毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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雑談

2006年11月29日

自民党の復党問題がテレビをにぎわしている。某議員などは安倍を「命の恩人」だなどと会見上で発表していた。バカも休みやすみ云ってほしい。

要は来年の選挙に勝ちたいがための方策に過ぎない。くだらない!!!本当にくだらない。こんな議員たちに自分の生活を預けているのかと思うと腹立たしい。

復党をしようとしまいとどちらでも構わないのだけど、選挙に受かることだけを考えているものたちに一矢むくいたいものだ。
ーーー平沼議員のスジの通し方に拍手!!!ヘンな欲を出した野田聖子は失点ね(><)

それもそれ、こんなときに「美しい国」などと言うバカ首相のコメントに呆れて、そのシーンが出てくるたびに「アホか!」とテレビに向かって云う私。あの人、あれ以外言葉を知らないんかしら。

街はすでにクリスマスのかざりつけが…。ブルーの光は美しいけど、どこか寒々しい。私が通う学校は広尾。この街は外人がたくさん住んでいるせいか、花屋には大きなモミの木が並んでいる。生のモミの木を飾るなんてちょっと贅沢な感じ。

アメリカ教育が染みとおっている私はクリスマスになるとhappyな気分になる。なんせ、一番最初に買ってもらったレコードがビング・クロスビーの「White Christmas」。この歌だけはかなり正確に歌う自信がある(^^)。子どもの頃から何度繰り返し聞いていたことか…。本当にアメリカは日本の戦後処理に成功したわ。当時の人々にとってはアメリカは「自由」と「豊かさ」の象徴。

リバーではないが、反米ではなく反占領。アメリカ抜きには私の思想は語れない。でも、日本の政治家を骨抜きにするブッシュ政権にはうんざり…。

#ところで、NHKが不払いをしているものたちに支払い督促をしたせいで、私が関わっている「NHK受信料支払い停止運動の会」のサイトへのアクセスが昨日・今日とダントツに伸びている。不払いをしているのが100万件もあるというなかで、たった48件への督促。まさに「生け贄」。NHKはこのあと、八王子、神奈川に住む不払い者へ督促勧告する予定だ。
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by reem-akemi | 2006-11-29 22:19 | 日記
2006年11月23日

このところ毎日の勉強で忙しくブログのアップを怠っている(勉強というのは10月から習い始めたアラビア語)。それでもイラクのことは気になるので時々BBCをのぞいたりアルジャジーラをのぞいたりしている。

今日はナショナル・ホリデーなので学校もお休み。やっとやらなければならない原稿に手をつけた。意見広告運動で刊行した非武装パンフ「武力で平和は創れない」が来年合同出版から刊行されることになり、私が担当した「対テロ戦争」批判の小論を加筆修正して提出することになったのだ。
一日、PCの前に座って書いていたが、イラクの現状について書くとだんだん力がこもってしまう。

あれから3年半。いろいろなことが次第に見えてきている。以下は益岡さんのブログで10月にアップされていた話ーエルサルバドル方式をイラクで行なっていることはずいぶん前にも聞いていたし、暗殺団の写真を見ても明らかにアラブ人ではなかった。

10月、イラクでの死者数は3700人を超えた。これを日本のメディアは「宗派間対立」としているが、実際は暗殺団が街中を跋扈して人々を殺しているのだ。

以下、「ファルージャ2004年から」
http://teanotwar.seesaa.net/article/26120350.html

昨年9月に公開された国連人権報告は、内務省部隊が、抑留、拷問、殺害の組織的作戦を行っていると述べている。同報告書はまた、殺人を行っていると批判を受けている警察の特別奇襲部隊は、シーア派バドル旅団やマフディ民兵からリクルートされ、米軍の訓練を受けていると述べている。

これら部隊への訓練を統括していたのは、イラク治安部隊について当時の駐イラク米国大使ジョン・ネグロポンテの補佐官を務めた退役大佐ジェームズ・スティールである。

スティールは、1984年から1986年まで、エルサルバドルで米国軍事アドバイザリー・グループの司令官を務めた。一方、ネグロポンテは1981年から85年まで、駐ホンジュラスの米国大使だった。1994年、ホンジュラス人権委員会は、当時ホンジュラスで起きていた広範な人権侵害についてネグロポンテを批判している。同委員会は、少なくとも184人の政治活動家が拷問を受け失踪したと報じている。

1996年に設置された、ホンジュラスにおける米国の役割を検討するCIAワーキング・グループによると、ネグロポンテの監視下でホンジュラスで進められた人権侵害は、CIAが訓練した工作員により実行されていた。

CIAの記録は、ネグロポンテの「特別諜報部隊」----「死の部隊」の名の方が良く知られている----は、CIAから訓練を受けたホンジュラス軍の部隊から構成されており、この部隊が、左派ゲリラを支援していると疑いをかけられた人々を何千人も誘拐し、拷問にかけ、殺したのである。

ネグロポンテがイラクに来てから虐殺死体が出るようになったとも聞いている。この犯罪をさらにひどくしているのは金で雇われているマフディたちだ。

それにしても国連人権委員会でこのような報告書が出ているにも関わらず、国連はなぜこの暗殺を止めることが出来ないのだろう。

#エルサルバドルの虐殺についてはこちらへ
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/persons/kh54.html
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by reem-akemi | 2006-11-23 22:28 | 政治・経済・国際情勢
2006年11月13日

