が出ている。

サマッラでは、米軍とイラク軍の攻撃で子どもたちが機銃掃射をあびた。本当に信じられないことが毎日毎日起きている。

この殺戮、いったいどこで終わるのだろう…。
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by reem-akemi | 2006-03-21 09:18 | iraq
バグダッド・バーニングbyリバーベンド 3月18日のサイトを掲載します。
http://www.riverbendblog.blogspot.com/

明日はあの忌まわしいイラク開戦の日。バグダッドにミサイルが落ちる映像を私は決して忘れることはないだろう。3年たってイラクの友人からはメールが来なくなり(彼は神経がすっかり参ってしまった)、聞こえる話は地獄のようなことばかり。

3月20日を前にして変わっていくイラクの姿を語るリバーがいたましくてならない…。

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2006年3月18日土曜日
3年たって…

独立国家イラクの終焉を意味した戦争の始まりから3年が経過した。占領と流血の3年間。

春は回復と再生の季節のはず。しかしイラク人にとって、春は痛ましい思い出を追体験して、来るであろう禍(わざわい)に心構えをしておく季節になった。様々な意味で、今年は2003年に似ている。戦争前、私たちは燃料、水、食物、救援物資および医薬品をストックした。私たちは今年、再びそれをしているが、今、私たちは、何のためにするのかを議論しない。爆弾とB-52以上の多くの恐怖に遭遇しているから。

3年前今のような最悪の日々を迎えるとは誰も思っていなかった。ここ数週間緊張状態に支配され続けている。私はすべてに疲れ果てたー私たちみんなが疲れている。

3年たって電力状況はこれまで以上にひどい。治安状況はますます悪化した。国は、再び混沌のきわみにあるー信心深い民兵と狂信者によって導かれ、あらかじめ計画され、作られた混沌。

学校、大学、仕事はあったりなかったり。2日間は仕事・学校に行き、残りの5日間は状況が良くなるのを待って家で待機する。そして今、大学と学校は休校している。"アルバイーン"(シーア派の祭り)が近づいているためだ-黒と緑の旗、黒服の群集、アラーへの賛辞がさらに増える。私たちは「子どもたちは来週の水曜日には学校へ戻るべきだ」と話している。学校が2、3日前に行われた国民議会(さんざん待ちわびた)のために休校していたので、私は、「再開するべき」と言っている。サマッラーのモスクが爆破された後も休校になった。子どもたちは今年、学校にいるより家で過ごしていることのほうが多い。

私は今年のアルバイーンを特に心配している。サマッラーのアスカリ・モスクで起こるであろうことを見るのは恐ろしい。ほとんどのイラク人は、すべてのことがイラクを分割して得をする人間たちによって計画されたと考えているようだ。

2004年、2005年より今年、2006年にさらに悪くなるであろうことを考えてみる。電気、水、崩れかかったビル、破壊された道路、醜いコンクリートの防御壁などの外面的なことに違いはない。それらは心をかき乱すけれど、見慣れてしまった。イラク人は、国を再建できると再三立証してきた。そうではなくて、何が私たちを不安にさせているかをまだ明らかにしていない。[訳注:問題の本質はそのような物質的なことではない]

本当に怖いのは多くの人々の最近の精神状態。国の中心にあって何とかうまくやってきた境界線[訳注:宗派の違い]が人々を分断する。知人と話すとがっかりする。彼らは洗練されて、教養があるとされている人々だ。スンニ派はこのようだとか、シーア派はあのようだとか…。人々は「スンニ派が住む地域」あるいは「シーア派が住む地域」を求めて引越しをしていく。こんなこと、どうして起きたの?

イラクにおける何十年にもわたるスンニ派とシーア派の間にある境界線(独裁者の下では、誰もそれに気がつかなかったし、気がつこうともしなかった)について、外国人とか海外にいるイラク人によって書かれたものを読んでいるー皮肉なことに、イラク人の中で実際に生活しているとわからないと彼らはいう。それは絶対に違う。もし境界線があるとしたら、両方の狂信者にはあった。過激なシーア派と過激なスンニ派のイスラム教徒に。ほとんどの人が自分たちの宗派に基づいて友人を作ったり、自分の宗派に基づく隣人と社会生活を送るなんてことは絶対にしていなかった。人々は気にかけてもいなかった。そんな質問をしたら、なんて愚かで無作法な人間だと思われるのがいいところ。

