毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

<   2009年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧

アラビア語検定試験

今日は「実用アラビア語検定試験」なるものを受けてきた。非常にマニアック、かつマイナーな検定試験で、どれだけの人がいるのだろうと興味深々で行ったら、狭い会場に20人以上はいた。20代と思われる人ばかり。。。自分のことは棚に上げ、こんなマイナーな試験を受けるのはどういう動機だろうと周囲を見まわした。

試験は筆記が1時間、リスニングが20分。筆記試験は最初の20分で書けてしまった。で、そのままリスニングの問題をざっと見る。会話はいいのだけど、数字が苦手な私。聞き取れなかったらいやだなぁ。。。このところアラビア語を耳にしてないからあんまり自信がない。

頭の中がすっかり日本語になっていて、アラビア語の感覚がなくなりかけている。不安なまま筆記問題を見直す。

それにしても、検定試験を受けようなんて我ながら酔狂だと思う。検定と名のつくものを受けるのは小学校のときに親に言われて受けた珠算検定のみ。そう。「試験」は心臓によくないから嫌いなのだ。おそらく相当の負けず嫌いだからだろう(私のこと)。めっちゃ気が弱いのかも。。。死ぬわけでもないのに心臓がバクバクしてくる(笑)。だから始まる前に水をグイッと飲んだ。全身の筋肉(脳みそも)の緊張をほどくには水が一番だ。

試験も無事に終わり、久しぶりの銀座で買い物とか映画を楽しみたかったのだけど、大好きなフレッシュネス・バーガーのオレンジティーで我慢した045.gif
[PR]
by reem-akemi | 2009-09-27 18:06 | 日記
06年に書いた小論をアップ。これは「市民の意見」に掲載したものです。

******************************************************************
ブッシュ政権とイラク占領
             
1 経済植民地と化したイラク 
  03年3月20日の侵攻以来、ブッシュ政権がイラクにおいてどのような政策を取ってきたのかを検証してみようと思う。 WHO(世界保健機構)の調査によれば91年(湾岸戦争以前)イラク住民の90%は安全な飲み水を供給されていた。
 この後、10年間の経済封鎖とイラク戦争の結果、04年5月の国連調査によると地方におけるイラク住民の80%が安全でない飲み水を使用し、都市においてはその51%の家庭で未処理のままの下水が道路に流されている。さらに06年1月には下水道網につながっている家庭は3%のみとなった。06年1月米国政府の調査によると、再建のための米国資金93%がすでに使われたにも関わらず上下水道計画は約40%しか完成されていないことが判明した(下水道計画は10件のうち2件が完成)。ちなみに湾岸戦争後、イラク政府は3ヶ月でライフラインの復興をしている。
 なぜこのようなことが起きたのか?それは03年5月ポール・ブレマー(連合国暫定当局行政官)が行った「ブレマー指令」から始まる(彼はその任を解かれるまで100の指令を行う)。
ブレマーは「指令1、2」により12万名の職員、専門家、技術者を解雇し、イラクの非バース党化(バース党員の排除)の過程で50万名の軍事・情報職員を解雇した。次に「指令39」で外国投資家による公共サービスの民営化を促した。この範囲は病院・学校・工場・食糧と農業・水と電気。生活すべてに及ぶ。これはイラクの「再建」につながらず、イラクを「搾取」する結果になった。水のような生活必需品が民営化されることで人々の生活はさらに窮乏を極めるようになる。
 また石油埋蔵量世界第2位の国でありながらサウジアラビアから石油を輸入し、人々はガソリンを求めるために一日行列することになる。これは戦前のイラクでは考えられないことだ。
 「指令80、81」で外国の製造会社と製造品に保護と保証を与えるために、イラクの特許と商標と版権の法律が書き換えられた。これにより種(たね)の交配・保存・分配の権利を持つ農業多国籍企業が保護され、一般農家はイラク原産の農業生産物の種の保存・分配が出来なくなった。また80、81でイラクでの収益をすべて本国に送金することを許可した。
 占領前のイラクでは、政府は大麦や小麦などを固定価格で買い上げ、砂糖や茶など生活必需品を無料で市民に供給していた。ところが「指令12」で、イラクに出入りするあらゆる製品にかかる関税や税を停止し地方経済の保護を一切なくしたため、安い外国製品が多数導入され、地方の生産者は大打撃を受けることになった。
 さらに「指令40」で、外国の銀行がイラクの銀行を100%買収することを可能にした。外国銀行にとって利益とならない地方の銀行は資金の導入もなく、なんの優遇措置も受けないままつぶれていった。
 これらに加え、イラク人に追い討ちをかけたのが、イラク企業を復興事業から排除する「外国企業の内国民待遇」措置であり、さらには米国の請負業者や兵士に対するイラクの法律からの完全免責の適用などだった。
 これを「植民地政策」といわずして何と呼ぼう…。イラクの復興援助というが、ブッシュ政権はたった一年でイラクを米国の植民地にし、イラク経済を徹底的に破壊した。

