毎日思うこと、感じることを日々の時間(とき)の中で綴ります


by reem-akemi
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エジプトのイラク人ーミスリーヤ

2007年01月20日

インターネット接続で苦労していたが、時計を見たら11時。イラクの友人Sが来る時間なのでロビーへ。

少し痩せて(やつれたというほうが当たっている)現れたのに少々驚く。その後彼の家へ行く。タクシーで5分ほどだが、案内されたのは見るからに貧しそうな地域。バグダッドでも高級な地域に住んでいたのにと思うと何もいえなくなる。「バグダッドは大きな家だったけど、小さくなってしまった」とエレベータに乗りながら話す。電気もない暗いロビーの4人も乗ればいっぱいになりそうなエレベーターで2階へ。

「みんな驚くぞ」といい、ドアを開けると彼のワイフが出てきた。なんだかさらに痩せたみたい。子どもたちはすっかり大きくなっていて、2003年当時赤ん坊だった女の子は3歳半になりアラブの女の子に特有の黒い瞳が愛らしかった。抱きついてきたので優しく抱きしめたけど、こんなに大きくなるまでアメリカの占領が続いていることを具体的に見たようでなんとも言えず悲しくなってきた。グランマは?という私の質問にお祖母さんが現れた。思わず手を握って「お元気でしたか?」と言うと優しく手を握り返してきた。小さく冷たい手が心細かった。

広さは3LDKほどか。。。バグダッドの彼の家はブランコのある広い庭、PCがおいてあった大きな書斎、家族が団欒するリビング、大きな冷凍庫があった台所、バスルームは1階と2階それぞれに。私が泊まっていたのは2階の部屋ーーキングサイズベッドがど~んと置いてあり、そこから屋上に出られるようになっていた。
お祖母さんも家が小さくなったことを嘆いた。けれどバグダッドはと、右手を自分の首にあて、首を切るような動作をした。そして左腕のなかほどに右腕を置いた。斬首がたくさんあるという意味だ。

バグダッドだけではないようだ。彼らが言うには今日もカイロでイラク人が殺されたらしい。ここエジプトには80万人のイラク人が逃れてきている。本当はもっと多くの人がエジプトに入ることを希望しているが、エジプト政府がイラク人に入国を拒否している。

エジプトに無事に入ったからといってhappyな生活が待っているわけではない。エジプト人でさえ働き口がないのだ。イラク人がそんなに簡単に就職できるわけがない。結局、貯金を切り崩して生きていくのが精一杯。

それでもここは水道もあり電気がくる。何より爆発・殺人・拉致がない!そして米軍がいない!!!
子どもたちを安心して学校へ送れる。

彼は近いうちに家族をカイロに残して自分はバグダッドに戻りたいという。仕事をしたいし、何より人々のために何かしたいと。

テレビを見ていたらクルド人虐殺の公判がライブ中継されていた。いまやイラクのテレビ局は24もあるらしい。公判は政府系テレビのイラキーヤが中継。
と、彼が大きな声で叫んだ。
「この人知っています」
「え?どの人?」
彼は原告の一人を指差した。
「この人は当時の科学大臣で、私のボスです。なぜこんなことになるのか、私には理解できません。彼はとても良い人です」

友人は23歳のときに父親を亡くし、7人の姉妹と母親を彼一人で扶養していた。ある日、理由もなく彼の給与が下がり生活に困窮してしまい、当時の上司(間接的な)であった科学大臣(原告)に直訴した。これを聞いた大臣は友人の直接の上司を呼び、給与を下げた理由を問いただし、彼の給与を元に戻すこと、その仕事を終えなければ帰宅してはならないと命令した。

つまり、原告である科学大臣は公正な人であるというのが友人の言い分だ。
サダム・フセインの裁判もそうだが、今のイラクで行われているこれらの裁判はもはや裁判とはいえないものだと私は思っている。どれもこれもサダム政権に対する復讐。殺すことが目的で真実が何もわからない。

裁判とは真実を解明すること。でも、一体どれだけのことがわかった?サダムは殺され、サダムの側近たちも先週処刑され、何もかも、すべて闇に葬られてしまったではないか…。アメリカにとって都合の悪いことは永遠にわからなくなってしまった。

カイロに住んでいても彼らの意識はいつもイラク。家財道具一切を捨て、飛行機で逃げてきたのは他のイラク難民から見れば幸せなのかも知れないけれど、虚ろな彼らの瞳を見れば決して幸せでないことがわかる。

彼らの戦いはまだまだ続く…。
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by reem-akemi | 2007-01-20 12:16 | エジプト