編集者注:ラマディの状況が緊迫しているため、Qが書いてからアップするまで若干時間がかかっています。でも安心してください、必ずすべての話を書くでしょうから。

僕の耳に声が聞えてきて目が覚めた…
「ヘイ、ユー、英語男、起きろ…今すぐ起きるんだ…ほら、ほら…お~い…」
おぉ…、夢をみてたのか…僕はどこにいるんだ??……あぁ、そうか、僕は勾留されていたんだ…あたりを見て気がついた。
「ヘイ…へい、夢を見てないで起きろ…. 」 海兵隊員が叫んだ…彼は格子の向こうにいた。
「他のものを起こせ、食事の時間だと伝えろ…さぁ」
彼は僕のほうを指さしてやかましく言った…まるで命令するように。
「OK。OK…」

午前4時30分だったーー海兵隊員から聞いて時間がわかった。
僕は兄を含む他の4人を起こした。兄に話しかけるチャンスを見つけたとき…兵士が食品袋を僕に手渡した。……それは兵士用の食べ物だった…彼らは袋から何かを取り出した…暖められた物体と、プラスチックスプーン、それからあと…なんだったか思い出せないものがいくつか…。

それぞれ一袋ずつもらった…率直に言って、その食べ物はホントにまずかった…僕たちはビスケットとケーキだけ食べた…食べている間、僕たちはお互いに言葉をかわす機会を得た…「どこから連れてこられたんだ?」 「家族はどこに住んでいるのか?彼らはなぜ君たちを逮捕したんだ?」などと囁きあった…僕はみんながなぜ捕らえられたかを知らないのがわかった!!!! 僕たちは部屋のまんなかに座っていた。部屋はとても汚く…寒く…僕たちは凍えていた…エアコンはあったけど壊れていた…ところで僕は基地では電気が24時間来ることに気がついた…アメリカ人は僕たちの電気を使っている…僕たちの街には電気が来ないというのに。

僕は午前3時以降に食事をする理由を説明しなければならなかった…なぜってラマダンではイスラム教徒は一日中断食をするから.…ラマダンは毎年1ヶ月続く…僕は母と一緒に食事をする…母は僕が家族のためにジュースを作る手伝いをするのを喜んでくれる…僕は時々台所でそんなふうに過ごすのが好きだ…かといって料理をつくるのは全然ダメだけど…。
とにかく、食べ終えると、海兵隊員が僕をどなりつけた。
「全員ベッドに戻れ…しゃべるな…さっさとしろ」
僕は彼が言ったことをみんなに伝えた…

ひとり、おかしな勾留者がいた。彼は面白いことが好きだった…僕が兵士の言ったことを彼に伝えたにもかかわらず彼は動かなかった。部屋に座って兵士の叫び声を無視した!!!
「おいオスマン…何をしているんだ…べッドに行けよ、兵士が怒るぜ」他の者がオスマン(いたずらな拘留者)に言った。オスマンはやっぱり彼のことも無視した…それから「一人にしてくれ…彼に僕が気が狂ったと云ってくれ…さぁ」と言った…彼は僕たちに行けと手で合図した。それからオスマンは「Q、Q…」と僕を呼んだ。
「何か問題が起きたかと兵士が尋ねたら、僕は気が狂っていると云ってくれ、わかった???
頼むよ」
僕はそれを聞いて驚いた…けれど僕はオスマンのいうようにするつもりだった。彼がそうしたいなら…僕たちはやる必要がある。
「ヘイ、ユー、英語男…こいつどうかしたのか…俺の言うことがわからないのか…こいつの言うことがお前にわかるか…??どうしたんだ…こいつに云えろ、ベッドに移らないなら今すぐ俺がベッドに連れていくと…早く伝えろ」兵士は怒って言った。
「いいえ…彼は貴方のいうことはわかります…でも彼は狂っているんです…彼は正常じゃない」僕は兵士に言った
「OK…OK…、お前がヤツをべッドに連れていけ。俺はもうそいつをここに置いておきたくない…お前あっちに連れていけ。。わかったか?」
僕はオスマンに近づいた…
気の良いオスマンはおかしい動作をしていた…彼は恐怖の目で僕を見ると、あわてて自分のベッドに走った…おぉ…彼は急にジャンプをしてベッドに飛び込み僕を脅かした。他のものたちはこの様子を見て笑った……全員おなかの底から笑った。オスマンはこの最悪の状況で皆を笑わせることに成功した…それは感謝に値する。それからオスマンは毛布をかぶり、僕を見続けた…彼の体は震えていた…彼は素晴らしい役者だ!!!

