毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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土肥信雄校長のこと

昨夜たまたま観ていたテレビ朝日の番組で、とても素敵な人を知った。土肥信雄さん、元三鷹高校校長。すでにいろいろな形でマスコミに露出している方なので知っている人も多いに違いない。東京都教育委員会からの職員会議での教師の挙手・採決禁止の通達に異議を唱え、たった一人で教育委員会と闘った校長先生だ。

その昔、「学校」は社会で唯一ヒエラルキーのない場所にしようと多くの先生がたが努力していた。これから社会に出ていく子どもたちにとって生きることが希望につながるように、子どもたちそれぞれの環境に配慮しつつ学びを教えていた。貧しい家の子どもたちに栄養をと考えて「給食」制度があったのかもしれない。昭和30年代、東北の農村地帯は現在と違って本当に貧しかったので、小学校の給食は子どもたちの成長に大きな役割を果たしたと思う。

もし子どもの頃に世界はヒエラルキーに満ちていると知ったら、どんなに苦しかったか。。。ところが、絶対的なヒエラルキーを教えるのが今の学校教育。エリートはどこまでもエリートの道を歩み、その他はエリートを支える兵隊に過ぎないことを学校は教えている。子どもたちを教える教師たちもすでにその多くがヒエラルキーに満ちた教育を受けたものたちなので、違和感を感じないのかもしれない。

少数の違和感を感じる教師たちには、見せしめのように教育委員会が攻撃し続け、誰も抵抗できないようにしている。

本当にこれでまっとうな社会になるのだろうか?生命力にあふれた社会になるのだろうか。。。
希望の代わりに絶望を教えていくことがどれだけつまらないこことか。。。
先の東京都教育委員会の通達は、誰が考えたことなのか知らないが、実にバカげている。土肥校長が異議を唱えて当然のことだ。先生がたに発言の自由がなかったら、子どもたちの教育を受ける権利を誰が保障するのだろう。誰が子どもを守るのだろう。東京都教育委員会は社会の崩壊に向かってその力を誇示しているようにしか見えない。

教育委員会があまりに愚かなため、土肥校長の誠実さが、正しさが際立って見える。東京都教育委員会は間違ったことは間違ったこととして誤りを認めるべきだろう。
卒業式に土肥校長の隣で監視している教育委員のおぞましさにはぞっとした。ヒエラルキーに満ちた学校教育を変えていかないと本当に日本社会は崩壊するのではないか。。。そんな気がしてならない。。。
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by reem-akemi | 2009-06-30 11:17 | 日記
帰国してから最初にやったこと。アラビア語のキーボードをアメリカのアマゾンで入手。日本では残念なことに買うことが出来なかった。。。1週間もかからずに届いた。キーボードが3000円。送料&手数料が同じく3000円(笑)。

これでアザ先生とかスレイマン、カーシムにアラビア語でメールが書ける(^^)v
とはいうものの、これがけっこう大変。。。

で、習うより慣れろとばかりにアラビア語でブログを書くことを思いつく。日本のブログサービスは多言語を使うことが出来ないのでBlogs comで作成することにした。
それが以下のサイト。

http://reem-lazycat.blogspot.com/

ブログ名は「キッタトル カスラーン」。意味は怠け者の猫。エジプトでのレッスン、後半は子ども向けの本を読んでいた。そこに出てくるのが怠け者の白い猫。

この猫は自分を磨いて毛並みを美しくすることに明け暮れ、餌も飼い主がくれるのでネズミを取ることもせずに寝てばかりいた。そこに目をつけたのが1匹のネズミ。彼は猫の家の近くの穴に住んでいたが、いつもおなかを空かせて食べ物を探していた。ネズミが怠け者の猫の家に入ってみると、猫はいつものようにお昼寝。ネズミが近づいても、のんびりと寝ていた。

そこでネズミは食べ物をあさり、たらふく食べたあと、その話を仲間のネズミにした。「あそこの猫は寝てばかりいるからご馳走が食べ放題だよ」。それを聞いた町中のネズミが白猫の家に集まった。

