毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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今年も会津へ

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毎年、冬になると会津へ行く。会津若松にある満田屋で味噌田楽を食べながら会津の酒を飲む。これがまたとても楽しい001.gif

満田屋は味噌屋で、店内に囲炉裏があり、そこでニシン、餅、こんにゃく、厚揚げなどを目の前で焼いてくれる。炭火でこんがり焼いた味噌は香ばしく、とてもおいしい。ニシンは山椒味噌、こんにゃくはゆず味噌、餅は甘味噌と、さまざまな味噌が楽しめるのもうれしい。私は田楽を食しながらにごり酒を飲む。にごりは麹の香りが強く、飲んだあとの甘みと香りにひかれる。本当の酒飲みは、もっときりっとした酒が好きなのだろうが、たまにはこってりとした濁り酒もいいものだ。要は、甘いものがたまらなく好きなのだ。

満田屋のあとは、少し離れた末廣の嘉永蔵へ行く。ここでは試飲が楽しめる(またまた酒!)。順にいろいろ飲んでみる。若い酒はジュースのようにさっぱりとしている。いろいろ飲むと若い酒は物足りない(笑)。まるで「男」のようだ029.gif。と、言い方が違った!まるで「人間」のようだ003.gif。人間も少し練れたほうが魅力的だものね。いろいろ試した結果、少し「枯れた」酒を買う。よくぞ日本人に生まれけり!おいしい酒を飲み、おいしいつまみを食べ、気のあった人と過ごすのは一番楽しい。
ついでに酒かすも購入。これで何をつくろうか?白身の魚を漬け込んでみようかな。香ばしく焼くとおいしいだろうななどと想像しながら店を出る。
嘉永蔵にはカフェもあり、最高のアールグレイが飲める。それもまた楽しい。

今年は雪が少なかったのが寂しかったけど、とにかくいつものように会津でおいしいお酒と食事、それに温泉を楽しんだ。なんとも幸せなことよ。
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by reem-akemi | 2009-02-23 20:48 | 日記

植民地は20世紀の話?

前回、植民地は20世紀で終わったものと思っていたと書いたのを訂正。感傷で書いた文章はあとで読んで恥ずかしくなる。

資本主義は行くところまで行き、植民地も20世紀の統治方法から異なる手法に進化したというのが正しいのかしら。イスラエルにとってパレスチナは市場であると同時に労働者確保の場であり、資本が常にイスラエルに戻ってくるというありがたい存在だ。これで彼らがおとなしければいうことないだろう。だからイスラエルはおとなしい(穏健派)のファタハを選び、ハマース(イスラム抵抗運動)に対して圧力をかけるのだ。

と、、ここまでは私にも見えてきた。結局、イスラエルを知らなくてはパレスチナを知ることが出来ない。頭の中ではいろいろな言葉が錯綜しているが、それを書くのにはもう少し時間が必要。このブログは私の記録。なので、今日はここまでにしておこう。ありがたいことに、このところ書くのを怠けていたらアクセスが極度に落ちてきた(^^)。アクセス数が多いと、読み手の存在がさすがに気になるので、無くなるのはかなり嬉しい。

言葉に表さないと思考を熟成させるのが難しい。ブログはその整理に役立っているけど、ことイスラエルとパレスチナに関してはいろいろな問題がからんでいるし、素材が多すぎて私の頭が混乱してきた。こんなときにサラ・ロイさんが来日するのはパレスチナ問題を考える上で非常に喜ばしい。バランス、バランスと自分に言い聞かせつつも、いつも頭の中は「政治」でいっぱい。思考することが趣味なんて、少々いやらしいかな。
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by reem-akemi | 2009-02-18 08:28 | 政治・経済・国際情勢
作家の村上春樹氏がエルサレム賞の記念講演でイスラエル批判を行ったとか。でも、ニュースをよく読むと、イスラエルというより、人間を破壊する政治システムそのものを批判しているような気がする。

作家だからこその意思表示であろう。人間に対する深い洞察を感じさせる。村上春樹というと、私には都会的で小粋、むしろあまりにシャレすぎて人工的な感じすらしていた。けれど彼の好きなアメリカは1960年代の茶色いレンガつくりの建物がならぶようなNYなのかもしれない。「都会」という壁の中で生きていく主人公を描くからこそ、同じように壁で囲まれたパレスチナの人々の苦しさも代弁できるのかもしれない。

今回の彼の言葉、「作家は自分の目で見たことしか信じない。私は非関与やだんまりを決め込むより、ここに来て、見て、語ることを選んだ」に、スーザン・ソンタグの「人は見たものしか語れない」という言葉を思い出した。

