毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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ラマダーン

2006年09月28日

ラマダーンに入った9月24日、シーア派の聖地として知られるカルバラの遺体安置所に338体の身元不明の死体が運び込まれた。

以下はロイター・ニュースからの抜粋
KERBALA - A total of 338 unidentified victims of violence have been brought to the morgue in the Shi'ite holy city of Kerbala, 110 km (70 miles) south of Baghdad, since Jan. 1, said Saleem Kadhem, spokesman for the provincial health service

これで2006年1月以来の民間犠牲者数は8066名。
以下はその詳細(Iraq Caulition Casualty Countより)

1月  590
2月  688
3月  901
4月  809
5月  969
6月  738
7月  1063
8月  970
9月  1338

民族粛清とも思われるこの事態に、なぜ世界は沈黙しているのだろう…。
聖なる祈りの月といわれるラマダーン。人々はひたすら家の中で祈っているに違いない、家族が無事に生き延びることを。
一日も早くこの殺戮がやむことを私も祈っている。

2003年10月、ラマダーンを私はイラク北部アルビルで迎えた。昼間、街中のレストランが閉まり、私は空腹を抱えて(ひもじい気持ちで)街を歩いた。仕方ないのでバッグにあったお菓子を食べた。午後5時に近づくと、街中が活気づく。タクシーはものすごいスピードで我が家にまっしぐら。こんなときはどのタクシーも止まってくれない。5時のラマダン明けを待って、いっせいに食事が始まる。私もやっとホテルでケバブにありついた(笑)。あの街の灯が懐かしい。

アルビルは今建築ラッシュと聞く。復興が順調に進んでいるのだ。
復興が進む街と殺戮が行なわれる街。一体誰がそれを決めるの?米軍????

クルディスタン地域はイラクの国旗を降ろし、クルドの旗を掲げている。もっとも2003年当時もクルディスタンはまったく別の国だったから今さらそんなこと書くまでもないのだが。
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by reem-akemi | 2006-09-28 02:22 | iraq
2006年09月26日

国旗・国歌を学校現場に導入し、それを強制している地方自治体への判決は先のブログに紹介したとおり。

この判決に対し、石原都知事は「控訴するのは当たり前」とし、「あの裁判官は都立高校の実態を見てるのかね。現場を見てみるといい」「規律を取り戻すには統一行動が必要。その一つが式典での国歌・国旗に対する敬意だと思う。それがすべてとは言わないが、これも一つの手だてだ」などと語った。
(朝日新聞より)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200609220306.html

この発言でもわかるように、日の丸・君が代は結局国家がその権力(権威ではない)を誇示するための道具に過ぎない。教育とはまったく関係のない次元の話だ。
権力に抵抗するものに対して力でねじふせようとしているのが今の東京都のやり方。そして、それが石原慎太郎の美意識(?)の実践なのだろう。美意識と書いたのは、彼が整然とした儀式に美を感じ、力を使ってでも規律を重んじようとしているから。
何か、ヒットラーの美意識に近いものを感じる…。

国旗・国歌法を制定した人は違う発想があったのかも知れない。国の象徴としての国旗・国歌はどこの国にもある。恐らくそのあたりのことを想定しての法律だったに違いない。それなら私も理解できる。
けれど裁判長も判決内容に書いているとおり、それを学校現場に持ち込み、処罰の対象にするのはどうかと思う。

そもそも国旗・国歌を学校現場に持ち込む必要があったのか?国威の発揚としての道具を教育の場に持ち込むことが妥当なのか?
日の丸・君が代を学校現場に持ち込むことが当たり前であると思っていることに疑問を呈してもいいのではないだろうか。

以下はアラビア・ニュースで流れた世界各国の状況。これを見ると日本のやり方は異質であることがわかるだろう。

■世界各国の状況
(内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による1985年資料「諸外国における国旗国歌について」から)