私は子どものとき、訪問したさきのことを覚えている。私は近所の子どものひとりと外で遊んでいた。アモルは同い年で、同じ月(3日間だけ誕生日が違う)の生まれだった。私たちはバカげたジョークを言い笑いあっていた。すると突然、彼女が振り向いて、「あなたは、サナフィール?それともシャナキール?」と恥ずかしそうに尋ねた。私は当惑して立ちつくした。「サナフィール」は「スンニ派」の意味を持つアラビア語で、「シャナキール」は「シーア派」の意味を持つアラビア語。私はなぜ彼女がそう尋ねたのか理解できなかった。明らかに、それは私がスンニ派(サナフィール)であるかそれともシーア派(シャナキール)であるかを尋ねる遠回しな方法だった。

「何???」なかば微笑んで、私は尋ねた。彼女は笑って、私が手を脇に置いて祈るか、体の前で手を重ねて祈るか尋ねてきた。[訳注:スンニ派は手を前に重ねて祈るが、シーア派は両脇にたらしたまま祈る] 私は肩をすくめた。まったく関心がなかったし、ほんの少し恥ずかしかったから。私はまだ10歳の子どもで正しい祈りの方法を本当に知らなかったのだ。

夜遅く、私はおばの家で母に私たちがスンニ派かシーア派かを尋ねた。母は私がアモルに投げかけたと同じような空白の視線を私に向けた。「ママ、私たちはこう祈る?それともこう祈る?」私は起き上がって、二つの祈りの形をとった。母の目はすべてがわかったというように澄み、頭を横に振って、ちらっとおばのほうを見た。「あなたはなぜ尋ねるの?誰が知りたがっているの?」 私はシーア派の隣人アモルがその日私に尋ねたことを説明した。「私たちはシャナキールでもなく、サナフィールでもない。私たちはイスラム教徒であり、そこに違いはないとアモルによく言っておくのよ。」

後年、親戚の半分がスンニ派であり、残り半分がシーア派だと知ったが、誰もそんなこと気にかけていなかった。私たちは、親族会とか家族の夕食の間も、スンニ派イスラム教あるいはシーア派イスラム教について論争などしなかった。家族はいとこの手が体の脇にあって祈っていても気にもかけなかったし、もう一人のいとこは手を体の前で重ねて祈っていた。私の世代の多くのイラク人はそんなふう。私たちは、とにかくー肯定的にも否定的にもー宗派、民族性に基づいて差別する人間は教養がなく野蛮だと信じて育った。

現在の状況に関して最も面倒なのは、宗派に基づく差別がとてもありふれたことになったということだ。バグダッドの普通の教育を受けたイラク人にとっては、スンニだとかシーアだとか話すことはまだ物笑いの種だが。残念なことに、政党があらゆるスピーチ、あらゆる新聞を使ってーすべてに‘私たち'とか‘彼ら'とかを入れー差別を助長しているので、人々はスンニだシーアだという主張に押し込められてしまった。私たちは絶えず「私たちスンニ派はシーア派兄弟とどうつながるべきか…」について、そして「私たちシーア派はスンニ派兄弟をどう許すべきか…」について読んでいる。(スンニ派とシーア派姉妹はこのどちらにも当てはまるものではないことを明記しておく)。政治家と宗教指導者は私たちが皆おなじイラク人であることを結局は忘れてしまったようだ。

占領軍はこれらすべてのことにどんな役割を果たしているのか? 彼らにはそれが非常に都合がよいのだと、私は信じる。イラク人が互いに誘拐し殺しあえば、非常に良いのだ。彼らは平和を促進しようとするどちらにも組しない軍隊であり、そして、人々の間で誰がもっとも平和的であり分かっているかを理解しているのだ(占領が続くまでは)。

戦後3年、私たちは街を覆いつくす崩壊のみならず、精神的な部分でも崩壊し、後退した。

先週、数千の人間が無意味な暴力で死んだ。そして、これを書いているときもアメリカ軍とイラク軍はサマッラーを爆撃している。悲しいのは空爆ではない。どれも私たちがこの3年間で見た何百回もの空爆の1つに過ぎない。悲しいのは人々のあきらめだ。人々はどこにも行けず、サマッラーの家に留まっている。以前、私たちはバグダッドと隣接した地域で避難民を迎えいれた…。今、バグダッドの人間自身が街から出る方法を探している…国から出ることも。典型的なイラク人の夢は、海外で安全な避難所を見つけること。