兵士の目はオスマンに注がれていた….そして彼もまた笑い始めた。「ヘイ、なぜ彼はお前を見ているんだ……彼はお前が恐いのか」と僕に尋ねた。
「わからない…彼はヘンだ…僕は恐いよ」
「いやいや、、恐がることはない…」
僕は返事をしなかった。
「ところで…どこで英語を学んだのか教えてくれ…イギリスに住んでいたのか??さもなければどうして??」
兵士はまたもこのつまらない質問をしてきた!!!
「僕は、ここ、イラクの大学で英語を勉強しました。」
「戦後か…そうだろ??」
「いいえ…2000年に卒業しました…」
「おお。いや、それは不可能だ。戦前、イラクでは英語を学ぶことは許されてなかったと聞く」と、信じられないというように言った。
「いいえ…イラクでは、小学校から基本的な学問として英語を勉強して、大学を卒業するまで続きます」
私は答えました。
「本当か。。。知らなかった…それは良い…うん、それは良いことだ。ところで、お前はイスラム教徒か?」
「はい」
「スンニ派?それともシーア派?」
「う~ん….この質問には答えたくない…差別になるから…」
「いやいや、ただここでスン二派に会ったとしたら…お前のことをもう少し知りたいと思ったんだ…夜は長いし、誰かと話したいと思ってね…それに興味深い話だったし…直接勾留者と話したのは初めてだ 」
「えぇ…僕はスンニです…」
「お前は大学で勉強したと云ったね…どこの大学?…バグダッド?」
「いいえ。ここ、ラマディです」
「ラマディに大学があるのか???ワォ、驚かすなよ、本当か??」
「もちろんです….今、貴方はアンバール大学のひとつにいます…。このビルはアンバール大学の建物です」僕は周囲を指差して言った。
「何…この建物…お前は何を言ってるんだ??」
「僕は、貴方達の軍隊が大学を占領して、多くの学生が研究する場、勉強する機会を過去2年間も失っていると云いたいのです」
「この建物は…何の大学なんだ??」
「農業大学でした…この建物はその一部です」
「お前はそれを知っているのか…お前はここで、この大学で勉強したのか??」
「いいえ。僕は街の反対側の他の大学で勉強しました」
「どんな…私はお前がどんな勉強をしたのか?と云っているんだ」
「エンジニアリングです」
「どういうエンジニアリング?」
「機械工学」
「おお。。非常に危険だ…。そうか。お前は爆弾をつくる技術があるのか??」
「僕は機械工学を学んだけど、爆弾ではない!!」
「しかし、技術者は、爆弾と銃を研究して、それらをつくることも出来る…」
「誰であれ、ほんの少しの機械知識と悪いことをしようという気持ちがあれば、爆弾を作ることは出来る」
「そうか…今やっと、お前がなぜ逮捕されたのかわかった」と、彼は言った!!!

ーー続くーー

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-11-13 01:35 | イラク・ラマディから
2006年11月08日

バクダッドバーニング byリバーベンド、11月5日分をアップします。
サダーム・フセインの判決がバグダッドで言い渡され、リバーの辛口の批評が冴え渡る。
**********************************************************************::
2006年11月5日日曜日
すべてに失敗したら…

…独裁者を処刑にすべし。簡単なことよ。米兵が何十人と殺され、占領した国がより小さい国に解体する恐れがあり、街の中を跋扈する民兵と殺し屋集団がいて、聖職者たちが政治権力を握ったら、独裁者を処刑すべし。

誰もが裁判の初日からこの判決を予想していた。初代裁判長を決めたときは、簡潔であり、実に一貫性を持っている裁判だと思われた。イラク人が彼らの弁明を聞いて、何が起きたのかがわかる裁判だった。ところがすぐに検察官側が最初に偽の証人を出した。それに続く出来事はとてもおかしかった。今でも信じられないほどだ。

弁護側あるいは被告が話し始めたとき、突然音声が途絶えた。私たちは目撃者の声を聞くことは出来たが、その姿を見ることはできなかった。彼らはカーテンの後ろに隠れ、声を変えていた。ドゥジャイル事件で死んだはずの人々が元気に生きていた(訳注;1982年、イラク中部ドゥジャイル村のシーア派住民148人を虐殺した罪でフセインは死刑宣告を受ける)。

裁判長は次から次と変わった。なぜなら彼らはフェア過ぎるとみなされたから。彼らは即座に被告を有罪にしなかった(ひとえにメディア対策のためだけど)。注目すべきは彼らが連れてきた最後の裁判長だ。彼の評判は泥棒として知られるチャラビと良い勝負。彼は政治上の理由でイランへ亡命したのではない。父親が経営するレストランで盗みを働いて父親の怒りを恐れて亡命した殺人者だ。

そう。私たちは全員この結果を知っていた(Malikiが‘喜び過ぎない'ようにと判決が出る24時間前にテレビ放送を行なった)。驚くことは現在のイラク政府が全く無知だということ。タイミングがよすぎない?議会選挙の直前だなんて。なんとブッシュにとって都合がいいのかしら。侵略と占領が始まって以来、イラクは、いまや、もっとも最悪だ。2003年4月は、(今から考えれば)まるでハネムーンのよう。今こそサダムを処刑するときが来たというわけね?

私はとても不安。これはブッシュの最終カードだ。選挙が終わり、過激派と泥棒たちが権力に参加した(いいえ、私はワシントンではなく、バグダッドのことを言っているの)。選挙のあと、憲法はイラク人の血の川でおぼれ、忘れ去られた。操り人形のひとりが国を壊したいというとき、掘り起こされるだけ。再建ははかない望みとなった:私たちは、もはやビル、橋が欲しいなんていわない。安全と、イラクが分裂しないことを望むだけ。ブッシュが、‘独裁者を処刑しろ'というカードを使う必要があるということは、いろいろなことが想像以上に悪くなっているに違いない。