1)学校教育での国旗国歌の取扱い(主要40ケ国在外公館調査)

a.ヨーロッパの立憲君主国では学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが殆ど無い。

イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。

b.ヨーロッパの共和国ではむしろ革命をおぼえて国旗国歌を強調する。しかし、例外がいくつもある。次のとおりである。

ギリシャ:学校での規定はない
イタリア:教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。
スイス: 学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。
ドイツ: 各州の権限で決められる。
オーストリア:国旗は学校で特に扱われない。
ハンガリー:教科書では取り扱われていない。
旧ユーゴ:強制はない。教科書での取扱いも学校行事での使用もなかった。

c.アジア・アフリカ地区では、学校での教育を求めている事が多い。

d.米州・オセアニア各国での例

カナダ: 国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。
アメリカ:国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。
キューバ:国歌は学校での規定はない。
オーストラリア:国旗を政府が提供。掲揚も国歌も各学校に委ねられている。
ニュージーランド:学校のための統一された規準はない。


2)国歌を国民の慣習に任せ、政府が追認指示するのみで、正式の法律・勅令・大統領決定・最高議会決定で制定していないおもな国

大韓民国・インドネシア・タイ・イスラエル・エチオピア・エジプト・イギリス・オランダ・イタリア・スイス・デンマーク・ノールウエー・スエーデン・フィンランド・オーストリア・ハンガリー・ブルガリア・キューバ・ニュージーランド 旧チェコ・旧ルーマニア  (40ケ国中21ケ国:1975年調査を1985年修正)


またアメリカにおける判例を紹介すると

■アメリカでの判例

1943年 バーネット事件 連邦最高裁判決
「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の領域を侵犯するものである」(ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人)

1970年 バンクス事件 フロリダ地裁判決
「国旗への宣誓式での起立拒否は、合衆国憲法で保障された権利」

1977年 マサチューセッツ州最高裁
「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を有する。」

1977年 ニューヨーク連邦地裁
「国歌吹奏の中で、星条旗が掲揚されるとき、立とうが座っていようが、個人の自由である」

1989年 最高裁判決(国旗焼却事件)
「我々は国旗への冒涜行為を罰することによって、国旗を聖化するものではない。これを罰することは、この大切な象徴が表すところの自由を損なうことになる」

1989年 最高裁判決
上院で可決された国旗規制法を却下。「国旗を床に敷いたり、踏みつけることも、表現の自由として保護されるものであり、国旗の上を歩く自由も保証される」

1990年 最高裁判決
「連邦議会が、89年秋に成立させた、国旗を焼いたりする行為を処罰する国旗法は言論の自由を定めた憲法修正1条に違反する。

アメリカの場合は多民族国家、多宗教国家であることが個人の権利を侵すものではないという大きな理由だろう。
日本も決してひとつの宗教で統一されているわけではないし、これからはいろいろな国の人々が一緒に住むことも想定できるのだから、学校現場に国旗・国歌を強制しようとすることはやめたほうがいい、と私は思う。
国旗・国歌はもっと自然な形で伝えよう。
とは言っても、私は「君が代」は憲法違反だと思うけど…。それに国家の象徴を「天皇」にしてしまったのは痛いよね。本当なら象徴は国旗・国歌だもんね(^^)
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by reem-akemi | 2006-09-26 16:11 | 政治・経済・国際情勢

都教委通達は「違法」

2006年09月22日

今日は素晴らしい判決が出ました。この時期にこんな判決が出るなんてなんとうれしいのでしょう!