エルサレムの壁の向こうにぜひ行ってほしい。行って、その目でパレスチナの人々のことをしっかりと見て、私たちに伝えてほしい。

21世紀にあってもなお続いているイスラエルの植民地政策。。。植民地は20世紀で終わったものと思っていたのに。。。
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by reem-akemi | 2009-02-16 23:12 | 日記

またまた辺見庸

辺見庸の記事が読みたくて週刊金曜日を買ってしまった001.gif。以前、辺見庸は終わりだとかなんとか書いたのにも関わらず、である。。。037.gif

「根源までたどり思索を深めよ」。世界同時進行の異質のパンデミック(感染爆発)のなかにわれわれはいる。そこでは「100年に一度の金融危機」などと限定されたカテゴリーではなく、人類が連綿と続けてきた資本主義や民主主義といった価値システムの総体が同時性をもって破局にさしかかっているのではないか・・・思索は根源へ向けて深められる。

上記の文章はこの記事のリード。なに?世界同時進行の異質のパンデミックって?039.gif。片岡さん(金曜日編集部)が書いたリードと思えないこの導入の仕方に辺見庸的世界を感じてしまう。うまいよな~~~~。
なんといっても彼の日本語の巧みさに引かれる。上記の文章を要訳すると、物質・金銭に価値を置く資本主義が破綻し、人々は疲弊し、人類はこれまでにない試練の場を迎えようとしている。私たちはこの状況に対してよ~く考えなきゃいけない026.gifな~んて。

サブタイトルの「天皇制という非言語的拘束」。これも文化として私たちの生活に浸透している制度としての天皇制という意味かな。

そして彼の視点はあいかわらず鋭い。「パンデミックの時代のなかで、権力側がその対症療法として連発してくるのは死刑です。いくつかの破局が重なるなかで社会がエモーショナルになり、当然、犯罪も増えるだろう。それを懲罰で抑えられるとするのが司法当局であり国家です」この箇所には思わずうなずく。先日も4人の死刑囚に死刑が執行されたことを考えても非常に現実感をともなう意見だと思う。悲しいかな、社会に対する人々の不満が大きくなればなるほど国家はそれを利用して民衆の力を押さえ込もうとする。

辺見庸から私はいつもいろいろな情報を得る。今回一番のギフトは「チェット・ベイカー」。もともとジャズピアノが好きだけど、トランペットもいいなと思ってしまった。暗い部屋でチェット・ベイカーのCDを聞いたら、そのアンニュイな快感から抜け出せそうもない001.gif。革命が始まるとは私には思えないけど。。。辺見庸は「革命はたぶんそこからはじまります(笑)」と言っているが。。。おそらくどこにも行きたくないし、何もしたくなくなるだろう。。。

なんだかんだ言ってもやっぱり辺見庸はカッコいい。
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by reem-akemi | 2009-02-15 22:10 | 日記

父のことは・・・

父のことを書くといいながら結局、何も書けてない008.gif。おそらく母ほどには父の存在は重くないのだろう。かわいそうな父。。。

先日、姉に電話すると父は病院を移転したそうだ。でも肺炎のため相変わらず酸素マスクをしたままだし、潰瘍のため食事をすることが出来ず点滴を受けている。何も変わらないということだ。
私が病室に入ると開口一番、「もうダメだ」と酸素マスクをつけながら言った。
冷たい娘(私)「ダメだって言っている人ほど長生きなのよ」
父「もう死ぬ」
姉「昨日、死にかけたでしょ」
私「あら、助かってよかったじゃん。大丈夫よ!」
と点滴をさしている腕をたたいてしまった。
父「はれた~~~」と腕を差し出す。

しまった!点滴の針が折れなくて良かった001.gif
というわけで、父の見舞いはシリアスであるにも関わらず、緊張感がない。

なんというか、家族のなかにいると昔から三枚目を演じている私である。
おそらく二番目の子どもというのは、皆の顔色を見て育つせいだろう。
どうにも悲しい性分だ。
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by reem-akemi | 2009-02-15 20:34 | 日記
先週、千葉県O町に住む姉から、父が下血したとの電話が入った。姉は認知症の母と口うるさい父の面倒をずっと見てくれていたのだ。私も弟もそんな姉には感謝している。翌朝早く私はO町を訪れた。私は両親と10年以上会ってない。理由はない。忙しさにかまけて、いつの間にか時間がたってしまったのだ。そんな私に父は電話で、死ぬとき来ても遅いぞと文句を言ったこともある。その言葉が本当になるかもしれない。。。