3年たって、「衝撃と畏怖」の悪夢はもうひとつの悪夢に進化した。今と3年前の違いをいうなら、3年前私たちはまだ物質的なこと(資産、家、車、電気、水、燃料など)を心配していた…。現在もっとも不安なことが何かと定義するのは難しい。最もシニカルな戦争評論家さえ、3年たって国がこんなにひどい状況になるとは想像さえしなかった…。アラーよ、4年目を迎える私たちを守りたまえ。

リバー@午前3時28分

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-03-19 09:32 | バグダッド・バーニング
今日はダール・ジャマイルさんの文章が送られてきたので転載します。
http://www.dahrjamailiraq.com/hard_news/archives/newscommentary/000376.php

彼はイラクで活動している数少ないジャーナリストの一人。
ところで、今、サマッラではイラク軍と米軍によるファルージャ攻撃を上回る掃討作戦が行われている。犠牲者の多くは女性と子どもだということだ。これもファルージャと同じ。日本のメデイァはテロリストたちが逮捕されたと報じている。いい加減にしてほしい。

以下は犠牲者の写真。
http://www.iraqirabita.org/?do=article&id=3251

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イラクは永久的なアメリカの植民地 ダール・ジャマイル著

truth out|Perspective 2006年3月14日 火曜日
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なぜブッシュ政権はイラクからの占領軍撤退について論じることを拒否するのだろう? なぜイラクにおける米軍基地の建設と保守で、入札無しの契約を勝ち取ったハリバートンは、同社86年の歴史始まって以来空前の最高利益をあげているのだろう?

なぜイラクにあるこれらの基地は、前哨軍事基地でありながら、自己完結型の都市に似ているのだろう?

アメリカ合衆国の最高位の大将、統合参謀本部議長ピーター・ペース大将のばかげて恥知らずな言説を聞かされているのはなぜだろう。三月九日テレビ番組「ミート・ザ・プレス(記者会見)」のインタビューで、イラクの状態はどうかと尋ねられて「まあうまくいってますな。大きなスマイルマークをやれるというわけではありませんが、あらゆる事態は実に、実にうまく進んでいると申し上げましょう」

こうした統合参謀本部議長に対して、メデイア対応の研修所や、少なくとも発言要点メモでも用意されているのではないかと疑ってしまう。というのは、ペースの前任者リチャード・マイヤーズ大将は、昨年9月ジョン・マケイン上院議員に「 [イラクでは]ある意味で、事態はうまくいっています」と言っているか
らだ。

ペース将軍はイラク軍のことも、こう称賛した。「今では百以上の[イラク人]
大隊が実戦に出ています」

うおーっ! ペース大将は魔法の杖を振って、勤勉に占領下イラクの事態を安全に保っているこれら99の新しいイラク人大隊を出現させたのだ。というのは、イラクにいるアメリカ軍最高位の大将、ジョージ・ケーシー大将によれば、そう遠くない昔に、イラクの中で自力で戦闘できるイラク人大隊(兵士およそ500-600名) は一つしかなかった。

2005年9月末の上院軍事委員会での聴聞で、ケーシー大将はペンタゴンが昨年6月に三つあったイラク人大隊が、9月にはわずか一大隊になってしまったものと想定していることを認めている。六ヶ月もたたない前のことである。

一体どうすれば、ペース大将が実現したと主張しているように、六か月以内でイラク人大隊を99部隊も訓練できるのか論じる資格のある人物を誰か見つけ出すのも名案だろうと愚考する。

アメリカ陸軍に26年間勤め、ベトナムに始まってハイチで終わるまで8カ所の戦闘地帯で戦った人物ならその資格があるに違いないだろう。二つのパラシュート歩兵隊、三つのレンジャー部隊、二つの特殊部隊群とデルタ・フォースで戦ったというのも、説得力を増すだろう。更に念のため、パナマのジャングル作戦訓練センターでは戦術を、アメリカ合衆国ウエスト・ポイントの士官学校では軍事教練で教えたことがあるなら、兵士の訓練についてはかなりの物事を知っていようし、これはまあ予期せぬおまけだろう。