式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違法」 東京地裁http://www.asahi.com/national/update/0921/TKY200609210287.html

卒業式、入学式で教職員に国旗に向かって起立しなかったり国歌斉唱を拒否した東京都立校の教員が大量処分を受けたことをめぐる訴訟で、東京地裁は21日、違反した場合に処分することを定めた03年の都教委の通達は「少数者の思想良心を侵害し、違法」とする判決を出した。

難波孝一裁判長は、(1)教員らには起立、斉唱の義務はないことの確認(2)不起立・不斉唱、ピアノ伴奏の拒否によって処分をしてはならない(2)原告401人に対する1人3万円の慰謝料支払い命令――を言い渡した。

 判決はまず、日の丸・君が代の歴史的な位置づけについて「第二次大戦終了まで、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことは否定しがたい」と指摘。

「国旗・国歌法で日の丸・君が代が国旗、国歌と規定された現在でも、なお国民の間で宗教的、政治的にみて価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と述べた。
 これを踏まえ、「教職員に一律に起立・斉唱とピアノ伴奏の義務を課すことは、思想・良心の自由に対する制約になる」として都教委の通達と校長の職務命令は違法だと結論づけた。
(朝日新聞 2006年09月21日15時34分)

いつもそうだが、地裁は良心的な判断をするものだ。だが上にいくほど国家の意思にそった判決に変わっていく。違憲訴訟などしても最高裁で司法判断が下された試しがない。イラク戦争が間違っていると判断を下したアメリカの司法と大違いだ。

こういうバランスが民主主義を保つには重要だと思うのに日本は政治から逃げようとする傾向があるから残念。三権分立など絵に描いた餅みたいなもの。

でも、私はこのニュースを聞いたとき裁判官の勇気を感じるとともに彼の身に危険が及ばないかと危惧した。それほどこの社会はいつの間にか右側に大きく傾いている。

「教職員に一律に起立・斉唱とピアノ伴奏の義務を課すことは、思想・良心の自由に対する制約になる」という判決は昔ならきわめて当たり前のこと。それをこんなに喜ぶなんて、それもずいぶん悲しい話のような気がする。
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by reem-akemi | 2006-09-22 01:10 | 政治・経済・国際情勢
2006年09月21日

信介さんちのオチョボグチが自民党総裁に就任。この間マスコミは盛り上がらない世論をいかに盛り上げるかに血道をあげ続けていた。

私はあの男がオチョボグチで「美しい国、日本」というたびに寒気がしている。オチョボグチもそうだけど、何よりゾッとするのはコメツキバッタの小泉チルドレン(今、「散る土連」と変換されたーーー苦笑)。

昨日は所用で国会へ。議員事務所に行くと、自民党の様子がテレビで中継され、小泉サンが演説中。「こんな政権、来年の参議院選挙で終わりでしょう」と憎まれ口をたたき、議員会館を出ると、山本一太議員とすれ違う。この男、先日まで小泉ヨイショの一番手だったのが今やオチョボグチヨイショのNo1。つくづく軽い男だと思う(注;山本議員は小泉チルドレンではありません)

コメツキバッタのチルドレンは片山さつき議員と猪口邦子議員。二人ともオチョボグチに大接近しているようだ。
先日、MM氏の講演での話。片山さつき議員とテレビで共演したさい、彼女があまりにもムチャクチャなことを言うので論破したところ、翌日番組プロデユーサーから電話が来て、某局の出入りが禁止になったそうだーーー以上、週刊誌ネタのようなことを書きました。

さて、本題。オチョボグチが日本の政治のリーダーシップをとり、憲法改定に向けて動きだそうとしているとき、BBCニュースでパウエルが以下のような発言をして日本のお尻を叩いています。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/3561378.stm

これによると、安全保障理事会理事の資格を得たいなら9条を改正せよ、ということを言うのです。これは先にアーミテージも発言したことです。

BBCによれば、「国際的な平和維持における、さらなる軍の役割を担えないなら、日本は常任理事国になるのは難しいとアーミテージは日本人議員グループに言いました」とのこと。これだもん、自民党連中9条改定にやっきになるわ。---いいよ!安全保障理事国にならなくとも。

そしてパウエルはさらに日本の対イラン政策を変えよということも言っています。
正直、余計なお世話!!!石油の依存率がイラン14~16%の国で、イランなしでどうやって安定した石油政策をしていくのでしょう。オチョボグチ政権の腕の見せ所。楽しみにしています。

パウエル発言、最後にジェンキンスさん(曽我ひとみさんのご亭主)の訴追も検討されていると書かれています。ワタダ中尉の件もあり、脱走兵の問題は捨て置くことが出来ないのでしょう。

今週の始め、新宿駅から京王プラザに行くまでの数分の間、警官の職務質問に会っている若者が2人もいました。二人ともリュックサックの中を調べられ、「今日は休みなの?」などと聞かれていました。繁華街の警官の数がなんとなく増えているような気がしませんか?