それでも猫は自分の餌が食べられるわけではないので、ネズミたちの大騒ぎを横目で見ているだけで、のんびりお昼寝を続けた。そこへ現れたのが猫の飼い主。町中のネズミに驚いた飼い主は、猫をカゴに入れて遠くの山へ連れていく。「お前のような怠け者の猫はいらない」。飼い主は猫をカゴに入れたまま木の枝につるして山を降りていった。

3日後、飼い主が再び山へ行くと、白猫はお腹を空かして食べ物をあさる猫に変身していたとさ。
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by reem-akemi | 2009-06-25 10:07 | 日記

カイロ、最後の夜

予定していたレッスンをすべて終わり、さらに10時間追加してカイロでのアラビア語留学をとりあえず終了。レッスンは帰国前日まで行なった。最終レッスンのあと、スレイマンの家に行き家族みんなと夕食をとる。1ヶ月の勉強の成果を見てもらおうと努めてアラビア語を使う(^^)。

8時過ぎ、スレイマンの家族と夕食をしていると、突然停電に!昼間はたびたび停電になるのでエジプトは電力が足りないのだなぁと思っていたら、真っ暗なのは彼の家だけ(笑)。と、彼の義理のお母さん(いつも真っ黒なアバヤとヒジャブをかぶっている)が切った杏(アプリコット)に小さなローソクを乗せて持ってきた。果物に乗ったローソクは次から次と出てきた。リンゴにもローソクがささっている。テーブルの上はコシャリと鳥のケバブ、サラダ、バージージャン(ナス)の炒め物などの間に杏やリンゴに乗ったローソクの灯りがユラユラとゆれていた。天井と壁には私たちの影がこれまたユラユラと揺れている。

私は手で壁にキツネの横顔を作ってみた。昔、こうして障子に影をつくって遊んだことがあったなぁと幼い頃の記憶がふっとよみがえった。イラク戦争が始まった年に生まれた末っ子(女の子)はそれを観てケラケラと笑う。バクダッドもこんな闇夜が続いていたのかしら、いやな記憶が戻らなければいいのだがと私は心配したが、スレイマンはこう云った。
「ロマンチック・ディナーですね」
本当に。カイロの最後としては思い出に残る夜になった。

外では結婚式が行なわれているとかで、にぎやかな音楽が流れていた。昼間は暑いから結婚式は夜なんだなと想像する。
この近くのイラク人はほとんどがイラクに戻り、24軒が残っているだけとか。
スレイマンは末っ子を観ながら、
「コシャリが好きなのはこの子だけなんです」
「彼女はバグダッドのことは覚えてないの?」
「あまりね」
そうだろうな。そうすると彼女の故郷はバグダッドではなく、カイロになるのね。。。エジプトの文化・習慣・言葉を学び、イラク人でありながら微妙なところでイラク人とは違う人間が育っていく。私はとても複雑な気持ちになった。

複雑といえば残りの2人の男の子たちについても同じようなことを感じた。上の子どもを指して彼が一言、「この子は日本人と同じです」「え?何が?」「目が悪い」
つまり、彼らは日本の子どもたちと同じように一日PCに向かってゲームをしている。メガネをかけているアラブ人にはめったに会ったことがないが、これからは事情が違うようだ。
エジプトの貧しい子どもは学校へも行かずに働いている。一方、PCがあり、ゲームに興じることの出来る子どもは恵まれているが、アラブ独自の文化から離れ、グロバリゼーションの波に飲まれていく。アジアの子どももアラブの子どもも、いわゆるアメリカ文化で育っていく。なんだかんだ言っても、アメリカは文化の面でも世界を凌駕したよね。。。

別れ際、「また会いましょう」をアラビア語でなんというかと聞くと、こう教えてくれた。
「ウリード イラーキー カリーブ」
そう挨拶した私におばあちゃんはこう返した。
「フィー イラク」
そう。今度会うときはイラクでね。。。
「フィー バグダード」
バグダードで会いましょう。。。私たちは頬を寄せて抱き合った。
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by reem-akemi | 2009-06-23 10:38 | エジプト