2 新たな軍事作戦
 04年7月イラクの主権移譲とともに大使として任命されたのが当時国連大使をしていたジョン・ネグロポンテだ。
 ネグロポンテとは如何なる人物か?ネグロポンテの任命については、「ウォールストリート・ジャーナル」4月号でカーラ・アン・ロビンスが大見出しで『現代の植民地提督』と書いた。なぜなら彼はホンジュラスで『殖民地提督』として知られていたからだ。すなわち79年にニカラグァで革命政権が樹立したとき、彼はその政権をつぶすためにホンジュラスで傭兵たちの軍隊―コントラ(死の部隊)を設立、ニカラグァに送った。その結果ニカラグァは内戦状態となり6万人の犠牲者をうみ、経済は壊滅状態に陥った。
 ネグロポンテがイラクに赴任してから5ヵ月後の04年11月、第2次ファルージャの虐殺が始まる。ファルージャは周囲を米海兵隊に囲まれ、15歳から50歳までの成年男子は街から出ることを禁止され、その後数日間にわたる米軍の激しい攻撃を受け、瓦礫の街と化した。
04年12月10日、米CIAとイラク政府は合同の暗殺・拷問特殊部隊を設立した。
(バーレーンのアハバール・アル・ハリージ紙より、以下抜粋)

 「バドル軍(シーア派の有力政党イスラム革命最高評議会の民兵組織)と、ペシュメルガ(クルド人の民兵組織)が武装勢力との対決に失敗したため、米国の治安と軍の諸機関は、イラク人と米国人から成り、法律の縛りを受けないで対ゲリラ戦の実行を任務とする特殊な諜報・軍事作戦部隊の養成に望みを託した。
 この部隊は襲撃や投獄、拷問、殺害を実行するに当たって法を無視することが認められている。フランス治安筋の情報によると、約1年前、米国の戦略家たちが、反米武装勢力が急速にイラクの多方面に拡大していることを認識した時に、この部隊の結成が検討された。戦略家たちは、ベトナムでの体験に基づきこのような特殊部隊の養成を勧告する報告書を米統合参謀本部とホワイトハウスに提出した。フィンサン・カネストラロCIAテロ撲滅室室長補佐は、現在イラクにこのような部隊が存在すると臆面も無く認めている。
 米国の軍事専門家たちは、『アルジェリア解放戦争でのテロリストに対するフランス特殊部隊や、パレスチナ人によるテロ撲滅のためにモサドが養成したイスラエル特殊部隊の手法を活用する切実な必要性がある』と観ている。ラテンアメリカでの対共産勢力戦争における米国殺し屋部隊の方式によって、イラク、米国特殊部隊は行動する。」


 私はこの文章の意味を当時正確に把握していなかった。残念なのは、いまだに日本のメディアおよびジャーナリスト諸氏が正確にこのことを認識していないことだ。以前より私はイラクが「内戦状態」にあるのではなく、なんらかの組織が計画的に破壊活動をしていると考えていたが、今回この報道をみつけて改めてその認識を強くした。「内戦状態」を装うことが米政府の戦略なだ。
  05年バグダッドの街に拷問死体が打ち捨てられるようになり、それ以降、襲撃・殺人・誘拐・爆発等、ありとあらゆる犯罪がバグダッドを中心にした都市で繰り広げられるようになった。現在、この犯罪を行っているのはサドル派のマフディー軍(シーア派)といわれている。しかし、それとは別に「暗殺団」がいるのは確かで、彼らが米軍基地を出入りしているという目撃情報も流れている。
日本の報道で恐ろしいのは、これら暴力行為と反占領のレジスタンス活動をすべて「テロ」としていることだ。  日本のマスコミは民衆の「抵抗運動」をいつから「テロ」と呼ぶようになったのだろうか?バグダッドで行われている破壊活動とレジスタンス活動はその対象が違うにも関わらず、すべて「テロ」と名指しし、その背景に言及しないのはジャーナリストの怠慢としか言いようがない。