テロとの戦争は、非対称な戦いであるゆえ、私たちは簡単に「敵」となる可能性があります。オチョボグチ政権とともに、さまざまな亡霊たちが復活してきそうな予感がします。
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by reem-akemi | 2006-09-21 14:51 | 政治・経済・国際情勢

出口のない海

2006年09月17日

「出口のない海」が上映されている。
http://www.deguchi-movie.jp/

横山秀夫原作の「出口のない海」を映画化したものだ。
人間魚雷回天に乗る海軍の特攻隊員が主人公。回天とは全長14.75m、直径1mの魚雷に片道だけの燃料を積み敵の船につっこむ海軍版ゼロ戦。

この回天、どんなものか見たい人は靖国神社の「遊就館」を訪れるといいだろう。実物をぜひ見てほしい。
こんなものに人が乗って敵艦につっこんだのかと思うと涙が出てくる。私はその作戦の非人間性にゾッとする。

この映画、まだ観ていないが山田洋次さんが関わっているから愛国的でないだろうとは思うけれど、その死を賛美するようなものにしてほしくはない。

実は、私が戦争のことを考えるようになったのは、高校時代に「我がいのち月明に燃ゆ」(林尹夫著)を読んでから。あぁ、この本をどこにやってしまったのだろう…。林尹夫は京都大学の学生で偵察要員として大阪大空襲の最中、四国沖で米軍の攻撃を受け亡くなる。23歳。

以下は彼の文章を書きぬいたもの。これを愛国的と読んではならないと私は思っている。するべきことをはっきりと受け取ったような気がする。

「断 想」

必敗の確信
ああ実に昭和17年よりの確信が今にして実現する
このさびしさ 誰が知ろう

さらば さらば  みんななくなる  
すべては消滅する
それでよいのだ
いわばそれは極めて自然なる過程ではないか

亡びるものは亡びよ
真に強きもののみ発展せよ
それで よいではないか

しかし我々は盲目だ
ただ 闘うこと それが我々に残された唯一の道
親しかりし人々よ・・・・・闘わんかな

南九州の制空権  すでに敵の手中にあり
われらが祖国まさに崩壊せんす

生をこの国に享けしもの  なんぞ 生命を惜しまん

愚劣なりし日本よ  優柔不断なる日本よ
汝いかに愚かなりとも 我ら この国の人たる以上 
                       
その防衛に奮起せざるをえず

オプティミズムをやめよ 眼を開け
日本の人々よ
  日本は必ず負ける
そして我ら日本人は なんとしてもこの国に 新たなる生命を吹き込み
  新たなる再建の道を 切りひらかなければならぬ

若きジェネレーション
 君たちは あまりにも苦しい運命と闘わなければならない
 だが 頑張ってくれ

盲目になって 生きること  
それほど正しいモラルはない
死ではない 生なのだ
モラルのめざすものは そして我らのごとく死を求むる者を
インモラリストと人は言わん

男たちはどう思うかも知れないが、私にはあまりに悲しい文章。
この絶望の深さ…、二度とこのような絶望を若者に与えてはならない。特攻作戦を考え、多くの若者を死に追いやりながら、自分はのうのうと生きたものたちの責任を、やはり問うべきではないだろうか。

人間魚雷回天は誉めるべきものではなく、あってはならないものとして多くの人の記憶にとどめておく必要があると思う。

#林尹夫については、「特攻隊員」として書きましたが、「203号系統」さんから指摘をいただき「偵察要員」であったことが判明、訂正させていただきました。「203号系統」さん、ご指摘ありがとうございました。
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by reem-akemi | 2006-09-17 02:17 | 日記
2006年09月14日

