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by reem-akemi
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2006年 07月 09日 ( 1 )

2006年07月09日
 上田埼玉県知事が、先日「いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の考えについて」という見解を発表した。それ以前に先の議会答弁でも「古今東西、慰安婦はいても従軍慰安婦はいない」と答弁し、さらに「こうした間違った記述は修正しなければならない」として平和資料館の展示の見直しを要請した。

 また、「慰安婦」は「民間の業者が連れて行ったりするのであって、軍そのものが連れて行ったりするわけは絶対ない」と答弁。しかし、1993年8月4日、日本政府が公表した「いわゆる従軍慰安婦問題について」と題した政府調査で以下のことが認定されている。

1 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営していたケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した…。
2 慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていた…。
3 慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必然性が高まり、…業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。
4 旧日本軍は…その渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給などを行なうなどした。また、軍の船舶や車輌によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。

 上記で認定された事実からもわかるように、旧日本軍は直接あるいは間接的に慰安婦制度に関与している。そして慰安婦たちの移送に軍の船舶・車輌も使われていた。すなわち「軍そのものが連れていった」のだ。

 知事の答弁の根拠は、彼の見解によると、
「その経緯については、当時の官房長官であった加藤紘一、河野洋平の両氏、そして内閣官房副長官として歴代内閣を支えた石原信雄氏の証言をもとに、櫻井よしこさんが文芸春秋(1997年4月)に詳細にまとめられています。」
 残念なことに政府の資料ではなく、雑誌に掲載された一ジャーナリスト(彼女は中国を仮想敵国として発言する戦争大好きな人)の記事だった。

 私は歴史(政治)には落としどころが必ずあると思っている。物事を先に進めるための処置だ。例えば、日本の国体と引き換えの憲法9条。それが良いとか悪いとかではなく、政治技術のひとつの方法だと思う。その意味では、日本政府の慰安婦調査の結果の河野談話は日本政府にとっては「慰安婦」問題の決着点だったのだろう。つまりここで日本政府はこの問題を清算したのだ(それを認めるかどうか、あるいはその後の補償をどうするかは別として)。
 私たちにとっても、過去の歴史の清算は、アジアでの旧日本軍の行為を検証し、次世代にそれをつなぐことしかない。それはどこの国でも行なっている普通の方法だと私は思う。

 今回の上田埼玉県知事の行為は、決着したことを蒸し返す政治家として最悪の行為だ。日本政府の公式見解と異なる発言をした愚かさは度し難い。もっとも最近はこういう政治家が多すぎる。

 1985年5月8日、ドイツ敗戦40周年記念講演で、ワイゼッカードイツ大統領(当時)は以下のようにドイツ国民に語りかけた。これはナチスの歴史を清算する目的を持って行なわれたものだ。

過去に目を閉ざす者は結局のところ、現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、また新しい感染の危険への抵抗力を持たないことになるでしょう。

 過去の歴史をきちんと見ることは、決して自虐的に歴史を見ることではないと認識する。なぜなら、私は1945年3月の東京大空襲、8月のヒロシマ・ナガサキを決して忘れないから。
 ヒロシマ・ナガサキ・東京大空襲の決着は、60年たった今も、まだ着いていない。
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by reem-akemi | 2006-07-09 00:59 | 政治・経済・国際情勢