この何十年の間、イラクがこれほどひどくなったことはない。占領は失敗だ。親米、あるいは親イラン人たちのイラク政府はどれもこれも失敗した。新生イラク軍なんて、ひどい冗談だ。本当にサダムを殉教者にするときなの?いろいろなことがあまりに悪いので、占領シンパのイラク人さえ最初の頃の‘アメリカ歓迎'フィーバーを後悔している。Laith Kubba(彼は大きな口と、いつも愚鈍に見えるので通称Mr.ナマズといわれる)は、これが正義の始まりであり、現在イラクで行なわれている殺人に関与する人々も処罰されるべきだと、最近、BBCで発言した。彼は、彼自身が戦争と占領の支持者であり、殺人を引きおこした親米政府の重要メンバーのひとりであったことを忘れたように思える。しかし、歴史はKubbaを忘れない。

イラクではその判決を支持するにしろ、しないにしろ、多くのデモが起きている。親サダムのデモ隊はイラク軍隊によって攻撃された。今のイラクのメディアがいかに自由か:親サダムのデモ隊を写していたチャンネルは放映を中止させられた。イラク治安部隊はすぐにテレビ局を襲撃した。新しいイラクへようこそ。以下にSalahiddinとZawraチャンネルからのいくつかのイメージが載っている:

Zawraチャンネル、字幕入り:バグダッド:Zawra衛星チャンネルは、政府の命令により放映を中止しました。

サラヒディーンの緑色のスクリーンが突然現れる:Salahiddin衛星チャンネル

シャルキーヤは速報を流した:2チャンネル(SalahiddinとZawra)が、停止しました。治安部隊がテレビ局を襲撃しました。

あの男だけの問題ではないーー大統領が来ては去り、政府が出来てはなくなり。イラク全体、国の内外のイラク人一人ひとりが、アメリカのなすがままの状態にフラストレーションを感じている。勝手きままに前後に動かされるチェスのコマになったような激しい怒りだ。国民の要求に関してあまりに盲目で、冷淡な政府を持ったことが腹立ちの原因だ。彼らは行動する必要さえも感じてないようだ。そして、死。何千もの死者と死。ブッシュがこの国での勝利を祝い、進捗状況について嘘をついて、つくり笑いをしているとき、グリーンゾーンの外であらゆるイラク人の命が失われていく。

もう一度云う…このタイミングは完璧ーーー米議会選挙の2日前。これに気付かないなら、ごめんなさい、あなたは愚か。ブッシュが次回のスピーチでこれを‘成功'として何回利用するか見てみましょう。

最後に。私は、死んだ米兵の家族が‘彼らの息子と娘が何のために亡くなったのか’を知るためにイラク北部を訪問するという記事をどこかで読んだばかり。それが訪問の目的なら―「皆さん-右にあるのはイラク石油省、左に見えるのはドーラ製油所…そして、アッサイード・ムクタダ・アル・サドル(彼に末長い命と繁栄がありますように)の3×3インチのカラーポスター、アヤトラ・シスターニのTシャツ、それから新たに南部イラクイスラム共和国を書き入れたイランの地図をパッケージしたプレゼントを渡すわ。あら、貴女…あなたのこと!後ろにいる貴女、私から見えるのは髪の毛?それを覆いなさい、それがイヤなら家にいることね」

これが米兵たちの死の理由。彼らはそのために亡くなったというわけ。

リバー@午後8時25分

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-11-08 01:30 | 日記
2006年11月05日

ラマディで米軍に逮捕されたQのレポートの続き

********************************************************************
僕には選択の余地がなく、未知なる次の日のために食べなければならず、今はラマダンであり、断食はあと数分で始まり…一日中続くのだ。

午前8時20分…
戦車の音が近づいてきた…。2人の兵士が僕たちを家から引き出し、戦車に押し込んだ…やかましい戦車!!! どんな戦車にも、後ろに入り口がある…海兵隊員は後方の席に僕たちを座らせた…そこは戦車内部で最も危険な場所だ…なぜなら後部ドアは戦車のウイークポイントだからだ…戦車が動き始めた。僕は注意深く行く方向に気持ちを集中した…左に曲がり、それから右に…しばらく走り続け…中に砂が吹き飛ばされてきた…そう、僕はこの道を知っている…僕たちはアンバール大学内の農学部の建物に続く道の途中にいる…そこは過去2年間米軍に占領されている場所だ…

午前8時20分僕たちは基地に着いた…海兵隊員は戦車から僕たちを引き出し…そして木製の長いすに座らせた。それから別の2人の兵士が来て、健康診断のための小さな部屋に連れて行った……健康診断は僕たちが健康か否かを判断するためのものではない。
僕たちが指名手配されているかどうか(指名手配リストにあるかどうか)をアイ・スタンプ、指紋などによって確認する…また、戦闘あるいは銃による古い傷が残っているかどうかを見つける。彼らは僕たち兄弟になんら傷跡を見つけられなかった…それは彼らにとって望んでいないことだった。彼らは健康診断のあと僕たちのことについて確定する…僕たちはその間衣服をすべて脱がされた…裸のままだ。ところで…僕は以前から「君はどうやって英語を勉強したのか?」という質問を多くされていたが、海兵隊員医療チームも同じことを僕に尋ねた。