今日もBBCよりの掲載。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/5065446.stm

追放されるイラク人ーシーア派家族の場合

ジャシム・アドナン(36歳)と彼の家族は、兄弟が殺され、店が爆破されたのをきっかけに、アミリヤ地区(シーア、スンニが混在している地域)から逃げてきました。

家族は現在バグダッドのはずれのShoulaにある政府がつくった難民キャンプのテントで生活しています。その地域を守っているのはイラク最大のシーア派民兵のひとつ、マフディ軍です。Shoulaは、かつてはシーア、スンニの混在した地域でしたが、現在、すべてのスンニ派・イスラム教徒が引っ越していき、いまやスン二はいません。
==================================================================
 「私たちは配管工事と衛生仕事のための店をメイン道路に持っていました。彼らはそれを爆破しました。
 これは特別なことではありません。シーア派をターゲットとする多くの事件がありました。
 彼らはシーアだけを殺しました--シーア派部族長(宗教指導者)が殺され、シーア派の食料品屋が殺され、パン屋さえも殺されました。彼らはアミリヤ地区にシーア派を残しませんでした。彼らは、シーア派をターゲットとして、すべての人を殺しました。私たちは脅迫されました。
 最初、路上爆弾が店の外に植わっているのを発見しました。私たちは、地元の警察に行き、そのことを話しました。
 それから私たちは別の脅迫を受けました。店を爆破させ、店で働いている男性を誘拐するというのです。
突然、彼らは私の兄弟のところに来ました。それはカドルの夜(ラマダンの特別な夜)で、その朝彼は断食していました。武装した男達がやってきて彼を殴りました。7人の男たちが、たった一人の彼を殴り殺したのです。
 8日後の午後9時、男たちは店を爆破しました。彼らは壁にペンキでこう書きました;「商売をやめろ」
その後、私たちはここに来て、このキャンプ場で生活しているのです。人々は私たちによくしてくれますが、私たちはあの日から苦しみ続けています。-私たちには仕事もない。何もないのです。

 以前は誰とでも一緒によく働きました。私たちが助けなかった人はだれもいません。私たちは損害をこうむっています。深刻な損害です。何人かの人々は私たちよりもっとひどい状態になりました。まさに悲劇です。」

ジャシム・アドナンの長姉であるウム・ファディル(49歳)も家族とともに逃れました。

「私たちは子供のためにすべてを残しました。市場に行くのが恐いです。仕事に行くのが恐いです。通りにちょっと出ることも恐いし、家の中さえ、安全ではありません。
 私たちは、家の中にいて、すべての友人がいなくなるのを見ました。私たちが耳にするのは、すべて街の中の脅迫と殺害の話です。男たちが帰宅途中に殺されたとか。それで、私たちは子供を守るために、あの地区を離れました。

 私たちは決して戻らないでしょう。私たちは自分たちの家と生活を諦めました。そこに戻るよりこのテントに住んでいる方がましです。子供のために、私たちは自分の人生を犠牲にするつもりです。」

(訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-09-14 00:11 | iraq
2006年09月13日

今日はNYで9・11被害者の慰霊祭が行なわれた。たくさんの日本人が行き、グランド・ゼロでさまざまなアクションをしたようだけど、私はなんか違うなと思ってしまう。

確かに彼らは犠牲者だけど…、(私がひねくれているのも知れないが)、今もイラクで、あるいはアフガンで、パレスチナで、名前も知られず亡くなっていく人々の死が私を捕らえて離さない。花さえあげてもらえない人々のことが…。

====================================================================
以下、BBCからの報道です。スンニ派の家族の証言を書いてあります。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/5057190.stm