駅には義兄が迎えに来てくれた。ひさしぶりに見る義兄は目のあたりがぼんやりして見えた(人は年をとるとなぜ目のあたりがぼんやりしてくるのだろう)。この義兄にも10年以上会ってなかったのだ。病院の面接時間は午後からとのことで、デイケアセンターにいる母の見舞いをすることにした。母は毎日9時から4時までそこで過ごすらしい。デイケアセンターは白木の床も美しく、大きな広間に畳とテーブルが置かれ、清潔な感じがした。言ってみれば、ベビーセンターの老人版とでもいおうか。

「あ、あそこにいる」と義兄が指差す方を見るが私にはわからない。兄のあとについていき、ふさふさとした白髪の老婆の前に行き顔を見ると、懐かしい母の顔があった。でも、母の視線の先に私はいなかった。想像してはいたが、なんだかせつない。

次の瞬間、母はケラケラと笑い転げた。義兄が手をヒラヒラさせておどけていたのだ。母も自分も手をヒラヒラさせてニコニコしている。介護士が「Hさんは笑顔がいいのよ。歌も大好きでよく歌ってますよ。テレビで歌番組をすると前にすわってます」。私は母の歌などこれまで聞いたこともなかった。母はずっとニコニコとしている。けれど目が笑ってないので私には単なる筋肉の動きのように思えた(赤ん坊の笑顔も筋肉の自然な動きと聞いたことがある)。
「食事のあとお話しますか?」と介護士が言った。
「え?でも何もわからないでしょ?」
「いいえ、家族の方が一緒にいるだけでも違うんですよ」
そんなものなのだろうか。小さな部屋で待っていると介護士に手をひかれ母が来た。私は生まれて初めて母の顔をまっすぐにじっと見つめた。子どもの顔は子育て中によく見るけれど、親の顔をみつめたことなどついぞない。
「私はあんたの娘よ。わかる?」
しばらくの沈黙のあと、母はぽつりと一言。
「小さいときから好きだった」
「え?!」
それからしばらくたって
「バカだか利口だかわからない」
な、なに???それ、私のこと?!思わず訊ねた。
「それ、私のこと?ひどい!」
母はニッコリするだけだった。認知症って感覚でものを言うらしいけれど、まさに本質的なことを言う。母は私のことをずっとそう思っていたに違いない。なんだか可笑しくなってきた。

「髪は白いけど、眉は黒いのね」
独り言のように私がいうと
「かわいそう?」と母が聞いた。
「ううん」
母は本当に何もわからないのだろうか?とても不思議な感じだった。87歳の母は見た目では70歳代にしか見えない。肌も艶々して皺もなく健康的だ。認知症でさえなければ昔のままなのに・・・。聞き覚えのある声で、「し・ら・ゆ・り」と大きな声で言った。デイケアセンターの看板を読んだのだ。漢字はなんでも読めるとか。自分の名前が書いてある葉書をみつけると「これ、私の」とうれしそうにすると聞き、今度手紙を書こうと思った。昔、母は季節の折々にこまめに葉書をよこしたものだ。筆不精の私はただただもらうだけ。結局、子どもは親に何かをしてもらうことを当たり前と思って生きている。

今、母の瞳の先には私がいる。なぜって母の目に昔のような暖かさを感じたから。それとも暖かい目で相手を見つめると同じように反射してくるだけなのだろうか。いやいや、家族って言葉を越えた何かでつながっているのかもしれない。そう信じたい自分がいる。

30分ほど一緒に過ごしたあと、母は介護士に手をひかれ大広間に向かった。母の意識はどこにあるのだろうか。後姿をみているとせつなさがこみ上げてきた。母が「笑う人」になるまで、長い道のりがあったようだ。お湯をわかそうとしてポットをコンロに乗せて火をつけたり、茶筒にそのまま湯を入れたり、突然「もう帰らなくちゃ」と自宅を出たり、夜中に徘徊したり。。。そして、今、ただただ笑っているだけになった。2歳か3歳の幼児のような母だ。

外に出ると、朝方降っていた雨がやんでいる。車に義兄とともに向かったが、母を抱きしめなかったことを私はひどく後悔した。いつだって私は母の子ども。それ以外のなにものでもない。

父のことは次に書きます。
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by reem-akemi | 2009-02-09 11:12 | 日記
2月5日の学習会はとても多くの方が参加してくださり、多いに感激した次第です。確かな情報をシェアすることは私たちにとって最も大切なことと思いますので。

さて、今日表題に書いたのはニューズウィーク、クリスチャン・カレル氏の記事のタイトルです。
ここで紹介したいのはそのなかのソマリア海賊問題とアフガンの貢献について。