この状況は苦痛だった…僕たちの手は解放され、目隠しもされていない…けれどここは刑務所…牢獄の中だ…。
君は想像できるかい…両手をプラスチックの手錠ではめられることがどれほど苦痛か…
そして、暑い太陽の下、7時間もクーフィーヤ(アラブの男性が使うヘッドスカーフ)でしっかりと目隠しされることがどれほど苦痛か…???
彼らが手錠をはずしたとき、僕の手は何も感じなかった…僕はジル・キャロル(人質になったアメリカ人ジャーナリスト)について読んだことを思い出した…でも僕にとってはそれよりさらに苦痛だった……
2人の海兵隊員は僕たちを囚人室へ連れていった…僕たちは海兵隊員に銃を突きつけられたまま歩いた…その銃が違うことがわかった。それは狙撃用の銃だった!!!!…後で、僕はこの部隊が狙撃兵部隊だということに気付いた。

彼らは僕たちを部屋に入れた。部屋は木製の鉄格子と鉄のワイアで囚人部屋を2つに分けていた…とても寒い…窓もなく…2つのエアコンが置いてある…しかもとても古いエアコンだ…それはアンバール大学にあったものだと思う…部屋は長さがおよそ8M、幅が5M…. アルミニウムで出来ている15個の兵士用ベッドがすえつけられ…その部屋はとても寒かった…僕は凍えた。僕たちがそこに入ったとき…警備兵が2枚の毛布を取るように僕たちに言った。ベッドに入って寝た…誰もまったくしゃべらなかった…そこには他に3人のイラク人が留置されていた…ラマデイのソフィーヤ地区から来た若者たちだった。とても眠かった…。ひどい夜だ…僕はへとへとに疲れ果てていた…僕の衣服は砂でとても汚れた…ほとんどの時間、僕たちは強制的に地面の上に座らせられていたから。

ああ…ところで…健康診断のあと….兵士が小さな紙を僕のシャツにつけた…左肩に…兄の方にも同じように….その紙には英語でこう書いてあった:
抑留者通し番号:4814403 
だ捕した部隊:c/1-60N 
だ捕した場所:m27 
だ捕した日時:2006年9月27日午前9時0分 
名前:Q………

深い眠りの終わりが来た…木製の鉄格子と鉄のワイアの後ろで2人の兵士が起した….彼は叫んだ「ヘイ、お前…英語男…起きろ、起きろ」。彼は僕の兄も起すように頼んだ…将校が兄との面会を望んだのだ…僕は兄を起こした。僕は兄との短い会話を利用した。彼に言った…まったく恐れるべきではないと….僕たちは無罪だ。彼らは君にばかげた質問するけれど彼らを恐れないように…OK? 彼はOKと答えた。了解。
兵士が僕の兄を囚人部屋から連れていった…1時間後、彼は戻ってきた…僕は彼と話が出来なかった…だから彼がどんな質問をされたのかわからなかった

「ヘイ…お前の番だ…こっちへ来い」兵士が僕に言った…兄を連れていった兵士が僕を指した…彼は隣の部屋に僕を連れていった…空っぽの部屋…古いイラクの錆付いた金属ベッドと床の上に小さい汚いスポンジがあった……そのスポンジが僕の席だった。兵士がそこに座って待つように言った…僕は座った…そして待った…数分後…若い海軍将校がイラク人の通訳と一緒に入ってきた。
錆付いた金属ベッドは部屋の中心にあった…それはアメリカ人の席だった。彼は僕の正面にむかいあって座った…けれど僕は床に座らせられている…彼はベッドに座っている…彼は質問を始めた…レジスタンスについて…名前と場所….彼らが今何を計画しているか…。
レジスタンスについてのいくつかの具体的な質問が行なわれた。
僕は兵器を運ぶような関係は誰とも持っていないと説明した…彼は兵士がテロリストのプロパガンダ用のCDとビデオを発見したと僕を脅した…そして僕のコンピューターは占領軍への脅迫文書でいっぱいだと言った!!!! 僕にとって彼のやり方はとても安っぽかった…彼は僕のコンピューターについてウソを言っていた…彼は僕に対するなんら明白な事実をもっていないことがわかった…彼はただ僕を脅かしたいだけなのだ…この部屋で多くの馬鹿げた質問を1時間ほどされたあと、将校は言った…
「OK。自分の部屋(囚人部屋)へ戻って、君の将来についてじっくりと考えたまえ…君が我々を助けない場合は、再び自宅に戻る機会を失うことになるだろう」彼はそう言った…それから部屋を出た…通訳は2人の海兵隊員と共に僕を囚人部屋に連れて行った。

部屋の中で…。
僕はサフィーヤから3人の抑留者がいると以前書いた…彼らは僕にあまりにひどい逮捕作戦のことを話してくれた…真夜中にソニック爆弾(超音波を発する爆弾)で自宅を攻撃されたのだ…しかも彼らは自分たちがなぜ逮捕されたのかわからないという!!!! 
会話は許されていなかった。。。けれど時々、食事をしながらいくつかの言葉を交わす機会を得た…中にいる間に彼らは2人の警備兵と友人になったのだ…。
僕は、多くの海兵隊を含めて彼らが機関銃を持っていることに気がついた…狙撃用の銃だ。
6時間ごとに警備兵(2人ずつ)は交代する。。。初日、僕は彼らの誰とも話が出来なかった…彼らは僕にその機会を与えなかった…僕は最初の日を熟睡して過ごした…その部屋はとても寒く、静かで、僕はとても疲れていた…眠ることが一番良い選択だ…。

---続く---

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-11-05 10:57 | イラク・ラマディから
2006年11月04日