追放されるイラク人 スンニ派家族の場合

ジャマル・アヌール(51歳、妻と2人の子供がいる)は最近の宗派間闘争から逃れてきた何万人ものイラク人の一人です。

ミュージッシャンである彼は1980年代からずっとバグダッドのShaab地区に住んでいました。Shaab地区はスンニ・シーアがともに住んでいる地区でしたが、スンニの家族が引っ越していくのにしたがって、次第にシーア派が支配する区域になりました。
アヌールさんは現在、アダミヤ地区のスンニ派地域で、地元のスンニ派イスラム教徒によって提供された壊れかけた家に住んでいます。この地区はイラク国家警備隊が警備しています。

私は4月初旬、午前6時に目覚めました。車のエンジンをかけに行って、封筒を見つけたのです。それにはこう書かれてありました:「24時間以内にお前の喉を切る。スンニブタ、この地区から出ていけ」
私はすぐに、子供を起こしました。車に子どもたちを乗せ、家をロックし、アダミヤまで運転しました。私はすべてのことを諦めました。家も仕事も。アダミヤの人々は親切で、私たちに住む場所を与えてくれました。

私は1982年からずっとShaabに住んでいました。叔父も1950年代からずっとそこにいました。私たちはこのような目にあったことはかつてありません。サダムが政権を握っていたときも、政権が倒れてからも。私たちはスンニとシーア派間の区別を一度もしたことがありません。しかし、サーマッラー事件後、彼らが人々の家々を襲撃し始めました。顔見知りの近所の人間が顔をかくし、10台の車に乗って、男たちを誘拐するのです。翌日、誘拐された男達の死体がどこかのゴミ捨て場で発見されました。

私たちは、彼らがスンニ派イスラム教徒にしようとしていることを聞きました。
それはこんな話です。「俺たちはスンニ派イスラム教徒をつかまえて、首を切るのさ。奴らが俺たちに歯向かわないようにな」

彼らは我が家の右隣の家から隣人を連れて行きました。彼らは視界に入った男たちすべてを連れて行きました。いくつかの死体が検問所の後ろのゴミ捨て場から発見されました。彼らは、オマル、バクル、スフィアーンというスンニ名を地域から取り除きたいと言います。これはナンセンスです。'オマル'と'バクル'は、この地球で生きている価値もないというのですか?
ムハマド・ジャマル(家族の友人)もまた同じ地区から逃げました:私が家を出てから、3カ月後です。私の近所には6、7世帯のスンニ家族がいました。私はこれらの用語、'スンニ派'と'シーア派'という言い方が嫌いです。

3カ月前のある夜、プレートのついてない3台の日産の小型トラックが停止しました。実際にこの目で見たことです。彼らは何人かの男たちを捕まえました。そのうちの何人かは個人的に知っていました。バスラから来たスンニ派のアブドル・ハキム・アブ・アマル、兄弟であるオマルとバクル、一人は技術者であり、もう一人は教師、そして別の2人の兄弟、ムハマドとハイダルです。彼らはハイダルを返しましたが、ムハマドは連れて行かれました。
彼らは金曜日の午後9時.45分に全員連れて行かれました。翌日の土曜日、彼らは首を切り落とされて発見されました。私は武装したジープに乗った特攻隊を見ました。
あの男たちに聞きたい。「何のためにこんなことをしているのですか?イラクとイラクの人々はこのようなことをされなければならない何をしたというのですか?」

(訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-09-13 00:34 | iraq
2006年09月12日

・経済的弱者の政治手段としてのテロ

 テロリズムが、心理的威嚇や恐怖心を引き起こすことで一定の政治的効果をもたらすことを目的として行われる暴力行為であるとするなら、アメリカ政府が考えた「テロ戦争」は世界の人々を恐怖に陥れることに成功し、世界の警察としてのアメリカの立場を強固なものにしたかもしれない。

 一方、各国・地域および大国の思惑など、貧困からくる経済問題を背景として、追い出された土地あるいは失われた民族・宗教のアイデンティティを取り戻すための政治的手段としてテロが存在するのも確かなことである。すなわち、絶対的貧困と非人間的な生活状況のなかで生きる人びとの「富めるもの」への憎悪がなせる行為としてテロが存在する。