海賊問題で日本は見事な実績を残しているとのこと。場所はマラッカ海峡。ここも長いこと海賊の被害が絶えない地域だったが、日本政府はASEAN(東南アジア諸国連合)と合同訓練を行い、海賊の情報共有センターをシンガポールに設立。海上保安庁の巡視船を現地に派遣した。その結果、03年に150件あった海賊被害も3年間で1/3に減少。

な~んだ、海上保安庁もやれるんじゃん017.gif。誰だ?!海上保安庁だけ送るのは無理だと言ったヤツは!日本政府にこれだけの経験と実績がありながら、それをいえない弱腰047.gif。まったく情けない。

その記事は続いてこう書いている。
「日本の政治家はすったもんだの末、最近になってソマリア沖の海賊対策にも参加する方針を固めた。ただし、派遣される海上自衛隊の護衛艦が守るのは、基本的に日本の船舶のみ。これでは国際社会の高い評価は得られそうにない」

外国籍の貨物船が海賊に襲われていても助けてあげられないのではかえって批判を浴びるだけ。なんとも中途半端な仕事で、それに多額の予算をつけるのはバカバカしい限り。

この記事の最後はアフガンの援助について。アフガン出兵は民主党が政権についてもやりそうな様子だが、果たして自衛隊を送りだすことがいいのか?悪いに決まっている013.gif

記事はこう書いている。
それでも日本にできる貢献がないわけではない。テンプル大学日本校のジェフリー・キングストン教授(アジア学)はこう語る。「『ブーツ・オン・ザ・グラウンド』といっても、必ずしも軍人の派遣が求められているとは限らない。ブーツを履いた建設作業員や教師、医療関係者でもいい」。いずれアフガニスタンとパキスタンでは「国の再建と人道援助がもっとも重要な貢献になる」と、キングストンは言う。どちらも日本が水利事業や医療援助を通じて能力を実証済みの分野だ。

記事の写真は「ペシャワール会」がトラックに医療援助物資をやまほど乗せているもの。クリスチャン・カレル氏は知らないのだろうか?アフガンで行なわれてきた水利事業も医療援助もすべて国の力を借りずに庶民の寄付・援助で成り立っていることを。
結局、日本の平和力(そういう言い方があるとするなら)を示すのは、NGOの援助活動しかないということだろう。
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by reem-akemi | 2009-02-08 12:15 | 政治・経済・国際情勢
表記のような緊急学習会を開くことになりました。もしこのブログを読んで参加してみようかなと思われる方がいらっしゃたら、ぜひご参加くださいませ。お待ちしています001.gif

以下、その要旨です。
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緊急学習会
ガザ侵攻ーイスラエルはなぜガザを攻撃したのかー

・日時   2009年2月5日(木)午後6時半~8時半
・場所   たんぽぽ舎(JR水道橋5分 ダイナミックビル5F)
       03-3238-9035
http://www.tanpoposya.net/info/map.htm
・参加費  500円

昨年12月27日から始まったイスラエルの攻撃によりガザは瓦礫の町と化し、停戦が行なわれた今も封鎖は解かれず人々は『壁』に閉じ込められている。ガザの人々はなぜこれほどまでの苦難を強いられるのだろうか。映画「レインボー」(2004年のガザ・ラファの攻撃を記録したドキュメンタリー映画。イスラエルはこの攻撃作戦を「レインボー作戦」と名づけた)を上映した後、パレスチナ問題に詳しい早尾貴紀(はやお・たかのり)さんに今回のガザ侵攻の背景を講演していただきます。

第1部 「レインボー/Rainbow」(パレスチナ/41分/2004年)
     監督 アブドゥッサラーム・シャハダ
    占領下で破壊され、奪われ続けるパレスチナの人々の生活と生命。
    その痛み悲しみを、レンズに焼き付けるかのように、カメラは回る。
    アース・ビジョン第14回地球環境映像祭アース・ビジョン大賞

第2部 早尾貴紀さんのお話
    1973年生まれ。社会思想史研究。東京大学COE「共生のための国際哲学
    教育研究センター」研究員、東京経済大学非常勤講師、イスラエル・ハイファ
    大学ユダヤーアラブ・センター客員研究員、共訳 E.W.サイード『戦争と
    プロパガンダ』(みすず書房、2002年)、『ユダヤとイスラエルのあいだ」
    (青土社、2008年)その他多数の著書あり。

・主催 市民の意見30の会・東京
・作品提供・協力 アース・ビジョン組織委員会事務局
・問い合わせ先 anneh@jca.apc.org
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by reem-akemi | 2009-02-01 22:00 | パレスチナ