その人物とはスタン・ゴフだ。

イラク人大隊が百あるというペースの主張に対して私が意見を求めた時、「全くのたわごとですよ」というのが、ゴフの意見だった。「自分の部隊にいる抵抗勢力を数えているんでしょう」

ゴフは付け加えた。「あの馬鹿者[ペース]は、訓練され統制された武装した兵士が6万人いると言ったのです。...色々スタッフを含めれば6万5千人 ... 必要な支援部隊を入れればほぼ十万
人です。それだけ訓練して監督するには何千人ものアメリカ人顧問が必要です。エリート海兵隊員があそこまで露骨に広報係役をさせられるのは失望です」

イラク軍は「いくら大勢いようとも」膨大な数の敵が紛れ込んでいるということは、ペース「も誰もが」知っていることだとゴフは言う。

更に統合参謀本部議長の面目を潰すようにゴフは言った。「99の[大隊]を昨年9月以来、訓練するなどというのは、平均的なアメリカ人だけが黙って信じるような戯言です。ここで当を得た質問は、その大隊はどこにいるのか?です。どこに司令部があって、どこで作戦を展開しているのでしょう? 連中の言う作戦の安全確保など問題外です。
イラクの中で、兵士とつながっている事が多い他のイラク人たちから、兵士600人の部隊を100も隠し通せると信じているのでなければ......」

「あの連中はいい加減なことを言うのに慣れてしまっていますし、本国の人々の無知と無関心を見込んでいるのです。それを見過ごしている、背骨を入れ直してやらなけりゃならない何百人もの民主党員も。私のどの発言でも引用してかまいません」とゴフは話を結んだ。

ペースや他の連中が懸命に煙幕を張っているのには相応の理由がある。イラク侵略には計画など無かったという事実を隠蔽するためだ。

プロパガンダについて語る際には、我が聡明な軍事戦略家にして人権を守る戦士、卓越したコンドリーサ・ライス国務長官をうっかりして抜かしてはならない。

3月8日、国務省の「2005年人権問題にかかわる政府報告書」発表の際、ライスは冒頭の挨拶を述べた。

報告書序文にはこうある。「イラクでは、2005年は民主主義、民主的権利と自由にとって、大きな進歩の年である。人権を推進するNGOや他の民間団体は着実に増えた。」

はあ、なるほど。

この報告書は国務省によって連邦議会に提出されている。我が国の政治家達、ひどく愚昧なだけなのか、それとも単に多くのアメリカ人同様、恐ろしい程に虚報でごまかされているのか怪訝に思うことが多い。この報告書、どうやら後者が正しいということのようだ。

私が言いたいのは、ブッシュ政権の高官連中がイラクでは物事がうまくいっているごとく描き出そうと一致協力しているのに、一体どうして連中はイラクで恒久基地を建設しているのだろうかということだ。

ペース、ライス、或いは最近イラクにおける事態は「着実に良くなっている」と言った「射撃の名手」チェニーのような連中によるメディアを使ったこうした煙幕は、アメリカ国民に、最終的にはアメリカ人兵士の撤退があるだろうとまんまと信じ込ませる。

だがこの煙幕の問題には、煩わしい「現実」がある。

そしてイラクの現実については、ペース、ライス、チェニーらの口の達者な看板役どもは、アメリカ国民に、自分たちの本当の計画を語ってはいない。

連中の狙いが洞察できそうな一例は、悪名高い「グリーン・ゾーン」で建設中のアメリカ「大使館」だ。

読者が本稿をお読みになっている間も、物議をかもしそうなクウェートに本社を置く建設会社がバグダッドに5億9千2百万ドルのアメリカ大使館を建設中だ。工事のどたばたが収まった暁には、この居住地は世界最大かつ最も安全な外交官居住地となろう。

司令部、いや「大使館」は、通常基準の2.5倍強化されており、中には15フィートもの厚さの壁すらある21棟の建物からなる自給自足可能な居住地域だ。

千人以上のアメリカ人「国家公務員」を配属して、住まわせるという計画だ。連中にとって幸いなことに、ジム、プール、床屋、美容院、飲食用カウンターと販売部が利用できる。兵士の大規模兵舎、学校、更衣室、倉庫、自動車修理車庫、合計619室の一人部屋がある6棟のアパートまで揃っている。「国家公務員」が幸いなのは、上水、発電と下水処理場は、どれもバグダッド市の公共設備とは独立している。基地全体では、ワシントン, DCにあるナショナル・モールの2/3の広さがある」

解放されたイラク人で、自分たちのプールに入れるような人などいるだろうか?