荒川沖連続殺傷事件

荒川沖連続殺傷事件を覚えているだろうか?今月始めに水戸地裁で三回目の公判が開かれたがその様子をネットで読みショックを受けた。まず父親の「むごいことだが死刑になって当然だ」という言葉に驚き、その記事を全部読むことになったのだが、全部読んで何かを書かなければと思いながら日が過ぎた。

心の闇とよくメディアは書くが、私には被告の幼稚さが感じられた。こうなる前に何か出来なかったのだろうか。自分を守るために現実と夢想の間を行き来している被告が哀れでならない。
成長の過程で何が欠けたのだろう。。。

私たちの周囲は多くの情報にあふれている。けれどさまざまな価値観があるとはいえないような気がする。多くの若者たちが子どもの頃から植えつけられた「良い子あらねばならない」とか「楽しくなければならない」とか、「人に好かれなければならない」とかの価値観に振り回されているのではなないだろか。 
そこからはずれたとき、人は孤独になり無力を感じ、自分は何も出来ないと思ってしまうのではないだろうか。

世界はそんなにすばらしくもなく、そんなにひどくもない。楽しいこともあれば悲しいこともある。すべてが流れる時間の中の一瞬の出来事。
私も若いときは心が常にただよっていた。いつも不安定で、孤独で(今もそうだけど)、消え入りそうな気がしていた。でも、それを変えたのは子どもが生まれたとき。子どもは生命そのものだと思う。きっと子どもを愛することで生きる実感を得たのかもしれない。その意味ではわが子にとても感謝している。

でもそのわが子も実は被告と同じようにゲームに自分を投影している姿を見ると私の育て方がどこかで間違ったのかと思ってしまう。だからあの記事を食い入るように読んだのだ。
成人してしまったわが子にどう言葉かけをしていいのか迷っている親がきっとたくさんいるに違いない。大人になりきれてない子どもたち。。。どうにかしなければと思いつつ日が過ぎていく。

達成感とか、自尊心とか、自立するために必要なものをどこかで獲得しなければならなかったのにどうして得られなかったのだろう…。
荒川沖連続殺傷事件は同じような子どもを持つ私には無関心ではいられない事件だ。
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by reem-akemi | 2009-06-10 19:18 | 日記

地中海へ

アラビア語の授業もあと3日で終了となった。合計60時間。レベル1の試験も合格(^^)v。これでやっと小学生3年生くらいかも。。。

1ヶ月近くカイロに滞在してやっと慣れてきた感じだ。ホテルの人たちとも仲良くなり、行きつけの食べ物屋のおじさんたちとも手をふって挨拶する関係になってきた。せっかくアラビア語圏にいるのだからとホテルの人たちとアラビア語で話そうとすると彼らは笑いながら聞いている。私の発音がストレンジだとニヤニヤ笑っている。あげくの果てにアンミーヤで訂正する(アンミーヤとはエジプトのアラビア語。JがGになる。私が習っているのは正則アラビア語といわれるフスハー。これは日本でいうと古文みたいなもので、普通には使われていない)

週末はカイロの喧騒から逃れて地中海の町マルサマトルーフに行った。片道7時間。アレキサンドリアへの道をまっすぐに行き、途中でマルサマトルーフ街道に入る。砂漠の中を道路が突き抜けていく。どこまでも続く砂漠を見ながらドライバーが云った。
「この砂漠は人が入れないんだ。なぜだと思う?」
「わからないわ」
「イタリアとドイツが戦争中このあたり一帯に地雷を撒いたんだ。入っただけでお陀仏さ」
イタリア軍とドイツ軍は第二次大戦中、北アフリカのこの地域まで侵攻。イギリス軍と激しい戦闘を行い、ここは最大の激戦地といわれている。
「イタリアとドイツがエジプトを取ろうとしたってわけさ」
エジプトを取ろうとしたって、そのときはイギリスの殖民地だったからすでに取られていたでしょうにと聞き返そうとして、はたと気がついた。エジプト人がそういう表現をするほどイギリスは植民地政策が上手だったのだと。