3 さらなる破壊の予兆―サダム・フセインの処刑
 06年12月30日早朝、イスラム教の大事な宗教行事である犠牲祭の初日にサダム・フセインは絞首刑になり69歳の生涯を閉じた。これについて、イスラム教徒から平和を願うイード(犠牲祭)での処刑はイスラム教への冒涜だとして批判が続出した。(1月3日アル・ジャジーラのアンケートより)
 さらに、イラクの法律では判決確定の30日以降に刑の執行を行うことになっているが、サダムについては死刑確定のわずか4日後に執行された。執行時期に関して、イラク司法当局は早期執行に難色を示し、イラク大統領タラバーニも執行のサインを拒絶した。強行したのはマリキ首相だ。
マリキは米大使館と話し合いの末、30日早朝に執行を決定した。これに関し、1月2日、米国は執行時期を延期するように進言したが、すべてはイラク政府が決定したことであると発表している。しかし、サダム・フセインの裁判がすべて米国の政治的判断のもとで行われていたことは世界中が知っている。死刑判決は米中間選挙前の11月に出ていたのだ。
 処刑当日、申し合わせたようにバグダッドでは爆発事件が続出した。サダム・フセインの処刑が宗派対立をさらに深めたと報道されたがそうだろうか?イラク人にとって彼は過去の人間でしかない。もし怒りを持っていたとしたら占領に対する怒りに他ならない。イラク人(スンニ派)を怒らせ戦わせるのも3年間行ってきた常套手段だ。しかし、私にはそれも米国の戦略のひとつに思える。イラクが混乱していると見えれば見えるほどイラクへの増派はしやすくなり、たとえ失敗して撤退したとしても米国世論への言い訳にもなる。イラクはどうしようもない国だと。
 イラクの反占領抵抗運動はさらに広がるだろう。マスコミが宗派対立だといくら煽っても米兵の死が宗派対立による死でないことは明らかだ。彼らの多くはアンバール州における抵抗軍の攻撃で亡くなっているのだから。私たちはマスコミの報道のままに「宗派対立」という言葉に踊らされてはならない。
 サダム・フセインは独裁者として圧制を強いていたが彼は最後に強烈なメッセージをイラク国民に残した。私は彼の「憎悪するなかれ」という言葉にイラクの希望を見出す。

私が皆さんに憎悪するなかれと呼びかけるのは、
憎悪は人が公正であることを妨げ、
憎悪は皆さんを盲目にして思考する道を閉ざし、
バランスのとれた思考と正しい選択をさせなくするからである。

私はまた皆さんに私たちを攻撃した諸国の国民を憎むことなく、
政策決定者と国民を区別することを呼びかける。
皆さんは、侵略国民の中にも侵略に反対する皆さんの戦いを支持する者がいること、
そのなかのある者はサダム・フセインを含む拘束者の法的弁護活動を
志願したことを知っておくべきである。

誠実な国民の皆さん。 私は皆さんに別れを告げるが、
私は慈悲深き神とともにあり、神は避難を求める人々を支援し、
誠実で正直な信徒を決して裏切ることはない。

神は偉大なり。神は偉大なり。
イラク国民万歳。戦い続ける偉大なる国民万歳。
 イラク万歳、イラク万歳。
パレスチナ万歳。
聖戦と聖戦をたたかう戦士万歳。

サダム・フセイン

[PR]
by reem-akemi | 2009-09-23 22:35 | 小論

帰還米兵の院内集会

先週金曜日(9・11!)、衆議院会館の民主党議員事務所へイラク帰還米兵の院内集会を開くにあたりロビイングに行く。実は、民主党には苦い思い出がある。

2006年、イラク・ラマディの掃討作戦を止めるために世界に向けてオンライン署名を行なった。40数カ国の署名を集め、いざアメリカ大使館へもっていこうということになり、懇意にしている民主党の秘書に相談。本部担当者への紹介をしてもらった。そのうえでさらに念押しにとある議員秘書を訪ねた(その議員は今回内閣候補にもなっている)。その秘書は私の友人の夫君であった。その気安さから訪ねたのが間違いだと気づくのに長い時間は必要なかった。オンライン署名の説明をしたあとで、アメリカ大使館へ持参するという本題に入ったとたんに態度が居丈高になった。「この○○にそれをせいというのですか?貴女は私の妻の友人でもあり話を聞いていたが、貴女の運動団体とはこれまで付き合いがあったわけではない。それを急にせいとはどういうことですか。そういうのなら社民党がやってくれるでしょう。そっちに行ったらどうです?」