また至る所で、全くめちゃくちゃで、侵略前以下の水準でしか機能していないイラク人のインフラとは違って、アメリカ「大使館」は計画通りに建設されつつある。アメリカ上院の外務委員会は最近、建設が地球上で最も危険で、一触即発の場所で行われていることを考えると、これは見事な離れ業であると言った。

さらに、恒久軍事基地がある。

イラクのそれが一体どんなものかご理解いただくために、まずはバグダッドに近いキャンプ・アナコンダから始めよう。イラクの土地15平方マイルを占めるこの基地には二つのプール(プラスチックのふくらませるタイプのものではない)、ジム、ミニ-ゴルフ・コースと、封切り映画館がある。

バラド空軍基地で暮らす2万人の兵士達は、その内の千人以下しか基地を離れたことはないが、基地内に二軒ある、最新の電気製品の山やら、CDを選べる棚がある売店の一軒で、新しいiPodのアクセサリーの実物を確かめることもできる。軍売店マネージャーの一人は最近、毎日15台のテレビを兵士に販売していると豪語した。

抵抗が猛烈なアンバール県にあるキャンプ・アナコンダでは、占領軍はエアコン装置つきで暮らしており、インターネット、ケーブル・テレビと海外電話を使えるようにする計画が描かれている。

何千人もの民間契約業者が基地の中の「KBR-ランド」と呼ばれる区画で暮らしており、負傷した兵士達に対して毎月400回の手術を行っている病院がある。

基地の空軍関係筋は、そこは世界で最も活動的な滑走路があり、プレデター無人偵察機がヘルファイア(地獄の火!)・ミサイルを抱えて飛び立ち、さらにはF-16、C-130、ヘリコプター、その他無数が発着するという。基地は250機以上収容している。

兵士達は、たとえひどく安い給料で働くインド、ネパール、スリランカそしてバングラデシュといった「第三世界の国民達」が給仕するかなり豪華なご馳走をすることはできないとしても、バーガー・キング、ピザ・ハット、ポパイズ、或いはサブウエイに行って、スターバックスのモカコーヒーで、食事を流し込むことは出来る。

イラクには、キャンプ・アナコンダの他にも、いくつかの巨大基地、例えばバグダッド空港近くのキャンプ・ビクトリーのようなものがある。ここはマザー・ジョーンズ誌のリポーターによると - コソボのボンド
スチール基地の二倍の規模なるだろうという。コソボの基地は、ベトナム戦争後に建設されたものの中で、現在世界最大の海外基地だ。

キャンプ・リバティはキャンプ・ビクトリーに隣接しており、兵士は基地内のトライアスロンで競技したりさえるす。「コースは総計140マイル以上あり、西バグダッドの大キャンプ・ビクトリー地域のいくつかの基地にまたがっている」と国防省ウエブ・サイトの新規記事にある。

ブッシュ大統領がイラク撤退の予定表を立てることを拒絶しているのは、撤退するつもりがないからだ。彼が撤退するつもりがないのは、アメリカのより大きな中東計画に則っているからだ。

バグダッド陥落から二週間も経たない2003年4月9日、米軍当局はイラク内で将来も利用可能な少なくとも四つの大型基地を維持する意図があると発表した。

この四つの基地はバグダッド国際空港(トライアスロン場があった場所)近く、タリル (南部のナシリヤ近傍)、クルド人地域の北部、イルビル或いはカヤラ(わ
ずか50キロしか離れていない) に一つ、さらに西のアンバール県アル-アサドに一カ所。もちろん、先にお話したバラドにあるキャンプ・アナコンダもお忘れなく。

より最近、昨年5月22日、米軍司令官達は、軍隊を四つの巨大基地に統合すると発表した。通常の金属製移動住宅やブリキ葺きではなく、コンクリート製のビルを建設しながら、この計画に関わっている米軍当局者は、「統合計画には、米軍の恒久的イラク駐在を確保するという意図はない」と述べた。