イラク・ラマディからーーー逮捕の日の続き。

「OK、OK……お前が良い教育を受けたのは明らかだ。なぜならお前はバース党と良い関係をもっているからな…そうだろ??」 彼は僕に言った…僕はそれらの愚かで悪意のこもった質問に戸惑った。

そう…僕は彼がシャーロック・ホームズのように探偵ゲームをしていることに気がついた………彼はくだらない質問をしている間も微笑んでいた…自分の賢さを確認するように…しかし、彼は僕にある事実を証明することを忘れている。すなわちアメリカ人たちが、戦争が正当であるとした2003年のプロパガンダに騙された事実を。

ひとりの兵士がサダム[サダム・フセイン]の古ぼけた写真を将校に手渡した…彼は僕の祖母の部屋からそれを見つけた。
「ヘイ…これが誰か知っているか??」
将校は、サダムの写真を見せながら、怒った顔で私に尋ねた。
「えぇ…これはサダムです….こんな古い写真はイラク中どこでも見つけることが出来ます…貴方が僕の家で1枚みつけたからと言って、たいしたことではありません」僕は彼に言った。
「お前はどちらがいい?サダムが管理していたイラクか?それともサダムがいなくなったイラクか?」
彼はこの質問を僕にした。彼は自分で良いポイントをついたと思ったようだ。
「僕にとっては、戦前のイラクのほうがはるかに良かったです!」
僕は答えた…何人かの海兵隊員がこのくだらない会話に関心を示した。
「おお……お前がサダムに非常に感謝しているのは確かだ…ヤツはお前に良い教育と素晴らしい生活を与えたからな。ヤツがいなくなってお前をそれを失った」彼は仲間を見回して言った…僕についての確かな証拠を立証したというように!!
「ちょっと待ってください…今のイラクが戦前より悪いのは確かです…僕の生活が戦後悪くなったのも確かです…僕には権利がまったくなくて…たとえ今貴方に殺されたとしても…誰も注意をしない…規則がありませんから…」

その瞬間電話(携帯無線の)がなり、将校が電話に出た…それから彼は言った。
「お前はラマディ周囲で起きていることを他のものにいうためにコンピューターを使っているか?」
「はい…日記とブログを書いてます…そしてインターネット接続で世界中に発信できるコンピューターを使っています」僕は答えた…
「そうか…我々はお前を逮捕しなければならない…ここにいる他の男たちもだ…お前とお前の兄弟は我々と一緒に来い…話は終わりだ…壁に向かって手をあげろ…兄弟にそう言え…今すぐだ」
彼はそう言った…それから2人の海兵隊員が僕たちの後ろにまわってボディチェックをした…僕たちは後ろ手に縛られた…母は彼らが僕たちを縛るのを見てショックを受けた…母は将校にこう言った(イラクの言葉で)。

「お願いです…私のために一人残してください…私の人生から二人ともいなくなるなんて…私は家族を失います…お願いです。一人だけでも残してください」
母は目を涙でいっぱいにして泣き叫んだ…僕は母を止めた。お願いだからもう泣かないで…。

「おかあさん…彼らに頼むのはやめてください…僕はおかあさん.がそうするのを見ていられない……僕たちは彼らに逮捕されるようなことは何もしてない…おかあさんは自分の息子をよく知っているでしょ…僕たちのために祈ってください…彼らに頼むのではなく…神に………僕たちは大丈夫、おかあさん…」
それから母は…泣くのをやめて何かを言おうとした…母は僕をじっと見た…僕の目を…母は僕と兄を心の底から見つめた…僕は母の愛を感じた…母は僕と兄を見るのはこれが最後だと感じているようだった……僕は微笑んだ…兄にも同じようにするように頼んだ…僕たちは母のために微笑んだ…僕たちの微笑を忘れないように。

将校は「CONTROL NOW」と言った。
海兵隊員への命令だ…コントロールとは…話をやめ、目隠しをされ、彼らの指示なしに動けないという意味だ。海兵隊員は僕に向かって叫んだ「お前の兄弟にも伝えろ…今から話すことも動くこともダメだ….下をむけ」
彼らは僕たちの目に目隠しをした。そして、家の中のかたほうの部屋を通って僕たちをひっぱり始めた……僕たちは目隠しをされたままだった…彼らは僕の証拠として写真、兄の証拠としてコンピューターも運んだ。僕たちは家から出て…庭に連れていかれた。彼らはまるで牛を引くように僕らをひっぱった…1人の海兵隊員が僕の右肩をつかんだ…そして強くひっぱった…目隠しをされながらこのように歩くのはとても難しい…何も見えないので…歩くこともおぼつかない…。
彼らは、僕たちを運ぶための戦車を待ち続けた。

追記:その後、僕たちは、我が家が狙撃兵に囲まれていたことを知った…家族は小さな暗い部屋に10時間も閉じ込められていた。

海兵隊員は僕たちを歩いていける距離の秘密基地へ連れていった…僕たちはひっぱられながら700M以上歩いた………あぁ…彼らは我が家を占領するために僕たちをつかまえたのだ…僕は歩いた場所を想像することが出来る…方角は…ちょうどモスクの横の家だ…彼らは真っ暗な暑い部屋に僕たちを押し込んだ…2人の海兵隊員が警備した…およそ午前3時30分頃だった…僕は床に座って…大きな発電機の音を聞いていた…とてもやかましかった。