 今、世界で28億人もの人びとが一日2ドル以下で生活することをよぎなくされているが、こうした人びとには、食糧・栄養・清潔な飲料水・病院・住宅など、人間が生きるために最低限必要なものすら与えられておらず、紛争・自然災害・政治経済不安が彼らの生活をさらに悪化させている。

 暴力の温床はこのような不安定な場所から生まれやすい。若者は生きることに絶望し、テロリストたちからのリクルートに容易に乗る。そのようにして自爆テロに自らの命を差し出した若者がどれだけ多いか…。しかし、そのような状況でテロを助長しているのもまた先進国の軍需産業―死の商人たちーであることも忘れてはならない。

 問題は、彼らのように生存を脅かされた人たちが国家をゆるがすほどの暴力性を持つかどうか。たとえ持ったとしても、その暴力を封じ込めるために彼らにミサイルを撃ち込んだり、ひとつの国を破壊することに正当性があるかどうか。

・対テロ戦争で何が残ったか?

 イラク占領から3年。テロリストはいなくなったか?世界は安全になっただろうか?

 否(いな)。イラクに関していえば、この戦争で莫大な利益をあげたのは復興資金を水増し請求して大儲けをしたハリバートンを代表とする一部アメリカ企業、軍産複合体だ。イラクでの経済復興はライフラインを始めとしてなんら改善することなく、復興資金の多くは治安維持のために供与され、失業問題は2003年以来人々の不安材料となっている。
 占領に耐えられなくなったイラク市民は難民化して近隣諸国に避難し、残ったものたちはイスラム急進主義者たちによってそれぞれの宗派に分離させられた。
 いまや、イラクは確実に米英が望むような連邦制への道を歩き始めている。もし、それがこの戦争の最大目標であるとするなら、かなりの確立で達成できたといえよう。

 しかし、米軍に家族を殺されたものは復讐のためにレジスタンスになり、イラク人を殺せば殺すほどレジスタンスは増えていくことになった。それは30年前にベトナム戦争で経験済みのことではないか…。
 レジスタンスによる米軍への攻撃は日ごとに激しさを増し米兵の死者数はすでに2600名を越えた(イラク民間人の犠牲者は10万人とも言われている)。

 そして、アフガニスタンに関していえば、2005年イラクにいたイスラム原理主義者たちがアフガニスタンに入り、タリバーン、地元の軍閥などと一緒に米軍に対する攻撃を始めた。静まっていた戦火が再び激しさをましてきた。

 非対称であったはずの戦争が、地上戦になると、家族を殺された人々が戦士になることでいつの間にか逆転している。イスラム戦士の数は増えることはあっても減ることはない。2001年に始まった「対テロ戦争」はますます泥沼化する。 

 そもそも「非対称戦争」に正義があるという理屈こそ大きな欺瞞であり、私たちはそのウソに陥ってはならなかったのだ。落ちたミサイルの先にいるのはテロリストではなく無辜の市民たち。圧倒的な国家の暴力に殺されていく非力な市民たちだ。

 そして、国家の前に非力なのは私たちも同じで、彼らは実は私たち自身の姿でもある…。
 テロの脅威という新手の対立軸は、実は脅威にもなんにもならない小さな暴力であったはずが、国家の暴力というエネルギーを与えられたことによって脅威が拡散した。私たちはいまやこの暴力をどのように鎮めるかに苦慮している。 

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以上「武力で平和は創れない」への寄稿に加筆・訂正を加えたものをアップしました。            
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by reem-akemi | 2006-09-12 00:20 | 小論
2006年09月11日

・「対テロ戦争」という非対称戦争

2001年9月11日に米国で起きた同時多発「テロ」攻撃に対し、米国ブッシュ大統領は、「対テロ戦争」を宣言した。そのときから「テロ」という国家の枠組みを超越した非国家集団の暴力行為が国家の安全を損なう「脅威」として新たに防衛戦略上の対象となった。それはこれまでの国民国家における戦争概念を覆すものであった。