云われるまでもなく社民党が面倒みてくれるのはよく知っている。だが、そういう言い方は社民党に失礼ではないだろうか。。。私は彼のヒエラルキーを見た気がした。だから話を半分にして部屋を出た。すでにだんどりが出来ている上での相談などと言っても無駄だと思った。うんざりした。

で、今回もその秘書を訪ねることはやめにした。ロビイングは価値観の共有できる秘書がいる事務所でなくては通用しないことは先の経験で見にしみた。議員もそうだが秘書の能力は重要だ。先を見通せる政策秘書を使っている議員はそれなりの仕事をすると確信している。だから親戚の人間などを秘書に雇っていた自民党が落ち目になるのは自業自得というもの(プロ野球選手だったE議員は銀座のお姉さんを秘書にしていたけれど、本当に政治をバカにしている!)。

ということで、イラク・アフガン帰還米兵の院内集会のご案内です(^^)

************************************************************
イラク・アフガン政策の再考を求める帰還米兵の証言集会

9月16日 13時~15時 参議院第2・第3会議室

9月18日 10時~12時 参議院第6会議室

・証言者 アダム コケッシュ(元海兵隊三等軍曹)
      リック レイズ(元海兵隊伍長)

アダム コケッシュは、「アメリカはアフガニスタンとイラクで数多くの過ちを犯してきた。日本はその過ちに引き込まれないでほしい」とメッセージを寄せ、二つの戦争をめぐる外交政策に市民の価値観が反映されるべきだと訴えた。

リック レイズは、2009年4月に、上院外交委員会に招かれて、武力による侵略も占領も増派も問題の解決につながらないとして、外交努力の重要性を証言した。

ここに、帰還兵の証言を得て、二つの占領に対する政策を再考し、軍事援助に限らず、復興支援や人道支援のあり方を見直す契機としたい。

******************************************************************

16日は首班指名の日。民主党政権がスタートする日にこのような集会を国会(議員会館内)で行うことに大きな意味を感じる。
[PR]
by reem-akemi | 2009-09-15 09:35 | 政治・経済・国際情勢

衆議院選挙を終えて

民主党政権がいよいよ船出する。

政権交代のメリットは、官僚と政府との間に緊張関係が生まれることだと、さまざまなニュースを見聞きしてわかった。これはなってみないとわからないことだ。また、諸外国との関係においてもしかり。民主党はその利点を生かして、地位協定・グアム移転問題など日本にとって不利益な問題は自信をもって解決してもらいたいと思う。
日本から取れるだけ資金を取ろうというアメリカにとっては政権交代後の日本政府をどうコントロールしていくかが課題だろうが、日本政府は国益(!)を考えて行動してほしい。

さてさて、今回の選挙。私は日本会議メンバーがどれだけ残るかに注目していた。
日本会議は天皇を元首とすることを会の基本にすえたいわゆる「右翼」集団だ(^^)。

立候補した日本会議懇談会加盟議員数が169名。残ったのは82名。
半分落ちたのはまことに幸いだ(^^)

北海道、東北、関東圏の候補者はだいぶ落選したが、中国・九州地方はあいかわらず磐石だった。
ともに家父長制の強いところで、家父長制と日本の伝統を好む体質(?)の関係性がよくわかる。

さて、政権を取った民主党の日本会議メンバーは以下のとおり。そのほとんどが元自民党。
カッコ内の左は2005年の選挙の所属政党だから、自民から民主に鞍替えして今回の選挙に臨んだ右翼議員がいかに多かったかがわかるだろう。

・渡辺 恒三(民主→民主)
・吉田 泉(自民→民主)
・松原 仁(自民→民主) *松下政経塾出身
・長島 昭久(自民→民主)
・笠 浩史(自民→民主)
・鷲尾英一郎(自民→民主)
・糸川 正晃(国民→民主)
・田村 健治(自民→民主)
・牧 義夫(民主→民主)
・中井 治(自民→民主)
・前原 誠司(民主→民主) *松下政経塾出身
・松野 頼久(民主→民主)
合計12名。

ネオコンともいわれている松原、前原議員は松下政経塾出身。松下政経塾出身である中田元横浜市長、上田埼玉県知事とともに、松下政経塾出身者は統一教会との関係がとても深く、「保守」というより、人々を力によりコントロールしようとする「ファシズム」に近いのではないかと見るが。。。どうだろうか。。。
[PR]
by reem-akemi | 2009-09-03 09:45 | 政治・経済・国際情勢