1人の海兵隊員が僕に話しかけてきた。
「お前が英語を話すって…本当か??」
「はい」僕は答えた…彼は僕の頭を指で押しながら話しかけてきた。
「お前と話してみたいな…英語を話す囚人と話すのは初めてだ」……僕は沈黙を続けた。
「なぜお前たちはアメリカ兵を殺すんだ?…我々はイラクを文明国にするためにここに来たのに」
「僕はイラクでアメリカ人によってつくられた文明なんて何も見ていません…なぜイラクに来たのか教えてください…あなたには自分の命を危険にさらし銃を持ってまでイラクで戦う確かな理由があるのですか?」
僕は彼に尋ねた。
「お前たちが殺人を始めたのだ…テロリストが9・11にニューヨークのツインタワーを攻撃したとき彼らを助けただろ…多くのアメリカ市民がそのために殺された…我々はおびえた。だから悪いテロリストが再び同じようなことをする前に止めなければならない」彼は答えた。
「しかし、イラクはそのことに全く関係がありませんでした。」と僕は言った。
「いや。。お前は間違っている…イラク人がテロリストを助けたんだ….我々は知っている…だから、俺たちはこうしてここに来たんだ」
「すみません。。。僕は貴方が間違っていると言わなければなりません……貴方の国の議会が貴方が間違った情報を得るようにさせたのです。。。イラクには、テロ犯罪を結びつけるものは何もありません…」
僕は言った。
「う~む…俺の仕事は軍人だ。。。政治家じゃない…俺の仕事はお前の町に隠れているテロリストを捕まえて殺すことだ」
「あなたは、僕がテロリストだと思いますか?」
「う~む…軍情報部がはっきりさせるだろう…俺にはわからん」
「なぜアメリカ人はイラクで敵をつくるために何億も使うのですか?…それらを使って友人と平和をつくることも出来るのに??」
「いや…俺たちはイラクに友人を持っている….俺たちの友人はお前のような悪い奴らを逮捕するために必要な情報を教えてくれる」
「僕??!! …貴方はたった今、僕が悪者かどうかわからないと言ったばかりではないですか…わかってもらえたと思ったのですが」
「お前には逮捕される理由があってここにいるんだ」と、彼は言った。
「僕がその主な理由を言いましょう…海兵隊員が僕の家でコンピュータを見つけたからです。そして僕が平和的なアメリカ人に英語でブログを書いたからです」
「そうか。。。お前はテロリストのためにウェブサイトをつくることが出来るんだ…ますますもってお前は怪しい」
「お前の仕事は何だ?」
彼は僕に尋ねた。
「僕はエンジニアです…今は失業中だけど」
「ワオ…どんな種類のエンジニアだ??」
「基本的に機械技師です」
「それはお前がテロリストのために爆弾を作って銃を改良できることを意味するな…そうだ、お前がやったのはわかっている」と、彼は言った。
「ちょっと、ちょっと…待ってください….貴方は僕が機械技師だというだけで判断するのですか??貴方が考えることは、僕が建設現場で働いていたかどうかを知ることでしょ。。。そして僕が土木工学と建築の経験を持っていること??」
「ますますもって怪しい…お前は通りと場所の地図を作ることが出来る。そしてそれをテロリストに渡している」
「じゃあ技術者は海兵隊員にとっては怪しい人間ですか??」
「ほとんどそうだ….彼らはテロリストを助けるためにいろいろなことが出来る」
「OK…僕には数カ月前に捕らえられた友人がいます…彼は医師です…医師もまた怪しいのですか」
僕は彼に尋ねた。
「そうだ…テロリストは我々と戦って負傷する。。。そして確かに、彼らの世話をして医療支援をする医師がいる」と、彼は言った。
「ちょっと言わせてください…貴方は教育のある人間を疑っている…彼らが医師だったりエンジニアだったりするのを理由に逮捕している…それで貴方たちがイラクを文明国にするために助けに来たといって私たちがそれを信じられますか???!!」
「お前は信じるべきだ…お前の街にはテロリストがいる…奴らを殺すために我々がいるんだ…昨日、俺の友人がこの家で迫撃砲を受け負傷した…彼は指を失った…おそらくテロリストのために地図を描く優秀なイラク人の技術者がいて、俺たちへの攻撃を助け、俺の友人の手を切ったんだ……」
彼は冷静さを欠いているように見えた。
「もう話はやめた…」彼は私に言った…

それから違う兵士がやってきた….彼は水筒を僕たちに渡した…でも僕は飲めない…僕の手は縛られたままだし僕の目は目隠しされたままだった…海兵隊員は僕が飲むのを助けた…まさしく赤ん坊にするように。そして3枚のビスケットを食べるのを助けた。鳥のように僕は彼の手から食べた。
   
ーー続くーー

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-11-04 01:36
2006年11月01日

甥が逮捕されたイラク・ラマディの青年が今度は本人が米軍に逮捕されました。そのいきさつが彼のブログに掲載されているので翻訳してアップします。
(名前は念のため匿名とします)

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2006年9月25日
最後の2日間

多くの人々がラマディ旧市街の中央、カターナ地区で米狙撃兵によって殺された。米狙撃兵がラマディ博物館、パスポートビル、総合図書館、さらにその近くのビルなど数ヶ所にいることは誰でも知っている…狙撃兵たちは、ラマディの主要道路から抵抗する人々を見つける…付け加えると、ビルの周囲で動くものはすべて殺す…
おお……ごめんなさい、僕は2006年9月25日を書き終えないうちに、海兵隊に逮捕されました。