宗教や民族問題に起因する非国家集団(テロリスト)への対処は、脅威自体が国家を対象としていないことから、アメリカを中心とした西欧諸国は国家を超えた共同行動が必要だと軍事同盟の強化を狙う。が、そもそも国家と非国家集団の軍事力の違いの大きさ、非対称性を考えたとき、いかにそれが突飛な理屈であるかがわかるはずだ。

2003年3月20日、米国はイラクが「大量破壊兵器」を所有し、「テロリスト」たちを支援する国家としてサダム・フセイン政権打倒のために「イラク戦争」を開始した。
ここに見られるのは、世界第一位を誇る米国の軍事力と10年間の経済封鎖にあえぐイラクの非対称性である。その後、「大量破壊兵器」は見つからないまま、2005年ブッシュ大統領自身が「大量破壊兵器」はなかったと発表するにいたる。「大量破壊兵器」に代わって登場したのが「テロリストーザルカウィ」だ。

2004年11月、ザルカウィをかくまっているという理由でイラクの小都市ファルージャ(バグダッドの西、人口30万人)を攻撃、破壊。ファルージャは瓦礫の街と化した(2004年11月以降、イラク人にとってファルージャは抵抗の象徴となる)。

では、なぜこのような非対称の戦争が正当性を持つのか?それは映像を通して暴力の恐怖を人々に与えることに成功したからだ。世界貿易センタービルが粉々に砕け散る悲劇はテレビ画面を通して世界中に流れた。飛行機が高層ビルに突っ込むという図は映画の世界のことであるが、ハリウッド製ではなく本物のビルが崩れ落ちる迫力は人々を恐怖の渦に巻き込むには十分だった。すなわち、「テロ」の恐怖を人々に植え付けるにはこれほど衝撃的なものはなかった。
そして、このときから映像による情報戦は始まっていた。

私たちは家庭にいながらにして「テロの恐怖」を観ることが出来たが、私たちが目にするものが決して真実とは限らない。

さらにイラクでの外国人の斬首映像は、イスラム過激派を恐ろしいテロリストとみなすには十分な効果を持ち、各国NGOは撤退を余儀なくさせられた。反面、米軍がファルージャで行なった殺戮は外部のジャーナリスト・各国NGOを締め出すことにより、その悲惨さがすぐに世界に流れることはなかった。半年ほどたってイラク民衆、一部の米兵、フリーランスのジャーナリストたちによってジェノサイドとも言える惨状が伝えられてきたが、大手メディアはこれを無視した(扱いはごく小さな記事であり、いつも米軍側からの報道が多い)。

このように、私たちは報道されない暴力に目をつぶることにより、結果的には国家と非国家集団および国家間の軍事バランスを見落とすことになった。
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by reem-akemi | 2006-09-11 00:50 | 小論
2006年09月10日
9・11-対テロ戦争について前回ポスティングした作業員の異常な健康状態について、今朝の東京新聞に書かれたその件に関する記事から違う要因を見ました。
すなわち、私は「もしかして劣化ウランが使われたのではないか」と書きましたが、その推測を訂正します。
破壊されたビルからアスベストが5000トンも放出されています。これが今一番もっとも考えられる理由ではないでしょうか。

さて、9・11でもっとも問題なのはそこから「対テロ戦争」が始まったことです。現在、9・11のウソを暴くいろいろな動きがありますが、たとえウソであっても、そこからアフガン・イラクへの戦争に導かれた批判を忘れてはならないと思います。
そう。たとえ、9・11でアメリカに「理」があったとしても、あのとき世界中があの戦争に反対したように、対テロ戦争への批判を書く必要性があると考えます。

あのとき何が間違っていたのか?それを書くことが大切だと思い、次回に、「武力で平和は語れない」という小冊子に書いた小論(「『対テロ戦争』という非対称戦争」)を書きます。
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by reem-akemi | 2006-09-10 11:19 | 政治・経済・国際情勢