その通り。

アメリカは少なくとも四つの巨大な基地をイラクに置いている。何百万ドルもが建設に投じられ、しかもそれは、ブッシュ大統領がイラクでの主要な戦闘作戦は終了したと宣言する前に、そこに置く予定だと軍の立案者が言ったのとほとんど同じ場所だ。

イラクでの「任務完了」といったのは、必ずしも石油省の警護やら、あの国を無期限に占領すること(大量破壊兵器の発見、アルカイダの崩壊、或いはイラク人の解放、云々)ではなくって、中東の中心部に軍事的橋頭堡を打ち立てるということだったかのようだ。

アメリカ当局者がイラク内の基地に触れる時には、あえて「恒久的な」という言葉は使わず、「恒久的利用」と表現している点に留意されたい。2003年4月19日のニューヨーク・タイムズ一面の「ペンタゴン、イラク内の主要四基地を利用する長期的権利を期待」という見出しの記事にはこうある。「おそらく軍の恒久駐留についての発表はなされまい。恒久的駐留ではなく、恒久的利用こそが必要なのだ、と当局者は語っている」

なぜそんなものが必要なのだ? いくつものあからさまな恒久基地が必要なのだ? なぜ橋頭堡が要るのだ?

米国政府の軍事戦略文書をちらりと見るのは、実に興味深い。

「わが軍は、潜在的な敵対者が、アメリカ合衆国の軍事力を凌ぐ、或いは同等の軍事力を目指して、軍事力を増強しようとするのを思いとどまらせるのに十分なほど強力だ」と2002年国家安全保障戦略は言う。

これを実現するため、アメリカは「基地、駐屯地を、西欧、北東アジア内と、さらにその先に必要としている」

もう一つの興味深い文書は「21世紀の統合軍が広範囲における優勢を実現するよう、改革するのに献身的な個人と革新的な組織 [ここは太文字だ]:平時には説得力を、戦時には決定的な役割を担い、あらゆる形の紛争においても卓越している[ここはイタリックだ]」というのを自身の「ビジョン」とする統合参謀本部議長による「共同ビジョン2020」だ。

アメリカの為政者は、冷戦を世界帝国への長期的な戦争と揺るぎない軍事的覇権で置き換えた。これこそが、なぜそこに恒久的米軍基地があるのかを良く理解できるようになるために、我々がそれを通してイラクを見なければならないレンズだ。

2006年2月6日に発表された四年ごとの防衛査察報告書には「複数の、重複する戦争」を遂行し、「全ての主要国家、新興国家が、国際システムの建設的主体、利害関係者として統合されることを確実にすること」と野望が明記されている。報告書は更に続けて言う。アメリカは「更に、地域的或いは世界的安全保障の条件を、いかなる外国勢力も決定することがないようにするように求める。アメリカは、軍事上のあらゆる競合相手が、地域的な覇権や、アメリカ合衆国或いは他の友好諸国に対する敵対的行動を可能にするような、破壊的、或いは他の能力を開発することを止めるよう説得を試み、侵略或いは圧政を抑止するよう求める。万一抑止が失敗した場合には、アメリカ合衆国は、敵対国家の戦略的、作戦的目標を阻止すべきである」

要するに、イラクにおける恒久的な米軍要塞の目的と、こうした政府文書の暗黙の目標は何なのだろう?

帝国だ。

(アラビア・ニュースから)

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恒久的軍事基地は日本が大先輩!そして、それもいまや全国に広がろうとしている!!
メデイアは日本にある米軍基地内の実態を私たちに報道したことがあるだろうか?

それら基地の維持経費は日本の税金ー思いやり予算ーから出ていることを私たちは忘れてはならない。
アメリカ暴力集団は、普天間からグアムへの基地移設にも日本の税金を得ようと画策している。

岩国の住民投票で大多数の市民が基地に反対した。これに対して政府の反応は、防衛は国レベルの判断だからと、まったく無視しようとしている。

米軍基地など、いらない!世界中どこにも。

日本政府も、ありもしない敵を作り上げて戦時体制の準備をするとは。なんて愚かしいのだろう。
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by reem-akemi | 2006-03-18 09:34 | iraq