「そのうち右側に大きな慰霊碑が見えてくる。ほら、あれあれ。あれがドイツの。あの先にある丸いのがイタリア。あそこにドイツとイタリアの兵士たちが眠っている。だから毎年彼らの子どもや孫がおじいさんに会いにくるよ。リビアを経由してね」

そのとき、「ドイツなんやらかんやらメモリアム」という看板が一瞬目に入る。しばらく行くと確かにイタリアの慰霊塔も見えてきた。両国ともその大きさたるや尋常ではない。しかし、しかし、この人たちはこのエジプトの地に大量の地雷を撒いていったのではないか。それなのにこんなにも大きな慰霊塔を建てる神経がすごい。
この行為はたとえていうなら、中国に日本兵のための巨大な慰霊塔を建てるようなもの。

ドイツのメルケル首相は先日もオバマと一緒にホロコーストの犠牲者たちのための慰霊に参加して、「ドイツは過去の歴史を決して忘れない」みたいなことを云っていたけど、結局、あれも相手がユダヤだからだ。誤解されては困るけれどホロコーストの歴史を否定しているのではない。ただ、犠牲者への謝罪をするなら白人もカラードも一緒でしょと云いたいだけ。

いつでも名もない多くの犠牲者たちがあちこちに眠っている。彼らは決して名前を刻まれることもなく土になっている。

地中海は60年前も碧く澄んでいたのだろうか。。。f0189799_355638.jpg
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by reem-akemi | 2009-06-09 03:10 | エジプト

オバマが来た

6月4日、カイロにオバマが来た。前日の夕方から表通りの商店は店を閉め、私はいつも買う焼き鳥が買えず仕方なくホテルの近くでサンドイッチを買うことに。4日も交通機関がすべてストップする可能性があるとのことで、その場合はアザ先生(私のアラビア語の先生)に電話で行けないことを伝える手はずになった。だが、幸いにして私が目覚めた頃オバマはカイロに入り、テレビではサーべルを持った騎馬警官がオバマの車両を先導する様子が写っていた。

オバマは車から降りると軽やかに階段を走ってあがり、待ち受けていたムバラクの手を握り挨拶をした。
私はへそ曲がりだから、オバマの演出過剰なところがどうも気になってしかたがない。だってオバマは若さを強調して文句なしにカッコいいのだから。。。

さて、その日、学校も店も道路もやはり人が少なかった。聞いたところでは「外出禁止令」が出たらしい。それほど警備に気を使っているということなのだろうが、なんとも違和感を感じた。

その日、オバマはカイロ大学で世界に向けてイスラムとの新しい関係つくりをアッピールした。演説はいくつかの章に分かれているが、宗教的な言葉をちりばめイスラームの自尊心をくすぐっている。実に心にくい。はてはトーマス・ジェファーソンまで引用し、イスラームがいかにアメリカ建国と関係があるかを話す。本当に演説がうまいよね。そして自分自身の先祖がケニヤのイスラーム教徒であり、決してイスラームと無関係ではないことを強調。
ここまでですでに学生たちはオバマのマジックにかかっている(^^)。学生たちだけではない。この演説は14カ国の言語に翻訳され世界中の人が読めるようになっている(日本語がないのはどうして?日本はアメリカの言いなりだからサービスする必要がないと思っているのでしょう、きっと)

評論家の中には歴史に残る演説だというものもいるらしい。
だが、そうだろうか?へそ曲がりだから云うわけではないが、アメリカはテロとの戦いを続けると云っているし、パレスチナの暴力を批判し、ハマスはイスラエルの存在を認めろといっている。ではイスラエルの暴力には何も云わないの?
ハマスはイスラエル中心のオスロ合意を認めることは出来ないといっているだけでイスラエルを認めないとは云ってない。すべてイスラエル側にたった発言であることが私には気になる。

オバマは「アメリカ史上初めてのシオニストの大統領」だと聞いたことがあるが、彼の言動を見ていると本当にそうなのだろうと思わずにいられない。
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by reem-akemi | 2009-06-07 05:10 | エジプト

基本に戻ろう

朝鮮半島を中心にアジアがどんどん緊張をましている。キッシンジャーが中国に対して北朝鮮に圧力をかけないと日本と韓国が核武装をすると警告したそうだ。余計なお世話というものだ。アジアのことはアジアにまかせほしい。