2006年9月27日

この日の始まりはメキシコの友人とチャットをしている午前1時のこと。この友人は僕の甥のことを心配して僕の家族とここの状況について尋ねてきた。この友人は僕には大切だ。僕たちはほとんど毎晩チャットしていた。僕が平和を見失っていたり、平和を必要とするとき、彼女は僕の心がいつも平和でいるように努力してくれる…。チャットの途中で、僕のPCに問題が起き、調子が悪くなり….PCの操作がうまくいかなくなった…それでPCを再起動させるために20分待ってくれと頼んだ…PCが再起動始めたとき、僕は、家の門が壊れる音を聞いた……兄が階段をあがって僕の部屋に来た。

「Q、Q…米兵がドアを壊している!!!!!」と恐ろしそうに叫んだ…
「OK、OK、今行く。家族を起こして。灯りをつけないで。点いている灯りは全部消して…今行くから」僕は言いながら階段を駆け下りた。庭にいる海兵隊員を見ると、彼らは僕の父と祖母を捕まえていた。

「こんにちは、こんにちは…僕は英語を話します……僕たちは平和な家族です……」僕は窓越しにいる海兵隊員に聞えるような声で話しかけた…。

「へい、手を上げて、止まれ」 海兵隊員が僕に向かって叫んだ…僕は手をあげて、その位置で止まった…海兵隊員は、庭でちらばり、2つのドアを蹴破った。そして、たくさんの兵士が家の中に侵入してきた。

「英語を話す人間というのはお前か….??」
海兵隊員の一人が僕に言った。
「えぇ僕です…それが何か??!!」
僕は驚いて答えた…。彼らは、僕が英語を話すのを知っている!!海兵隊員は僕を囲んだ。それから、一人の将校が全員を居間に連れて来るよう命令した。僕は2人の海兵隊員をともなってこの命令にしたがった…兄弟と2人の姉、そして甥っ子のラフムーンとその母、ラフムーンの妹(アイア)を起した。ラフムーンとアイアは天使のようにぐっすりと寝ていた。僕は二人を居間に運んだ。

海兵隊員は家の中を探索し始めた…屋上に行く階段の上と下、ありとあらゆる場所を。
彼らは何かを探していた。それが何であるか、将校に尋ねて初めてわかった。彼らは爆弾と銃を探していたのだ…これはよくあることで、僕たちは海兵隊の点検では嫌な経験をしてきている…しかし、このときはいつも以上に乱暴だった…

将校は僕に質問し始めた…。
「これは誰か…これは、そしてこれは…….等々」彼はぼくの家族を一人ひとり指差して尋ねた。僕は答えた…彼は僕の父、母、兄弟…姉妹…甥…などなど。
「お前はいくつだ??」と私に尋ねた。
「30歳…」
「どのようにして英語を勉強したのか?」彼は僕をじっと見て尋ねた。
「大学で」
「それならお前はバース党員か?」
彼は醒めた表情で尋ねた。
「いえ、違います…!!!」
「へい……サダム政権下では、バース党員だけが高い教育を受け多くの言語を話す…」
彼は言った…彼は僕がバース党員ではないということを信じていないようだった。
「いいや…イラクでは誰でもイラクの中の高等教育を受けることが出来ました…バース党員だけでなく…誰にでも聞いてみてください。きっとわかるでしょう」
彼に説明した。

そのとき、一人の海兵隊員が古い小さなサダム[註:サダム・フセイン]の写真を持ってきた…それは祖母の部屋から見つけたものだった。将校は写真を取り上げ、僕のほうに向き直り、それを見せて、こう言った…
「お前は彼が好きか…そうだろう??」
「彼を好きかどうかだって!!!!!…」
「お前はイラク陸軍で働いていたな…サダムの陸軍かと聞いているんだ」
「えぇ、確かに」
「何年お前はそこにいたのだ?」彼はすばやく私に尋ねた。
「少なくとも2年間」。
「お前はフェイダーン*について何を知っている?」

*フェイダーン:ウダイ(サダムの息子)によって編成された軍事組織。サダムのために用意された特殊部隊。

「多くは知りません…それがサダムのために戦うことは知っていますがそれ以外は何も」
「お前はアメリカについてどう思うか…良いか悪いか??」
「明確に答えることが出来るのは、アメリカは僕の街では悪いことをしているということです…」
僕は驚いて答えた…彼は僕に合衆国の敵としての言葉を言わせようとしている!!!!
「お前はサダムが善人であったと信じているか??」と私に尋ねた….
「僕は、イラクには彼より素晴らしい人々がいると信じています」僕は答えた…それがワイルドな答えであることを知っているが、僕は将校が僕に対して言わせようとしいるいくつかの単語を避けようとした…
「いつ、どこで、お前は英語を勉強したのか?」と私に尋ねた。
「1990年代、大学で」
「ヘイ、ヘイ、….英語はサダムの時代は許されていなかっただろ」
「いいえ…過去70年間イラクの学校では英語の勉強は普通のことです…」

(翻訳 細井明美)
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by reem-akemi | 2006-11-01 23:35 | イラク・ラマディから