毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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「デモ行進」って?

2007年12月16日

久しぶりのブログ(^0^)

さて、若者向けの雑誌「R25」を読んで驚いた。以下、その抜粋。
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「デモ行進」って
どうしてやっているの?
(2007.12.13)
写真提供/時事通信

都内で時折見かけることがある「デモ行進」。プラカードや横断幕を掲げつつ、「○○反対!」といったメッセージをアピールしながら歩いている。だけどネットを使えば、より多くの人に意見を伝えられるんじゃないかしら? どうして“行進”なんだろう。

「デモとは“デモンストレーション”。抗議や要求したい主張を掲げ、集団で示す活動のことですね。イチ個人として発言するよりも、多人数で伝達した方が社会の関心が高まりやすい。また多人数で行進することが報道されれば、より大きな関心を集めることも期待できます」(一橋大学大学院・法学研究科・阪口正二郎教授)

なるほど。そもそもいつごろからある?

「日本でも古くからあったようですが、戦前はかなり厳しく規制されていました。デモ行進が“表現の自由”として保障されるようになったのは、日本国憲法ができてからです。またそれと同時に、デモ行進を取り締まるための“公安条例”も生まれました。条例なので各自治体で作っているのですが、東京都公安条例が全国のほとんどのモデルになっています」(同)

そして現在、デモ行進を行うためには、この「公安条例」と「道路交通法」のふたつを守ることが義務づけられるという。違反した場合は、しかるべき刑罰が科されることもある…とここまではわかった。では実際、デモとはどんなものだろう? 試しに参加してみた。

とある週末の正午過ぎ。集合場所は、駅にほど近い公園。約200人が集まり、訴えを呼びかける集会が30分ほど行われ、デモ行進がスタート。メッセージを繰り返しシュプレヒコールしつつ、決められたルートを1時間ほど歩く。200人が叫ぶので、周囲の人も“何事?”と立ち止まる。多くの通行人の目線をヒシヒシと感じ、その効果は大きいように思えた。ちなみにこのデモは後に新聞でも紹介された。

社会的な問題は、まず“知ってもらうこと”から始まるのだ

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まず、阪口教授の発言の単純さに驚いた。教授いわく「デモとは“デモンストレーション”」のこと。そんなこと言うまでもない!それに続く発言もまんざらウソではない。しかし、これだけではないというのが私の考えだ。

この論法は石破防衛大臣もよく使う。前提は誰もが納得することを言いながら、適当なところで論点をずらし、結論は自分に都合のいい方向に導く。

ここで書かれていないのは、「デモ」は誰に向かって表現しているのか?誰に対峙しているのかということ。社会の関心を向けるとはどういうことか?もちろん人々の共感を得るためでもある。共感を持った人間同士、次の行動に進む。そうやって人々を巻き込むことによって「場」が「現場」に転化する。「現場」は日常とは違う時間の流れ方をする。なぜなら、「現場」はエネルギーが流れているから。「現場」を人々が共有したときから政治が変わり始めるのだ。つまり、「デモ」は政治を変えるためのとっかかり。

「デモ」が政治を変える「とっかかり」とするなら、話を最初に戻して、では対峙しているものは何か?

言うまでもない。「国家権力」だ。デモ行進は多くの人に意見を伝えているのではなく、「権力」に向かって抗議をしているのだ(あくまでも私の意見だが…)。だからこそ権力は「デモ」を表現の自由としてその権利を保障しながら、「公安条例」・「道交法」という規制をかけてくるのだ。
権力が恐れているのは、多くの人が集まり政権をゆるがすほどのエネルギーが生まれること。ミャンマー政権のデモ参加者に対する抑圧を見てもわかるだろう。

社会的な問題は知ってもらうことから始まる?ウソでしょ。社会的な問題は個人的な問題でもあるのだから、まずはそれぞれが立っている場所をよく見つめることだと私は思う。

デモを遠巻きにして見ている「観客」でいる限り、社会は何も変わらない。

隣の人と手をつなぎ、道路いっぱいに広がって歩く「フランスデモ」の開放感は忘れがたい思い出だ。また道路をクネクネとジグザグに走る「ジクザクデモ」もエネルギーを感じる。
「デモ」は私たちの大切な権利であることを忘れてはならない。

そして、「デモ」は「デモンストレーション」であり、決して「パレード」ではないことを書いておく。「パレード」は権力との対峙もなければ、現場のエネルギーも生まれない。また、国家権力の暴力により亡くなっている世界中の人々と、その悲しみを共有することもない。
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by reem-akemi | 2007-12-16 21:43 | 政治・経済・国際情勢