アメリカの動きに合わせて自民党は防衛予算の拡大を狙っている。しかも防衛の守備範囲を南西諸島からグアムまで広げようとしている。日本の守備範囲を越える領域で、アメリカの肩代わりをさせられようとしているのではないか。冗談じゃあない。なんでアメリカのために税金を使わなければならないのか。

日本はこれまで平和外交を旨としてきたはず。アメリカを守るために軍事予算を増やすなどもってのほかだ。日本には日本独自の外交があるはず。特にアジアにおいては中国・韓国と話し合いを重ねて平和を探るのがどの国にとっても大切なこと。アジアが仲良くなって困るのはアメリカ。アメリカはアジア各国の緊張関係を利用して自分の国を有利にもっていこうとしている。
私たちはアメリカの手に乗ってはならない。私は決して反米ではない。アメリカが世界にとって良きリーダーシップをとってくれるなら大歓迎だ。ところがアメリカのしていることといったら、世界に紛争を撒き散らし利益をアメリカ自身に持っていくことしか考えてない。自民党が行おうと必死になっているミサイル防衛もアメリカの軍需産業からの圧力の結果だ。

戦後吉田茂を始めとして、自民党政治家の多くが守ってきた日本の独自性が今、戦争経験のない二世議員たちによって崩れようとしている。今こそ基本に立ち戻って日本のありかたを追求すべきだ。それには今度の選挙で与党政権を引き摺り下ろすこと。

自民党にいつまでも政権の座を与えていたこと自体間違っていたのだ。
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by reem-akemi | 2009-06-02 05:08 | 政治・経済・国際情勢

父が亡くなる

5月31日父が亡くなった。

心が重く沈んでいる。思えば祖母の命日と月は違うが同じ日になる。
なんだかんだ言ってもやっぱり親子なんだなぁと思う。

父とはよく喧嘩をした。小学生のとき、勉強をしない私のランドセルを放り投げて捨てたのも父だ。飼っていた猫の子どもが生まれたとき父は袋に入れてそれを地面に叩きつけて殺した。私はそれを見て父がイヤになった。あのショックは忘れない。ミャァミャァ鳴いていた声が叩きつけられて何も言わなくなったとき吐き気がするほど恐かった。あんなことをするのはキライだと母に言ったら、「お父さんが一番つらいんだよ」と母はポツンと言った。私が殺したわけではないが、子ども心に小さな生き物を殺した感触がいつまでも残った。

戦争時代はどうだったのと聞いたことがある。父は極度の近眼だったので終戦間際まで徴兵されず内地どまりで終戦を迎えた。話すことは腕時計と交換に山ほどの卵をもらって食べたことばかり。それ以外に聞いたことがない。

絵が得意で漫画家になるのが夢だったとか。父の書いたデッサンが何枚か残っていたがさすがにうまい。写真も得意でアサヒグラフだったか、何度か賞を取っていたような気がする。だが長男であるがゆえにずっと両親のそばにいなければならなかったのが、望んだ生き方を出来なかった理由のような気がする。祖父は自分の子どもたちをすべて自分の下で働かせていた。つまり会社の社員はすべて子どもたちというわけだ。うまく行っているときはいいが、ダメになると恐い。私が中学生のとき祖父の会社が倒産して、父は失業者となった。それまで外で働いたことがないからどこへ行ってもうまくいかず、あの頃が一番苦しかったに違いない。

苦しさを酒でまぎらす日が続き、私はそれがたまらなくイヤだった。ある日、いつものようにグデングデンになって寝ている父の頭に思いっきり水をかけてやった。情けなくってたまらなかったのだ。父は私に水をかけられたのがショックだったのだろう。賃仕事ではあるがプレスの型を抜く仕事をもらって朝から晩まで働くようになった。

あぁ、いろいろなことを思い出す。。。私の名前は「明美」。明るく美しい子になるようにと名づけたとか。
おとうちゃん、ありがとう。本当に本当にありがとう。。。
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by reem-akemi | 2009-06-01 06:20 | 日記